13 無知の知こそは力となる
「魔術といえば、群青先生。私の魔術を採点してくださるというお話でしたが」
何事もなく山のふもとまで戻ってきたころ。おそるおそる切り出してみると、群青は刀の柄頭に手を置きながらわずか上を向いて考え込んだ。
「ああ。そうだな……今回は五点といったところだろう」
「ごっ……そ、それは百点満点中の、ということでしょうか……?」
「いや、十点満点中の五点だ。出力が低いことと発動状態が常に不安定な部分はまだ仕方がないとして、対象の姿を視認できなくなると途切れるのはいただけない。オレがやつの四肢を切ったとき、お前の強化は最初の前足一本以降は届いていなかった。それから目の前の出来事に気を取られすぎだ。一貫して平常心からは程遠かった。……だが総合的に見れば、はじめてにしては悪くない。途中で付与が途切れた回数は多いものの、術式の維持自体は長いことできていた。ここぞという一瞬だけでいいという課題はクリアしている。及第点だ」
「あ、ありがとうございます。なんだか昨日部屋で練習していたときより調子がよくて」
「それは戦いに身を投じたことで魔力が活性化していたからっすね。……あ、どうぞ、あがってください」
「お邪魔します」
ようやくカイルの家に辿りつき、彼は入り口の戸を開けて雅日たちを招き入れた。入ってすぐのところに野菜や果物が詰まった木箱やカゴなどが置かれており、板の間に囲炉裏と、周囲に座布団が用意され、壁際に戸棚がある。あとは部屋の片隅に火鉢となにかが入った麻袋がいくつか固めて置いてあるだけで、中はがらんとしていて殺風景だ。建物自体にずいぶん年季が入っており、おそらくカイルがこの村に来る前からあった家だろう。三人それぞれが座布団の上に腰を下ろしたところで、カイルが話を続ける。
「さっきの続きっすけど、自主トレより本番のほうが調子がいいっていうのはよくあることなんすよ。戦闘中なのかそうでないかっていうのは結構大きかったりしますから」
「やっぱり状況によって大きく変わってくるのですね。私も運動をしてから魔術の練習をはじめるようにはしているのですが、はじめて本物の戦闘で魔術を使ってみて、感覚が全然違いました」
「でも運動してから練習っていうのはたしかに効果的っすよ。あとはいつもと違う環境でやってみるのも案外よかったりするんで、よかったら試してみてください。雅日さんの魔力はかなり整っているっていうか、管理状態がいい印象なんで、もっと自信持ってもいいと思います」
「私は空者です。この魔力は自分で生成したものではなく師匠から譲渡していただいたものですから、私の魔力が整っているのではなく、師匠の魔力が洗練されているのです」
「誰かからもらった魔力でも、自分の身体に入って循環してる時点で、もうその人の魔力になるんすよ。もらった段階で質が変わるんす。身体そのものが魔力の保管容器みたいな感じで、魔力の質っていうのはそこで個人差が出るんす」
「私が読んだ魔力学の本には、そこまでのことは書かれていませんでした……もっと勉強します」
「応用的な部分だからな、まだ知らなくても無理はない」
「質もそうっすけど、循環速度に関しても、見習いにしては結構速いほうなんじゃないすか?」
「いいえ、そんなことはないかと。師匠に目指すよう言われた水準には遠く及びませんし、私の循環速度は平均的だとおっしゃっていました。あれからほんの少しは速めることができたかと思いますが、取り立てて優れた速度では……ねえ? 群青先生」
「いや、速いぞ」
「え?」
数秒の間。
「そんなはずは……だ、だって先生、私が魔力の状態を確認してほしいとお願いしたときも、とくになにもおっしゃらなかったではありませんか。セガルくんからもとくになにも言われることはありませんでしたし……」
「どうでもいいことだから言わなかっただけだ。お前の師匠が言う平均的な速度というのは、魔術師としてはという意味だろう。必要とされる水準に達していないことに変わりはない。オレも治癒関連の魔術を使うことはあるが魔術師ではないし、セガルも自分の専門外のことに口を出すほど軽率じゃない」
