10 涓滴、継続なくして大成なし
ひとまず話がついたということで、今度こそ雅日と隊正はリラ国へ帰る手筈となった。外に出ると、もう日が沈みかけている。隊正も雅日も、かなり長い間眠ってしまっていたらしい。屋敷の前にはスーリガが待機しており、今は兵刀と二人でなにか話をしている。隊正は離れたところで静かに佇んでいる。不意に袖が引っ張られ、振り返ると雪理が神妙な面持ちで雅日を見ていた。
「東雲さん。これから先、隊正兄さんと一緒にいることで、あなたはなにかと大変な思いをすると思います。兄さんはあのとおり直情的で暴走しがちだし、ブレーキが利かないような人ですから。いろんなところでトラブルを起こすだろうし、傭兵としての評価は高かったようですが、人としては……兄さんを恨んでいる人も多いと思います。あなたのことは丁重に扱っているみたいですけど、長く一緒にいるうちに態度が変わってくることもあるでしょう」
雅日は黙って彼の話を聞く。首に指の痕が赤く残っているのが見えた。
「でも、……決して悪い人ではないです。力が有り余っていて、凶暴で倫理観もちょっと欠けてますけど、自分の気持ちに正直な人なので、考えていることはわかりやすいと思います。まっすぐに、親身に寄り添ってあげられれば、きっと……その気持ちに応えてくれる人だと、思います。兄さんが家を出てもうかなり長いですし、この十年の間に変わったところもたくさんあるでしょうけど、それでも芯の部分は変わっていないはず。これは兵刀兄さんも同じ気持ちです」
うつむき気味にそう言った雪理は、まっすぐに雅日を見つめなおす。
「知らない土地で迷子になったとき、川で溺れそうになったとき、悪い大人に誘拐されそうになったとき、魔獣に襲われたとき、人に暴力を振るわれそうになったとき。隊正兄さんと兵刀兄さんは、どんなときも、なにがあっても、ときには身を挺してまで、いつも必ず僕たち兄弟を助けてくれた。今ではすっかりすれ違ってしまいましたが、それでも僕はあの二人のことが好きです。だからこそ……いつまでも健やかであってほしい」
「雪理くん……」
「兄さんは野蛮で荒っぽいけど、いい人なんです。まるでヒーローみたいな人だった。……それはきっと今でも変わらない。僕は兄さんの善性を信じてます」
それは、ただ切実に隊正の身を案じる、一人の弟としての言葉だ。
「兄さんのことを、よろしくお願いします」
「……はい。私でお役に立てるかはわかりませんが、精一杯のことをやってみます」
雅日の答えに、雪理は安堵したように小さく微笑むと、思い出したように兵刀を一瞥してから、小声で続けた。
「あ。あと……兵刀兄さんのことなんですけど」
「はい?」
「えっと……なんていうか、兄さんは言ってることはあんなですけど、本当は誰よりも兄さんを心配しているし、ちょっと……気難しいっていうのは違うな、うーん……不器用、っていうか……本人はあれでも気を遣ってるつもりなんですよ。誤解されて当たり前なことしか言わないんですけど」
「誤解?」
「どういうわけか……物事の説明だったりは普通にできるんですけど、思ってることをそのまま口に出すことができない人で。考えていることと実際に口から出る言葉との間に壊滅的なほどの温度差があるんですよね。僕はたまたま早いうちに気付けたんで大丈夫ですけど、兄さんと他の兄さんたちとの不仲の原因のうちの半分は正直そのせいで……と、とにかく、言葉と顔は怖いですけど、本当はすごく優しい人なんです」
「た……たとえば?」
「さっきリラ国の化身が独裁者かもしれないのにどうとかって言っていたじゃないですか。あれは東雲さんを心配してのことです。リラさんに限らず、誰かを手放しに信じすぎるのは危険だということを伝えたかったんでしょう。隊正兄さんのことも、生きていたことを喜んでましたし、無理をしないように呼びかけていました」
「……言ってませんでしたよね?」
「言ってるつもりなんですよ本人は……」
雪理は苦笑しながら肩を落とす。雅日は彼のこれまでの発言の中で冷酷だと思った言葉を思い返してみる。
