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7 悪縁も奇縁、また契り深し

リラ国への帰りの列車の中で、隊正は来たときと変わらず眠っていたが、雅日は琴琶から譲り受けた魔術書を読み、セガル上の空な様子でぼんやりと窓の外を眺めていた。雅日にとっては忙しく、隊正にとっては退屈で、セガルにとっては緊張に満ちた三日間は無事に終わった。


それから二週間。騎士団での雅日の生活は、朝は隊正を起こして体調に異変がないか様子をうかがい、日中は騎士たちの訓練の記録をとり、仁や蘇芳から頼まれたこまごまとした雑務や医療班の手伝いなどをしながらすごし、仕事の隙間時間や夜の自由時間に魔力操作の練習をおこなうというルーティンに落ち着いていた。空いた時間に女性騎士たちとの雑談を楽しむこともあるが、基本的には魔術の勉強にあてている。


「雅日、魔力操作はどう? あれからうまくいってる?」


昼食を摂った直後、ほっとひと息ついていたところに声をかけてきたのは短髪の女性だ。ほどよく鍛えられた筋肉がすらりとした長身にメリハリをつけており、華奢でこそないがシルエットがスリムなおかげで威圧感はない。切れ長の目に口元のほくろがどことなく色っぽい印象のたおやかな騎士だ。名前は撫子なでしこ。モナルク騎士団の団長補佐という肩書きをもつ騎士で、立場としては女性部隊の隊長だ。年齢は雅日のひとつ上だが、入団初日に挨拶に赴いたところ話が合って意気投合し、騎士団での生活に不慣れな雅日をなにかと気にかけてくれたこともあって、今となっては友人のような間柄だ。


「初日よりは扱えるようになってきたけれど、うまくいかないものね」


「あなた真面目だから、そのまま続ければ、きっとすぐにうまくなる。でも根を詰めすぎないよう気を付けて。あせって無理しないこと。あなた真面目だから」


「撫子は魔力操作ができるのよね。どのくらいで習得できたの?」


「実戦で使えるまでには二週間。今年の新人――リジェと緋色ひいろはうまい。とくに緋色は器用。すぐ覚えた。実戦レベルになるまで三日かからなかった。リジェは入団前に習得したみたい。二人の話も参考になると思う」


「緋色ちゃんもリジェさんも、二人ともまだ十九歳よね。すごいわ。たしかに、今やってる方法以外の、他のやり方を試してみるのも手よね」


「うん。もっとやりやすいのがあるかも」


「……私って、覚えるのが遅いのかしら。琴琶ちゃん……師匠から魔法道具まで譲っていただいたのに。せっかく教えていただいたのに、これじゃあ顔向けできないわ」


「そんなことない。セガルは三か月かかったし、半年かけてやっと覚えた騎士も、一年かかる人もいる。魔力操作は個人差が出るから、すごく。今は比較的すぐできた人がまわりに多いだけ。たまたま。結果は必ず出る」


「そうかな……」


「うん。ときどき、おフミさんか群青くんに調べてもらったら? あの二人は人の魔力の状態を測れるし、少し操れる。手伝ってくれるかも」


「操れるって……他人の魔力を?」


「相手に直接触れてる間だけ。魔法医術っていうらしい。群青くんとおフミさんが使える。最近他の子たちも修練してる。たとえば、戦いの場でパニックになって魔力が制御できなくなった人がいたら、その人の魔力を代わりに操って落ち着かせたり。他にもいろいろできるらしい」


おフミさん、というのは医療班に所属する老婆の医師のことだ。本人はフミという名前でしか名乗らず、まわりもそうとしか呼ばないのだが、噂によると医療人としてはたいそう名のある家系の出らしい。寮には住んでおらず、騎士団の近くにある自宅で夫と二人で暮らしている。既に高齢なこともあって週に数回、短時間しか騎士団に顔を出さないためなかなか会えないのが残念だが、いつもにこにこしていて優しくおっとりとした、かわいらしいおばあさんだ。騎士たちの傷の手当てをして癒すだけでなく、その場にいるだけで場の空気もみんなの心も癒してくれる。さながら、みんなのおばあちゃん、と言ったところだ。


