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3 晴天の地にて相まみえる

雅日のロワリア出張はその一週間後に決まった。ロワリア行きの特急列車には夜行便もあり、そちらであれば寝ている間にひと晩でロワリアに到着できるが、今回は早朝から運行している特急列車に乗ってリラを出発し、ロワリアの隣国であるレスペルの宿で夜を明かしてから、翌朝にギルドを訪れる予定だ。昼間の普通列車は夜行特急よりも遅い速度で走行するが、昼間の特急列車は夜行特急とほとんど同じ速度で走行するため所要時間に大きな差はなく、道中に事故などがなければ夜には到着できる。今回は雅日と隊正、そしてリラから特別に許可をもらったというセガルが同行し、三日間の滞在となった。


聞くところによると、このセガルというセルーシャ人の騎士は、基本的には主張の少ない慎重で素朴な騎士らしい。人に恨まれるようなことはもちろん、誰かに目をつけられるようなこと、積極的に目立つようなことをする人ではない。普段は隊正にそのペースを乱されっぱなしだが、今回のように隊正が絡んでいないことで、彼自らの意思で前に出てくることは非常に珍しいのだとか。だからこそ、雅日には彼の目的がよくわからなかった。目立つことを好まないセガルが、なぜここまでしてロワリアに行きたがるのだろう。


行きの列車の中、セガルは売店で二人分の飲み物を買ってくると片方を雅日に差し出した。隊正の分がないのは彼が列車に乗り込んですぐに眠ってしまったからだ。正面の席に腰かけたセガルの顔を改めて見る。


色白の肌に、プラチナブロンドの髪が走る列車に合わせて揺れている。セルーシャでは彼のように色の薄い髪や肌が当たり前らしい。早乙女邸でも雅日はとあるセルーシャ人の少女と仲が良かった。セガルを見ていると二度と帰らぬ彼女、リィスを思い出してしまう。雅日にとってはまるで妹のような存在だったのだ。


セガルは雅日の視線に気付くと、座ったまま頭を下げた。


「今日はご一緒させていただいて、ありがとうございます。……理由を説明しておかないといけませんね」


そう言いながらわずかにうつむき、うなじを掻くセガルの仕草は、どことなく気まずそうだ。


「言いづらいことでしたらかまいませんよ」


「いえ、そういうわけでは……その、頼み込んだわりにたいした事情ではないので、ちょっとだけ気恥ずかしいというか。……えっと、以前の早乙女邸での事件で、ギルドの人にはお世話になりましたから、そのお礼というか……」


たしか隊正の話によると、彼はその事件でリラを危険な目に合わせてしまったことを気に病んでいるのだ。嫌なことを思い出させてしまった気がして、雅日からはそれ以上問いただせない。わずかな沈黙の中で、セガルは窓の外と手に持ったドリンクと隊正の足元とに視線を行ったり来たりさせながら、額の汗を気にし始めた。日差しの当たる席に座る彼の色白の頬が赤くなって見える。セルーシャ人は寒さに強いが暑さに弱く、緊張や運動で身体が温まるとすぐに顔が赤くなる傾向にある。もとが白い分、余計に赤みが目立つのだろう。個人差はあるが、放熱が苦手なセルーシャ人の血をひく者にはよくある特徴らしい。乗車時にセガルにすすめられるがまま日陰の席に座った雅日だが、彼のほうこそこちらに座るべきだったのではなかろうか。


「今回はその、とくにお詫びをしたい人がいまして……それだけです。ものすごく個人的なことなので、本当なら休みを取って一人で行くべきだったんですが」


「……もしかして、静來せいらちゃんですか?」


屋敷で騒ぎが起きたとき、雅日はその場にはいなかった。そこでなにが起きていたのか詳しい状況は知らないが、他の使用人たちから聞いたところによると、屋敷のすぐ目の前で異形の怪物の襲撃にあい、セガルはリラや使用人たちを守ろうと戦っていたが、攻撃を食らって吹き飛ばされ、その先にいたギルド員の少女――風音静來かざねせいらに衝突し、そのまま気を失ってしまったそうだ。彼がギルド員たちの中で個人的なお詫びをしたい相手といえば、しいて言うなら彼女くらいのものだろう。セガルは頷いた。