「ま、まあ自分の魔力循環の速度が速いか遅いかなんて、比較対象がないとわからないっすからね。お師匠さんの循環速度しか知らないなら余計に。単純に雅日さんに素質があっただけかもしれませんけど、そうでないなら、最初に高い水準の速度を教え込まれたから身体がそれに慣れた……というか、無理矢理慣らされたんすかね。きつかったでしょう」
「教え込まれたと言いますか、まずは循環機能を起こさないといけませんでしたから。それに時間がかかってしまって、一日かけてようやく。取っ掛かりとなるのが師匠からまわしていただいた魔力だけでしたので。だからこそ今の循環速度があるのかもしれませんが、きつかったかと言われると、はい。あの日は相当……」
「お師匠さん、かなり厳しいっすね」
「いえいえ、全然! 師匠は常に私を気遣ってくださいましたよ。むしろ私がお願いしたんです。師匠は私の意思を尊重してくださっただけで」
「そのときにがんばったおかげでスタートの循環速度がそうなったんすね」
「……かも、しれないですね」
「たしかに魔術を使う上で魔力のめぐりは速いに越したことはないんで、いいことだと思いますよ。ただ、最初から循環が速いと魔力操作もやりづらいでしょうから、最初は魔力操作の練習をするときだけ速度を落とすように意識してやるといいっすよ」
「一時的に循環を遅く……できるのですか?」
「できますできます。普段はそのままでいいんすけど、練習のときはこう、ぐっとせき止める感じで。で、普段どおりの速度でもやるんです。遅いときと速いとき、交互にやって間を徐々に詰めていく感じっす。魔術の発動まで持っていけたなら、速度を落とす程度の操作は簡単だと思うので」
「なるほど……」
「まずは遅くした状態で、一回コツを掴めば普段の速度でもできるようになってくると思うんで、魔力操作の精度を詰めていくのはそれからにしたほうがいいと思うっす。雅日さんの魔力は見たところ綺麗でいい魔力だし、すぐできるようになりますよ」
「それじゃあ、今日からさっそく試してみます」
群青が正座を崩してあぐらをかき、小さく息を吐く。
「東雲、お前はそう遠くないうちに魔力譲渡の術式を師から教わり、それを扱えるようになってくるだろうから、先に忠告しておく。譲渡術を使えば誰とでも魔力の渡し合いができるようになるが、譲渡との相性が悪い、吸収するべきでない魔力というものが存在することも覚えておけ」
「吸収するべきでない魔力?」
「そうだ。自分の魔力を渡す分にはなにも問題はないが、なにがあっても呪術系の魔力だけは受け取るな。呪術は魔術の一種だが、系統能力の中で魔術系と呪術系とで分類が違うのには理由がある。強力な術を使う代償として、なにかしらの跳ね返りを受けるのが呪術師だ。魔力そのものに呪いがこもっている。程度によってはこれもまた魔力障害のひとつと呼べるだろう」
「呪い……なんだか怖いですね」
「ああ。受け取った段階で魔力の質が変化するとはいえ、取り込めば呪いの影響を受ける可能性が高い。具体的になにが起きるかは、どのような代償を必要とする、誰の魔力を、どれだけ吸収したのかによって変わってくるが、なんにせよ非常に危険だ。他人の魔力を受け取る場合は、そこに余計な毒素がまざっていないかどうか必ず確認しなさい。最悪の場合、二度と魔術を扱えなくなることもあり得る」
「それは、いったいどうやって判断すればいいのでしょうか。あの、カイルさんは魔力を感知できるとお聞きしていますが、それは能力によるものですか?」
「あー……俺のは参考にならないかと。魔力感知ができる人ってのは、大抵はちゃんと努力してそういう技術を身に着けてるんすけど、俺が持ってる力って錬金術と剣術以外はほぼ全部棚ぼたなんで……えっと、能力者って、その能力とはまたちょっと違う、第六感みたいなものを持ってることがあって。直感力っていうか……こう、人並外れて反射神経が鋭いとか、他人の嘘や悪意に敏感だとか、危機察知がうまいとかいろいろ。それが俺の場合は周囲の魔力を感じ取れるってだけのことで」
「それじゃあ、たとえば周囲に魔物がいるとすぐにわかったりするのですか?」
「うーん……そういうのは、よっぽど大きいとか、魔力をたくさん持ってる強力なカルセットとかじゃないとわからないんすよね。基本的には能力者がいればわかるって程度なんで汎用性は低いっす。さっき山の中で二人と合流できたのはそれのおかげで、仲間とはぐれたときなんかには便利なんすけどね。二葉くんの魔力は独特なんですぐにわかるんすよ」