「それじゃあダメもとでお願いしてみようかしら。群青先生はお仕事で顔を合わせる機会も多いし、もし断られたらフミ先生にも頼んでみるわ。お会いできたら、だけど」


「セガルに頼むのも手。セガルは他人の魔力の流れが見える。だから定期的に見てもらうといいと思う」


「え、そうなの?」


「うん、生まれつき。目に魔力が溜まりやすいらしい。ムラになってるっていうか。よく見ると目の色が黄色の部分と青い部分がある。まざって緑に見える部分もある。……こう、魔力越しにモノを見てる感じ。それが原因らしい」


「それは能力とはまた違うの?」


「うん、体質。本人は病気って言ってるけど。普段の見え方はたぶん私たちと一緒。視界の中で魔力が動いたり……ん? 活性化したら、だっけ。そこが際立って見えるんだって」


「そうだったのね。言われてみれば魔力操作の練習をしたあとにセガルくんと会うと、練習おつかれさまって声をかけてくれるわ。……あ、そういえば撫子、それとは別にちょっと聞きたいことがあったの」


「なに?」


「訓練の記録をつけていて気付いたんだけど、一人だけまだ一度も会ったことのない方がいるのよ。名簿に名前はあるのに……」


「騎士?」


「そう、カイルってお名前の。隊正くんやセガルくんにも聞いてみたけど、二人とも知らないって」


「カイルは私の同期。五年ほど前に出て行った。そのとき隊正はまだいなかったし、セガルは入団したて。そのころにはここを離れるための準備で忙しくて、カイルはもう訓練に来てなかった」


「辞職されたの? それならどうしてまだ名簿に名前が?」


「やめた――というか、休職中? リラ様のお気に入りだから、いつでも復帰できるように籍が残ってる。戻ってくる気があるのか知らないけど」


「なにか事情があったのかしら」


「私は知らない。カイルのことは群青くんが詳しいよ。仲いいから。二人の休職と赴任が入れ違いになって怒ってたけど、今でもよく会いに行ってるみたい」


「怒ってたの?」


「群青くんはもともと騎士団に来るの嫌がってた。カイルがいるっていうから来たのに、すぐいなくなったから」


「そうだったのね……カイルさんってどんな方?」


「会ってみたい?」


「そうね、一度もご挨拶できていないし。少し気になるわ」


「団長に言ってみるといいよ。カイルは明るくて優しい。親切。それにすごく強かった。蘇芳がいなかったら副団長になってた。蘇芳が来るまではリラ様一番のお気に入りだったよ」


「えっ、そんなに?」


「だから蘇芳はカイルが嫌い」


「嫌いというわけではありませんよ」


声に顔を上げると、すぐうしろに蘇芳が立っていた。撫子は首を横に振る。


「リラ様がカイルの話すると、蘇芳はイライラしてる」


「まさか、していませんよ。少し複雑な心境ではあることは認めますが」


「嫉妬」


「ええ、多少は。対抗心というか、ライバル意識のようなものがあるのは否定しません。だからといってカイルさんを嫌っているわけではありませんよ。彼の善性は、騎士として素直に尊敬しています」


「じゃあカイルが今帰ってきたら? ……ほら、嫌そうな顔した」


「していません」


「リラ様は蘇芳がカイルに嫉妬してイライラしてること気付いてる。だからわざとカイルの話をしてからかうの。蘇芳がかわいいんだね」


「無駄ですよ、私はイライラなんてしていませんから」


「もしカイルが騎士団に帰ってきて、リラ様専属騎士の座を奪われたら――」


「撫子さん」


「愛人になるといいよ、リラ様の」


「……負けました、降参です。ですから、あまり意地悪を言ってからかわないでください」


「大丈夫だよ、子狸ちゃん。もしカイルが帰ってきてもリラ様の腹心は蘇芳、副団長も蘇芳。カイルは昇進したがらない。リラ様はお気に入りが戻って喜ぶけど、立場が揺らぐほどじゃない。リラ様は蘇芳が思ってるより蘇芳のこと好きだから」


「だといいのですが……」


蘇芳は愚痴っぽくため息をつく。団長補佐の撫子と副団長の蘇芳は、役職としての上下関係にはほとんど差がないと聞いているが、少なくとも個人としての力関係は撫子のほうが上手うわてらしい。完全にからかわれている。


「え、ええと。それで、蘇芳くん……私になにかご用でしょうか?」


「ああ、はい。リラ様からのお呼び出しです。隊正くんと一緒に応接間に来てください」


「わかりました、すぐに行くわ」


雅日の返事を確認すると蘇芳はすぐにその場を去った。撫子とも別れて隊正を探しに行く。てっきり訓練場にいるものだと思ってそちらに向かったが、覗いてみても彼の姿はなかった。ただ破壊された訓練用の武器が散らばっている。近くを見まわすと、タオルで汗をぬぐっているセガルの姿に気付いた。顔が真っ赤だ。彼は身体が温まるとすぐにこうなる。