「え、ええ……そうです。鎧を着た男がぶつかってきたんですから痛かったでしょうし、そのうえ下敷きにしてしまったみたいなので、重くて苦しかったと思います。それに……」


雅日をちらりと見たが、すぐにまた視線をそらす。


「実は……事件のあとに医務室で目を覚ましたとき、僕は隊正や他の騎士たちからそのときの失敗を責められたんです。リラ様の警護を仰せつかったというのに、ろくにお守りできなかったのですから当然ですけど……そのとき風音さんが医務室に来て、僕をフォローしてくれたんですよ」


「静來ちゃんが隊正くんたちに?」


「はい。……僕は、ただのヒラ団員ですけど、それでも自分の実力にはそれなりに自信がありました。隊正にやられっぱなしなところばかりお見せしてるので、あまり説得力ないでしょうけど」


たしかリラもセガルは成績優秀な騎士だと評していた。


「僕はあのとき、自分はもう騎士団にはいられないと思っていたんです。でも、あの子が僕をかばってくれたから、まだここでがんばりたいって思えて。彼女の説得のおかげで、蘇芳さんも僕のクビを考えなおしてくれたんです」


「そんなことがあったんですか……」


「はい。あの子が来てくれなかったら、僕は今ごろ実家に帰っていました」


「蘇芳くんは騎士団の人事も担っているのですか?」


「そうですね。リラ様はもちろん、団長と蘇芳さんにも権限はあります。解雇もですけど、たとえば、本来ならうちの騎士団は、専門の養成所に通って試験に合格しなければ入団できません。ですが特例として、リラ様と仁団長、蘇芳副団長には人員を勧誘する権利があって、スカウトされた人は試験を受けなくていいんですよ。雅日さんは騎士ではありませんが、国の化身直属の部下になろうとしているにもかかわらず、とくに面接や試験などは受けなかったでしょう?」


「あ……たしかにそうですね。リラ様にお誘いをいただいて、そのまま……」


「リラ様や団長たちは、年に何度か騎士候補生たちの様子を見に養成所に顔を出すそうですが、特別優秀な候補生だとその場で声をかけられる者もいますし、それ以外でも、傭兵だったり用心棒だったり、どこか別の場所で働いていた人をスカウトすることもあります」


「でも、それだと何年も努力して試験に合格してきた騎士の方は、少し複雑なのでは?」


「人並み以上の実力がなければスカウトなんてされませんから、僕たちもリラ様や団長たちが選んだ人なら大丈夫だと信じていますよ。たしかにちょっとは悔しい気もしますけどね」


「セガルさんは養成所に通われていたんですか?」


「はい。もともとセルーシャに住んでいたんですが、幼少期に両親とともに国を出てきました。それである日……ありきたりですが、魔物に襲われそうになったところを仁団長に助けてもらったんです。もう十数年前のことなんで、団長も覚えてないでしょうけど」


「団長さんはそのころ既に騎士団にいらっしゃったのですね」


「ええ。さすがにそのときはまだ騎士団長じゃなかったですが。当時の騎士団長は仁団長のお父様でしたから」


「親子で騎士団に?」


「銀堂家はモナルク騎士団設立当初から代々国に仕え続けている、由緒正しい騎士の家系なんです。仁団長のご子息も養成所に通っているんですよ。来年の入団試験を受ける予定だと聞いてます」


「わあ、それは楽しみですね」


「まあ、そうですね。えっとそれで……若かりしころの仁団長に助けてもらったのがキッカケで、僕も騎士にあこがれて、目指すようになったんです」


「子どものころからの夢を叶えたんですね」


「そういうことになります。僕は僕で夢が叶って満足してますから、スカウトされてきた騎士に不満は……隊正が来たときは猛反対しましたが、それ以外は別にどうとも。そもそもスカウトされる人なんて、めったにいないですし」