「相手の魔力が安全かどうかは、お前の指輪を使えばわかるはずだ」
「指輪を?」
言われて右手を見る。琴琶からもらった指輪だ。毎日肌身離さず着けているものの、まだ具体的にどう使えばいいのかはわからない。ささやかな防御と魔力の管理を手伝ってくれる効果があるとは聞いているが、そんなことまでできるのだろうか。カイルも雅日の手を見る。
「魔法道具っすね。ちょっと見せてもらっていいっすか?」
「あ、はい。どうぞ」
雅日が右手を差し出すと、カイルは雅日の手をとって指輪をじっと見つめた。
「俺もあんまり魔法道具に詳しいわけじゃないんすけど……あ、ちょっとだけ外して見てもいいすか?」
「ええ、もちろん。大丈夫ですよ」
カイルが雅日の指輪を外そうとする。しかし指輪はびくともせず、外れる気配はない。
「と、取れないっす」
「えっ、いえいえ、そんなはずは……」
ぎょっとする。思わず手を引っ込めて指を隠した。まさか昨日の今日で急に太って指輪のサイズが合わなくなったわけではないだろう。若干不安に思いながら雅日が自分で試してみると、指輪はなんの抵抗もなくするりと抜けた。ほっとしながら指輪をカイルに渡す。群青がため息をついた。
「カイル、間違っても指を通すなよ」
「え? ……ああ、忠誠の指輪っすね。なるほど、それで」
「なんですか?」
カイルから指輪を受け取る。
「指輪の内側に魔術文字が彫ってあるでしょう? それは忠誠の指輪といって、最初に指を通した人を主と定めていろいろサポートしてくれるんすよ。だからそれは雅日さん専用の指輪で、雅日さん以外の人が使うことも、着けてる指から奪うこともできないんすよ。俺が外そうとしても外れなかったのはそのせいっすね」
「もし他の誰かがこの指輪を着けたらどうなるんですか?」
「指輪が縮んで指を切断する」
「まさか、さすがにそんなこと……」
群青がさらりと物騒なことを言うので思わず苦笑するが、カイルは頷いた。
「いやいや、本当すよ。身に着ける系の魔法道具ってそういうもんっす。って言っても大抵は持ち主以外には効果がないとか、痛みが走って着けていられないとかその程度なんすけど。忠誠の指輪はマジのマジで指もってかれます」
「え……」
「たしかにそれを使いこなせば魔力感知と同じことができると思います。他人の手に渡らないように気を付けないとですけど、自分で使う分にはめっちゃ便利なんで、これからも肌身離さず持ってたほうがいいっす。怪我の治りが早くなったり、なにかあっても多少のことは指輪が守ってくれると思うんで」
「いや。あの……、えっと……こ、これって本当に私の身を守ってくれるものなのですか?」
「はい。人やカルセットとかから危害を加えられそうになったときもそうですけど、上から物が落ちてきたとか、森の中で罠を踏みそうになったときとか、そういう思わぬ事故からも助けてくれます。たぶんさっきの戦いでも、俺が間に合わなくても指輪が守ってくれたはずっすよ」
「たとえば……誰かに突き飛ばされたときや、転んだときなどは……」
「自分で転んだだけの場合や、誰かに突き飛ばされたとしても、そこに悪意や敵意がなかったとき――たとえば、誰かが別の脅威からお前を守るために咄嗟に突き飛ばしたような場合なら、おそらく指輪は反応しない。突き飛ばされた先で大怪我をしそうな場合は別だが」
群青は雅日がセレイアで怪我をしたことを知っているのだ。正直、あのとき雅日が転んだのが兵刀に突き飛ばされたからなのかと言われると、今となっては自信がない。突き飛ばされたのは事実でも、転んだこと自体ははずみで足がもつれたせいだったような気もする。たしかに、指輪の防衛術式がそんな些細なことにまで反応するなら、友達とじゃれていただけでも術式が発動してしまう可能性がある。どうあれ、あのときは指輪が反応する条件を満たしていなかったのだ。明らかな脅威から守ってくれる効果があるのは真実らしい。
「単純に転んだとか、あと誰かとの手合わせとか、必要がないときに誤作動を起こさないよう融通利かせてると思いますよ。その防衛術式、結構複雑で高度な術式だと思うんで。詳しくない俺が見ても、これすごいやつだなってわかるくらいには」
