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PRISONER 2  作者: 桜坂詠恋
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「うぃーっす」

 例の如く、倉木がノックもせずに化学準備室の戸を開けると、都筑が眉間に皺を寄せた。

「なんだよ、倉木」

 しかし更に顔を歪めたのは倉木の方である。

「何だよって……つか、何この部屋」

 準備室は、さながら竜巻の後のようだった。

 書棚が薙倒され、資料や本が床に散乱している。

 都筑は、さも鬱陶しそうに倉木を一瞥すると腕を組み、そっぽを向いた。

「煩いな。模様替え中だよ」

「模様替えねえ」

 倉木は苦笑した。とても模様替え中の様相とは思えない。

「で?」

「は?」

「は?じゃなくて。何か用?」

 都筑は、早く出て行けといわんばかりに倉木の前に仁王立ちになり、用件を促した。

 そんな都筑に、倉木は目を瞬かせている。

 都筑に不当な扱いをされるのには慣れているが、呼びつけておいて何か用かとは。

「何かって……。呼んだっしょ?」

「呼ばないよ。大体なんで俺がオマエなんか呼ぶん……」

 言いかけて、都筑は倉木をまじまじと見た。不安が過ぎる。

 倉木も同様に奥歯に物が挟まったかのような、不快な表情を浮かべた。

 何かがおかしい。

「おい、鈴音は」

「し……資料室」

「何処の」

「え、第二……だけど」

「このバカッ!」

 怒号とともに、倉木の頭に都筑の拳骨が落ちた。

 関節が白くなるほど、拳を握り締めている。

 倉木はズキズキする頭を抱えると、都筑を睨んだ。

「いってぇな!なんだよ!」

「あそこの管理者は藤堂なんだよ!」

 そう言い捨てると、都筑は白衣を翻し、準備室を飛び出していく。

 倉木も慌てて都筑の背中を追った。

「ヒー!桜井ぃぃぃ!!」




「俺に鈴音を頂戴?」

 藤堂は、鈴音の顔に掛かる髪を梳くと、頬に唇を寄せた。

 途端にぴくりと頬の筋肉が緊張させ、鈴音が顔を背ける。

「ダメ」

「ダメ?」

「イヤ……」

「イヤならどうして抵抗しないんだよ」

「ちが……」

「出来ない?身体、言う事利かなくなっちゃった?」

 鈴音は力なく喘ぐだけだ。

 その苦しげに呼吸を繰り返す唇に、上下する胸に、藤堂は鼓動が早まるのを感じた。

「鈴音、マジで可愛い」

 額に、頬にキスを落とすと、藤堂は鈴音を見詰め、ブラウスのボタンに手を伸ばした。

「ねえ、鈴音。貰うよ?」

 その時だった。

「誰がやるかーッ!!」

 叫び声とともに、資料室の戸がドカンとぶち抜かれた。

 埃を巻き上げ、大きな音を立て倒れこんでくるドアの向こうに、ブリケンシュトックの足を上げた都筑の姿。

「桜井!」

 戸が完全に床に倒れると、それをバキバキと踏みつけ、倉木が飛び込んで来た。

 そして、呆然としている藤堂から鈴音をもぎ取る。

 それを確認すると、都筑は2人を自分の背に匿い、ゆっくりと立ち上がった藤堂の前に立ち塞がった。

「鈴音に近づくなって言ったろ」

「アンタも忘れっぽいんだな、都筑。約束出来ないって言っただろ」

 それを聞いた倉木が、都筑の後ろで、ポンと掌を拳で打った。

「あ。なるほど。そう言えば約束してないよな、俺も。何ガマンしてんだろ」

「テメーがいつガマンしてんだよ」

「それもそうだ」

 都筑に睨まれ、倉木は肩を竦めた。

 よくよく考えてみれば、返り討ちにあってるだけだ。

 藤堂は長い溜息をつくと、都筑を睨んだ。

「鈴音がどっちを選ぶかはっきりさせましょうか、都筑先生」

「何どさくさに紛れて呼び捨てにしてるんですか、藤堂先生」

「つか、なんで俺は含まれてないんでしょうか、先生方」


「ガキは引っ込んでろ!」


 教師2人が同時に怒鳴る。

 倉木もも負けじと怒鳴り返した。

「オヤジが盛ってんじゃねえ!」

