17 忌避すべきは庇護の獣
風呂に入れて汚れを落とし、伸びっぱなしの髪を切って整え、服はひとまず蘇芳の着替えを貸した。不健康そうな色白の肌に、やや赤みのある黄色い目は瞳孔が横長の形をしている。毛先の黒ずんだ部分を切り落として白い部分だけが残ったので、目の模様も相まって、色合いだけならまるでヤギのようだと思った。重たい髪の下から現れた耳は長く尖っていて、触ってみると短い白い毛にうっすらと覆われているのがわかる。およそ人間の耳の形ではない。そして髪を切る際に、額に小石のような突起があると気付いた。ツノだ。
朱雀は普通の人間ではない、いわゆる亜人であった。
「文字の読み書きはできますか?」
「いいえ」
「算術、歴史と地理、魔力学などを学んだ経験は?」
「ありません」
「先ほども同じことをお聞きましたが、武術を学んだ経験や、傭兵として働いていた実績は?」
「ありません」
「あなたの身許を証明できる人やものは?」
「えっと……ありません」
「加えて人外……うーん、顰蹙を買いそうですね。現時点ではこういった具合なのですが、いかがでしょうか」
「いかがでしょうか――じゃないだろ」
蘇芳は朱雀の身なりをひととおり整えて、そのまま彼をつれて騎士団に帰還すると、その足でリラと仁に調査の報告をおこなってから次に朱雀を紹介した。仁は眉をひそめて腕組みをする。
「教養なし、実績なし、武術経験なし、住所なし、素性不明で……まあなんだ、そんなどこの馬の骨とも知れないホームレスを、なんだって急に拾ってこようと思ったんだ? 気が触れたのかと思ったぞ」
「彼はいわばダイヤの原石ですよ。あのまま放浪させておくには惜しい逸材です」
「強盗を捕まえたって話か?」
「まあ見ていてください。……朱雀くん」
「はい」
「これから私が素手であなたを攻撃しますから、あなたは町で強盗を捕まえたときと同じように、それを防いで身を守ってください。できますか?」
「あ……はい」
朱雀の返事を確認してから、彼と向かい合うように立った。蘇芳は身体の前側で軽く拳を作って構えるが、対する朱雀は棒立ちで突っ立ったまま、それどころか肩を竦めてびくびく怯えている様子だ。まず拳。右肩を狙って突き出された素早い殴打を、朱雀は言われたとおり手で掴み止めた。蘇芳は拳を引き、次に彼の脇腹をめがけて蹴りを繰り出した。これも朱雀は止めた。そこからは休みなく続けざまに、ありとあらゆる体術を仕掛けたが、彼はそのすべてを防ぎきってみせる。
蘇芳の体術は先の強盗のような、がむしゃらで質の低いものとはわけが違う。騎士として修練を積み、磨き続けてきた立派な戦闘技術だ。もちろん、戦闘経験のない朱雀相手に本気でかかったわけではなく、手加減はしていた。朱雀の防御が間に合わなくても体に当たる寸前で止めるつもりだったのだが、その必要はなく、彼はすべての攻撃を正確に防いでみせた。ここまでは蘇芳も想定していなかったが、その事実が余計に、蘇芳の執着心を刺激する。なぜかはわからないが、とてつもなく心惹かれるものがあるのだ。
「どうですか? 多少呆けた子ではありますが、今のまっさらな状態でこれです。教養も武術も、今から教え込めば十分に間に合います。実績はこれから積んでいけばよいでしょう。私はこの原石を磨いたらどうなるのか見てみたいです」
「うーん……たしかに動体視力と反応速度はたいしたもんだが、その程度なら探せば見つかるレベルだろう、スカウトしてくるほどのものか?」
「今はそうでしょう。ですが、あのままあの場に置いてきていい存在ではないと、私はそう思ったんです」
「だからってなあ……」
「今さら元の場所に帰して来いと?」
「お前じゃ面倒見きれないだろう、誰が世話をするんだ?」
