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無血戦争  作者: 瑞原螢
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駆除

 人間の言語、というか、日本語の、しかもほぼ標準語を操るという点においても、ゆっくりという存在は異質である。


 その言語能力自体が、そもそもどうやって餡子に刻み込まれたかは、もはや知る由もないが、声帯が存在しないゆっくりが声を出すという時点で、驚きに値するだろう。

 声を出す際に口を動かす行為は、人間の発声の模倣行為か、あるいは、単に声の響きを変化させるためのものだと考えられている。実際に、ゆっくりは口を閉じた状態でも発声する事が可能だ。


 ゆっくりの発声は、実は、体の表面を振動させる事によって為されているのだった。その点においては、動物のものよりは昆虫の鳴き声に近いとも言える。

 ただ、発音が不完全とはいえ、日本語を操れるという正確性においては、スピーカー並の精度の機能とも考えられる。


 一方で、音声と同時に、思念波で直接に相手に『声』を伝えているのではないかという説も有ったが、発音の不完全性(特に、赤ゆっくりの場合に顕著)などから疑問が呈され、遮音時の受け手の脳波計測実験などによってその可能性は否定された。

 いや、それは幸いな事だった。耳を塞いでいてもあのゆっくり共の罵詈雑言が聞こえるのだとしたら、それだけでノイローゼになる人間は少なくなかっただろうから。



 この日の私達は、朝早くから全く気楽に(それでも、不発弾だけには注意を払って)弾薬をバラ撒いていた。いや、任務は任務であり、しっかりとこなさなければならないのだが、これまでの戦闘に比べればピクニックのようなものだった。

 この町はもう、電気までも遮断されている。ゆっくりにとっては死の町、と言うか、これから死の町となるのだ。


 実は、ようやくこの町の住民が、その住居を含めた財産の放棄に同意したのだった。それは世論に押されての事だったが、例の記者会見の『私達の目論見』が成功したという事でもあった。

 もっとも放棄と言っても、それを政府が金銭的に補償するのに同意したというだけなのだが。要するに、税金投入だ。

 当然、私達の給料からも税金が天引きされている。それが補償に使われるというのは不愉快な話だし、そもそも、税金を使った弾薬で町を破壊して、その補償にも税金が使われるというのだから、実に馬鹿馬鹿しい話だ。

 とはいえ、ここで弾薬をケチっても給料が変わるわけでもないので、これまでの鬱憤を晴らすかのように遠慮なくバラ撒いているわけだ。


 今回はフォーマンセルでの任務だ。その内二人は通常通りの22式装備、一人が火炎放射器を装備、もう一人が『マスターキー』と火炎放射器用の予備の燃料を携行していた。

(※注:『フォーマンセル』四人一組)

 装備でも分かるかも知れないが、今回のメインは建物ごとの焼き払いだ。一応、引火したゆっくりが走り回るのは好ましくないので、ドアをブチ開けてすぐ目に付くゆっくりは排除するが、隠れている連中を炙り出すような真似はしない。建物ごと丸焼けになって貰うのだ。

 中には炎に包まれていても外に逃げ出そうとするゆっくりがいるかも知れないので、実際にはこの町から外に逃げ出そうとするゆっくりを発見し、殺害する事の方が私達にとっては重要な任務なのだった。

 今までも町の外に出ようとするゆっくりは厳重に監視されていたが、今回はさらに、そして特に、下水道の監視も強化されていた。


 ゆっくりの姿を見かけたら、それが建物の中であろうと遠距離から22式を撃ち込んでいく。今までそんな攻撃を受けた事がないゆっくり共は、それはそれは慌てふためいた事だろう。

 実際に、建物から慌てた様子で飛び出してきては狙撃されて四散するゆっくり共が、結構な数になっていた。


 町ごと焼き払って良いのなら、さすがにゆっくり共にそれほど危険な目に遭わせられる事もない。それで私達にとっては、全く気楽な任務だったのだ。

 消防団などは、町の外への飛び火を警戒して待機している。町の外縁部から隣の町までは比較的太い道路や空き地などを挟んでいて、割と外側には飛び火が起こりにくい環境ではあるが、それでも念のためだ。


