動物兵器
ゆっくりは一般に、体の大きさの割には大食いな事で知られている。好みの問題は置いておくとすれば、雑食であり、非常に多くの種類の物を食用とする事が出来る。
食物の消化の仕方も他の動物とは大きく違い、どちらかと言えば単細胞生物や原生生物の細胞内消化に似ている。但し、その消化原理は謎で、これも『魔法』の類と言える。
ゆっくりは、体内に取り込んだ有機物の殆どと一部の無機物を餡子に変換し、それをそのまま体の構成要素とする。
ゆっくりの食に関しては、甘い物を好むという事も広く知られているが、これは消化可能な有機物の代表格とも言えるショ糖を、本能的に積極的に摂取しようとしているのではないかとも言われている。
ただ、味覚自体はほぼ全身に有り、不快な味覚刺激(個体差もあり程度にもよるが、多くの場合は酸味や辛味、苦味など)が与えられると、ストレス、つまり、『不快な記憶』を作る原因となる。
消化出来ない物や不快刺激物質が体内に入った場合は、それら体外に排泄しようとするが、それが大き過ぎたりしてうまく体内を移動させられなかったり、餡子同士の交信を阻害するような状態が続くと、それが原因で重篤な事態に陥る事がある。
また、消化の速度、つまり、餡子への変換速度はそれほど速いわけではない。そのため、生きたままの虫などを飲み込んだ場合、体の内側から食い荒らされて死に至るケースもある。
この餡子へ変換する能力に関しては、人間にとって有効に利用出来ないかと色々と研究された事があった。
しかし、餡子にして欲しいものをゆっくりが喜んで食べるとは限らず、その用途にゆっくりを使うには、まず、ゆっくりの性質、性格を変えるという厄介な作業をしなければならないという事が分かると、この用途への研究は下火になってしまった。
ただ、ゆっくりの食に関しては、別の面でも研究が為されていた。
ゆっくりが生活するには、その行動パターンからして、一日に体重1kgあたり約50kcalが必要だと思われている。
しかし、ある研究者が、摂取した餌と、体重、排泄物、運動量を調べたところ、どうにも計算が合わない事に気が付いた。
そこで、その研究者は、ゆっくりに餡子を食べさせ続けてみた。すると、摂取した餡子の量と、排泄された餡子の量が同じで、体重も変わらないという結果になったのだ。しかも、排泄された餡子は摂取した餡子に比べて、わずかに酸化していただけだった。
この酸化量ではゆっくりの生活は賄えられるとは考えられず、単に自然酸化しただけだという結論になったが、そうなると、ゆっくりが生きるためのエネルギーはどこから来ているのか?という疑問が持ち上がってきた。
そもそも、起源も原理も人類の知識を超越してしまっている不思議饅頭に、今更そういった疑問を持つ事も妙に思えるのだが、それでも疑問は疑問だったのだ。
色々な実験などが行われたが、それでも人類は仮説にまでしか辿り着けなかった。それでも一応出たそれなりの仮説というのは、ゆっくりのエネルギーは質量欠損によって賄われているのだろうという事だった。
方法自体はまさに謎だらけの『魔法』ではあったが、仮にその説が正しいとすると、ゆっくりが一日生活エネルギーを賄うには、体重の僅か約四千億分の一だけを減少させればよい事になり、つまりは、飲まず喰わずでも排泄さえしなければ、ほぼ永久に生きていられる計算になるのだ。
実際には、そんな事をしようとしても、食欲と排泄欲を阻害されたゆっくりは、ほぼ間違いなく『非ゆっくり症』によって死んでしまうだろうから(つまり、ゆっくりに『餓死』は厳密には存在せず、その実態は『非ゆっくり症による死亡』なのだ)、現実的な話とは言えないものの、理論上ではそういったとんでもない事になるのだった。
常温小規模での質量欠損によるエネルギー変換は、現代科学での夢のエネルギー獲得法であり、人間の手で実現出来れば世のエネルギー問題は殆ど解決出来るという代物だった。それ故、研究者達は盛んにゆっくりのエネルギー獲得法を研究し始めた。
しかし、今現在に至るまで、その方法を解明は出来ていないのだった。
戦争の基本は物量である。質より量というのが戦争の鉄則である。これは、過去から現在に至るまで、そして恐らく、未来になっても変わらない事だろう。
勿論私達には、町、と言うか、人間の財産を極力守らなければならない、そして取り返さなければならない、というハンディキャップはあるが、それでも、これだけの数のゆっくりがいるのでなければ、私達が苦戦するはずもなかった。
一対一では人間の相手にならないようなゆっくりであっても、数が一対百ともなれば必ず勝てるとも言い切れない。ましてや、攻撃精神旺盛なゆっくりともなればなおさらの事だ。
さっきはハンディキャップと言ったが、町や施設といった拠点を極力被害を与えないように奪取というのも、人間同士の戦争でもよくある話だ。そもそも、町をゆっくり共に乗っ取られた時点で、緒戦は人間の負けだったのだ。
町を取り返すためには、途中の手段は色々と考えられるが、最終的には歩兵、つまり今回の場合は私達が乗り込んでいって制圧するしかない。これもやはり、時代が違っても変わらない事だ。
どんな高威力の兵器で敵の防御を破ろうが、最終的に制圧、占領するのはやはり歩兵でしかない。『戦車は戦場の女王、歩兵は戦場の王』と言われる所以だ。
(※注:『戦車は戦場の女王、歩兵は戦場の王』陸戦をチェスに例えた言葉。戦車は最強の攻撃力を持つが、その有無は勝敗には関係ない。勝敗を決めるのは歩兵であるという意味)
