優しさ故に
NPO法人1章
今日のお弁当中身は卵焼きと野菜炒め、冷凍食品の自然解凍ハンバーグこんなもんかな?
幸子は独り言を言いながら幸せな気分になった。
高校3年生の、「まどか」と旦那の「聖」(こうき)二人分を手際よく弁当箱に並べていく。
以前はこのように短時間に家事を済ませられなかったのは、彼女が専業主婦で時間に余裕があったから。
しかし、一人娘のまどかは来年大学受験だ。
旦那の聖の収入だけでも行かせられなくはないが、このご時世、老後の心配もあって幸子は思い切ってバイトに出たのだ。
勤め先は近くのスーパーのお総菜売り場だ。
幼いころから料理が得意だった幸子だったが、ここでは所詮素人料理のスキルなんて全く通用しなかった。
毎日が彼女にとって戦争みたいなものだった。
ともかく急げ急げ…。
商品の良し悪しなんてこのスーパーにとってはなんの価値も無かった。
ともかく、安価で味付けは濃いめ。
日持ちを長くする為に。
そんな場所で毎日が過ぎていくのに耐えていられたのは、ひとえに娘の受験の為と優しい性格の聖に少しでも楽になってもらいたい一心だった。
旦那の聖はいたって真面目で優しいが幸子も同様で幼いころから弱い立場の人に寄り添う女の子だった。
決して成績が良かったわけでも、美人だったわけでもないが、その人柄に寄って来る男子生徒も少なくは無かった。
勿論女子にも信頼があり、クラスのムードメーカー的存在だった。
やがて、彼女も成長し、都内の小さな会社に就職した。
短大卒だったが、人柄の良さが幸いし、砂糖の卸問屋に事務職としての採用だった。
そこで知り合ったのが、営業畑で活躍していた聖だった。
どちらかと言うと口下手なタイプの聖だったが幸子同様に信頼される人柄でいつもトップの成績だった。
何不自由のない生活だったが、昨今のコロナ禍で輸入品が上手く入ってこない。
お得意様の菓子店なども打撃を受けている。
順調に過ごしていた幸子一家だったが、コロナの影響は思った以上で聖の会社にまでもしわ寄せがきている。
そんな中で幸子は思い切ってバイトに出たのだ。
家庭的な彼女は「私ならお総菜作りなんてお手のもんだ。」勘違いの元に走ってしまっていた。
結婚後専業主婦を通してきたのでだいぶ世間が狭くなってきていたのだ。
順調な滑り出しとは言えない状態の幸子だったが、何とかここで踏ん張って行こうと決意をしていた。
私なら出来るはずだ。
諦めるな。
必ず慣れるから。
泣き出しそうな気持でふらふらと商店街を歩いていると、とある暖簾が目に入った。
「暖暖」(だんだん)って何なのこれ。
暖簾をよく見てみると小さな文字でNPO法人とだけ書いてあった。
NOP法人聞いた事があった幸子だったが詳しくは分からなかった。
非営利団体くらいは知ってはいたが。
なんとはなく中を覗いて観ると何人かの中年の主婦らしき人達が忙しそうに動き回っていた。
どうやらここでお弁当を作っているらしい。
このご時世で職を失った方々が多いとは聞いている。
きっと生活困窮者の支援だな。
彼女はおぼろげに感じた。
そんな気持ちで暖簾の前で立ち止まっていると中から誰かが声をかけてきた。
しばらくその場から、幸子は動けなかった。
「暖暖」(だんだん)ってなに?
NOP法人っていったい?