 しかし、モノラルがステレオに敵うはずも無く、倉木は、年長者2人の威圧的な視線にたじたじとなった。

「あ、桜井」

 都筑と藤堂の勢いに飲まれ、支えていた腕の力が緩んだ途端、鈴音がへなへなと床に座り込んだ。

「大丈夫か?桜井?」

「腰が立たないんだよ。そうだよな?鈴音」

 座り込んでいる鈴音と、その傍で跪く倉木を見下ろし、藤堂は言った。

 その顔には、勝ち誇ったような笑みすら浮かんでいる。

「こんな風になった位で──」

 都筑が再び口を開いた。

 拳を握り締め、射抜くような視線を藤堂に向けている。

「この程度で、鈴音がアンタを受け入れたと思ってるのか。そんなの、ある程度女を知ってりゃどうでも出来ることだろ。本当に好きなら──」

 言いながら、都筑ははっとした。

 目の前の、この冷淡な男は──愛し方を知らないのだ。

 鈴音に恋をしているのは間違いないだろう。

 全てを手に入れたいと思っているに違いない。

 だが、心を手に入れる方法が分らず、腐心しているのだ。

「随分と御自分の技術に自身がおありのようで。都筑先生?」

「そう言う事言ってるんじゃない」

「じゃあ、どうだって言いたいわけ」

 藤堂は見るからにイライラしている。

 都筑はそんな藤堂の肩を掴むと、押しやった。

「どけ」

 そして、座り込んだ鈴音の前に跪く。

「鈴音?」

 都筑が呼ぶと、鈴音は顔を上げた。大きな目は潤み、今にも泣き出しそうだ。

 そんな鈴音の頬をそっと撫でると、都筑は鈴音の身体を引き寄せた。

「ゴメンな」

 言って、きょとんとしている鈴音の顎に手を掛けると、倉木、藤堂の眼前で唇を重ねた。

 資料室内が水を打ったように静まり返る中、ささやかな衣擦れの音と、鈴音のくもぐった声だけが響いた。

「あんた、一体何を──」

 言いかけて、藤堂は言葉を失った。

 自分の腕の中では、ただ泣きながら力を失った鈴音が今、おずおずと都筑の首に手を回している。

 鈴音自身が都筑を求めたのだ。

 明らかに自分の時とは違う鈴音の反応に、藤堂は愕然とした。

「は……っ……あ」

 都筑の唇が離れると、鈴音はぐったりと都筑の胸に身体を預けた。

 だがその手はしっかりと都筑の背中に回され、白衣を握り締めている。

 都筑は鈴音を抱き、何度か髪を梳くと、藤堂に背を向けたまま言った。

「自分を押し付けるだけじゃ、ダメなんだよ」

 藤堂は何も言わなかった。

 勿論、反論してきたところで、都筑は耳を傾ける気もなかった。

「兎に角。この勝負、俺の勝ち。わかったら出てけ」

「だって。残念だったね。藤堂先生」

 そう言って藤堂の肩をポンと叩く倉木を都筑はじろりと睨んだ。

「オマエもだ、倉木」

「ちぇっ。わーったよ」




「こら」

 2人が資料室を出て行くと、都筑はきゅっと鈴音の鼻を摘んだ。

「隙だらけだって言ったばっかりだろ」

「うん……。ゴメンなさい」

 しゅんとなる鈴音を、都筑は横目で軽く睨む。

 そして、きゅうに目をパチパチさせると、両方の拳を顎の下に当て、ぶりっ子ポーズをした。

「鈴音、実はちょっと流されそうだったの!」

 そう言うと、すっと素に戻り、疑わしげに鈴音を覗き込む。

「……とか言わないだろうね」

「そんなんじゃないもん」

 鈴音はぷっと頬を膨らませ、抗議の視線を向けてくる。

 内心それに安心しつつ、都筑は真面目な顔で「あのね」と話し始めた。

「鈴音は確かに優しい。そこは俺が凄く好きなとこでもある。けど──」

 都筑はそこで一旦言葉を切った。

 授業中でも、最も重要なポイントの前には必ずこうやって言葉を区切る。

 忘れるなよ?ここからが重要だぞ。と言う、都筑の合図だ。

 ここでもこの合図は鈴音に届いたようだ。

 鈴音はじっと都筑の目を見ている。

 それを確認すると、都筑は改めて口を開いた。

「けど、恋愛で情けなんかかけるなよ?その方がよっぽど残酷なんだから。いいね?」

「あ……」

 鈴音の中で、あの日の藤堂の言葉が思い起こされた。


──中途半端な期待を持たせるよりいいんじゃないの?