「そういえば、隊正くんはセレイアで傭兵として働いていたところをリラ様にスカウトされたとお聞きました」


「向こうでは結構有名だったみたいですよ、良くも悪くもでしょうけど。なんかいろいろあったみたいで、ボロボロでぶっ倒れていたところにリラ様が通りかかって。あ、公務のために何人かの騎士を連れてセレイアに来ていたんですけどね。僕は他の騎士たちが隊正と揉めていたところに遅れて来たんで、どんなやりとりがあったのかは知りませんが……」


「倒れてたんじゃねえ、休憩だ」


ぱち、と隊正の目が開いてセガルを見る。ほんの一瞬前までいびきをかいて寝ていた隊正が、突然目を覚まして明瞭に反論するので、セガルも雅日もおどろいた。


「なっ……なんだよ、服も汚れて怪我もしてたし、寝袋も焚火もなかったし、行き倒れてたんだろ? 見栄を張るな。どこの野良犬かと思ったくらいだ」


「はあ? 俺はひと仕事終えて休んでただけだ。そこにたまたま王様が散歩に来て、俺に気付かずに杖でつついてきたから、敵だと思って斬りかかっただけなのに、そしたらなんか蘇芳にキレられたんだよ」


「そんなことがあったんですか……?」


「おう、そんで王様がいきなり騎士団に来いって言うもんだから、俺はそんなもん御免だっつって。だってそうだろ? 騎士なんざ、かたっ苦しくてやってられっかよ。俺はただ強ぇやつと戦いてえだけだ。だから傭兵やってたんだしな」


「それじゃあ、どうして騎士団に?」


「それが……話が平行線でラチがあかなくて、それなら自分を倒してみろって言い出したんです。リラ様も、好きな相手を選んでいいとおっしゃって。そのころには既に何人かこいつに伸されていたから、同伴していた医療班が手当てにあたっていたんですけど、非戦闘員相手なら絶対に勝てますから、わざとその中から指名したんですよ。強い相手と戦いたいと言っても、隊正は入団したくなかったので。それに好きに選べと言った手前、こっちも断れないですから」


「えっ、それって……大丈夫だったんですか?」


隊正はむすっとした表情で腕を組んで黙り込む。セガルは当時を思い出したのか笑い声をあげた。


「はははっ! 実は、そのとき医療班は白い服を着ていたんです。で、こいつが、そこの白服の中から一人出て来い! って言ったら、よりにもよって群青さんが出てきちゃって、あはは! あの人、楼蘭様のお弟子さんなだけあって、武術の腕は達人並みですから。そりゃもう……見事な負けっぷりでしたよ!」


「万全だったら俺が勝ってた!」


隊正が吼える。セガルは気にしない。


「群青さんが大事にしてる煙管キセルを壊したときは? 万全だったのに負けたじゃないか。まあ、あのときほど瞬殺ではなかったけど……あれちゃんと謝ったのか? 三年前のこととはいえ、あの人そういうのめちゃくちゃ根に持つから、今からでも謝ったほうがいいぞ?」


「うるせえ、俺は負けてねえ!」


「それは騒ぎに気付いた団長がすぐに止めに入ったからだろ。あのまま続けてたら負けてたよ。……あ、話が逸れましたね。それで勝負に負けてしまったので、隊正は約束どおり騎士団に来たんです。僕は反対でしたけどね。こんな野蛮な猛獣は騎士団にふさわしくありません。公序良俗に反します」