いつになるか、どんな状況でかは、まだ分からない。
ただ私達は必ず、この足であの町に入り、この手でその最後の一匹のゆっくりを叩き潰さなければならないのだ。
昔から人類は、動物を兵器として利用しようとしていた。
生物兵器といっても細菌兵器などは極端な例であり、動物兵器の概念とは別なのだが、兵士を使い捨てる代わりに動物を使おうという考えが出てきたのは、決して突飛な発想とも言い切れない。
犬爆弾とかイルカ爆弾とか、知らない人が見たら、馬鹿げているし非人道的だと批難するだろう。でも、兵士に爆弾を背負わせて敵陣に突っ込ませるのと比べてどちらが非人道的かと言われれば疑問だし、それを突き詰めていくと、そもそも非人道的ではない兵器というのがどれぐらいあるのかという不毛な議論に至る事になる。
動物兵器が非人道的だという批難に対する答えの一つは、精密誘導兵器だった。しかし、精密誘導兵器は非常に高価なため、軍部などは安価に供給出来る動物兵器の可能性を未だに捨て切っていないのだ。
その点において、ゆっくりを軍用に使おうという発想は、どちらかと言えば出て来て当然のものだった。ゆっくりは知能が高く、安価にいくらでも供給が可能だったからだ。
しかし、ゆっくりを他の動物兵器のように使うには、種々の問題が存在していた。
それは、体の脆弱性以上の問題以上に、高度な知能を持つが故の感情の制御の問題が大きかった。
普通、ゆっくりは自分がゆっくり出来ない事はしたがらない。それは、少しでもゆっくりの生態を知っている者は当然のように知っている事だ。
つまり、ゆっくりを軍用として使うには、ゆっくり出来る事を軍事目的とするか、ゆっくり出来ない事でも進んでやるように性格を改造するしかないわけだ。
ゆっくりの性格の改造が困難である事は誰の目にも明らかだったが、それでも、一旦それが作り上げられれば、記憶さえ遺伝されるというゆっくりの遺伝特性のために量産が容易であるという利点から、実験が繰り返されたという。
幸いながら現時点まで、ゆっくりを兵器とする研究が成功したという表立った報告はないし、実際にそういったものを見たという報告もない。
ただ、(ゆっくりに限らず)そうした研究が無くなる事も無いだろうし、他の方法、例えば仮想敵としてゆっくりが軍に使われているという話も、遠くない過去に聞いた事はある。
「努々忘れるな。奴らは生まれついての略奪種族だ。能力はともかく、戦闘本能に関しては我々よりは遥かに上なのだという事を。少なくとも、祖先の半分が農耕民族である我々日本人よりはな」
私達がカイトに編入された後の最初のレクチャーの時に、ゆっくりに関して隊長に言われた言葉だ。以後、出撃前のブリーフィングでは、ほぼ毎回のように同じような事を言われる。それぐらいに、肝に留めておかなければならない事なのだ。
レクチャーでは、ゆっくりに関する最先端の研究成果も教え込まれる。勿論、敵の性質や対処方法を学ぶためではあるが、併せてゆっくりの変移過程、言わばゆっくりの歴史も教え込まれる。
そしてその中には、人間が関わったためにどれだけゆっくりが悲劇に見舞われたか、どれだけ哀れむべき存在であるかという内容も有る。
排除すべき相手がどれだけ哀れむべき存在であるかを教えるなど、一体何故なのか不思議に思われるかも知れない。しかしカイトでは、ゆっくりは哀れむべき存在だという事を教えた上で、それでも飽くまで排除するように教育されるのだ。
これは何故かというと、もしそれを教えられずに実戦に出向き、さらにもし戦闘中にゆっくりに対して哀れみを感じてしまったら、ほぼ確実に次の瞬間に死が訪れるからだ。
「この町のゆっくりの全てを排除するんだ。そのゆっくりがどんなヤツなのかとか、そんな事を考える必要は無い。余計な事を考えれば、次の瞬間にはお前らが白目を剥いて倒れているのだからな。ゴキブリを叩き潰すのに、そのゴキブリが善良かどうかを考える必要は無いのだ」
隊長の言葉を聞いて、その頃ようやく隊に馴染んできた私は、少しばかり冗談めかして聞いてみた事がある。
「普段からゴキブリを潰さない人は、どうすればいいですか?」
一緒ににレクチャーを受けていた数人がクスクスと笑ったが、隊長はニヤリと笑いながら淀みなく答えた。
「じゃぁ、ゆっくりはゴキブリではなく、ヒメマルカツオブシムシの幼虫という事ならどうだ?」
私は、『ヒメマルカツオブシムシの幼虫』という言葉に思わず反応して目を見開いた。ふと、一緒にレクチャーを受けていたリョウコの方を見ると、やはりギョッとしたような顔をして私の方を見ていた。
その虫の名は、女性だったら大方、嫌な思い出に繋がるはずだ。大事にしていた絹や羊毛の服に、文字通りの虫食い穴を空けられた思い出に。
「ヒメマルカツオブシムシの幼虫は、知らない人は放っておくかも知れないが、研究者は骨格標本作りに利用するだろうし、お気に入りの服に穴を空けられた憶えのある人はムキになって潰すだろう」
一応、知らない人のために、といった調子で説明していた隊長だったが、再び私の方に視線を向けて話し続けた。
「それと同じ事だ。ゆっくりに興味のない人は関わらないだろうが、ペットとして飼っている人もいるだろう。そして、害獣だと知っている人は……、どうするね? シミズ中尉」
私も、今度は即答だった。
「全力を挙げて、叩き潰します」
――――――――――――――――――――