仁は言いながらじろりと朱雀を見る。自分よりもひとまわりもふたまわりも大きな体躯を持つ仁に見下ろされたからか、朱雀はあとずさりしたそうに足元をもぞもぞさせ、不安な面持ちで仁と蘇芳を交互に見た。リラに来るまでの道のりでもそうだったが、朱雀は人ごみの中ではびくびくして落ち着きがないし、自分より大柄な人や、声の大きい人――とくに男性を近くで見ると、こうして怯えきった目をするのだ。
それまで黙って二人のやりとりを聞いていたリラが、おもむろに前に出た。朱雀の正面で立ち止まった彼女は、手を伸ばして朱雀の頬に触れると、なにかを確認するようにその額や耳をなでる。朱雀は抵抗せず、されるがままだ。
「かわいらしい猫だ。いいじゃないか、たまにはこういう子がいたって」
「しかし、リラ様……」
「手ではじいたときの音ではなかった。手加減していたとはいえ、この子は蘇芳の拳を掴み止めて防いだのだな。相手が蘇芳でなかったとしても簡単なことではないさ。攻撃を正確に見極め、的確に捉えて実際に受け止めるというのは、並の人間にはできないことだ。素質があるのはたしかだろう」
「リラ様……あなたというお方は、またそうやって蘇芳を甘やかして」
「普段は滅多にわがままを言わない蘇芳が、こんなに欲しがってるんだ。私は反対しないさ。座学は教育者としてふさわしい者を選出しよう。読み書きさえできるようになれば、本を読んで自分で学べるようになる。聞いていた限り――基礎を教え込むだけでも、体術だけなら他の騎士たちと遜色ない動きができそうだ。武器を扱う技術はイチから学ぶ必要があるけどね」
「それでは他の騎士たちに示しがつきません」
「実力はこれから身につければ問題ない。それに蘇芳が誰かをスカウトしてきたのははじめてだ。声をかけられるからには相応の理由があることくらい、他のみんなもわかってくれるだろう」
「おねがいします、仁さん。責任はすべて私がとりますから」
「まったくお前は……どうなっても知らんからな」
仁は白髪の混じった頭をがしがしやりながら朱雀を見た。そして観念したように大きなため息をついて彼に片手を差し出す。朱雀は一瞬びくりとして、その手を見つめるばかりで動かない。
「言われなきゃなんにもわからんのか? 手を出せ、握手だよ」
ようやく前に出された朱雀の手を、仁はがっしりと握った。
「団長の銀堂仁だ。リラ様がお認めになられた以上、俺からはなにも言うことはないが……まあ、相応のはたらきができるように努力してくれ。がんばれよ」
「はい……」
本当にわかっているのだろうか。
「寮……より先に、医務室だな。そんなガリガリの体じゃいつ倒れるか。身体の状態によっては訓練どころじゃない。とにかく一度群青に診せてみよう」
蘇芳と仁が朱雀をつれて医務室に行くと、今朝ロワリアから帰国して通常業務に移っていた雅日とセガルがいた。書類の整理を手伝っていたらしい。
「蘇芳くん、おかえりなさい。調査は無事に終わりましたか?」
「ええ、おかげさまで。雅日さんもおつかれさまです。魔術の勉強は順調ですか?」
「はい、魔力譲渡の術式を教えていただきました。きちんと使いこなせるようになるまでは、まだまだ時間がかかりそうですが」
「隊正くんは?」
「列車の中で長時間じっと座りっぱなしでしたから、我慢の限界みたいで体を動かしに行きました」
「そうですか。セガルくんはどうでしたか?」
「えっ!? あ、あー……えっと、え? じゅ、順調です……?」
挨拶が終わった頃合いを見て群青が切り出した。
「今日はまたなんの用だ?」
言いながら群青の視線が蘇芳のうしろに立っている朱雀に向いた。セガルと雅日も彼の存在に気付く。朱雀はやはりびくりとして背中を丸め、小さくなった彼の肩を仁がぽんと叩いた。
「蘇芳が拾ってきたんだが、見てのとおり痩せっぽちでな。健康状態が気になるから、検査を頼めるか?」
「急だな。今すぐなら血液検査と……能力者なら魔力検査で大抵のことはわかるが、そうでないなら後日改めて全身を調べる。……名前は?」