「……青継さんや雪理くんには殺す価値がない、と言っていたのは?」
「恨むなら俺だけにしろという意味です。あとは、戦えないやつに手を出せばお前の格が落ちるぞってところでしょうね。実際、兄弟の内で、戦闘狂の兄さんとまともに相手ができるのは、同じく戦闘狂の兵刀兄さんだけですから」
「獣に人の話を聞くだけの知能を求めるほうがバカだった……と言っていたのは?」
「お前は昔からやんちゃで人の話を聞くのが苦手だったのを忘れてたよ、くらいの意味です」
「雪理くんに私のことを処理するように言ったのは? あのときは本当に殺されると思ったのですが……」
「それは本当にすみません……事情の説明だったり、怪我の手当てだったり、東雲さんへの対応はすべて僕に任せる、という意味でした」
「もっと痛い目をみないとわからないのか……と言っていたのは」
「あ、それはそのままの意味です」
「な、なんてわかりにくい……」
つまり兵刀の言葉は、たとえば「まだ生きていたとはおどろきだ」は「生きていてよかった」という意味で、雅日に対して「死にたいのか」と言ったのは「危ないからやめろ」あるいは「無理をするな」の意味である……ということだろうか。雪理に確認すると彼はそのとおりだと頷いた。
「すみません、兄弟そろって厄介で……根はいい人なんですよ二人とも……兄さんもたまには素直に通じる言葉が出てくることもありますから」
「混乱してきました……」
「僕はすっかり慣れましたから、兄さんがなんて言いたいのかはすぐにわかるんですけど、さすがに本人の目の前で同時通訳はできないので……」
「が……がんばって訳してみます」
「とりあえず、兄さんには人を罵っているつもりも、見下しているつもりもないです。冷たくしてるつもりもないでしょう。それだけ前提として覚えておいてくれれば、こう……コツとしては言葉の意味を、いや……うん、まあ……、はい……とりあえず、これから僕や兄さんと連絡をとることも増えるでしょうから、慣れてきたらだんだんわかってくるかと……すみません面倒な人で」
これといったコツはないということだろうか。どうしてそこまでややこしい性格になってしまったのか。不器用をこじらせるにも限度がある。雅日が頭を抱えていると、雪理はあわてて手を振った。
「あっ、でも東雲さんは今さっき兄さんの言葉の真意を予想できてましたし、隊正兄さんのこともなだめられたし、才能あると思いますよ!」
「なんの才能ですか……」
「……猛獣使い?」
スーリガと話を終えた兵刀が歩いてくる。
「話はついた。お前たちはリラに帰れ」
「屋敷の損害は……」
「話はついたと言っている、何度も言わせるな。さっさと帰国しろ」
遮るように強くそう告げる兵刀の態度に、雅日は押し黙る。本当にこれも気遣いの意味なのだろうか。雪理が雅日の隣に立ち、小声で補足した。
「賠償については気にするな、これ以上遅くなると危険だから早めに帰ってくれ――という意味です」
「ああ……」
「ケッ、言われなくても帰るわボケが! 行くぞ姫様!」
「隊正、騎士団にはこれから定期的に視察に向かう」
「はあ? ざけんな、来んじゃねえよ。来たらてめえぶっ殺すからな!」
隊正は荒々しく吐き捨てながら正門に向かって歩き出す。兵刀はその背中に向かって投げかけた。
「ならお前がエレスビノまで来るのか? 逃げても無駄だと覚えておけ。俺はお前を地の果てまで追い詰めるぞ」
「早く来い姫様!」
「あ、え、ええ……」
門の外で待っている隊正のもとへ小走りで駆け寄ろうとした瞬間、うしろから肩を掴まれた。兵刀だ。雅日が振り返ると、兵刀はなにか伝えようと口を開いたものの、バツが悪そうに目を反らし、そのまま黙り込んでしまう。数秒の間のあとに、隊正には聞こえない声量で呟いた。
「……怪我をさせるつもりはなかった。巻き込んですまない。……弟を頼む」
それだけ簡潔に告げ、兵刀は早足に去っていった。雪理は雅日に軽く頭を下げると、急いでそのうしろを追いかけていく。
「それじゃあ東雲さん、そういうことなので、また近いうちに!」
