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無血戦争  作者: 瑞原螢
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殺人ゆっくり

 もう一つ、この町のゆっくりが人間にとって危険な理由がある。人の殺し方を覚えてしまった事だ。


 生物には、それぞれ種ごとに得意な攻撃方法がある。それは捕食のためであったり護身のためであったりするし、生得的なものであったり後天的学習によるものであったりするが、概ね、長い進化を経て収束してきたもので、余程の知能がない限りは、自らの考えでその攻撃法を変えようとはしない。


 ゆっくりには四肢が無く、牙も角も爪も無く、歯さえも決して頑丈ではない。それから考えれば、奴らの基本的攻撃法が体重を利した体当たりや踏み付け、押し潰しなのは妥当だと言えるだろう。

 種によって、あるいは、個体によっては、口に何らかの道具(奴らは『武器』と呼ぶだろう)をくわえて攻撃してくるかも知れない。それが刃物であれば、多少危険度が上がるかも知れないが、人間に致命傷を与えるまで斬りつけ続けられるかは疑問だし、人間に対して攻撃をしようとしても、先に駆除される可能性の方が高い。

 いずれにせよゆっくり本来の攻撃法は、少なくとも単独や少数のゆっくり共が行ったところで、人間を死に至らしめるには力不足と言える。

 人間に対して高慢な態度を取り、拒絶されては逆上し、体当たりしては怒りを買って踏み殺されていたゆっくり共は、そこまでの存在だったのだ。


 ところが、何らかの偶然なのか事故なのか、ゆっくりが寝ている人間の鼻と口を塞いでしまったために、その人間が窒息死してしまったという事件が起きた。そして、その当事者か、あるいは、それを目撃したゆっくりは、『人間は窒息すると死ぬ』という事実を知ってしまった。

 『窒息死』という概念がそれまでゆっくり共に無かったのは、ある意味当然とも言える。循環器を持たないゆっくりは、呼吸自体を必要としていないからだ。自分に存在しない概念を想像するのは、それほど簡単な事ではない。

 ただ、偶然にこの知識を得たゆっくりは生き延び、その記憶は次以降の世代へと受け継がれ、同じ知識を持ったゆっくりが増えていった。そしてその中には、人間に対して悪意を持ち、人間を『窒息死』させる事が出来るのではないかと考えるようになったゆっくりも存在した。


 勿論、立っている人間を即座に窒息死させる事など、ゆっくりに可能なはずもない。

 ただ、多くのゆっくりが一度に人間に襲い掛かれば、人間をよろめかせ、転ばせる事も不可能ではない。

 転んだ人間に多くのゆっくりがのしかかれば、押さえつける事も不可能ではない。

 押さえつけた人間の鼻と口か喉を、ゆっくりが自らの体で塞いでしまえば、窒息死させる事も不可能ではない。

 当然、この方法で人間を殺そうとしても、人間がおとなしく殺されるとは考えられない。少なくとも、多くのゆっくりが殺されるだろう。

 かつての利己的なゆっくり共だったら、自分が殺されるかも知れないようなこんな行動を、進んで起こす事はなかっただろう。ただ、この危険なゆっくり共の性格は、かつてのものではないのだ。

 さらに奴らは、人間の寝込みを襲えば、たった一匹のゆっくりでも、そして、場合によっては捨て身の行動でなくても、人間を殺せる事に思い至った。


 最初は、単なる事故だと思われていた。

 夜中に泥酔して公園のベンチで寝ていたらしいサラリーマンの口……、と言うか喉にゆっくりがハマり、共に死亡した状態で発見されたのが始まりだった。

 ただ、家で就寝中の人間が同様な窒息死をしたケースが数件続き、偶然にしてはおかしいと警察が調査を深めた頃、次の事件が起きた。


 人通りが多くないとはいえ、白昼にとある路地で壮年の主婦が数十から三桁に届こうかという数のゆっくりに集団で襲われ、窒息死させられるという事件が起きたのだ。


 人間達は事ここに至ってようやく、ゆっくり共が悪意を持って人間を殺しているのだと認識したのだったが、それでもまだ、一部のゆっくりを駆除するだけで事は解決すると思っていたのだ。

 だが、危険なゆっくりは人間達の想像以上に町に浸透していた。最初は人目につきにくい場所に隠れつつ数を増やしていたのかも知れないが、徐々に数に任せて暴れるようになり、正面切って人間を襲うようになっていたのだった。