組み込んであるのは簡単な術式だと琴琶は言っていたが、それは雅日が気負わないようについた嘘だったのだろうか。それとも、琴琶からすればこれも簡単な術式のうちなのだろうか。改めて、とんでもなく貴重なものをもらってしまったらしいことを再認識する。
「な、なるほど……やっぱり、これはすごいものなんですね。こういう魔術のかかった指輪って、他にもたくさんの種類があるのですか? その、あ……これはお聞きしてよろしいことなのか、出過ぎた質問でしたら申し訳ございませんが……もしかして、群青先生が着けていらっしゃる指輪も、魔法道具の類ですか……?」
おずおず尋ねながら群青の顔色と左手とを交互に見る。薬指できらりと光るのは薄水色の石が施された細身の指輪だ。見れば見るほどに、どこか清廉な気迫を含んでいるような、妙な雰囲気がある。普通の指輪ではない――なぜかそう思えてならなかった。群青は指輪を隠すようにそっとなでたあと、静かに頷いた。
「ああ。祝福の指輪といって、浄化と……あとは多少の魔除け効果があるはずだが、なにより縁起物として大きな価値を持っている。これを作るには高度な光属性系の能力者――つまり、相当な信仰心を持つ高位の聖職者が祈りを捧げる必要がある。希少なもので鈴蘭でもほとんど取り扱われていない。これは昔、祝物として師範からいただいたものだ」
「楼蘭様は群青先生をとても大切に思われているのですね」
「いやーもうホントそうなんすよ! 二葉くんのオーナーへの忠誠心も並大抵じゃないんすけど逆も同じで。オーナーはもともと情に厚い性格なんで他の従者の人たちのこともすっごい大事にしてるんすけど、二葉くんのことはもう本当に目に入れても痛くないってくらい溺愛してるんです。たまにオーナーと二人で素材採取とか行くことがあるんすけど、一日一緒にいて会話が止まるのは食事中と寝てる間だけってくらいお喋り好きで、しかも話す内容の七割以上は二葉くんのことっすからね。二葉くんも出会ったころは今より無口だったのがオーナーに似たのか年々お喋りになってきて。いやいっぱい喋ってくれるのはうれしいっすけどね? 昔は声かけても返事してくれないこととかあったんで」
「え、そうなのですか?」
突然勢いよく話しだすカイルにやや気圧されながらも、雅日には彼の言葉が意外だった。群青は静かなときは静かだが、カイルの言うとおり喋るときは本当によく喋る。初対面の第一印象では寡黙そうな青年だと思ったが、これまでそれなりに付き合いを重ねるうちに、その印象もすっかり上書きされた。一貫してローテンションで淡々とした話し口だが、この群青に見た目どおりの無口な少年だった時期があると言われると、今となっては少々おどろきを感じてしまう。
「だいたい十年くらい前……俺がまだ騎士団入りたてのころっすね。訓練中に怪我して医務室に行ったら、ちょうどそこに納品した薬を運んできた二葉くんがいて。たまたま医療班の人が誰もいなかったんで、代わりに手当てしてもらったんすよ。なにか話そうと思ったんですけど、リラ様とのお話が終わったオーナーが二葉くんを迎えに来たから、ほとんど話せないまま帰っちゃって。そこがはじめましてでした」
「よく覚えているな」
「そりゃあもう」
「人を騎士団に誘っておきながら、すっかり忘れて団を出て行ったやつが」
「ごめんって……まさかそれも恨みリストに入ってる?」
「どうだろうな」
「こっわ……」
「そ、そういえば、カイルさんが騎士団をご休職なさっている理由は……お聞きしてもよろしいことなのでしょうか?」
雅日があわてて話を変える。カイルは指で頬を掻きながらはにかんだ。
「ああそれ、別にたいした理由じゃないんすよ。騎士団はもちろん好きなんすけど、あそこにいるだけじゃできないことってたくさんありますし。まあ……見聞を広めるためでもありますが、ちょっとやりたいことがあったというか……」
「あ……す、すみません、深入りするようなことを。お話しできないことなら……」
「あっいやいや、そういうわけじゃないんすよ、全然! お気遣いどうも。聞かれて困ることじゃないんすけど、ほんと青臭い理由なんで、改めて人に説明するのがちょっと恥ずかしくって。こう……もっといろんな人の役に立てたらなって思ったんです。ほんとそれだけ。俺も若かったんで……あはは」
「青臭いだなんてそんな、いいことじゃないですか!」
