夜戦
前にも話に出たが、ゆっくりの良く知られた病気に、俗に『非ゆっくり症』と呼ばれているものがある。長期間、もしくは、極度にゆっくり出来ない環境におかれたゆっくりが、ゆっくりしたいという欲求と現実の環境のギャップからストレスを溜め込み、ついには死に至るという病気だ。
実はこれも、『不快な記憶の排泄行為』に関係がある。
ゆっくりは『不快な記憶』を排泄する準備として、無意識にそれを排泄し易い場所へと移動させようとする。しかし、それは餡子自体が体内を移動するわけではなく、記憶の情報のみを隣り合う単位餡子同士の交信によって交換する。そして、この交換を繰り返す事によって排泄予定の餡子にまで『不快な記憶』を移動するのだ。
しかし、『不快な記憶』の発信元の餡子は、隣り合う餡子の持つ『不快な記憶』との交換は拒否する。これ自体は『不快な記憶』を正常に排泄予定の餡子まで送るための機能であり、これが起きた場合には発信元の餡子は、迂回経路として他の隣り合う餡子が使えないかを探すという仕組みになっている。
ただ、あまりに『不快な記憶』が多すぎると、ある『不快な記憶』を持った餡子の周囲の全ての餡子が『不快な記憶』を持っており、記憶の交換が全く不可能となってしまう場合がある。こうなると、その餡子は周囲の餡子との交信(相互刺激)が無くなってしまい、『魔法餡子』としては壊死してしまう。そういった事が連鎖的に起きるのが『非ゆっくり症』と呼ばれるものなのだ。
つまり、『不快な記憶』を排泄しようとする欲求が無かったり、元より『不快な記憶』の存在しない(恵まれているか、欲求の低い)ゆっくりは、『非ゆっくり症』に掛かる事はないのだ。
夜戦というのは、昼間の戦闘とは全く違う。人間というのは視覚に依存する部分が多い生物で、しかもその目はどちらかと言えば昼向きに出来ている。視覚が制限される夜戦は、何かと神経を使うのだ。
視覚が制限される分、音などにも気をつけなければならない。目の使い方から足の運び方、銃の向け方まで、夜戦には夜戦独特の『やり方』があるのだ。それは勿論、味方を攻撃しないようにだったり、敵の不意討ちを受けないようにするためだったりする。
ただ、ゆっくりに対して夜襲を掛けようという話が出てきたのは、奴らが手強いからだった。もしそうでないなら、味方に危険の少ない昼間の駆除の方が良いに決まっているのだから。
その点において、昼行性の生物であるゆっくりに対して寝込みを襲うのが有利と考えるのは当然かも知れない。
しかし、人間相手の場合とは多少勝手が違う。
現代の夜戦の場合、攻撃側は暗視装置を装備する場合が多い。だが、そもそも饅頭であって体温の無いゆっくりに対しては、サーモグラフィはあまり意味が無い。ゆっくりの中には赤外線が見えるゆっくりもいるらしいので、アクティブ赤外線暗視装置を使うと気付かれる危険性もある。
結局、スターライトスコープと、(気付かれた後は、むしろ明るい方が立ち回り易いので)銃に装着するタイプの投光機を使う事に決まった。
(※注:『スターライトスコープ』光を増幅するタイプの暗視装置。可視光の中央域である緑色を増幅させる物が多い)
そもそも夜目が全く利かないわけでもないゆっくりに対して、何故そこまでの面倒を抱えてまで夜襲を掛けようとするかというと、やはりそれも、ゆっくりの性質の問題に関わっていた。
この町のゆっくりは、元々のゆっくりとは欲求の面で大きく異なっている。つまり、欲求が大幅に減少しているのだが、基本三欲(食欲、性欲、睡眠欲)の中でも睡眠欲だけはあまり抑えられていない。それは恐らく、ゆっくりが生物として最も必要としているからなのだろう。
寝込みを襲ってゆっくり共を一網打尽にするという目的以上に、奴らの睡眠を妨害する事が重要なのだった。