「セガルくん」


「あ、雅日さん。どうかしました?」


「隊正くんを捜しているの。ここにいるかと思って」


「隊正なら今さっき自主トレを終えて寮に戻っていきましたよ。来る途中で会わなかったですか?」


「そうなの? 怪我人の方とはすれ違ったけれど……」


「今日は五人犠牲になりました」


「あらら……きっと今ごろ群青先生はお怒りだわ。武器もあんなに壊して……それじゃあ入れ違いになったのね、お部屋に行ってみるわ。ありがとう」


その道中、渡り廊下を逸れた草陰のほうに目を向けた雅日は立ち止まった。茂みの向こうの木に長柄戦斧が立てかけられている。隊正がいつも持っているもので間違いない。


「隊正くん?」


呼びかけながら茂みの向こうを覗き込むと、木の根元で隊正が大きな身体をうずくまらせてなにかしている。声に振り向いた彼の口はなにかを咀嚼していた。


「おっ、どうした姫様。休憩か?」


「そういうわけじゃないけど、リラ様からのお呼び出しがあって。隊正くんもつれて来るように言われているのよ。……なにを食べているの?」


「おう! ここの木の根元見てみろ」


「……キノコ?」


隊正が指差した先に目を向けると、そこには小指ほどの大きさの緑色のキノコが生えている。傘にはキラキラと輝く胞子が付着しており、鮮やかで美しい色合いではあるのだが。雅日の顔から血の気が引いていく。地面のキノコを見て、次にもぐもぐ口を動かしている隊正を見て、悲鳴をあげながら彼に掴みかかった。


「だ――出して! 出しなさい! 食べちゃダメよ、早く吐き出して! それ毒があるのよ!?」


「毒ぅ? このキラキラのキノコがか?」


「これはキカシクダケって言って、そのキラキラした胞子が肺や喉の粘膜を溶かす危険な毒キノコなの! 食べたら消化器官がズタズタになるわよ!?」


「詳しいな姫様」


ごく、と隊正の喉が動いた。


「ギャーッ!? なんで飲み込んだの! なんで飲み込んだの今の流れで! 死んじゃうわよ! ぐ、群青先生ー!」


「げぇーっ!? 群青はやめろ群青は! 姫様、落ち着けってよ。今までも食ったことあるし、でもなんかなったことなんかねえよ。ここに生えてんのは毒とかねえんじゃねーのか?」


「そんなわけないでしょ!」


「平気平気、俺ァ昔から腹が丈夫なんだ。丈夫なのは腹だけじゃねえけどな。……ん? あーでも、そういやたまに食いすぎると舌がヒリヒリしたり、胸が痛いときあんな」


「食べたときに胞子を吸い込んでるのよそれ!」


「マジか。へー、姫様は平気なのか?」


「キカシクダケの胞子は空気中の水分を吸収しやすくて飛散しづらいから、至近距離まで近付かないと胞子を吸い込む危険はないの。……隊正くん、あなたまさかいつもそのあたりに生えてるキノコとか野草とか、よくわからないものを調べもせずに食べてるの?」


「おう、食うぜ!」


「堂々と言うことじゃないわよ……」


「傭兵だったときも森の中で白いキノコ見つけてよお。赤い実みてえなのがついててうまそうだったから食ったぜ。こんくらいの大きさでよ」


「そ、それ……どこで見つけたの……?」


「セレイアのどっかだ。見たことねえ綺麗なキノコだったから覚えてんだ。白い部分はゴワゴワしてたけど、赤い部分は甘酸っぱい感じでうまかったぜ。手はかぶれたけどな」


「アカメダケよそれ……致命的な毒性を持った猛毒キノコなのに……」


「なんで姫様はキノコに詳しいんだ?」


「なにもキノコ限定じゃないけど……前に図鑑で見たことがあって、印象的だったから覚えているの。隊正くん……道端にあるよくわからないものは食べちゃダメなのよ。せめてちゃんと調べてからにして」