「どうした?」

 突然都筑から身体を離すと、鈴音は居住まいを正した。

 正座し、その上で手を握り締めている。

「私、藤堂先生に謝らなくちゃ」

「なんで」

「うん……ちょっと。でも、絶対なの」

 授業以外のシチュエーションで、再び藤堂の前に鈴音を立たせる事に都筑は躊躇した。だが、鈴音の真剣な表情に、それは適わないと悟ったようだ。

 鈴音なりに、自分の信念に基づき、藤堂に対して何かしら認めるべきものを見付けたのだろう。

 都筑は短く溜息をつくと、鈴音の鼻の頭をちょんと突付いた。

「わかったよ。でも条件付きだぞ?」




「で?」

 翌日、都筑に化学準備室へ呼び出された倉木は不機嫌だった。

 頭をガリガリと掻き、深々と溜息をつく。

「俺は桜井と一緒に校庭のど真ん中に立てばいい訳ね」

 倉木の顔には、大きく「不本意」と書かれている。

 その目の前で、都筑は満足気に頷いた。

「鈴音がどうしても藤堂と話したいって言うからさあ」

「それはいいよ。でも──」

 倉木は片眉をぴくぴくと震わせると、バン!と都筑の机を叩いた。

「それとコレと何の関係があんだよ!」

 しんと静まり返った準備室に、窓から爽やかな風が吹き込んだ。

 それに煽られ、可憐なレースに縁取られた黒いスカートがひらりと舞う。

 倉木は、またしてもメイド服を着せられていた。

 背中の真ん中で閉まりきらないファスナーが、哀れみと笑いを同時に誘う。

「似合うなあ」

「悪目立ちすんだろが!」

 凶悪で醜悪なメイドは、そう言うと都筑に食って掛かった。

「そうじゃなきゃ困る」

 都筑はさらりと交わすと、真面目な顔で倉木を見た。

「考えてみろ、流石に校庭の真ん中で、メイド服着たヤローが立ってたら人目を引くだろ」

「当たり前だ」

「ソコがポイント」

 そう言うと、都筑はにっこりと笑った。

「大勢が観てる前なら、いくら藤堂でも鈴音に手は出せないだろ」

「……」

「と言う訳で。お願い、倉木クン」

 言いながら胸の前で手を組むと、都筑は上目で倉木を見詰め、パチパチと目を瞬かせた。

 しかし、当然ながらそんなものが倉木に通用するはずも無い。

 倉木は舌を突き出すと、「うえっ」と吐きそうな顔をして突き放した。

「自分でやれよ」

 すると、都筑はフッとニヒルに笑い肩を竦めた。

「俺にはイメージってものがあるんだよ」

「なーにがイメージだ。淫乱教師」

 倉木は腕を組むと背中を向けた。

 鈴音の為なら何でもするが、この格好に意味が見出せない。

 ぶつぶつと「エロ教師」「鬼畜」「オヤジ」と口の中で毒づく倉木の背後から、都筑の「あれぇ?」と間延びした声が響いた。

「ひょっとして、忘れちゃったの?倉木くん」

「あ?忘れ……って、なにが……」

「だからあ」

 にっこり笑う都筑の顔が、一瞬の内に般若と化した。

 そして──

「ご主人様だっつってんだろ」

 そう言うが早いか、振り返った倉木の頭上に、またしてもブリケンシュトックの足が振り落とされた。



 その後。

 委員会を終えた鈴音は、隣を歩く倉木を見上げると、制服のシャツを引いた。

「あのね。えっと、ちゃんとした返事って、私、してなかったよね」

 それがどう言う事なのか、倉木はピンときた。

 鈴音は、キッパリと断りの返事をしようとしているのだ。

「あの──」

「や。ムダだから」

 そう言って鈴音の言葉を遮ると、倉木は苦笑した。

「俺、往生際悪いし」

「同じく」

「げっ。藤堂……あだっ!」

 背後からヌッと現れた藤堂は、ごちんと倉木の頭に拳骨を落とした。

「藤堂センセイだろ。同じ穴のムジナだと思って、礼儀を欠くなよな」

 そう言うとにやりと笑ってみせる。

 最近、藤堂は少し変った。

 何も丸くなったわけではない。しかし、その表情に多少の優しさを垣間見る事が出来るようになった。

 こうして鈴音を見詰める目も、以前のような悲壮なものではなく、包むような優しさを備えたものに変っている。

 藤堂は長身を屈めて鈴音を覗き込むと、真っ直ぐにその目を見詰め、口を開いた。

「俺もね、物凄く往生際悪いんだよ、鈴音。何やら中途半端な期待を持たせないよう、気を使ってくれたようだが」

 藤堂は鈴音の額を「残念でした」と突付くと背を反らせ、この世の王様と言わんばかりの大きな態度でまくし立てた。

「他に好きな男がいる位どうだって言うんだ。そんなもの、クソ食らえだよ。結果なんて、いくらでも変えられる。俺は、その為の手段は選ばないんだ。だから──」

 そこまで言うと、藤堂は呆然としている鈴音の耳に唇を寄せ、そっと囁いた。

「覚悟、するんだな」



── THE END. ──

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