「朱雀だ。自分自身のことも名前以外は全然把握できてないみたいでな。魔力検査ではどのくらい具体的なことがわかる? たとえば……まあその、身体やら脳やらにちょっとした異常がないかどうか……っつうのは」
群青は仁が話している間に備え付けの手洗い場で手を洗いながら、雅日に注射器の用意を命じた。彼が手を拭いている間に、雅日は必要な道具を乗せたトレイを手に戻ってくる。医療班の手伝いもしているとは聞いていたが、すっかり慣れた手際だ。
「障害があればわかるさ。なんだ、白痴の疑いでもあるのか?」
群青のあけすけな物言いに仁がぎょっとする。たしかに仁の質問はそのことについてのものだが、あまりに直接的すぎる。
「いや、そこまでじゃ……なんというか、どうもぼんやりしてるやつでなあ……単純にそういう性格なのかもしれんが。深い意味はない、ただ念のためだ。なにもないならそれでかまわんが、もしなにかあるなら早めにわかったほうがいいだろ?」
「……そのような者を騎士団に入れて大丈夫なんですか?」
「それは差別的な発言と取れますよ、セガルくん」
「い、いや……そういうつもりじゃ」
「陛下はあちこちで気に入った人間をたらしこんでくるが、蘇芳が誰かをスカウトしてきたのはオレが知る限りはじめてのことだ。それだけの価値を感じたということだろう。……朱雀、ここに座って左腕をこの台の上に出しなさい」
「あ……はい」
呼びかけられた朱雀がおそるおそる前に出て、言われたとおり群青の正面の椅子に座る。左腕を前に差し出し、用意された採血枕に乗せた。朱雀が着ているシャツの袖を捲りあげた群青の手が止まり、彼の隣に立っていた雅日が息をのんだ。二人の顔色の変化に蘇芳と仁は互いに顔を見合わせてから、セガルに続いてその手元を覗き込む。
ほっそりと痩せた腕は色白で、青白くすら見える。本来であればそこに青い血管が透けて見えるはずだが、それより先に目に飛び込んできたのは、無数につけられた赤い斑点模様。群青は朱雀の右手を引っ張り、同じように袖を捲って彼の腕を見る。左腕同様、青や紫の混ざった無数の赤い点が痛々しく刻み込まれている。群青の表情にふつふつと怒りの色が沸き上がり、しかし彼はすぐにゆっくりと深く呼吸して平静を保った。
「……なにがあったんだ?」
「あ……」
「誰にやられた?」
「う……」
朱雀はうつむいてうめくばかりだ。なにかを言おうと口を開きはするものの、喉になにか詰まっているかのように、苦痛に耐えるように表情を歪めた。話せない、言葉にできないというより、自分の身に起きた事実を理解し、そのときの記憶を思い出すことを拒んでいるような。彼がただの放浪者ではなく、軽々には口にできないほど凄惨な経験をしてきたことが、その様子からひしひしと伝わってきた。その様子を見て、群青はわずかに目を伏せて息をつく。
「言いたくなければ無理に言う必要はない。……少し気が引けるが、仕方ないな。手は閉じて、そのままじっとしていろ。すぐに終わる」
言いながらアルコールで手指の消毒を済ませ、手袋をつけた。雅日が戸惑った表情を見せながらも朱雀の腕に駆血帯を巻く。肘の内側のくぼみを触診し、消毒液がしみ込んだ綿で消毒を済ませて準備は整った。群青が注射器を手に取ると、それを見た途端に朱雀の身体が強張ったのがわかる。冷水を浴びせられたように表情が凍りついたと思うと、明らかな恐怖の色を映した目が群青の手に釘付けになる。そしてはっと息を吸い込んで首を曲げて下を向くと、背中を丸めて縮こまった。息は荒く、身体が震えている。ひどい汗だ。しかし腕を引っ込めたり暴れたりすることはなく、直前に言われたとおり、じっとしたまま動かない。
「お、おい、群青……」
朱雀が見せた並々ならぬ反応に、心配になったのか仁が制止を求めるような声をかけた。さすがの群青も異常な怯え方を見せる朱雀を無視できずに手を止める。
「朱雀、目を閉じなさい。そうだ。そのままゆっくり、深く息をするんだ。吸って、吐いて、吸って……そう。この部屋にいた女性を思い出してみろ。今さっきお前の隣に立っていた女性だ。髪の長さは?」