雅日はしばらくの間ぽかんとしていたが、再び隊正から呼びかけられて我に返った。急いで彼に追いつき、帰路につく。たしかに雪理の言うことは正しいのかもしれない。兵刀は雅日が思っていたほど冷徹な男ではないようだ。一度優しい言葉を聞いただけでそう思ってしまうのは、あまりにも単純すぎるだろうか。
*
「陛下とは話したのか?」
セレイア国から帰国した翌日、頼まれていた書類整理が思いのほか早く終わったころ。撫子から受けた助言のとおり、群青に魔力操作の練習の付き添いを頼むと、雅日の脈を測りながら不意に群青が言った。雅日は頷く。
「はい、帰ってきてすぐに部屋で休みましたが、その前に。騙すようなことをしてすまなかったと」
「オレには関係ないしどうでもいいことだが、妥当な判断だったと思うぞ。お前はなにも知らないまま、隊正とともに騙されてやるべきだった」
群青は雅日の手首から指を離す。
「……隊正への安定剤の投与を頼まれたそうだな。具体的なことはまだ保留ということになったと聞いているが、なぜ即決しなかったんだ?」
セレイア国であの兄弟とどのようなやりとりがあったのか、おおまかなことは把握しているらしい。リラが話したのか、雪理と連絡を取り合っているのかはわからないが。
「雪理くんと兵刀さんにもお話ししましたが、私が決めていいことではないからです。魔力不全という体質に向き合わなければならないのも、安定剤を使うのも隊正くんです。本人が納得しないのであれば、私は彼に安定剤を使うつもりはありません」
「あいつが今さら納得するとは思えないが」
「もちろん安定剤を使ったほうが、隊正くん自身も楽になるでしょうし、騎士団での怪我人や訓練用武器の修理費も、あらゆる面で都合がよいことは理解しています。隊正くんが倒れたら対応するのは医療班のみなさんでしょうし。本人の意思にかかわらず使うべきであるという意見があることも承知の上です」
「隊正が安定剤を使うことで得られる利をわかっていながら、隊正の意思を優先するのか」
「……隊正くんが安定剤を使いたがらないのには理由があります。注射が嫌いだという以外の、です。もちろん、注射が嫌だからというのも理由のひとつだとは思いますが、それが主な理由ではないと思いました」
「ほう?」
「ですから、まずは彼の体質について本人とじっくり話し合う時間が必要だと思いまして。本当の理由が別にあるのなら、理解する必要があります。たとえそれが第三者にとっては大したことのないように聞こえる理由だったとしても、彼にとってはとても重要なことでしょうから。もっとも、雪理くんたちですら知らない事情ですから、私が知ってもいいことなのか、そもそも私に話してくれるのか……という問題はありますが」
「結果として隊正が安定剤を使ったほうが都合はいいが、現状維持のままでも騎士団が崩壊するような事態にはならない。困るやつもいるだろうが、医療班が困ることはない。オレにとってはどうでもいい。魔力不全への対処についての決定権はお前にあるのだから思うようにやってみるといい。なに、悪い結果にはならないだろう。お前なら大丈夫だ」
「はい、ありがとうございます」
「あいつのような規格外の存在がいたほうが、ただの訓練にも緊張感が生まれる。訓練用の武器は知ってのとおり木製で先が丸くなっているから、よほどの使い方をしなければ致命傷にはならない。隊正であればそれでも人を殺せるが、それで致命傷を負わされる程度の実力しか持たない者は、そもそもここの騎士にはなれない」
「それは、そうかもしれませんが」
「旅行はどうだった? 最終日こそ散々な目にあっただろうが、それ以外は予定通り観光にあてられたんだろう」
「とても楽しかったです。噂どおり……いえ、噂以上の治安の悪さで油断ならない土地でしたが、隊正くんが一緒だったので。群青先生はセレイアに行かれたことは?」
「仕事で何度か。観光目的という意味でなら一度もない。あそこで見られるのは、お家芸の宗教戦争と観光用にあつらえた小綺麗な教会くらいのものだろう。宗教大国の名は伊達ではない。正派はともかく、あそこはそれ以外の邪派が多すぎる」