実は、ゆっくりも人間と同じく、寝ている間に記憶の整理が行われる(つまり、夢も見るらしい)。人間でも睡眠をひどく妨害されると記憶が混濁したりするが、ゆっくりの場合はさらに深刻な状態を引き起こす。
前に、ゆっくりの餡子は記憶物質であると言ったが、ゆっくりにとっての記憶の整理とは、排泄(不要な記憶の放出)の準備でもあるという事になる。これが睡眠の妨害によって阻害される事は、排泄序列を阻害する事になり、『非ゆっくり症』の発症原因となるのだ。
勿論、この町のゆっくり共の夜間の生態を確認するという意味もあった。夜間に眠っているのが確認出来ればそれも良し、そうでないなら、休息している時間帯を見つけ出し、その時間帯に攻撃を仕掛け、より『非ゆっくり症』を発症し易くするためだ。
こうした戦術自体の即効性は高くないが、手強い相手に対してあらゆる手段を講じて疲弊させ消耗させるというのは、人間同士での戦闘においても基本となる事だ。
あの戦闘――カガ軍曹がやられた日――以来、私達の隊は常に最低でもツーマンセルで行動するようになっていた。厳密には、政府がようやくそうする事を認めたという事なのだが。
そしてあれ以来、ハマモト伍長が私のパートナーとなっている。
通常、小規模な町が敵に占領されたとなれば、外部からのあらゆる物の供給を遮断するのが普通だ。
しかしこの町の場合は、第一目的が可能な限りの財産の保全という事もあって、電気だけは殆どの区域に供給されている。
人間の生活圏では意外に多くの物が、電気が供給されないと保全出来ないのだ。まぁ、今更、冷蔵庫の食品が心配だと言い出す住民はいないだろうが……。
そのためもあって、点いている街灯は少なくないし、――夜間に慌てて逃げ出してきたのだろうか――明かりの点いている家も少なくない。夜戦と呼ぶには、少々奇妙な感じだ。
私とハマモト伍長の今回の目標となる建物は、やや古い趣の残る二階建ての民家だった。作戦の趣旨からしてもそうなのだが、明かりの点いていない、扉の開いている家だ。
門を入ると、比較的大きな両引き戸の玄関が見える。が、片側は既に半分ほど開いた状態だ。外は街灯のお陰で肉眼でもそれなりに見えるが、さすがに家の中は暗い。スターライトスコープを下ろし、突入の準備をする。
私が先頭になって入っていく。突入とは言っても、扉の開いている部分から音を立てないように入る。音を立てないように、なるべく扉自体にも触れずに。ゆっくりが寝ているのなら、それを起こすような真似はしたくないのだ。勿論いつも通り、頭上にも注意を払いながらだ。
玄関を上がると、10m以上はあるだろうか、真っ直ぐにやや長めの廊下がある。突き当たり右には二階への階段がありそうだ。廊下の左側はサッシを隔てて庭になっており、右側は障子を隔てていくつかの部屋になっているようだ。
まずは、奴らがどこに潜んでいるのかを探し出さなければならない。但し、奴らに見つからないようにだ。
人家に対して『お家宣言』したゆっくりというのは、殆どの場合、その家の全てを占有して生活しようとするわけではない。多くの小動物と同じく、一軒家というのはゆっくり共にとっては広過ぎることが多い。そこで、その一部を生活の拠点とするのだ。
稀なケースではあるが、この事を理解している人間とだと、ゆっくりは間借りのような形で平和裏に共存する事があるようだ。もっとも共存とは言っても、人間側にはメリットは殆ど無いのだが。
経験から言うと、ゆっくり共は食糧の近くを拠点としたがり、そして、一旦拠点を決めると、あまりそれを変えたがらない。
となると、現在まだ食糧があるかどうかに関わらず、ゆっくり共が潜んでいる可能性の高い場所は限られてくる。まずは台所、次に食堂か居間といったところだろうか。