「時間よ。始めて」

 定刻が来て私が下令すると、丹念に下ごしらえされた建物に炎が投げ掛けられ、燃え上がる。他のチームも定刻通りに仕事を始めたのか、別の場所でも火の手が上がる。

 炎の外に逃げ出してくるゆっくりがいないかを注意しつつ、次々と建物に火を掛けていく。


 炎が町の外縁部を結ぶ輪を完成させた時、私達はやはり、逃げ出すゆっくりがいないかを警戒しながら撤退していった。



 リョウコを含めて数人の狙撃兵が、逃げ出してくるゆっくりを監視、狙撃するために町の周囲の高い建物に配置されていたが、それ以外の隊員は全員がこの――隣の町の比較的高い――ビルの屋上に居た。


 私達が火を放った場所と、それより少しばかり内側に、次々と爆炎や火柱が上がる。

「オゥ、この重迫中隊は練度が高いな」

 隊長が、感心したような、しかし、軽い調子で声を上げる。

 陸上自衛隊の重迫撃砲中隊の砲撃だ。確かに、感心するほどの正確さで次々と着弾し、榴弾が建物を壊し、焼夷弾が火を放っていく。

(※注:『焼夷弾』目標、及び、目標地域を炎上させる事を目的とした砲弾や爆弾)

 私達は、それを見物しているというワケだ。

 と言っても、全員が私のように暢気に眺めているワケでもない。これが終わったら、再び私達が掃討戦のためにあそこに乗り込むのだ。そのため、何人かは重迫撃砲中隊と連絡を取って発射発数や目標を聞きつつ、着弾位置も記録していて、不発弾があった場合の危険に備えている。


 着弾が少しずつに輪の内側に移動し、炎のドーナツが少しずつ厚くなっていった頃、ふと隊長の方を見ると、一人の陸自隊員と何やら話をしている。

 どうやら、重迫撃砲中隊の二等陸尉らしい。だが、重迫撃砲中隊の観測員は別の建物に陣取っているはずだ。となると、表敬訪問といったところだろうか。


 二尉はひとしきり隊長との話を終えると、少し離れたところで町の様子を眺めていた。私はその横へと近寄る。

「ゆっくり相手に真剣に戦争してるなんて、私達の事が馬鹿みたいに見えるでしょ?」

 私はやや自嘲気味に言ったのだが、二尉はチラリと私の階級章を確認すると相好を崩した。

「いえ、ウチの普通科の連中も、以前戦った時に手ひどくやられましてね……。ご苦労はお察しします」

 少しばかり寂しそうに苦笑しながら言った二尉の言葉に、私も苦笑しかする事が出来なかった。


 迫撃砲弾が止んだ。穴の部分は大分小さくなったが、綺麗なドーナツが揺れている。

 双眼鏡を覗き込むと、ドーナツの穴にあたる部分の中、少しばかり広さのある開豁地に、動くものが見える。どうやら、数匹のゆっくり共らしい。建物を焼き出され、炎に追われ、そこまで逃げてきたのだろう。棲家としていた建物を焼き出されたショックや恐怖からか、まだ無事な建物に再び入り込む気にもならないようだ。ただひたすら、おろおろと逃げ惑っている。


 と、悪魔の羽音がする。私達のような低級悪魔とは違う、翼を生やした悪魔の。

「ヤァ、空自さんも正確だな。誤差十五秒以内ってとこか」

 隊長は空を見上げながら、また感心していた。

 そして、ドーナツの穴は炎で埋め尽くされた。見事な戦略爆撃だ。

(※注:『戦略爆撃』焼夷弾などによって動目標が逃げられる場所を徐々に限定し、逃げ場がなくなったところを集中攻撃して殲滅する爆撃方法)


 小さい町とはいえ、丸々一つが燃えている。大規模な火災が起きているせいか、空には暗い雲が垂れ込め、雨が降り始めた。このぐらいの雨では収まりそうもない炎だが。

 この町のゆっくり共にとっては、穏やかに言えば地獄絵図、もう少しお行儀よく言えば覚めない悪夢といったところだろう。



 さんざん燃やしておいて消火するというのも馬鹿らしい気はするが、さすがに燃え盛っている場所に入って行けるほど、普通の人間は頑丈でも馬鹿でもない。

 私達は掃討戦のために再びこの町に入らなければならないが、それは消火活動が終わってからの事だ。それは私達の仕事ではないし、その間に私達は掃討戦の段取りを確認していた。


 雨は既に上がっていたが、概ね鎮火し、掃討対象地域の有毒ガス濃度が低下し酸素濃度も回復した頃(実際には、こっちの方が残り火よりも重要なのだが)、私達はここでの最後の任務へと向かった。