 ゆっくり共は確実に勢力範囲を広げ、人間の家を奪って棲家とした者も少なくなくなっていった。


 この町で、比較的早い段階で人間の家がゆっくりに奪われてしまったのには、地域慣習的な問題が関わっていた。近場までなら鍵を掛けないで出掛ける方が、この町の住民としては普通な事だったのだ。

 別に、この地域の住民がおおらかで開放的だったからというわけではない。むしろその逆だ。閉鎖的部落のような感じであり、外部に対しては閉鎖的な分、内輪の結びつきが強い。住民達は互いに良く知っている分、鍵を掛ける事なく近所に出掛ける事が日常となっていたのだ。

 勿論、ただの野生や野良のゆっくりなら、たとえ鍵が掛かっていなくてもドアを開ける事が出来ない可能性は高い。だが、この危険なゆっくり達の発生起源から考えるに、その祖先の内の少なくとも一匹以上の飼いゆっくりがいただろう事と、それなりの知識があっただろう事は想像に難くない。

 ましてや、それに加えて、同一目標のための行動や、群れのための犠牲という概念を手に入れた奴らにとっては、そう難しい事ではなかったのだろう。


 もっとも、数、知識、道具、群れのための行動という種々の力を手に入れてしまった奴らにとっては、たとえ鍵の掛かった家といえども、何らかの手段で侵入する事は出来ない事でもなかった。事実、最終的にはこの町の殆どの建物がゆっくり共の侵入を許し、占拠されてしまったのだ。

 普通のゆっくりが人間に対してする『お家宣言』は、言わば『殺して下さい』宣言のようなものなのだが、この町のゆっくりのそれは、遥かに強烈だった。その家の住民だった人間は、逃げ出すか、殺されるかしかなかったからだ。


 遅すぎた避難勧告が出された後も、(先に話した通り)自ら死地へと飛び込む馬鹿が少なからず存在したせいも有って、人的被害は増えるばかりだった。

 程なく、避難命令が出され、私達が招集された。


 それでも、想定しうる最悪の事態を迎える前に政府が手を打ったのは、幸いだったかも知れない。

 もし、このゆっくり共がさらに人間の倫理観などをより把握し、それを元に人間を攻撃するようになったら、カイトでさえ手出しが出来なくなっていたはずだ。

 手段や実現可能性は分からないが、仮にゆっくりが人質を取り、それを元に人間をナメきった要求をしてきたとしたら、……もう手詰まりなのだ。



 仮駐屯地に戻って武装を解いた私は、それでも戦闘服のまま急いで飛び出した。行かねばならない場所があるのだ。


 そこは、民間の病院の一部を間借りしているのだが、野戦病院としてはかなり上等だ。しかし、好んで何度も通いたいような場所ではない。自分自身の怪我でないならば、特にだ。

 少しばかり先に到着していた隊長と共に、集中治療室へと案内された。集中治療室に入れられているから重体なのだ、などという素人じみた考えをするつもりはないのだが、少なくとも私達自身が発見した時の状況からして、カガ軍曹が軽症だとはとても想像しにくかった。


 隊長と私は、カガ軍曹が横たわっている物々しい医療機器の付いたベッドの横で、軍医の話を聞いていた。

「心臓は動いてはいるけどね……」

 軍医は、カガ軍曹の脳波図が記された紙を見せながら話し続けた。

「聴覚がほんの少しだけ反応しているが、他は全く反応無しだ」

 その図には、軍医が指差している部分にはほんの小さな山が描かれていたが、あとはただ殆ど平らな線が何本も並んでいるだけだった。

「……好きな言葉じゃないが、殆ど植物状態という事だ。……覚悟はしておいてくれ」

 軍医がそれでも、不必要にトーンを落とさないように気を使って喋っているのが分かる。

「わかりました」

 隊長はうなずきながら静かに答えたが、私は奥歯を噛み締めるしか出来なかった。


 心臓が動いているせいか、カガ軍曹の顔色は良い。体も温かい。少々窮屈そうな体勢だが、ただ眠っているように見える。

 しかし、もう殆ど回復の見込みはないのだ。


 残念ながら、この世ではそう簡単に奇跡は起こらない。

 少なくとも、三十六分の一ぐらいの確率では起こらないのだ。


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