「王様の金払いがよくなきゃ来なかったっつの」


「どうだか」


「ぐ、群青先生ってお強いんですね」


「ケッ、医者のくせに。戦えたって前線に出ねえんじゃ意味ねーぜ」


「意味なくはないだろ、騎士団には群青さんがいないと困る。あの人が来てからずいぶん楽になったって医療班の連中も言ってたし。……医療班は昔は今ほど立場が強くなかったんですよ。別に冷遇されてたわけじゃないですが、単純に発言力が弱いというか、影響力が薄いというか。今はそういう根本的な部分から、環境がかなり改善されてるんです」


「そうだったんですか?」


「そうなんですよ。僕が入団したのは五年前で、群青さんもほとんど同じ時期に騎士団に来たんですけど、当時の医療班って、なんでか今よりすっごく人数が少なかったんです。それに腕のいい医者もほとんどいなくて」


「あら、それじゃあ新人さんも育ちにくいですね」


「群青さんが新人教育に力を入れてくれてるおかげで、なんとかなっていますけどね。あとは……なんといっても隊正の相手ですよ。予防接種や健康診断のたびに、隊正が注射を怖がって大暴れするんで、群青さん以外は誰もこいつに注射ができないんです」


「おいッ、俺は別に注射が怖いわけじゃねえ!」


「それに医療班は戦えない者がほとんどでしょう? 戦いで負傷者が出ると他の動ける騎士が担いで退避させるんですけど、群青さんがいるときはあの人が直接手当てに来たり運んでくれたりするので、そこに人手を割かなくていいのはめちゃくちゃ助かってます」


「すごい方なんですね」


「おっかない人ですよ。今の新人は入団したとき、団長や副団長の名前よりもまず医療班には逆らうなってことを最初に教え込まれるんですから。東雲さんも気を付けてくださいね。声をかけるためにうしろから肩を叩こうとしただけで手刀が飛んでくるし、黙って書類仕事してると思ったら急に意味もなく机を殴りつけたりするような人ですから、あの人」


「ええ……?」


「命の危険を感じる瞬間があるというか、まともなはずなのになんか危ないというか……蘇芳さんも怖いですけど、それとはまた違った怖さですね」


隊正はなにも反応を示さなかったが、セガルの言葉が雅日には少しひっかかった。浅葱蘇芳のことだ。雅日は少なくとも蘇芳を怖いとは思ったことはなく、むしろ品行方正な心優しい青年だという印象しかない。とはいえ、それは彼が諜報員として潜入していたときに見た顔だ。自分が蘇芳について知っていることは非常に少ない。普段の副団長としての彼と雅日が知っている彼とで人となりが違っていたとしても、なにもおかしなことはない。


「……蘇芳くんって騎士団ではどういう感じなんですか? 私はお屋敷にいたときの……浅葱くんとしてのお姿しか知らないので」


「騙されんなよ姫様。蘇芳はなあ、あいつはタヌキだぜ、タヌキ。もしくはキツネだ」


隊正が小指の爪で耳をほじりながら言うので、雅日は首をかしげる。待ってみてもとくに続く言葉はなく、セガルはなんだか気まずそうな顔で笑って話をごまかした。雅日がそれ以上言及しなかったのは、二人の態度に言い知れぬ気まずさや不安というか、踏み込むべきでない部分に踏み込もうとしたことに気付いたようなバツの悪さを感じたからだった。



*



ロワリア国に到着したのは翌日の午前十時ごろのことだった。駅舎から町の中央に向かって大きな通りがずっと続いており、地面に敷き詰められた赤レンガは晴天の陽光を赤く照り返している。背の高い建物がずらりと並ぶわけでも、眺めているだけでめまいがするような雑踏もなく、小鳥のさえずる暖かな街並みは、広い空の下で穏やかな賑わいに満ちていた。町全体の空気はリラよりも少しのどかというか、人柄にしてたとえると、おおらかで能天気な印象だ。はじめてここへやってきたときも、同じことを思った。