事前にこの家の見取り図を入手していたわけでも、私達が不動産屋だというわけでもないのだが、この頃になってくると、家の間取りというのは概ね想像がつくようになっていた。
そして、この場合の台所の位置も恐らく……。
障子には、ゆっくり共のせいか、低い位置にいくつか穴が空いていたが、そもそも最初から開けてあったのか、いくつかの障子は開け放たれている。勿論ここも、極力音を立てないように、その開いている所から右側手前の部屋へと入る。
その和室に入ると、季節柄、炬燵布団は掛かっていないが、今では珍しい掘り炬燵が床の中央に有った。右の壁は書棚のような物になっている。左の襖は、さっきの奥側の障子からも入れるもう一つの部屋に繋がっているのだろう。恐らく、正面奥の開いている引き戸の向こうが台所だろうと推測出来るが、そこに向かうのはまだ後だ。まずはこの部屋を注意深く調べなければならない。
天井に異状は無い。掘り炬燵の中を覗き込む。ゆっくりは見当たらない。が、中には半端な大きさの木箱がその縁際に置かれている。
この掘り炬燵程度の深さなら、成体ゆっくりにとっては充分に跳び出せる程度だろうが、出入りをし易くするため階段として置いたのではないかというのは、容易に想像出来る。ゆっくりは、明らかに近くにいるのだ。
ゆっくりの気配がする。寝息と言うと呼吸を必要としないゆっくりにはそぐわないだろうから、寝言と言うべきか。小さいが、確かに音がしている。
私達は慎重に、掘り炬燵の周りを注意深く観察する。と、この家の主人の物だろうか、掘り炬燵と書棚の間に座布団が敷いてあったのだが、その上に二匹のゆっくりが鎮座ましましていたのだ。
スターライトスコープ越しなので色がよく分からないのだが、成体のれいむ種とまりさ種だろう。互いに寄り添うようにしながら、よく眠っている。私達には全く気がついていないようだ。
人間相手なら大チャンスだが、ゆっくり相手だと即死させるのは難しい。この二匹がこの家に居る最後のゆっくりならばあまり問題は無いが、とてもそうとは思えない。即死させられずにあのやかましい悲鳴を上げられたら、他のゆっくり共に気付かれてしまう。
声を上げられる危険性が一番低い殺し方は、やはり銃床で突き潰す方法だろう。少なくともラムの動作音はさせないで済む。
何故、より棲家として相応しそうな掘り炬燵の中で寝ていなかったのかは分からないが、私達にとっては好都合だった。もしその中に居たのなら、そのまま突き潰すにしても底板が音を立てるだろうし、引きずり出そうとしたら、勿論その時点で騒がれただろう。
私が掘り炬燵を回り込むようにして、奥のれいむの近くに位置を取る。手前側のまりさの近くに立つハマモト伍長と示し合わせ、二人同時にそのゆっくり共に銃床を振り下ろした。
バスッ!
下の座布団とさらにその下の畳のお陰か、それほどの音は立たなかった。ただ、二匹のゆっくり共は声も立てず確実に、座布団を汚す物体に変わり果てていた。
再び部屋の中を注意深く見回す。が、もうこの部屋にはゆっくりは見当たらない。伍長を近くまで呼び寄せてから、奥の部屋の様子をうかがう。どうやら予想通りの台所のようだ。そして何よりも、ここもゆっくりの気配がする。
台所に入って周りを確認するが、ゆっくりは見えない。と、隅に置いてある比較的大きな冷蔵庫の上の天井板がずらされて、穴が空いているのが見える。
人が来る事を警戒しているのか、それとも、寝心地が良いからなのかは分からないが、間違いなく天井裏(と言うか、一階と二階の隙間)にゆっくりがいるのだろう。いや、警戒しているのだったら、座布団で寝ているゆっくり共が居たというのもおかしな話だが……。
この部屋から天井裏に上っているのだとしたら、一体どうやって登っているだろうと、もう一度周りを見回してみる。なるほど、良く出来ている。床に置いてある木箱、椅子、テーブル、ワゴン、流し、出窓、流しの上の棚、冷蔵庫、冷蔵庫の上の木箱と、床から天井に至るまでのルートが、まるで階段と渡り廊下のように出来ていたのだ。