「いやもう、もう、恥ずいんで! さらっと聞き流してください!」
カイル本人は若気の至りだとでも言いたそうに謙遜しているが、その実なにも恥ずかしいことなどない。堂々と胸を張っていい素晴らしい動機だと思う。奇特なことだ。
「騎士団に戻ってくる気はあるんだろう?」
「リラ様が気を利かせて籍を残してくれてるんだし、いつかはね。ただそれがいつになるかまでは、まだ考えてなくて……」
「陛下はただお気に入りを手放したくないだけだろう」
「ありがたいことっすよ、俺のためにそこまでしてくださって」
「……お前の志は立派なものだよ、カイル」
「そうかなあ。実力に関してはそれなりに自信あるけどさ。精神的な面が……いや別に卑屈になってるわけじゃないんだけど、俺って昔から直情的っていうか、ちょっと単純すぎない?」
「お前に対して思慮が浅いと思ったことはほとんどないぞ。お前が授かった加護は、お前自身の善性が引き寄せたものだろう。いかなるときも己を貫けるお前だからこそ得られたものだ」
「……加護?」
雅日は首をかしげる。
「あ、それこそ本当に棚ぼたっす。俺は騎士団を出たあとはあちこち転々としてたんすけど、いつだっけなあ……二、三年くらい前だったと思うんすけど、ある場所で光闇の守護神様にお会いしたんすよ」
「えっ!? こ、光闇の守護神様って……どちらにお住まいなのか、どんなお姿なのか、その存在の一切が謎だと言われている、あの? あのリュミノス=ルナリエル様ですよね?」
「その守護神様っす。口止めされてるんで詳しくは話せないんすけど……ざっくり言うと、旅の途中で小さい女の子を助けたら、それが守護神様で、お礼として加護を授けていただいて」
今の発言で少なくとも光闇の現身が少女の姿であることが露見してしまったわけだが。
「へええ!」
「その加護が俺の錬金術と相性がよくて、それからゴーレムを作れるようになったんす。本当なら、あんなふうに自立して動く使い魔を錬金術で作ることはできないんすけど……あれ? じゃあ俺って錬金術も棚ぼたっていうことになるのかな」
「光闇の加護の影響はもちろんあるだろうが、それもお前の魔力が優れているからであって、その研磨された魔力も、加護も、すべてお前自身が日々の努力で身に着けた実力で得たものだ。ゴーレムを作る術式もお前が自分で組み上げたものだろう。楽して手に入れた力でもないのに、なんでも他人のおかげにするな」
失敗を他人のせいにして叱られるという話はよく聞くが、成功を他人のおかげにして叱られる人を見たのははじめてだ。
「は、はーい……あ、そうだ。話は変わる……っていうか超戻るんすけど、聞いた限りだと雅日さんのお師匠さんってかなり腕のいい魔術師なんすよね?」
「そうですね、師匠は間違いなく天才かと。私はまだその界隈に疎いので、具体的にどのくらいすごいのかはいまいちピンときていないのですが。少なくとも、私のような者が評価することすらおこがましいほどだということは理解しています」
「そ、そこまで言います? こりゃよっぽどすごい人だな……まあでもちょうどよかったです。えっと、実はそのお師匠さんに、ちょっと聞いておいてもらいたいことがあるんすよ。俺は錬金術は使えますけど、別に魔術知識とか魔力学に詳しいわけじゃないんで、よくわからなくて……これなんすけど」
カイルが取り出したのは小さな赤い石だった。山での戦いの中で周囲にばらまいていたものだ。雅日はそれを受け取り、まじまじと眺める。透き通った色の美しい紅玉だ。
「これは、先ほどカイルさんがお使いになっていたものですよね?」
「光闇の加護を授かってから、ちょこちょこ出てくるんすよ、それ。起きたら口の中に入ってたり、手に握ってたり、うがいしてたら口から水と一緒にカランカラーンみたいな――あ! も、もちろんちゃんと洗ってあるんで……」
「大丈夫ですよ」
「それで……魔力が詰まってることはわかるんすよ。俺の魔力ってことも。まとめて袋に入れて部屋の隅に置いてあるんすけど、どんどん増えちゃって、さすがにこのペースで増えると困るというか。今でこそ錬金術に使ってますが……さっきもちらっと言いましたけど、本来だと錬金術ではああいうゴーレムは作れないはずなんすよね。あれも単純な命令に従うだけのもので、生きてるわけじゃないんすけど……」