駅舎を出て目の前の大通りをまっすぐに歩いて行くと、やがて目の前に大きな建物が現れる。背の高い柵で敷地を囲った、この国でもっとも――というより唯一の――背の高い建築物。ここが目的地であるロワリアギルドだ。敷地内には大きな建物と、その隣には小さな建物があり、それらは二階が通路でつながっている。正門から続く石畳の道が大きな建物へ伸びており、通路の両脇で花壇に咲いた色とりどり花々が来訪者を出迎えてくれる。付近には何人かの人影が散見され、そのどれもが二十歳を超えていないような少年少女だ。


「ガキばっかりだな」


隊正がぐるりとあたりを見て言う。このギルドはもともと身寄りのない子どもたちが協力し合って生きていくために結成されたもので、所属するギルド員たちは大半が未成年だ。ギルド長ですら二十歳を迎えたばかりの若人らしい。そう説明すると、隊正は興味なさげな相槌を打った。


玄関ロビーに入ると、すぐ目の前に銀髪碧眼のメイドが立っていた。業務の一環として給仕や清掃などの雑務をおこなうため、そう思わせる衣装をまとっているだけで、実際には修道女だと聞いている。メイド姿の修道女は雅日たちが建物に足を踏み入れると、まるでスイッチが入ったかのようにゆっくりと頭を下げた。


「おはようございます。東雲雅日様ですね、お待ちいたしておりました」


機械的な立ち振る舞いに内心では思わずうろたえる雅日だが、すぐにこちらも頭を下げた。この淡々とした対応は十代の若者としても、一人の人間としても少し不健全に見える。冷静沈着というより、無関心、無感動、無感情なのだ。まるで人間としての心を失っているかのようで心配になる。


「おはようございます、お出迎えありがとうございます。アリアさん……でしたか?」


「んだこいつ、ロボットか? おう、人間かよまぎらわしいな」


隊正がずかずかと修道女に歩み寄ると、その銀髪の隙間から指先で彼女の額をつついた。華奢な身体がぐらりとうしろに傾く。転んだりまではしなかったが、大柄な隊正と並ぶとよりいっそう小柄に見える彼女に隊正が触れるのは、たとえ指一本だとしても危険だ。


「おい隊正!」


「こ、こら、隊正くん!」


セガルと雅日があわてて隊正を止める。アリアは動じず隊正に向かって頭を下げた。


聖導音せいどういんアリアと申します」


「すみません、アリアさん。えっと……ご案内をお願いしてもよろしいでしょうか」


「はい、こちらへ。応接室へご案内いたします」


アリアは一部の隙も無く淡々とした態度で先導する。建物内部は広く、高い天井に取り付けられた照明が灰色の壁と天井を白く照らしている。外装と内装の色合いはほぼ同じで、なんの石材を使っているのかはわからないが、これらは近くで見ると灰色に、遠くから見るとやや青みを帯びているように見える。不思議な材質だ。


雅日たちは二階の応接室に通された。テーブルを挟むように二人掛けのソファがふたつ。部屋の奥には大きな窓があり、温かい日差しが明るく室内を照らしている。アリアはここで待つようにとだけ告げてその場を去り、それから五分もしないうちに年若い青年がやってきた。独特な色合いの青髪に、優しげな雰囲気をかもす大きな紫の瞳。空色の軍服を着崩した、堅すぎずゆるすぎない出で立ち。童顔だが顔立ちは整っており、その容姿はロワリア国の化身であるロア・ヴェスヘリーに酷似している。


彼こそがここのギルド長である來坂礼らいさかれいだ。若輩ながらもひとつの組織を取り仕切るには、相当な苦労を積んできたことだろう。悩みも憂いも一切見せない明るい性格で、雅日よりもずっと年下の彼ではあるが、雅日は素直にこの青年を尊敬している。


「お久しぶりです、來坂さん」


「久しぶり、雅日さん。その後はなにごともなさそうだね」


「その節は大変お世話になりました。探偵さんはお元気でしょうか? 改めてお礼を申し上げたく存じますが」


「今日は別の依頼で留守だから、俺から伝えておくよ。魔術の勉強だっけ? 琴琶ことははすぐ来るからちょっと待ってて。でも琴琶がリラと会ったのって一瞬でしょ? 記憶力いいよねえ、性格かな? それとも化身ってそういうもんなのかなあ」