「肩……」
「色は?」
「……落ち葉……」
「目の色は?」
「……あ、お?」
「服の色は?」
「え……白、と……えっと……」
朱雀が雅日の服の色を思い出している間に、群青が朱雀の腕に注射針を刺した。針は的確に静脈を捉え、迅速に血液を採取する。
「正解は白のブラウスと、紺色のスカートです。手を開いてくださいね」
言いながら雅日が駆血帯を解く。朱雀の腕から針が抜かれ、傷口にガーゼを当てて止血用のテープで固定する。あれだけ注射に怯えていた朱雀だが、おそらくまだ採血されたことに気付いていない。
「もう目を開けていいぞ」
採取した血液は雅日が隣の部屋へ持って行った。検査室に待機している医療班の者に明け渡すだけなのですぐに戻ってくる。
質問は朱雀の意識を注射から別のことに逸らすためでしかなく、そこからは群青自身の腕だ。彼の注射は痛くない。予防接種や健康診断の時期になると、騎士たちは自分の注射を担当するのがフミか群青のどちらかでありますようにと祈りながら医務室の扉を開け、その望みが叶った者はとりあえず誰かに自慢するのだ。蘇芳も自慢まではしないが、他の騎士たちと同じことを考えながら医務室に向かう。
「では魔力を調べる。魔力があるならそのまま身体の状態を診るから、じっとしているように」
朱雀が返事をするのと同時に、群青が朱雀の手首に指を二本、脈を測るように置いた。眉をひそめ、一度指を離すと、次は手首を握るようにして触れる。
「……ひどいな。こんなになるまで……」
難しい顔のまま独り言のようにつぶやくと、群青は目だけで朱雀を見た。
「亜人とはいえ奇妙な身体だな。状態を詳しく知りたい。少しお前の魔力に触れるぞ。手首に冷たい感覚があるかもしれないが、痛みなどはないから肩の力を抜くように」
「はい……」
「そのままゆっくり呼吸しろ。しかし、いったいどんな暮らしをしてきたんだ。よく今まで――」
言葉の途中で群青が突然朱雀から手を離し、あまりの勢いに彼が座っていた椅子が後方にずれた。不意に熱い物に触れて、あるいは突然痛みが走って咄嗟に手を引っ込めたような、脊髄反射的な動きだった。
「……ぐ、群青先生?」
そのままの姿勢で目を見開いたまま、息をするのも忘れて呆然としていた群青が、雅日の呼びかけで我に返る。群青は一度自分の服の胸元を押さえるように握りしめた。違う、彼が握ったのは首から提げている十字架だ。
「バカな、こんなことが……」
額に汗がにじんでいる。
「お前、神――」
なにかを言いかけて言葉を止めた群青は、手で口を押さえて堪えきれなくなったように立ち上がり、手洗い場に駆け寄って咳き込んだ。三回目の咳に水っぽい音が混ざる。彼の口元を押さえる手から赤い液体がこぼれ落ちるのが、蘇芳と仁の位置からははっきり見えた。咳くたびに手洗い台にぼたぼたと血が滴り落ちていく。
「群青さん!」
「おい、どうした!」
仁と蘇芳が同時に声をあげて駆け寄ろうとするのを、咳が続いて声を出せない群青は手をこちらに突き出して制する。その手を濡らす血液を見て、ようやく彼が吐血したことを知ったセガルと雅日が短く声をあげて身をこわばらせた。
十回以上は咳いたあと、苦しそうな呼吸を繰り返しながら、ようやく落ち着いてきた群青が蘇芳を睨む。
「とんでもないものを拾ってきたな、蘇芳」
「どういうことですか」
蛇口をひねって水を出し、顔と手についた血を洗い流す。その間、群青は無言であった。ようやく席に戻ってきた彼の顔色は最悪だ。両ひざに肘をついて手の甲に額を当てたまま顔を伏せ、うなだれるような姿勢で蘇芳に向かって問いかける。
「どこで拾ってきた?」
「……スーリガとフェルノヴァの間に広がる森の中です。付近で行方不明事件が起きていて、その調査に向かったところ、森の中で座り込んでいる朱雀くんを見つけました」
「調査?」