「いいじゃねーか。別になんともねえぞ?」


「隊正くんは大丈夫でも他の人が真似したら大変でしょう? みんながみんな、あなたみたいに丈夫なわけじゃないのだから」


おそらく隊正にはもともと毒への耐性があるのか。あるいは過剰に生成されて行き場を求めていた魔力が体内に入り込んだ毒素に反応して、摂取したそばから毒を分解しているのだろう。膨大な魔力を保有する者の中には、豊富な魔力がそういった自浄作用を引き起こす場合もあるのだと魔力学の本に書いてあった。


隊正は納得しきってはいないようだったが、とくに食って掛かってくることもなく曖昧にうなっている。雅日は彼の両腕を掴んで軽く引っ張った。


「そろそろ行きましょう。あまりリラ様をお待たせするわけにもいかないわ。自然のものだから仕方ないとはいえ、敷地内に毒キノコが生えていることも報告しないと」


「げー、なんだよ。俺のおやつだったのに」


「小腹がすいたときは言ってくれれば私がなにか用意するわ。お願いだから道端にあるものは食べないで。どうせ食べるならもっとおいしいもののほうがいいでしょ? それに、きちんと栄養になるものを食べないと、せっかく鍛えた体がもったいないわよ」


蘇芳に言われたとおり隊正とともに指定の部屋を訪れると、リラは挨拶も早々にさっそく本題に入った。彼女が合図をすると、傍に控えていた蘇芳がテーブルの上に赤い蝋で封をした手紙を差し出す。


「セレイア国の化身、セレイア・キルギスにこれを届けてほしいんだ。簡単な雑用だが場所が場所なだけに、君一人では行かせられない。だが隊正も一緒なら安全だ。もともとセレイアで傭兵をしていたこともあって、土地勘もあるし言語もわかる」


「おう。セレイアは地元じゃねえけど何年か住んでたからな、道くらいはわかるぜ。文字はエレスビノ式とセレイア式なら読める」


「急ぎの用ではないから、あわてて帰ってくる必要はない。もしセレイアの観光地に興味があるなら二、三日ゆっくりしてきてかまわないよ。治安は悪いけど、一人で出歩かなければ危険は少ないはずだ」


「観光、ですか……?」


「行きたいところがあるんだろう? 蘇芳から聞いたよ。岳の屋敷にいたころは、仕事が気になってのんびり旅行もできなかったと。騎士団もしばらくは忙しくないから、いい機会だと思って行ってくるといい」


「あ――」


思わず蘇芳を見る。蘇芳は雅日と目が合うと静かに微笑み返した。彼がまだ浅葱として雅日と一緒に働いていたころ、たしかに彼にそう話したことがある。浅葱としての彼は自身の経歴について、今まで各地を転々としていたが、最近になってリラ国に帰ってきた――と話してくれたからだ。多忙ながらもいろいろな場所を見てきたと語る彼がうらやましくて、ついつい愚痴をこぼすように打ち明けたのだ。実は旅行がしてみたいが、今の自分はそれができるほど身軽ではないので、半ばあきらめているのだと。


「ほー、そんじゃ姫様が観光するついでに王様のおつかいか」


「ぎ、逆よ、逆! お仕事のついでに、少しだけ……み、見てまわっても、よろしいのでしょうか」


「もちろん。これは撫子から聞いたことだけど、君は早乙女家の解体後、しばらくは好きに一人旅を楽しんでから仕事を探すつもりだったそうじゃないか。その自由を返上して私のもとに来てくれたんだ。私が君から奪ってしまった憩いの時間はこれからきちんと還元していくさ。隊正、向こうでなにがあってもしっかりと雅日を守るように。できるね?」


「おう、できるぜ!」


「いい子だね。それじゃあ、急だが明後日から出発してくれ。セレイアのほうには私から連絡しておくから、私の用はすぐに済むだろう。ゆっくりしておいで」


「は――はい、ありがとうございます!」



*



「転送装置って、東大陸は二箇所にあるのに、同じくらい広い西大陸と北大陸にはそれぞれ一箇所にしかないのよね。中央大陸が一箇所だけなのは、比較的小さな大陸だから理解できるけど、どうして南大陸には二箇所もあるのかしら。面積で言えば中央大陸と同じくらい小さな大陸なのに」


「さあよ。どこに置くかは国が決めたんだろ? 王様か蘇芳に聞いてみたらどうだ。俺は便利ならなんでもいいぜ」


南大陸はレスペルとウィラントに転移装置がある。ウィラントはリラの隣国だ。南大陸でもっとも大きな国土を持つ国で、ついでに言うなら雅日の故郷でもある。そこから転送装置を使って西大陸に移動し、セレイア・キルギスの邸宅があるフェレクという大きな街へ向かった。