「どういうことですか?」
「錬金術で生き物を作ることはできない。本来のゴーレムは術者が遠隔で操縦する必要のある人形、いわば数分で瓦解するラジコンのようなものだ。だがカイルのゴーレムは指示を出せば自分で動き、ある程度長時間の活動を可能とする。生き物でこそないものの、ほとんど使い魔のようなものと言っていい」
「群青先生はどのようにお考えですか?」
「二葉くんに最初に話したときは結石って言われたよ」
「け、結石……」
「久しぶりに会いに来たら、いきなり深刻そうな顔で体から石が出てきたと言われたんだぞ。尿路結石の話だと思って当然だろう。オレは医術を扱う者として真剣に相談に乗っただけだ」
「その打ち明け方はたしかに……仕方ないですね」
「カイルの魔力が物質化したものであるのは間違いないが、厳密になんなのかと言われると魔石の……いや、たしかなことは言えないな。だが本来の錬金術とカイルの錬金術、なにが違うのかと言われると、光闇の加護と、この石の有無だ。なぜこのような現象が起きるのかという点に関しては、やはり光闇の守護神、リュミノス=ルナリエルが持つ権能の特性によるものだという結論に収束するだろう」
「その特性とは?」
「光闇の守護神とは、光の守護神リュミノスと闇の守護神ルナリエルの二柱を指していて、この二柱の神は相反する属性を持った表裏一体の存在であり、別のものであり同じもの。ふたつでありひとつ、ひとつでありふたつでもあるものだ」
「えっわからない。ニコイチ……双子? いやでも現身は一人だったよ。二重人格?」
「そのどれでもある。光闇の神は二重神格だ。ではその二面性を有した守護神が持つ特性とはなんだと思う? 東雲」
授業がはじまってしまった。
「ふたつでありひとつ、ひとつでありふたつ。別であり同じもの……相反する属性で、錬金術と相性がよいということは、ええと……分離や分裂、融合、あるいはそれに近いものでしょうか」
「そう、まさしくその分離と融合だ。この特性により、カイルの魔力の一部が結石として外界に分離されたものがこれだ。オレの中ではそれが答えであり、それ以上のものではないと考えている」
「その結石って言うのやめない?」
「とはいえ、やはり正式な名称があるのかどうか、あるとすればいったいこれはなんなのか。今は錬金術の材料に使っているが、他にどういった使い道があるのか。排出のコントロールは可能なのか……わからないことは多い。魔術的な観点から見ればまた別の答えが見つかるかもしれない。お前の師匠の意見を聞いてみるというのは賛成だ」
「わかりました。ロワリアにはまた近いうちに向かう予定ですから、そのときに師匠に見ていただきますね」
受け取った石を荷物に仕舞う。カイルが思い出したように腰を浮かせた。
「話に夢中ですっかり忘れてた。なにか飲み物でも持ってきます、……って言っても水かお茶くらいしかないんすけど。あ、そういえば昼飯まだっすよね? 村のほうに飯屋あるんで、なんか食べに行きましょうか」
「自炊の痕跡が見られないが、戸口で山積みになっている野菜を腐らせる気か? 村の住人たちから分けてもらったものなんだろう」
群青の指摘にカイルの笑顔が引きつる。
「あっ。い、いやあ……一度もやってないわけじゃ、ないん、だけど……や、でもほらっ、野菜は生でも食べれるし! やっぱ素材がいいから! 俺が下手に手を加えるより、そのまま味わうほうがむしろおいしいっていうか……」
「続かないだけだろう」
「はい」
「……カイルさん、普段はどのようなお食事を?」
「朝はそこにある野菜かじって済ませますね。昼と夜は外食が多いっす。たまに山でクマとか猪とか狩ってくることもあるんすけど」
「クマや猪を……」
「下処理の方法は前に二葉くんが教えてくれたんで、それを焼いて……はい、焼きます。自分でなにかするってなるとそれくらいで……」
「味付けは……」
「え?」
「ええ……」
「……お前が料理下手なのは知っていたが、まさか団長以下だったとは……オレがもっとよく見ておくべきだった。セガルが言っていた限界飯というのはこれのことだな」
「俺そんなにヤバい?」
「ひと言で例えるなら破滅だ」
「あ、あの……簡単なものでよければ、なにかお作りしましょうか?」