「森の中……地下に大きな研究所が隠れていて、そこで合成獣を作る実験をしていたようです。行方不明になった人々や森の中にいた生き物は、ほとんどがその研究所に連れ去られて実験の材料に」
「……そうか」
「合成獣って……複数の生き物を掛け合わせた魔獣ということですか? そんなものが、本当に作れるの……?」
雅日が問う。当然の反応だ。蘇芳も同じことを思った。
「不可能のはずでした。しかし、それを可能にしてしまった者がいたのです。犯人は既に身柄を拘束されていますので、これ以上の犠牲者は出ないことでしょう」
「それより群青、大丈夫なのか? 急にどうした。こいつの魔力からなにがわかったんだ」
「うるさい、黙れ。今……まとめている」
しばらくそのままの体勢で群青は黙り込んだ。情報の理解と整理に時間がかかっている――のではなく、どこまで打ち明け、なにを伏せるかを選んで、話の内容を再構築しているのだろう。彼が大事な話の前に黙り込むときというのは大抵そういうときだ。
「断片的にだが、魔力を通して朱雀の記憶の一部が見えた」
「記憶が見える? そんなことが起こるもんなのか?」
「なにかの拍子に互いの魔力が共鳴を起こして、他人の記憶の一部分が流れ込んでくるという事例はある。だが、なにが原因で、どういった条件でそのような現象が発生するのかは解明されていない。ここから先を話すには、オレが見たもの――朱雀、お前が今まで受けてきた仕打ちについても話すことになるが……かまわないか?」
「はい……」
群青は朱雀の答えを確認してから蘇芳たちに向き直った。
「今オレが理解したことについては、朱雀にいくつか質問をして事実を確認しながら話す必要がある。複雑な情報だ。オレがひととおり話し終えるまで誰も口を挟むな」
そう前置きしてから、群青はようやく重い口を開く。
「朱雀。蘇芳が言っていた地下の研究所……お前はそこからやって来たのだな?」
「はい」
「ど――」
身を乗り出しそうになったセガルだが、群青の突き刺すような視線に、手で口を押えて沈黙を保った。気を取り直し、群青は朱雀に質問を続ける。
「お前は合成獣か?」
「……はい。たぶん」
「人型の合成獣はお前だけか?」
「いえ……あ、でも……動いているのは、僕と……、あの……」
「妹――」
朱雀が言いよどんだとき、これまでの彼とのやりとりを思い出した蘇芳が、思わずそうこぼした。朱雀はどこか悲しそうな顔で、はい、と言った。妹という言葉を出すことにためらいを持っている気がする。あまり話したくないことなのだろうか。
「その妹は今どうしているんだ?」
「わかりません……すみません」
「ではお前たち以外はどうなった?」
「すぐに……動かなく……なりました。サクヤ――あ……妹、以外は……」
「人型のものはみんな、お前と同じ方法で作られたのか?」
「はい……」
「それ以外は?」
「わかりま……あ、母様は……僕に、この方法なら、って……最初に、ええと……」
「お前ができたのを期に製造方法を変えたのか」
「たぶん……」
「お前はまだその男を母だと思うのか?」
「え? はい。……え? 母様は、母様です。僕を作ったから……はい。そう、です」
男でありながら父ではなく、母である。朱雀以外の誰もがそこに疑問を感じたが、朱雀の態度を見るうちにだんだんと理解できた。彼の中で「母」という存在は、つまり製造主と同義だ。自分を作った人だから母である、という認識なのだ。その人が自分を作り出したという事実がある以上、それが変わることはない。
「朱雀、そいつを母だと思うのはもうやめろ。そんなものは母親ではない。子どもにこんな仕打ちをする者が親であっていいものか。……今はわからないだろう、あとできちんと教えてやる」
「はい……」
「蘇芳、お前が拾ってきたのは研究所で作られた合成獣の一人だ。魔力の質や流れ方が正常な生物のものではなく、人間よりは獣に近い。服を着ている状態ではわからないが、魔力の流れが滞っている部分は傷跡だな。特有の詰まり方だが……異様に数が多い。地下で長いこと製造主から暴行を受け続けて、身体は痣だらけだ。……注射痕は毒か。外道が」
