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無血戦争  作者: 瑞原螢
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ドクトリン

 町がゆっくり共に占拠されたというニュースが流れた頃、そして、まだ一般人の立入り規制が行われる前、喜び勇んで町へと乗り込んでいった連中がいた。お察しの通り、ゆっくりを虐待するのが趣味の連中だ。

 しかし、彼らは誰一人として戻っては来なかった。正確に言うならば、全てがゆっくり共によって殺されたのだ。

 彼らは趣味でゆっくりを虐待していた。だが、それだけだ。彼らが一度に相手していたゆっくり共は、多くてもせいぜい五匹か十匹程度だ。しかしここでは、多ければ一度に百や千のオーダーを相手しなければならない。ここでやらなければならないのは趣味の虐待ではない。命懸けの戦争なのだ。


 そして、この町にいるゆっくり共は、かつて私達がゆっくりと呼んでいた生物とは明らかに違っていたのだ。


 実際に、ゆっくりはかつてのものより水に強くなっていたり跳躍力が上がっていたりもしたが、これは飽くまで『若干』であり、個体差レベルでは元々有り得たものが全体的にベースアップした程度だった。

 それよりも問題だったのは、その性格、とりわけ、感情に関する部分の変貌だった。


 本来のゆっくりの生物としての弱点は、体の脆弱性以外にもある。それは、その体の脆さと不釣合いな程に高度に発達した感情面だ。

 不必要にプライドが高い。その癖、強欲で利己的でもある。反面、臆病で卑怯でもある。仲間、特に子の死に対しては、多産多死型の生物とは思えないほど嘆き悲しむ。食欲、睡眠欲、性欲の基本三欲に関しては、本能のレベルを遥かに超えて過大な欲求がある。人間の感情の薄ら暗い面の全てを増幅しているかのような感じさえする。

 いずれも、自分達の生存可能性を下げるような、過剰な感情だ。


 そして、本来、生存可能性を上げるためにある『記憶』に関しても、生物としては重大な欠陥があった。

 例えば人間の場合、知識としての記憶の容量は膨大であり、脳を事故で欠損でもしない限りは、一度憶えた事は死ぬまで忘れない。記憶を検索出来なくなる事はあっても、記憶自体が消去される事はないのだ。

 しかし、ゆっくりの場合、記憶は特定の餡子に結び付けられて体内に蓄えられる(但し、その結び付きは餡子同士の交信によって交換されたりするので、常に同じ餡子が同じ記憶と結び付けられているわけではない)。言わば、餡子が『記憶物質』のような役目を兼ねているのだ。なので、怪我や精神的ショックによる嘔吐などで餡子が漏出してしまうと、記憶の一部を永遠に欠損してしまう。そして、ゆっくりが排泄の際に出す餡子も、やはり『記憶物質』の一部なのだ。

 しかも、多くのゆっくりは『不快な記憶』を半ば意図的に排泄する。これは、『不快な記憶』を体内に留めておきたくないという感情の働きによるものと考えられるが、一方で『不快な記憶』の殆どは『危険な状況に遭遇した記憶』であり、生き延びるために重要な情報でもある。これを自ら捨ててしまうのは、まさに自殺行為というわけだ。


 それでも、ゆっくり共は絶滅の危機などは一度も迎えなかった。愚かなほどに死に易くても、それを上回らんばかりの繁殖力があったからだ。


 だが、その生態的バランスを崩したのは――他の多くの生物の場合と同じく――人間だった。

 駆除とか趣味とか、理由は色々とあっただろうが、人間はゆっくり共を殺し続けた。攻撃的で危険だからとか、生意気でムカつくからとかの理由でだ。つまり、『死に易そうな愚かな個体』を次々と殺していったのだ。結果、それ以外、要するに、『死ににくい個体』が生き延びていく事になった。


 ただ、それだけの理由で急激にそうしたゆっくりが増えたわけでもない。ここにもゆっくり独特の性質が関わっていた。


 その一つは、前にも話したゆっくりの世代の短さだ。

 研究者の間では、世代の短い生物は重宝される。突然変異や交配遺伝による形質の変化は子が出来る時に起こり易いので、世代が短い生物ほどその変化を追い易く、研究しやすいからだ。

 突然変異や遺伝の起き方が普通の生物と違うとはいえ、ゆっくりの世代の短さもやはり同じ意味を持っていた。多くの『死に易い』個体が殺される中、より『死ににくい』要素が多く次の世代へと遺伝し、それが世代を重ねる毎に凝縮されていったのだ。


 もう一つは、ゆっくりの独特の遺伝の方法による。

 どんな生物でも、子を作るというのは、自身の一部、もしくは、全体のコピーを作る事であり、それは大なり小なり基本的には変わらない。それは、ゆっくりと言えども同じ事だ。

 ただ、ゆっくりが他の生物と違うのは、記憶の継承という点だ。

 自らのコピーとして子を作るという点においては他の生物と変わりはないのだが、そのコピーされる餡子は、前にも話した通り『記憶物質』を兼ねている。つまり、個体としての記憶の一部も、その子にコピーされるという事になるのだ。