見かねて申し出る。早乙女家にいたころ、雅日は厨房担当でこそなかったが、知世から手料理を食べたいとせがまれたのをキッカケに、厨房の料理人からしばらく料理を教わっていたことがある。もちろんそれまでも自炊はしていたし、今でもそうだ。それに騎士団でもときどき助っ人として厨房を手伝ったり、訓練中の差し入れにちょっとした軽食を作ることもあるので、料理自体は慣れていると言えるだろう。
「雅日さん、料理できるんすか?」
カイルがぱっと顔を上げ、目を輝かせる。
「一応、人並みには。カイルさんはもう少し……もっと根本的に……まともなお食事をされたほうがよろしいかと……」
「いやあ、わかってはいるんすけど……むずかしくって、いろいろと。生活自体が結構不規則というか、家を空けてることも多いんで。外食以外だと二葉くんが来たときくらいしかまともな飯は食ってないっす」
「群青先生がお料理をなさるんですか?」
「たまに気が向いたら作ってくれたり、余りものとかをおすそ分けしてくれたり。そのおかげで生かされてるって感じっすね。二葉くん料理うまいんで」
「世間一般から見れば普通だ。騎士団に来る前まではともかく、最近は東雲ほど日常的にはしていない」
「いやもう、十分……俺から見れば十分……」
「では群青先生、お手伝いいただけますか?」
「今日はたすきを持ってきていないからあまり手は貸せないが……」
「えーっ! ほんとに作ってくれるんすか!」
「ご迷惑でなければ」
「迷惑なわけ! めちゃくちゃ助かります、ありがとうございます! ありがとうございます!」
カイルが跪きながら手を合わせて拝みはじめるので、思わず笑ってしまった。
「大げさですよ。少しでも栄養があるものをバランスよく食べるようにしてくださいね。偏った食生活はお体に悪いですから」
「俺と結婚してください……」
「それは困ります」
米を炊き、下処理を済ませた状態で保存してあった猪肉を使った肉料理と、野菜をたっぷり使ったスープ。雅日の料理はカイルの口に合ったらしい。食事を済ませたあと、調理の際に使い切ってしまった調味料などを買い足すため、雅日は村に出た。同行するというカイルの提案を断って一人で出かけたのは、群青とカイルが二人で話せる時間を作りたかったからだ。気の置けない友人同士、積もる話もあるだろうし、雅日がいては話しづらいこともあるはずだ。村の中なら安全だという群青の話を信用していたのもある。
市場の場所はわかりやすく、必要なものが買える店についてもカイルから聞いていたため、目的地には迷うことなくすんなりと辿りつくことができた。店は客とも雑談に来ただけの友人ともつかない人々でにぎわっており、村人同士の仲がいいらしいこの村では住人全員が互いの顔をよく覚えているようで、見知らぬ者がやって来た物珍しさからか、周囲からは痛いほどの視線を感じる。店番をしていた初老の女性に見ない顔だと声をかけられたので、群青の同僚であり、後輩としてカイルに挨拶に来た――そう説明すると、一人に伝えただけだというのに、その場にいる全員にあっという間に伝わった。一時間もあれば村中に知れ渡っていそうなほどの伝播速度だ。声をかけられるたびに何度も同じ説明をしなくていいという点では助かるが、即座に情報が広がるため、いつも以上に慎重に発言しなければならないと思うと、なんだか緊張する。
世間話に付き合ううち、住人たちはカイルのことについていろいろと話してくれた。困っている人がいるとすぐに手を差し伸べる心優しい人。この前は転んで怪我をした子どもの手当てをして、家まで運んできてくれた。村に野獣や魔獣の被害が出ると、いつも率先して解決してくれる。重い荷物を載せた荷車が壊れて困っていたら、荷物を運んでくれただけでなく、荷車の修理までしてくれた。屋根の修補を手伝ってくれた。嵐の日に畑の様子を見に行ったお爺さんが行方不明になったとき、見つかるまで暴風雨の中を探しまわってくれた。きちんと食事を摂っているのか心配だ。近くの村が狂暴な魔獣に襲われていると聞くと、即座に駆けつけて退治してくれる。はじめて村に来たとき、彼は山のふもとで倒れていた。当時この村はたびたび飛竜の群れに襲われていたせいで崩壊寸前で、倒れていたカイルを村に運んだときにも飛竜がやってきたが、目を覚ました彼が倒してくれた。子どもたちはみんなカイルに憧れている。村での祭などの行事ごとにはほとんど顔を出さないのが残念だ。カイルにはいつも助けられてばかりだ。彼が村に来てくれて本当によかった。もっと親睦を深めたいが、彼は我々とはどこか一線を引いている印象がある。話しかければ笑顔で応じてくれるし、どんな頼み事も二つ返事で引き受けてくれる、はきはきとした気さくで明るい好青年だというのに、どこか近寄りがたくて踏み込めない。等々。