セレイア国の主要な街は故郷であるウィラントより発展していて賑やかだが、どこか厳かで油断ならない印象を受けた。治安が悪いという先入観だけではないだろう。武装した人の姿が多く目につくのも理由のひとつだ。噂に聞いていたとおり教会が多く、その周辺は清貧な印象だ。リラ国ともロワリア国ともまた違った空気が漂っている。


「隊正くんは、セレイア国の化身の方とお会いしたことはある?」


「おう。たまたま道で見かけたのが何回かと、あとは傭兵として個人的な依頼を受けたこともあるぜ」


「そうだったのね。なら、フェレクにも来たことがあるの?」


「まあな、今となっちゃ懐かしいぜ。化身の屋敷にも行ったことあんな。つっても門の前までで、中には入ってねえけどよ」


「もしかしたら、傭兵だったころのお知り合いに道でばったり会うかもしれないわね」


ただの世間話のつもりだったが、隊正は眉をぴくりと動かしたきり、なにも言わず黙り込んだ。いつにない静かな反応を見せる隊正に、まずいことを言ってしまったかと様子をうかがっていると、隊正は小さく頷きながらぼそりと返す。


「……ま。運が悪けりゃ、あるかもな」


「じゃあ会わないことを願いましょうか」


「は、出くわしたら運が悪いのは向こうのほうだぜ。俺は痛くもかゆくもねえ」


「そう」


それ以上は言及せず、雅日はすぐにその話題を切り上げた。どうやら昔のことは聞かないほうがよさそうだ。傭兵時代の彼の生活は荒れていたというのが蘇芳の話だった。隠し事も悩み事もなさそうに見える隊正だが、いくら彼でも探られたくない腹くらいはあるだろう。軽々しく口を挟んでいいことではない。


セレイア邸は雅日が想像していた以上に広い屋敷のようだった。敷地は頑丈そうな鉄柵と壁に囲われ、門の前に立っただけでは敷地内の様子はわずかばかりも垣間見れない。正門の前には武装した二人の兵士が立っており、兵士たちは赤毛の大男が斧を担いでまっすぐに近付いてくる姿を視認するとわずかに身構えた。


「……なにか?」


門の前で立ち止まる隊正を警戒し、兵士たちが睨む。右の男はさりげなく腰の剣の柄に手を当て、左の男は手に持っていた槍を身体の前側に持ってくる。しかし雅日が隊正の横に並んで頭を下げると、目を丸くして顔を見合わせた。そして何事もなかったかのように槍を降ろし、剣から手を離す。この見るからに非力で人畜無害な女性の姿が、彼らからは隊正の背中に隠れて見えなかったのだ。


「リラ国正規近衛部隊、モナルク騎士団の者です。主君ラセット・リラの命にて、セレイア・キルギス様への書信を預かって参りました。こちらが証明書です」


雅日が取り出したのはリラの署名捺印がなされたカードだ。雅日たちがリラの勅令でここへ来たことを示しており、兵士たちはそれを受け取るとまじまじと見つめ、証明書と雅日と隊正とを順番に見比べた。


「たしかに。本日モナルク騎士団から使いの方がおいでになることは、祖国様よりご連絡いただいており、了承済みです。しばしお待ちを」


剣を持った兵士が懐から無線機を取り出し、誰かに伝達をおこなった。ほどなくして門が開き、中から別の兵士がやってくる。案内役としてやってきたその兵士につれられて、雅日と隊正は屋敷の敷地内に足を踏み入れた。美しい噴水のある庭園は、手入れは行き届いているが植木ばかりで花がない。その向こうに佇む白い壁の大きな屋敷は、本来雅日のような平民が立ち入る機会など得られないはずの領域だ。


「ほー。セレイアってのは見かけによらず小綺麗な屋敷に住んでんだな。騎士団の寮はともかく、王様は自分の屋敷には庭なんか作ってねえのに……って、庭があっても王様にゃ見えねえから意味ねえか! ガハハ!」


「隊正くん!」


屋敷の正面玄関に辿りつき、そのまま二人は屋内に通された。廊下を進んでいた案内役の兵士が急に足を止めるので、雅日たちも一歩遅れて立ち止まる。雅日と隊正が何事かと首をかしげる一方で、兵士はさっと廊下の壁際に寄って敬礼した。誰か彼より上の立場の者が来たのだと即座に察し、雅日も彼につられて壁際に寄るが、隊正は立ち尽くしたままだ。雅日が腕を引っ張って隣に立たせる。


