ティータイム
対ゆっくり戦闘が通常の戦闘と大きく異なる原因の一つは、ゆっくりの体の構造にある。
そもそも、銃による攻撃が何故人間や動物に有効かと言えば、循環器を破壊して酸素欠乏を起こさせたり、内臓器官を破壊して機能不全を起こさせるからだ。
しかし、ゆっくりには循環器も内臓も存在しない。当たり前だ。前にも言った通り、ゆっくりの体の構造自体は饅頭そのものなのだ。
銃弾が当たったところで、体に穴が空くだけなのだ。多少は餡子がはみ出るかも知れないし、痛がりもするかも知れないが、殆どの場合、それだけで死ぬ事はない。
フルメタルジャケットではない銃弾を使ったところで、その体の脆さ故に充分なマッシュルーミングを起こさない内に貫通してしまい、小さな穴が空くに過ぎない。むしろ、暴動鎮圧用に使われる開傘式のゴム弾の方が効果的なほどだ。
(※注:『フルメタルジャケット弾』弾芯の鉛を真鍮で被った銃弾。目標命中時の弾丸の変形が少ないので、貫通力が高い代わりに目標組織に対する破壊効果は低い。ハーグ陸戦条約との関係もあるため、戦争で通常使用される銃弾はこの種類。『マッシュルーミング』銃弾が目標に命中した時に、その衝撃によってキノコ状に変形する事。これによって目標内部組織の破壊が大きくなる)
稀にさほど大きくもない外傷によって死ぬ個体もいるが、その原因はよく分かっていない。同じ状況で同じような外傷があっても、稀に死ぬ個体がいるだけで、殆どの個体は死なないという研究結果も有る。
餡子の一部に中枢のような部分が有り、そこが傷付くと死ぬのではないかという仮説も有った。ただ、仮にその通りだとしても、先の研究結果からも分かる通り、中枢部の位置が個体によって違うのだろうし、何よりも人間からしたら、どの部分も餡子にしか過ぎず、そもそも中枢部がどこかという見当さえ付かない。
場合によっては、その体の半分ほどを失っても死なない。痛がり、苦しみはするかも知れないが、少なくとも即死はしない事の方が多いのだ。その点においては、ゆっくりが『脆弱』であるとは言い切れない。
さらには、毒物に対する耐性の高さもある。そもそも心臓も神経も筋肉も血小板も存在しない饅頭なのだから、心臓毒も神経毒も麻痺毒も痙攣毒も溶血毒も効くはずがないのだ。
代わりに辛い物や苦い物を初めとして刺激物を嫌うという性質はあり、摂取量によっては死に至るケースもあるが、これも個体差があり、確実とは言えない。
つまるところ、ゆっくりが『脆弱』なのは体の構造のみであって、生命力自体は他の動物と比べてもとてつもなく強靭なのだ。
結局のところ、ゆっくりを確実に殺す方法としては、バラバラに粉砕するか、グチャグチャに潰すかしかないのだ。
この日の昼に届いた知らせに、私は完全に打ちのめされていた。
カガ軍曹が死んだ。
回復の見込みは無いと頭では理解していたのだが、その同じ頭の片隅に奇跡の可能性を信じていたのだろう。その望みが完全に断ち切られたのだ。
部下を失うのは、これが初めてではない。だが、何度も経験すれば慣れるというものでもない。
そして、慣れて良いというものでもないのだろう。
仮駐屯地の自分の部屋で、一人で休まらない気を休めていると、ドアをノックする音がする。
「ササキ曹長です」
ササキ曹長――リョウコ――の声だった。
「空いてるわよ」
私は落ち込んでいるのを悟られまいと、少しばかり声を張って答えた。と、リョウコがトレードマークのショートボブ(オンザ眉毛)の髪を揺らしながら入ってきた。
慣例とはいえ、『メスゴリラ』という渾名には全くそぐわない体つきをしている。そりゃ、こんな隊にいるぐらいだ。華奢とか小柄とか言うつもりはないが、それでも決して頑丈そうでもないし、特に大きいわけでもない。
「ケイ、お茶淹れてよ。……コーヒーかな?」
左手に提げてきたケーキ箱らしき物を目の前に掲げながら、リョウコが言う。
上官の士官の事を下の名前で呼び捨てにする下士官はそうそういない。だが、今はプライベートだ。
以前はプライベートであっても、先輩で上官だからという理由で敬語を使い続けていた彼女だが、私があまりにも他人行儀なそれを延々と嫌がったので、それほど遠くない過去にようやくそれをやめたのだ。
思い起こせば、学生時代もそうだった。
私と相棒、彼女とその相棒という女四人で、よく一緒にのたくっていたものだ。先輩である私達に対して(当然と言えば当然だが)敬語で接していた彼女達に、私達は「友達付き合いでいいんだから」と言って敬語をやめさせたものだった。その時も、一朝一夕には慣れなかったようだが。
なにせ仮暮らしの部屋だ。大した物が置いてあるわけもない。ましてや、この私の部屋だ。
「インスタントしか無いわよ」