村人たちは皆一様にカイルを慕い、その功績を褒め称えており、彼の人間性を高く評価しているようだ。そして口をそろえて言うのだ。カイルはまさに英雄だ――と。たしか群青も同じことを言っていたが、雅日の考えすぎだろうか、村人たちの称賛と群青の評価とでは、どこか言葉の色合いが微妙に違っているような気がした。
「手紙にも書いたが、まだ不明瞭なことばかりで鍵に関する情報は少ない。お前も用心しろ」
「うん、気を付けるよ。こっちでもなにかわかったらすぐに知らせる」
日が傾きはじめるより先のころ。戸口で短くやりとりし、カイルに見送られながら雅日と群青は村を去った。朝早くからの長い移動と、援護だけとはいえ初めての戦闘参加。帰るころには疲れで口数も減り、群青はこちらから話しかけた場合は饒舌に答えてくれるが、雅日が黙れば彼も無言になってただ歩いた。
次に雅日が会話を振ったのは、帰りの列車に乗り込んでひと息ついたころだ。
「カイルさんは……結婚願望がおありのようでしたが、お付き合いされている方はいらっしゃらないのですね。村のみなさんから聞いた話だと、カイルさんを慕う女性が何人かいてもおかしくなさそうですのに」
「村人たちがカイルを特別視しすぎているんだろう。あいつはいずれ来る別れに備えて村人たちとは一定の距離をおいているが、それはそれとして村の運営や治安維持には大いに貢献している。その上あいつは見返りを求めない。村であいつがなんて呼ばれているか聞いたか?」
「カイルさんは英雄だと、みなさんおっしゃっていました」
「つまり、とっくに手の届かない存在なんだよ。軽々しく誘惑したり、手を出してはいけない。誰か一人が独占していい存在ではない。英雄カイルの隣にふさわしいのは清廉潔白の聖女のみであると、勝手にそう思い込んでいるから、誰もカイルに近付けない」
「つまり……抜け駆け禁止令が?」
「あってもおかしくはないな。単純に荷が重いというのもある。なんせ相手はこのあたり一帯で英雄として大げさにもてはやされている男だ。多少のあこがれはあっても、では実際に恋人や夫婦として隣を歩けるかと言われると、大抵の者は二の足を踏む」
「プレッシャーは大きいでしょうね」
「それに収入も不安定だ。魔獣討伐の依頼を受けたり、鈴蘭での仕事の報酬もあるから、普通にしていれば不自由なく暮らせるはずだが。あいつは無償で働くことや、差し出された報酬を拒むことも、受け取った報酬をそのままどこかに寄付することも多い。そこに関しては騎士団に戻るか鈴蘭に入れば解決するが、今はまだそのつもりもなさそうだ。あれではまだ当分は結婚できないだろう。贅沢しなければ困窮することはないだろうが、あちこちを転々としているうちは無理だな」
「そ、そうかもしれませんね」
「だが人間性は保証されているし、努力家で胆力もある。英雄という称号も結局はまわりが称賛の言葉として勝手に言っているだけだ。隣にいる者が気負う必要などどこにもない」
群青は腕を組んで冷静に評価を連ねる。
「背が高くてガタイもいい。顔も悪くない。もっとたくさん人助けをしたいがために騎士団を出て行ったような底なしの善人だ。いつでも定職に就ける立場で結婚願望がある以上、いい相手が現れれば腰を落ち着けるだろう。生活力にやや難があるものの、躾ければある程度は改善できる。料理に関してはあきらめたほうがよさそうだが、条件としては案外悪くない相手だ」
じっと雅日を見ている彼の視線に気付くと、群青はふっと笑った。
「いいやつだぞ」
「こ、困りますよ。私には結婚願望も、そもそも恋愛への意欲もありませんから……」
「冗談だ。カイルと結婚するくらいなら陛下の愛人にでもなったほうが、よっぽど平穏で安定した日々を送れるからな」
……どこまでが冗談なのかわからない人だ。
次回は明日、十三時に投稿します。