年上の雅日に砕けた口調で気安く話し、目上のリラを呼び捨てにする礼の軽薄な態度にセガルが眉をぴくりと動かした。それを察してか否か、礼はセガルを見ると、ずい、と歩み寄る。


「俺もそのほうがいいかと思ったんだけど、これでいいって言ったのはリラ本人だぜ」


セガルが言葉を声にするより先に、その心の中でもらした諫言への返答だけが投げかけられる。まるで心を見透かしたような礼の言葉に、セガルは大きくうろたえた。


「な、なにを。ぼ、僕はなにも……」


「俺は來坂礼、一応ここのギルド長だよ。レアだねえ、セルーシャ人。鬼礼きふゆ以外だと初めて見たかも。静來は非番だから部屋にいると思う。自室にいなきゃ談話室か神社か、そこにもいなかったらわからないけど」


「は――」


「なんだお前、心でも読めんのか?」


隊正が礼の顔を覗き込む。礼はにこにこしながら首を振った。


「俺は全然だよ。私闘はご法度だから期待には応えられないな」


「んだよつまんねーな!」


ドン、と礼の肩を小突く隊正。いや、彼にしてみれば軽く小突いた程度なのだろうが、音と勢いから突き飛ばしたも同然の出力であったことがうかがえる。礼が低くうめいて一歩うしろによろめいた。


「うっ、いてて……力が強いなあ。そっか、こういう感じなんだ」


「た、隊正くん! すみません來坂さん……」


雅日が平謝りをする隣でセガルが目を回している。無理もない、礼の言っていることは支離滅裂なのだ。最初の挨拶以降はほとんど受け答えになっていない。雅日が以前このギルドに来たときにも、彼と他者のやりとりにはこのように会話になっていない箇所がいくらかあった。


しかし早乙女邸にやってきたギルド員たちから話を聞いたところによると、どうもこの來坂礼はエスパー系の能力者で、目の前にいる人の思考や感情、過去などのあらゆる情報が見えてしまうらしい。本人の意思に関係なく常時発動している能力であることから、相手が質問するより先にその質問への答えを返すことは日常茶飯事だ。極端な話、こちらがなにも言わなくても伝えたいことが――伝えたくないことまで――余さず伝わるため、彼の言葉を聞いているだけで質疑応答が成立してしまう。その穏やかな人柄のおかげで周囲に人は絶えないが、初対面で彼の能力を知らない相手からは気味悪がられることも多いのだとか。


思うに、彼はその耳で相手の口から聞いた言葉と、その目で相手を見ることで得た情報との区別がついていない瞬間があるのだ。相手をおどろかせるためにわざと先に先に言葉を発しているのではない。こちらが彼の前に立って言葉を発しようとした時点で、彼にとっては質問も意見もすべて聞き終えたあとなのだ。そのため質問があって回答があるというコミュニケーションの順序も、話している内容も、めちゃくちゃになってしまうという事態が頻発する。


以前に雅日が依頼に来たあの日。指令室で脅迫状の話を聞いていた彼には、それが雅日の自作自演であったことも、その依頼の真意までもがすべて伝わっていたのだ。そのことを知った雅日は、ギルドでの己の行動を思い返してあせった。礼は雅日の思惑にどう対応するつもりなのだろうと不安になった。だが雅日の杞憂をよそに、彼はすべてを知ったうえで、なにも言わずに雅日の策に協力してくれた。事件が収拾し、その心遣いに気付いたときには、胸に温かいものがこみ上げてくるのを感じたものだ。