正派とは守護神を信仰する宗教のことで、守護神教とも呼ばれている。炎神スーリガ、水神ポルテナース、地神ローレンス、風神ベルヴラッド、光闇神リュミノス=ルナリエル――これらの神々は、創造神ロドリアゼルが天地を創造したのちに役割に合わせて自らの権能を分断し、六柱の守護神となったのちの存在だと言い伝えられている。守護神はつまり創造神と同義であり、複数の神でありながら唯一神であるという特殊な存在で、そのため守護神教は唯一神教でありながら単一神教でもあるのだ。
正派では各大陸ごとに信仰する守護神が分かれており、その土地で信仰されている守護神とは別の守護神を信仰の対象としている場合、そのことを公言することなく、ひっそり信仰するべしという暗黙のルールがある。というより、隠しておくほうが安全で無難なのだ。信仰自体は黙認されている場合がほとんどだが、厳しいところでは他大陸を本拠地とする守護神に信仰を捧げることを禁忌とする地域もあるらしい。正派の教会は国家公認の下で運営されており、正派とは、正真正銘、正規のもの、という意味でもある。
一方、群青が言った邪派とは守護神以外のなにかを信仰対象として掲げている宗教のことだ。たとえば歴史上で偉業を成し遂げた英雄、偉人、救世主や聖女と呼ばれるような人物の功績を称えるものであったり、その土地で信じられている神格生物であったり、その他にも独自の信仰対象が存在する。残念ながらこれらの宗教は正派のように国からの認可を得ることができないため、非正規の宗派として活動せざるを得ない。一般的には民間宗教や土着教というふうに呼ばれており、邪派と呼ぶのは蔑視の意味合いが強く差別的だ。怪しいカルト団体や悪徳宗教を指す言葉としても邪派という言葉が使われており、むしろ現代ではそちらの意味合いのほうが強く込められているため、真面目な民間宗教や土着教までひとくくりにして邪派と呼ぶのは侮辱にあたるのだ。群青はときどき教会に通っているようなので、宗教嫌いの無神論者なのではない。正派以外を認めない、いわゆる邪派否定主義者なのだろう。そういう者も珍しくはない。どうあれ彼の前で宗教に関連する話はしないほうがよさそうだ。
「……魔力の状態は徐々によくなってきている。循環速度は一定の速度で安定しているし、速度自体もほんの少しずつだが日に日に上昇しているな」
「でも肝心の魔力操作がうまくいかなくて」
「循環速度が上がっているということは、無意識に魔力操作ができているということ。それを自分の意思で自在に操れるようになるには、わかっているだろうが魔力が動く感覚をまず自覚しなければならない。逆に言うと、その感覚さえ理解すればすぐに実戦で使える程度になれる」
「その魔力が動く感覚をつかむには、どうすればよいのでしょうか」
「お前がやっている方法が世間的に見ても主流なやり方だが、それでできないようなら他のやり方を試してみてもいいだろう。ただ……後天的に覚醒する能力者の大多数は、命の危機に瀕した際に能力が発動する場合が多いという統計が出ている。防衛本能が魔力の活性化を促し、それによって魔力を動かしたということだ。それによって身体が魔力の感覚を覚える。それは空者であるお前も同じだ」
「……せ、戦場に、行けと?」
「話は最後まで聞け。お前は兵刀と隊正の戦いを間近で見て、隊正が敗れる姿と、生命の危機に追い詰められる経験をした。結果的にそれは勘違いで済んだわけだが、それは防衛本能を叩き起こすには十分な環境だ。これまでどおりの方法でやってみろ。今のお前にならできるはずだ」
群青にそう促され、雅日は半信半疑で自分の胸に手を添えた。いつも自分の部屋でしているときと同じように、まず心臓の脈動を――。
「……あれ?」
自分自身の体内に意識を向けた途端、心臓の脈動より先に、別のなにかが全身をめぐっている感覚に意識が向いた。今までの練習で、やっとの思いで感じ取っていた不明瞭で微弱な感覚とは明らかに違う、琴琶の魔法薬を飲んだときに感じられたものよりも、よりはっきりとした感覚だ。自分の体内をくまなく駆けめぐるものがあるという確信が胸を打つ。琴琶の循環速度には遠く及ばないが、たしかに彼女から魔力を注がれたときと同じ感覚だ。だがあのときのように苦しくはない。身体が魔力に慣れたのだろう。