「上等、上等!」
リョウコは、まるで女子高生のような軽口を叩きながら笑顔を浮かべる。見た目も若い彼女の事だから、外国人が見たら本物の女子高生だと思うかも知れないな、と、私は思った。
冷静沈着で、必要があれば上官にだって臆する事なく指示を出す任務中の彼女と、今、目の前にいる朗らかな彼女が同一人物だという事が、未だに信じられない。
ただ、芯の強さという点では変わっていない。
その点では、私よりもむしろ彼女の方が士官向きなのではないかとも思う。
今でこそ狙撃兵をやっているが、いざ指揮を執る必要があれば、百人や二百人ぐらいは率いれる能力の持ち主だし、それ以外にも士官たる資質は十分に有るように見える。
それに関しては、何度か直接本人に「士官になったらどうか?」と言ってみた事がある。ただ、それの答えは毎回「この方が気が楽だから」だった。
この答えの半分は本音かも知れないが、だからといって、彼女が責任から逃れたいと思っているわけではない。少なくとも、残り半分は嘘だ。
彼女は、新米の士官がどれだけ大変な仕事かを知っている。それは、私が士官になりたての頃を見て、一段とそう思ったのかも知れない。それだけに彼女は、新米の士官にとって最大の助けとなるのは先任の経験豊富な下士官だと知っているし、自分がその役目を担う事によって、新米士官に率いられる隊(と、その士官自体)の被害を減らせると信じているのだ。
人にはそれぞれ、担うべき仕事が有るのかも知れない。
私が湯気の立つコーヒーカップ二つをテーブルまで持ってきた頃には、リョウコは既にテーブルの上で(皿を使うのが面倒なので)ケーキ箱を切って開き、その二つのショートケーキの脇にフォークを並べていた。
私とリョウコでテーブルを挟んで向かい合わせで座ると、二人で目の前の危険物の処理を始めた。
悲しい時でもお腹は減る。ましてや、甘い物となれば別腹だ。プラスチックのフォークで食べたからといって、味が落ちるような上等な舌も持ち合わせてはいない。
我ながら単純だとは思うが、自分でも少しは心が落ち着いていくのが分かる。
二人共が二口、三口とケーキを口に運んだ後、口の中にまだ残っている状態でお下品にも私が話を切り出した。
「で、要件は?」
「多分、ご明察よ」
二つ飛びぐらいの答えを、笑顔のリョウコが返す。全く、喰えない女だ。何もかもお見通しというワケだ。
まぁ、それぐらい長い付き合いだし、私の方だって彼女の考える事はそこそこ分かるのだから、しょうがない。だからこそ、こんなような外から聞いたら意味不明な会話が成り立つわけだが。
つまり平たく言えば、私が凹んでいるように見えたのでケツを叩きに来た、という事なのだ。一応、二人で一緒にケーキを食べようという建前で。
そうなのだ。リョウコの前でわざわざ取り繕う必要も無いのだ。
「そんなに顔に出てた?」
ため息をつきながらの私の問いに、リョウコはフォークをくわえたまま少しばかり斜め上に視線をやってから答える。
「他の人が気づいたかどうかは分からないけど、私にはね」
わざとやっているのだろうが、全く要領を得ない。
「……で、お説教?」
「ふふっ……。下士官が士官に対してお説教なんて、そんな人聞きの悪い。友達として、一緒にケーキを食べようと思っただけよ」
確かに、本人の心の問題は本人に解決させるというのは、心理学的にもカウンセリング論的にも間違った方法ではない。
暫くの沈黙。
「ただね……」
ケーキも残り一口分ぐらいになった時、リョウコが再び口を開いた。
「少佐殿は、一番つらい仕事をやってるのよ。ケイだって、やるべき事は分かってるでしょ?」
そうだ。少佐――カイトの隊長――には、指揮官として一番つらい仕事が有るのだった。遺族に宛てて、戦死通知を書くという仕事を。
士官が部下を失った事を悲しむのは構わない。それは部下を大切にしている証であり、それを感じ取った兵士の士気も上がるからだ。
但し、士官が部下を失った事で動揺を見せてはいけない。士官が動揺すれば、それを見た兵士も動揺し、士気が下がるからだ。
分かっている事をわざわざ再認識させられた事に対してなのだが、私は自分に呆れ気味な調子を込めて言った。
「つまり、私は壁に寄りかかって、鼻クソをほじくってろと?」
リョウコは、一応、首を縦に振りながらだが、若干の否定と共に苦笑した。
「美人女性士官は部下の憧れだからねぇ。鼻クソはどうかしら?」
「まぁ、多少ぐらいなら凹んでる姿もいいんじゃない? どこか影の有る方がモテるって言うし」
私の台詞の中の冗談の色合いが強くなってきたのを感じ取ったのか、彼女も安心してケーキの処理を完了し、コーヒーを飲み干してから口元を拭った。
「どうかしらね? 好みに寄るんじゃない?」