「二階の図書室に魔術に関する本があるから、よかったらあとで見にいってみなよ」


「魔術に関する本……それって、魔術書ですか?」


「俺は読んでないから内容は知らないんだ。でもこれから魔術を学びたいって人が読めば、確実に役立つものだって琴琶は言ってたよ」


「あ、ありがとうございます。のちほど拝読させていただきます」


礼は応接室の出入り口の扉をぱっと開くと、廊下に頭だけ出してきょろきょろと左右を見た。そしてすぐに顔を引っ込めてこちらに向き直ると、にこりと笑ってからうしろ歩きで廊下に出る。


「それじゃ、俺は行くけどゆっくりしてってね。あ、静來は三階にいるみたいだよ。自分の部屋かどうかはわからないけど、いくが司令室にいるから許可証をもらえば三階にも入れるよ。案内するからついてきて」


礼がセガルに手招きする。セガルは雅日と礼を交互に見た。雅日は礼のほうを手で示す。


「セガルさんはセガルさんのご用事を優先なさってください」


「は、はい。では……失礼します」


礼がセガルをつれて応接室を去り、入れ替わりに一人の少女が銀髪の少年をうしろに連れてやってきた。礼がここに来たのは挨拶のためでもあっただろうが、どうやらこの少女がやってくるまでの時間稼ぎのためだったらしい。


深い青色のぱっちりとした目に、首元まで伸びた短い髪。膝の覗いたハーフパンツにくるぶし丈のショートブーツ。一度は騎士団に来たことがあるそうだが、そのとき雅日とは会わなかったので、今日が初対面だ。少女のうしろにいる銀髪の少年とは以前の事件で面識があり、まだ記憶に新しい。縦長の瞳孔が覗く赤い目と、首元には赤い石のついたチョーカー。小柄というほどでもないが、長身とも言えない体格。応接室に入ってきたとき、ぺこりと頭をさげる少女の背後で、少年は眉間にしわを寄せて雅日たち――というより隊正を睨んだ。


「こんにちは!」


「あ……はじめまして、私は東雲雅日と申します」


世知那琴琶せちなことはです! こっちは來亜らいあ。騎士団の人たちなんだよね、リラから連絡来たときはびっくりしちゃった! 魔術を学びたいって言ってくる人はギルド内でもときどきいるけど、外から頼まれるのは今回が初なんだよね。お姉さんから魔力は感じられないけど、それで魔術を教えてほしいってことは空者? 魔力学はどれくらい把握してる?」


「え、え、ええと、空者……なのだそうです、自覚はないのですが。魔力学は、ひとまず基礎はあらかた押さえられているかと……」


「おっけー。空者に教えたことはないけど、能力者に教えるより簡単なはずだから心配しないで。リラックスしてね」


琴琶が部屋の奥に進み、ソファを手で示す。


「さ、座って」


雅日たちに着席を促しながら、琴琶がぽすんと弾むようにソファに座る。雅日はひざ下まである長いスカートを、腰から太ももまでなでるようにして押さえながら、そっと彼女の正面に腰かけた。しとやかな雅日の隣に、隊正がどっかりと腰を下ろす。


「姫様、俺は寝るぜ」


彼はそれだけ言うと、返事を待たずに下を向いて目を閉じた。ほどなくして静かな寝息が立ちはじめる。魔術を学ぶのは雅日であり、隊正はあくまで雅日の護衛騎士。彼が琴琶の講義を聞いている必要はなく、魔術の知識に関してもまるで興味がないのだ。


ギルドにやってくるまでに話を聞いたのだが、これは彼がかつて傭兵として働いていた時分に、自然と身に着いた睡眠法だ。ひとたび戦場へ赴けば、ゆっくり横になって眠っている余裕などない。数時間か、数十分か、数分か。とにかく空いた時間を見つけては、休めるときに休めるだけ休む。たとえ魔物がはびこる死地のど真ん中であろうと、休息と活動とを瞬時に切り替え、それを延々繰り返した。隊正は場所や時間、体勢や環境を問わずに、睡眠をとるという目的を持って目を閉じれば、わずかな時間で眠りにつき、敵が近付けば即座に覚醒、戦闘を開始することができる。常人である雅日には到底真似できない、戦士の休息方法だ。