「結局、一番効果的なのは実践経験を積むことだ。ようやくスタートラインに立てたな。これからは簡単な術式くらいはすぐに扱えるようになる。精度を上げるにはさらなる鍛錬が必要だが、最低限の条件はそろったと言っていい」
「そんなにすぐにできるものなのですか?」
「言ったろう、魔力の状態がいいからだ。だからといって気を抜かないこと。すぐに扱えるといっても、決して簡単なことではない。お前はまだ魔術師を目指すための土俵に立っただけで、日々の修練を怠ってはいけない。これからはよりいっそう精進しなさい」
「は、はい」
雅日は背筋を伸ばして返事をする。群青はなにかを思い出したように顔を上げた。
「そういえば団長から聞いたが、カイルに会いたいそうだな」
「あ、はい。みなさんの記録をつけることも私のお仕事のうちですので。休職中とお聞きしていますが、いつか騎士団にお戻りになられたときのためにも、一度ご挨拶をしておきたいと。ですが団長さんはカイルさんがどちらにお住まいなのかご存知ないそうで……」
「団長だけでなくほとんどの者はカイルがどこにいるのかを把握できていない。あいつは騎士団を出てから長いことあちこちをうろうろしているからな。今はひとつの村に留まっているが、そこもいつ旅立つか……」
「群青先生はカイルさんがどちらにいらっしゃるのかをご存知なのですよね?」
「ああ、移動するたびにオレに便りを寄越すからな。そうでなくても日ごろから手紙のやりとりをしている」
「群青先生から見て、カイルさんはどのようなお方ですか?」
撫子はカイルを明るく優しい好青年だと言っていたが、より親しい間柄である群青からならより詳しいことを知っているだろう。
「そうだな、あいつは……」
群青は数秒黙って考え込み、ひと言だけ答えた。
「英雄だ」
「……英雄?」
「近々会いに行くつもりだから、あいつに会いたければ同行するといい。詳しい日程は追って知らせよう」
「あ、はい、よろしくおねがいします」
医務室をあとにして、訓練場のほうへ向かうと、その途中で撫子と鉢合わせた。撫子のうしろには十九歳くらいの少女が二人並んで歩いており、一人は肩までの青髪に暗い赤目を持つ真面目そうな少女で、彼女に肩を借りながら歩くもう一人の少女は足を怪我しているようだ。ゆるくウェーブのかかったブロンドの長い髪をうしろで結った、気品のある少女だ。三人で話しながら歩いていたところ、撫子が雅日に気付いた。
「雅日」
「撫子、今日のお稽古はおしまい?」
「というより中断。リジェが怪我をしたから医務室に」
言いながら、撫子はうしろにいるブロンド髪の少女をちらりと見る。リジェと呼ばれる彼女は華奢で可憐な容姿をしており、雅日よりもよっぽどお姫様という呼び名が似合う上品な振る舞いの少女だ。雅日はもののたとえとして隊正から姫様と呼ばれているが、ただでさえ恥ずかしいその呼称が、彼女の前でだとよりいっそう恥ずかしい。撫子から聞いた話によると、本当にどこかの立派な家柄のお嬢様なのだが、どういうわけか騎士を目指すようになり、実力で試験に合格して入団してきた期待の大型新人だ。トラブルを避けるために身許を隠しており、名前についてもリジェというのは愛称で、初対面のときはエリゼと名乗っていたが、たしかそちらも本名ではないと聞いている。
青髪の少女は呉霧緋色。リジェと同じく今年から入団してきた新米騎士だ。もともとは修道女だったらしく、いつも十字架のブレスレットを肌身離さず持っている。同年代の同期ということもあってリジェとは仲がよく、なにかと行動をともにしている。緋色は雅日に気付くとぺこりと頭をさげた。リジェも緋色に支えられながらお辞儀をする。
「ごきげんよう、雅日おねえさま」
「ご、ごきげんよう、リジェさん。このところ毎日のようにお怪我をされていますね、お体は大事になさってください」