やってきたのは青髪の男だった。襟足がやや長くうなじを隠しており、後ろ髪は癖毛なのかところどころはねている。長身にまとった黒い軍服はセレイア国軍のものだ。どこか見覚えのある顔だが、雅日に軍人の知り合いなどいない。男は兵士の存在をとくに気にすることなくすれ違おうとするが、その瞬間に、薄くクマが刻まれた赤色の目がじろりとこちらを見た。男が足を止めて振り返るので、兵士は背筋を伸ばしてそのままの体勢を保つ。隣に立つ雅日にまでその緊張が伝わってくるほどだ。よほど身分の高い相手なのだろう。


「その者たちは?」


青髪の男が問う。兵士は全身をぎゅっと堅くしながらはきはきと答える。


「はっ! リラ国よりおいでになられました、モナルク騎士団の方々にございます!」


「ああ……使いを寄越すと連絡があったな。リラの……そう、あの……リラか。ああ……」


「……、も、盲目の化身様にございます」


リラについて知っている素振りだが、どこかもやもやと不明瞭な声で返す男の漠然とした態度に、兵士が小声で補足する。その言葉でようやくピンときたらしい男は、ようやくはっきりとした声で頷いた。


「ああ、なるほど、リラ。目に傷がある。……セレイアの部屋に通すのか」


「はい」


「……、……俺が行こう」


「はい?」


男は手に持っていた封筒を兵士に渡す。


「これをローレンスに送る手続きを。この二人は俺が預かる」


「はっ! ……あ! いえ、お待ちください。ローレンス様は地の守護神様、およびその現身様であらせられますが、こちらはセレス・ラ=テルシャ・ローレンス様宛ての封書でお間違えはございませんか?」


「ん? ……あっ」


沈黙。


「……も、申し訳ございません。私がお届け先を聞き違えたようです、もう一度お伺いしてよろしいでしょうか……」


「……楼蘭に。と言ったつもりだった」


「万屋鈴蘭の店主様でございますね」


「そうだ。……あの二人は似ている、言い間違えた」


「いえ、あの……ええ、お名前が……はい、おっしゃるとおりで……」


「すまん。手を焼かせた」


「い、いえ、決してそのような……そ、それでは、失礼いたします」


兵士が去っていく姿を数秒見送り、男は雅日と隊正に目をやると、顎で廊下の先を示す。


「ついてこい」


「あ、はい」


「お前、人覚えらんねえのか?」


「こ、こら隊正くん!」


隊正の単刀直入な指摘に、男は一瞬気まずそうに表情を歪めたが、すぐに平静を取り繕った。


「覚えられないわけじゃない。口頭だと咄嗟に言い間違えることが……ときどきあるだけだ。書面でのやりとりばかりで、長いこと直接会っていない相手も多いからな。その中でもとくに付き合いが浅い者や、名前や容姿が似ている者同士となると、名前を聞いてすぐに思い出せないのも仕方がないだろう」


ときどき間違える――と言うが。先ほどの兵士の対応からして、ときどきでは済まない頻度なのはたしかだ。おそらくこの屋敷の兵士たちは、彼の口から特定の誰かへの伝達や配達を頼まれた際には、送り先に間違いがないかを必ず確認するよう教育されているのだろう。


「なんでさっきの案内役と交代したんだ?」


「見張りのためだ」


「見張りぃ?」


「セレイアのな」


「……あの、失礼ですが、あなたはセレイア様の従者の方ですか?」


「従者じゃない」


「従者じゃねーならなんなんだ?」


「捕虜だ」


「捕虜?」


「ああ、ただの敗残兵。以来ここで雑用をさせられている」


「敗残兵ったってなあ……さっきのやつの態度からして、この屋敷のえらいやつじゃねえのかよ?」


「さあな」


「お名前をお伺いしてもよろしいでしょうか。私は東雲雅日と申します。こちらは私の護衛騎士の隊正です」


「覚えらんねえやつに名前教えて意味あんのか?」


「覚えられないわけじゃない。顔と名前が一致しないだけだ」


「それを覚えらんねえって言うんだろ、咄嗟に名前間違ってるし。そんなんで本当に仕事になんのか?」


「書面で間違えたことはない」


男は雅日たちを振り返り、短く答えた。


「俺はスーリガだ」

次回は明日、十三時に投稿します。

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