恐らく、その内のいくつかは元からそう置かれていたものだろうが、それでも他のいくつかはゆっくり共が動かし、置いたのだろう。意外と賢く、協調性もあるゆっくり共なのかも知れない。
敵の賢さや練度を知るというのは、戦争においては重要な事だ。ただ、この場合には、これからやろうとしている事にそれほどの影響は無かった。
天井裏と言っても、屋根裏部屋などではなく一階と二階の間の狭い空間だ。ここにガス弾を放り込めば燻されて穴から出てくる可能性が高い。
一番良いのは、冷蔵庫をどけておいて、ゆっくり共のいくらかに勝手に墜落死してもらう事だ。ただ、二人がかりでも、この大きな冷蔵庫を音を立てずに動かせるかどうかは疑問だ。
結局、穴から落ちてくるゆっくり共をラムで始末する事にした。
叩き起こしてから始末するなら、明るい方が作業はし易い。通電しているかは分からないが、台所の照明のスイッチの位置を確認し、そこにハマモト伍長を待機させた。
私は音を立てないように慎重に冷蔵庫の脇に椅子を移動させ、その椅子の上に乗り、唐辛子ガス弾を穴から天井裏へと放り込んだ。
と同時に、私と伍長はスターライトスコープを上げて通常のゴーグル装備にし、銃の投光機を点け、ラムを起動させた。
伍長はさらに照明のスイッチに触れる。運良く、部屋の明かりが点いた。
一瞬の間の後、天井裏は大騒ぎが始まる。
「ゆゆっ? なにかへんだよ?」
あるいは天井裏で寝ていなければ、まだ逃げ道は有ったかも知れないが。
「きもちわるいよぉ!」
「ちくちくするよ?」
「ゆっくりできないぃ!」
うるさくなってきた天井裏とは対照的に、私達は静かに出演者の登場を待つ。
「いそいでゆっくりにげるよっ!」
リーダーシップの強い一匹が言い出したのだろうか。その台詞を皮切りに、穴から次々とゆっくり共が落ちてくる。但し、冷蔵庫の上に落ちた瞬間か、あるいは、落ちる寸前に、私の操るラムに当たって絶命するのだが。
たまに不完全な状態で飛び散ったり撥ねて床に落ちたゆっくりもいたが、それはハマモト伍長が始末していた。
サイズは色々あったが、穴から落ちてくるゆっくりはそう多くない数で打ち止めになった。概ね十数匹というところだろうか。一つの家に立てこもっている数としては多いとは思えない。
念のため、冷蔵庫の上にまで上り、天井板を更にずらし、投光機(つまり、銃)と上半身を天井裏に入れ、中を覗き込む。
中にはやや小さいサイズのゆっくりが二匹残っていた。が、共に既に餡子を大量に吐き出して死んでいる状態だった。
恐らく天井裏で死んでいた二匹はガスだけで死んだものだろうが、逆に考えれば、その他のゆっくり共はそれだけでは死には至らなかったのだ。今や唐辛子ガス弾は、その程度の威力しかなという事だろう。
私達は、その後も一階から順に全ての部屋をしらみ潰しに調べていったが、二階まで全ての部屋と屋根裏に至るまでを調べても、それ以上のゆっくりの姿を見つける事は出来なかった。
多分、幸いと言うべきその状況を、隊長に報告し、本隊に帰投する事となった。
その家を離れる際には玄関や窓などを封鎖し、再びゆっくりに入られにくいようにはしたが、果たしてこれがどれぐらいの役に立つかは、私達自身にも疑問だった。それは根本的な解決法ではないのだ。ゆっくり共をこの町から完全に排除出来ない限りは。
私とハマモト伍長は比較的早く本隊に戻れた部類だったが、他の隊員達の応援要請に備えて待機していた。幸いそのような要請は無く、徐々に任務を終えた隊員達が戻ってきた。
そして何より幸いなことに、軽い怪我をした隊員がいた事を除けば、この日は隊の全員が再び無事に顔を合わせることが出来たのだった。