「なんてこと……」
雅日が哀れみに満ちた目で朱雀を見る。蘇芳はあせりを表に出さないように注意しながら考える。
「地下に調査隊が入ったとき、研究所の合成獣はすべて死んでいました。つまり朱雀くんは唯一の生きた実験体……ということですか」
「警備隊や他の研究所に明け渡す必要はない。合成獣を調べるなら地下に残った死骸を解剖するだけで十分だ。朱雀がいてもいなくても、事件の解明は進んでいるからな。わざわざ報告する必要もない」
「そのつもりです」
「群青先生、先ほどの……その、咳は? お体は本当に大丈夫なのですか?」
雅日がおそるおそる尋ねた。セガルも無言のままうんうん頷いている。群青は妙な間をあけてから答えた。
「人間、生きていれば血を吐くことくらいある。取り立てて騒ぐことじゃない」
「バカを言うな、吐血の経験なんかそうそうあってたまるか」
「朱雀の魔力に身体が拒絶反応を起こしただけだ。よっぽど相性が悪いんだろう」
「き、拒絶って……や、でも、魔力が……群青さん、今……」
「とにかく、魔力から朱雀の身体の状態を診たところ、わかったことがいくつかある」
うろたえる一同に構うことなく、群青は情報を開示していく。
「まず、栄養状態はそこまでひどくない。軽い栄養失調ではあるが、これからきちんとした食事を摂ればすぐに改善できる範囲だ。それから脳の機能も正常だ。懸念していたような障害はない。だが思考力に乏しくぼんやりしているのは、ただの性格というわけでもないだろう。朱雀の身体は、実年齢および精神年齢と、身体年齢との間に大きなひらきがある」
「どういうことだ?」
「朱雀は肉体こそ十代半ば程度に見えるが、実際に生きてきた年月はもっと短い。具体的なところまではわからないが、長く見積もってもせいぜい五年程度しか生きていない。そのうえ毎日のように虐げられ、自分自身の意思や感情を持つことを許されずにいた立場だ」
「……そりゃ、言われるまでなにもしないし、なんにもわからんわけだ。外に出たのになにもしないで森の中にいたってのも……。自分で考えて行動したり、まわりを見て察したりってのはできなさそうだな」
「当然。朱雀がどう成長するかは、これからの教育にかかっていると言っていい。外見は今の状態で安定しているが、死ぬまでこのままかどうかまではわからない」
「えっとつまり……そいつの、中身は五歳児?」
「中身に限った話でもない。見ろ、ほとんど乳歯だ」
言いながら群青は朱雀に口を開けさせるが、歯並びを見たところでセガルには乳歯と永久歯の違いなどわからない。ただ自分たちと同じような白い歯が並んでいるのに混ざって、犬歯にしては長いが牙にしては丸っこくて尖っていない、牙もどきの歯が上下に二本ずつあるのがわかっただけだ。
「産まれた時点での外形がどんな状態だったのかが気になるところだな……」
「……要は騎士団総出で子育てってことか?」
「まあ事情はわかりましたけど……それでも他の騎士たちは、反対するやつもいるんじゃないですか?」
「だろうなあ。蘇芳のスカウトだと知っても納得しない者が多いようなら、どう納得させるか考える必要はある。だが、さすがに今の話を開けっぴろげにはできん……」
「ならオレが後見人になろう」
「それは非常に助かりますが……」
少し意外だった。いつも大抵のことをどうでもいいとして切り捨てる群青が、朱雀の身の上を知ったとはいえ、そこまではっきりと肩入れするとまでは思っていなかったのだ。どうあれ、組織内でも大きな影響力のある彼が朱雀の入団に協力的になってくれるならば、それは願ってもないことである。彼の名を聞いてなお楯突くような真似をするような騎士はほとんどいないだろう。
次回は明日、十三時に投稿します。