 木造の建物が圧倒的多数の町だったせいか、町、と言うか、町だったものは、ポツリポツリと見掛けられる瓦礫を別にすれば、文字通りの焼け野原となっていた。

 不発の焼夷弾は一発だけ有ったのだが、これの処理は全く簡単なものだった。

 普通に街中で見つかった不発弾の処理なら、処理場にまで運んでから爆破処理しなければならず、住民の避難に始まる一日掛かりの大作業となる事も少なくない。

 ただこの場合は、単に遠くから22式で狙撃して誘爆させるだけで済んだのだ。町がこの状態だったからならではの事だったが。


 下水道に逃れたゆっくりがいないかを哨戒するために下に潜っていた隊員達と合流し、いよいよ私達は本格的に地上の掃討を始めた。

 奇妙なほど甘い香りの漂うその焼け野原では、既に多くのゆっくりは原形さえとどめなくなって死んでいた。稀に原形を留めているゆっくりも居たが、どれも丸焼きになって動けなくなっていたので、私達は単にそれを叩き潰すだけで事は済んだ。


 多少厄介だったのは、瓦礫の方だった。殆ど全焼している木造の建物の比べて、ゆっくりが瓦礫の下に隠れている可能性は高い。まぁ、これだけの砲爆撃の後だ。隠れていたとしても無事である可能性自体は低いのだが。

 ただ、瓦礫を撤去しながらの掃討自体は出来ないので、最終的な始末は瓦礫を片付ける役の人間に任せる事になる。それでも、可能な限りの掃討はしなければならない。


 掃討を始めてからいくつか目の瓦礫、比較的大きい建物だったと思われるそれを、私を含めて六人の隊員で散開し、囲むようにしながら調べていた時だった。

 何故だか私は、壁の一部だったと思われる瓦礫に寄り掛かっていた鋼板が気になり、そこに近寄った。と、その壁と鋼板の隙間辺りにだろうか、何かの気配を感じる。

 私は銃を負い紐で肩に掛けて両手を空けると、その両手で鋼板を手前に倒すようにしてどけた。

 そこには、一匹の『生きている』れいむ種が居た。

 大きさから考えるに、子れいむと呼ぶべきだろうか。驚いた事に焼けた様子はなく、薄汚れてはいるが、怪我などをしている様子もない。見つかって驚いたのか、ほんの少しの間だけだが、ビクビクと左右を見回していた。


「ゆっくりしていってね!」

 その子れいむは、なけなしの勇気を振り絞ってか、私に視線を向けると精一杯の声で私に『挨拶』をした。

 私は、自分の右眉がピクリと動くのを感じていた。ただ、不要な警戒をさせるべきでもない事も分かっていた。

「ゆっくりしていってね」

 私が冷たい調子で言ったにも拘らず、子れいむはその言葉を聞いて喜んだのか、光るような笑顔になって私に問いを投げ掛けた。

「おねえさんは、ゆっくりできるひと?」

 ただ、子れいむがその答えを聞く事はなかった。次の瞬間にはもう、私の22式の銃床によって地面の染みとなっていたからだ。


 私のマスク越しの声を聞いてか、『おねえさん』だと判断したのは大したものだが、それだけだ。

 ゆっくりの『挨拶』など、この町では初めて聞いたのかも知れない。いわゆる善良な個体というヤツだろうか? 飼いゆっくりか地域ゆっくりだったのだろうか? しかしそれは、私達には関係のない事だ。

 仮に、飼いゆっくり……、つまり、ペットだったとしたら悲劇なのかも知れないが、だとしても、その飼い主はペットを置いて逃げた上に届けも出していないか、もしくは、既にゆっくり共に殺されたかのどちらかだろう。非情な話だが、命の重さは同じではない。それは、人間でも同じ事なのだが。

 そして、私達はこの町の全てのゆっくりの殺害を許可されているし、また、そうする事が任務だ。

 何故なら、どんなに善良な個体だろうが、この町に残っている限り、あの凶暴なゆっくりの苗床になる危険性があるからだ。私達は、可能な限り全ての、ゆっくりによる脅威を排除しなければならない。


 ゴキブリを叩き潰すのに、そのゴキブリが善良かどうかを考える必要は無いのだ。


 私達の最後の任務は、陽が落ちる前には終了した。


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