「まあ、お気遣いありがとうございます。ですが心配には及びませんわ。わたくしはこう見えてとても丈夫ですのよ、このくらいの怪我はすぐに治ります」
「そういう問題ではありませんよ」
「リジェ、すぐ治るからって怪我をしていいわけじゃない」
撫子の言葉にリジェはしゅんとなってうつむいた。
「はい……撫子おねえさま。リジェはもっと精進いたします」
「精進というか……隊正先輩に挑むのは、やめておいたほうがいいと思うわ」
緋色が言う。そう、リジェは訓練場で隊正の姿を見かけるといつも稽古をつけてくれと挑むのだ。あの隊正がそれを拒むはずもなく、稽古というより手合わせになるのだが、そのたびにリジェは負けを重ねている。隊正は誰が相手でも全力でかかっていくため、そのうち本当にリジェが殺されてしまうのではないかと、まわりで見ている騎士たちは気が気でない。雅日も、毎度のごとく隊正に手合わせを迫るリジェを止めようとはするのだが、彼女はまわりの制止を振り切って果敢に挑んでいっては、隊正の斧に吹き飛ばされている。今となっては、リジェが無事に生きて帰ってくるよう祈ることしかできない。
「ですが、他の先輩方はわたくしや緋色のお相手をなさる際に、露骨なほどの手心をお加えになりますわ。それではお稽古になりませんもの。その点、隊正さまは一切の手加減をなさいません。わたくしとしてはそちらのほうがありがたいですわ」
「稽古になってないなんてことない。みんなはリジェたちの今の実力に合わせて稽古をつけてる。でも隊正は手加減ができない。訓練用の木製武器でも、隊正の攻撃がもろに当たれば骨くらい簡単に持っていかれる。セガルは二年前、甲冑越しに足の骨を砕かれて、もう少しで二度と歩けなくなるところだった。団長が止めなければ危なかった。むしろ隊正のほうが稽古になってない」
「つまり、本当に危なくなれば団長さまがお助けくださるということですのね」
「こら。なにもわかってない」
「リジェさんが鍛錬に熱心でいらっしゃるのは、とてもよいことだとは思いますが……あまりご無理をされてはいけませんよ」
「ご忠告痛み入ります、肝に銘じておきますわ」
本当にわかっているのだろうか。雅日が苦笑していると、撫子が思い出したように切り出した。
「そうだ、雅日。言おうと思ってた。私たちはよく午後にお茶会をする。よかったら雅日も来て」
「お茶会?」
雅日が問い返すと緋色が頷く。
「女性騎士限定、男子禁制のお茶会です。決まった日時があるわけではないので、次がいつになるかはわかりませんが、週に何度か。もちろん出席義務はありません。来れそうな人は気が向いたら、という気軽な集まりですから、雅日さんも気が向いたらぜひ」
「ええ、ええ! ぜひいらしてくださいな!」
「女性部隊に昔からある習慣のようなものでしょうか」
「いいえ、恒例となったのはつい最近のことですわ。もともとはわたくしと緋色の二人だけだったのを、他の方にもお声がけするようになって。今では光栄なことに、女性部隊の交流の場としてリラ様公認の会となっていますのよ」
「そう。ときどきだけど、リラ様も来られる。もちろん蘇芳は撒いてお忍びで。寮の一室をお茶会のための部屋として使っていい許可も出てるの。それまでは中庭でしてたから、雨が降ったら中止になってた」
「お茶会専用のお部屋ということですか? すごいですね……」
「女性騎士は数が少ない。仲間同士は仲がいいほうがいい。おもしろい話も、ためになる話も聞ける。悩みも相談できる。おいしいお菓子も食べられる。緋色が焼いたクッキーはおいしい」
おそらく最後のが撫子がお茶会に参加している主な理由だろう。撫子に褒められて緋色は少しうれしそうだ。
「雅日さんは騎士団に来られてからずっと、なにかとお忙しそうでしたから、騎士団での生活にもう少しゆとりができたころに声をおかけしようと、リジェや撫子隊長と話し合っていたのです」
「鍛錬の息抜きにちょっとお喋りに来るくらいの感覚でいいような会だから、遊びに来てみて。やるときはまた知らせる」
「ありがとう。それじゃあ都合がつきそうだったら、ぜひお邪魔させていただくわ」
次回は明日、十三時に投稿します。