 生まれたての赤ゆっくりが、基本的な動作が出来たり言葉を喋れるのは、そうして生まれながらにして個体としての記憶を持っている事に由来するらしい(但し、そうした記憶を生まれつき持っているにも拘らず、赤ゆっくりの餡子と皮が互いに馴染むまでには多少の時間が掛かる。生まれて間もない赤ゆっくりの行動がおぼつかなかったり、言葉の発声が不完全なのはそのためと言われている)。


 そうして、短い期間にゆっくりは恐るべき変化を遂げていった。少なくとも、この町に立てこもっているゆっくり共は、だ。


 結果として生き残ったゆっくり、つまり、この町のゆっくり共は、感情の希薄なゆっくりだった。それは知的生命としては退化とも言えるものだったが、生き延びるためには正しい進化なのだ。

 利己的な性格が抑えられ、(結果的に)群れのために自己犠牲を惜しまなくなった。恐怖の感情も抑えられ、勇敢に敵に向かって行く。嗜好は抑えられ、不味い食糧や仲間の死体、排泄された餡子でも食べる。食欲自体も抑えられ、少ない食糧でもしぶとく生き延びる。

 もし、これらの変化の内、一部だけを取り出せるのなら、(例えば、嗜好を抑えたゆっくりを生ゴミ処理に使う、など)このゆっくり共は人類にとって役に立つものとなっていただろう。だが、それはかなわぬ事だった。


 社会性昆虫とはまた異なるが、高度な同一目的性を持った昆虫の群れのように変貌していったのだ。


 小説『宇宙の戦士』は人類と擬似蜘蛛生物(巨大な蜘蛛のような生物)の宇宙戦争が描かれている。その中では、頭脳蜘蛛によって操られ、怯えなく敵に向かう兵隊蜘蛛や労働蜘蛛の恐怖が語られている。

(※注:『宇宙の戦士』ロバート・A・ハインラインが1959年に発表した、SF戦争哲学小説。人類と擬似蜘蛛生物(Pseudo-Arachnids)による恒星間戦争が描かれている)

 この擬似蜘蛛生物自体は、旧日本軍の狂気と、それによってもたらされる戦闘力の高さを、畏怖をもって比喩的に表現したものだが、この町のゆっくり共の手ごわさにも通じるものがある。むしろ、頭脳蜘蛛に相当する存在が無いにも関わらず意識の共有が可能という点に関しては、擬似蜘蛛生物よりも恐ろしいと言えるかも知れない。

 ただ幸いなのは、ゆっくり共が私達を輪切りゆで卵のようにしてしまう光線砲などを装備していない事だった。将来的にどうかは知らないが、少なくとも今現在までは。


 それでも、生まれながらにして同じドクトリン(行軍思想)を持っているとなれば、それだけで充分に兵士として優秀な素質を備えていると言える。いかにゆっくり単体の能力が知れていても、その圧倒的な数と浸透したドクトリンは脅威となり得るのだ。


 いずれにせよはっきりしているのは、この町のゆっくり共は、かつて同じ名前で呼ばれていた不思議饅頭とは違うものだという事だ。

 「ゆっくりしていってね」と声を掛けるだけで反射的に返事をしてしまい、その時点までしていた行動を一旦停止してしまうような、間抜けで愚かながらも可愛げも感じられるような存在は、ここには居ない。



 通常、カイトの対ゆっくり作戦はツーマンセルで行われる。こういった部隊の最少作戦行動単位としては、ごく一般的な事だろう。

(※注:『ツーマンセル』二人一組)

 しかし、この日に限っては、それぞれが単独行動だったのだ。

 それは、今回の作戦区域が私達の隊の規模に比べて広過ぎたからだ。そのため、隊形を散開させざるを得なかったのだ。

 それが、カガ軍曹がやられる原因となったのだろうか?


 しかし、これは隊長の判断ミスというわけでもない。そもそも上……と言うか、上の上、つまり、政府の命令に無理があったのだ。

 現場を知らない人間は、ゆっくりの脅威を軽く見ている。これだけ被害が出ている今現在でも、未だにだ。

 運良く、政府の連中が少しでも事の重大さを把握したなら、二度と無茶な命令は出さないだろう。ただ、少なくとも現在までは、政府は何度も同じ間違いを繰り返している。現場の状況を知らないからだ。


 いや、実際には政府には最低限の状況は伝わっているはずだ。意識的にか、あるいは、単に馬鹿なのかは分からないが、連中はゆっくり共をナメ切った対策しか考えようとはしない。

 それでも、組織の人間である私達が、上司である政府に反対する事は出来ない。いや、反対する事は可能だが、現状ではほぼ間違いなく却下されるだけだ。


 だからといって、私達がこの任務を放棄してしまったら、今度はもっと対ゆっくり戦闘の経験の浅い者がこの任務にあてがわれ、被害がより大きくなるだけだ。

 恐らく、カイトの現メンバーの誰もがそう思っているからだろう。この任務を自ら離れようとする者はいなかったのだ。


 あるいは、何らかの手段でマスコミに現状を訴え、うまく世論を誘導できれば、政府の態度を変える事は出来るかも知れないが、現状では私達にはその手段が無いのだ。


 そしてそもそも、ツーマンセルだったらカガ軍曹はやられないで済んだのか? その答えは、恐らくもう永遠に出ない。

 あるいは、ツーマンセルではなかったから、一人がやられただけで済んだのかも知れないという事も……。


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