銀髪の少年、來亜はしばらく隊正と一定以上の距離を保ったまま、彼を睨みながら周辺をうろうろしていたが、やがて立ち止まって遠巻きに隊正を見つめた。それ以上近付けば起きることを察しているのだろうか。


「來亜、こっちおいで」


「うん」


「いいこ」


琴琶が声をかけると、來亜は素直に従い、隊正を警戒しながらも彼女の隣に腰かけた。早乙女邸の屋敷に滞在する間、來亜の口から何度かコトハという名前を聞いていたのを覚えている。雅日の目の前にいる少女、世知那琴琶とは家族同然の間柄らしい。他のギルド員たちも、來亜と琴琶は姉弟のような存在だと言っていた。


二人に血のつながりがないことは把握している。雅日はしっかりと記憶しているのだ。屋敷にギルド員たちがやってきた日、はじめにギルド員たちの紹介を受けた際、あるいはあの探偵が來亜を呼ぶ際、彼が矢野瀬やのせ來亜と呼ばれていたことを。血のつながりがない他人同士でも家族になることはできるだろう。確たる信頼と絆、そしてこれまで築き上げた関係があれば、姓が違おうと、血縁でなかろうと、家族であると明言することに不自然はない。


それでも、しかし、なんだろう。二人のやりとりは、二人の間の空気は、たしかに家族のような親しさと絆を思わせるが、関係性を明瞭には示さず、常にような・・・という言葉がついてまわることからも、雅日が知っているそれとは少しずれた関係のように見えた。ペットと飼い主――そんな表現が頭をよぎる。


「世知那さん」


「琴琶ちゃんでいいよ」


「で、では琴琶ちゃん……その、來亜くんとは以前にお会いしたことがあるのですが、お二人はどういう……」


「ああ、そだね。んー、私と來亜は家族みたいなものだよ。來亜は私が召喚した召喚獣なの。普段は人型ですごしてるけど、本当は今とは全然違う姿なんだよ」


「召喚獣……?」


來亜を見る。


「ではその、矢野瀬という姓はいったい?」


「たしかに來亜には姓自体が必要ないんだけど。來亜を召喚するための術式はね、私一人で組み上げたわけじゃなくって、私に魔術の基礎を教えてくれた――師匠にあたる人が手伝ってくれたんだ。私と來亜の姓は、もともとはその人の名前が由来なの」


「琴琶ちゃんにもお師匠様がいらっしゃるのですね」


「うん、師匠は天才だったよ、私よりずっと、もう大天才! ……ずっと前に、急に死んじゃったんだけど。私もその人も家族はいなかったからね。死んだって誰からも弔ってもらえないし、誰の記憶にも残らない。それってすごくさびしいじゃない? それに來亜が私の傍にいるのは、その人のおかげだから。だから名前をもらったの、絶対忘れないように」


活発で朗らかに笑っていた、まだまだあどけなさの残る少女の表情がわずかに曇り、しかしすぐにもとの明るい笑みを見せる。何気ない質問のつもりが、とんでもないことを聞き出してしまった。雅日は失念していた。このギルドに所属する子どもたちは、皆が皆、大切なものを失った過去を持つのだ。両親が今なお健在で、帰る場所のある雅日とはまるで比べ物にはならない、それぞれが過酷な人生を歩んできたはずだ。それは既知の情報であり、頭では理解していたつもりだが、配慮が足りなかったと言うよりない。まさかこんな話を掘り起こしてしまうことになるとは。恐ろしいことを思い出させ、口にさせてしまった。


雅日は言葉を詰まらせ、返しに遅れるが、琴琶は切り替えるように両手を叩いてパチンと音を立てた。


「じゃあ、さっそく始めようか」

次回は明日、十三時に投稿します。

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