そんな思いにとらわれていたのだ。
が、中からの声で現実へと引き戻された。
「お弁当もうちょっと待ってね…。貴方初めて?見かけたことないわ。おなか減ってるの。顔色良くないね。家族いるの。もしかしてシングルマザーさんかな。」
質問の連投は少々幸子を参らせていた。
「いえ、私は近くに住んでいる者です。初めてこの暖簾を見たもので、なんとなく立ち止まってしまいました。忙しそうなのに、お邪魔してすいません。」
優しい性格の幸子はすまない気持ちでいっぱいになっていた。
「そうなの、でも、貴方顔色悪いわよ。ちゃんと食べてるの。本当に大丈夫。なんだったら、中で少し休んでいく。」
中年女性はことのほか幸子を気遣ってくれた。
スーパーのバイトでは、総菜の出し方が遅い、何度言ったら分かるんだ、早くしろ、お客が他のスーパーに行ってしまうじゃないか、などの言葉を連日言われ、慣れない仕事に参っていたのかも知れない。
だが、ここのお弁当には愛情みたいなものが入っている。
幸子は久しぶりに明るい気持ちになっていた。
本来、総菜とはこうあるべきだとも感じていた。
言葉に甘えて幸子は中に入っていった。
外観から想像できないほどの広さだった。
奥には厨房スペースもあり、たくさんの主婦らしき人達がお弁当作りをしていた。
丁度、かき入れ時の様で、驚くような速さで次々とお弁当が出来上がっていく様を一人眺めていた。
先ほどの女性が再び声を掛けてきた。
「顔色良くなったわね。よかったらまた来たらどう。あ、申し遅れました。私は相川道子と申します。改めて自己紹介したわよ。」
笑顔で、はにかみながら言った。
「ボランティアでお弁当作っているの。みんな貴方と同じで近くに住んでいる主婦ばっかり。ごめん、自分の話ばっかりして。でも、貴方も主婦っぽく見えたから…。違うかしら、言いたくなかったら答えなくてもいいのよ。でも、困ったときはお互いさま。なんかあったらいつでも連絡よこしてね。連絡先教えるわね。」
慣れた様子で電話番号が書いてある名刺を割烹着のポケットから出した。
NPO法人[暖暖]代表相川道子電話番号○○。
とだけ書いてあった。
幸子も答えた。
「渡辺幸子と言います。近くの団地で主人と娘の三人で暮らしています。スーパー○○の総菜でバイトしているもので、美味しそうな匂いにつられてきちゃいました。」嘘言った。
幸子は罪悪感にさいなまれたが、道子の笑顔に救われた。
「また、来てもいいですか?」
「勿論、大歓迎。だって、総菜作りのお仕事してるんでしょ。教えて欲しいくらいよ。ごめん、仕事で忙しいわよね。」
「いいえ、また寄らせてください。」
幸子の承認欲求が満たされた。
今夜は、家路に着く足元がいつもより幾分軽く感じた。
NOP法人って何やっているんだろうかしら?
代表の人は私を誘っているように見えたけれだ、本気だったんだろうか?
とりとめのない事を考えていると、まどかが帰って来た。
「ただいま。模試の結果良かったよ。頑張ったから。」
嬉しい言葉と共に家に入って来た。
幸子はことのほか喜びを感じた。
来年4年生の看護大学を受験する「まどか」は人一倍努力家で真面目な性格だ。
このまま素直に受験に取り組めば必ず良い結果が出ると担任の教師にも言われている。
「今日は、なに。」
「勉強頑張ってもらいたいからすき焼きだよ。」
まどかは嬉しそうに笑った。
「私も手伝うよ。お母さんもバイトで大変なんだから。」
二人でキッチンに立って、好き焼きの準備をしていると、聖も帰宅した。
「おお、なんかいい事あったかな?今晩はすき焼きか。嬉しいな。」
バイトの疲れが一気に退いていくのを幸子は感じた。
だが、聖は鋭かった。
「ママ、つかれているの?顔色悪いよ。スーパーのバイトきつかったら無理しなくていいんだよ。コロナ収まって来ただろ、お得意様の店にもお客が戻ってきて、給料、もとに戻りそうなんだ。俺、一人の給料で大丈夫、まどかの学費くらい楽勝だよ。それより、ママが倒れたら大変じゃないか。楽しそうには見えないんだよな。」
聖は本当に優しい。
幸子は泣きだしそうになっていた。
「大丈夫、もう少し頑張ってみる。慣れたら少しは楽になると思う。」
「無理するなよな。」
聖の優しさが沁みた。
三人での楽しい食事がすむと幸子はいつものPCに向かって家計簿をつけようとしたら、財布から名刺が落ちた。
「NPO法人暖暖代表相川道子連絡先○○。」
聖の言葉に甘えてバイト辞めて、ここのお手伝いしようかな。
軽い気持ちで考えていた。
もし、この時に戻れたら、彼女は暖暖にはいかなかっただろう。
幸子の人生が転がるように落ちていくとは、「交通事故に遭ったようなものだ。」
誰かが言った言葉が聞こえてきそうだ。