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無血戦争  作者: 瑞原螢
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生きている饅頭

挿絵(By みてみん)

 全ての新米士官と、愛すべき喰えない下士官に、尊敬と感謝を込めて。


――――――――――――――――――――


 このマスクは嫌いだ。いつまで経っても慣れない。

 マスクの中にこもる息の暑苦しさが嫌だ。息苦しい。

 ハアハアとマスクの中から耳へと響く、自分の呼吸音が嫌だ。いや、そんなものが気にならないぐらい任務に集中していればいいのは分かっている。でも、ふとした隙間の時間に気になるそれは、たまらなく嫌なのだ。


 分かっている。この特殊なマスクが、ゆっくり共から自分の身を守るための頼みの綱だという事は。だから、どんなに嫌でも装着しているのだ。



 人類がゆっくり共相手に本気で戦争をしているなど、ちょっと前まではおよそ考えられなかった事だろう。多少でもその危惧が有ったとするなら、それはそれまで噂の上の話でしかなかったドスゆっくりの放つスパークなる攻撃に対してだろう。

 ただ、実際にそのスパークの威力が検証され、それは人間に直撃したところで、ちょっとした火傷にしかならないという事が分かった時点で、ゆっくり共は人類の脅威たるを得ないと誰もが思ったのだ。

 もっとも、そのスパークの威力がいくら有ったところで、直線でしか攻撃出来ない相手の対処などは人類にはたやすい事だったし、そもそもいくら不思議生物と言われるゆっくりとはいえ、生身の生物がそれほど破壊的なエネルギーを放射出来るはずもないのだった。


 奴らの真の脅威は、そこではなかったのだ。


 いくら潰されても、いくら駆除されても、一向に減っていかない、いや、むしろ増え続けている繁殖力こそが、奴らの最大の武器であり、私達にとっての脅威だったのだ。



 何故、これほどの繁殖力を持つゆっくり共の事を、人類が脅威と思わなかったのか?それは簡単な事だ。奴らはあまりにも脆弱で、死に易いと思われていたからだ。

 ゆっくりが弱い生物だというのは、ある意味で正しい。しかし、一方では正しくはない。

 人間は、ゆっくりの事をナメ過ぎていたのだ。


 一般によく知られている通り、ゆっくりの体の構造自体は、そのまま饅頭と言ってもいい。饅頭の皮であるその外皮は、他のどんな動物の皮膚や外骨格よりも脆弱で、些細な衝撃で破けてしまう。体全体に衝撃や圧力を与えられれば、簡単に破裂してしまう。水に濡れるだけでも、さらにその脆弱性を増す事になる。

 また、他の生物に比べて自己治癒能力(自己認証能力)が極端に低く、ささいな傷でも治癒に長期間掛かったり、生涯治らなかったりする。

 故にゆっくりは、外傷によっていとも簡単に命(……と呼べるのなら、だが)を落としてしまう。よって、生態的寿命も短い。正確な統計は存在しないものの、人里離れて棲む野生のものであれ、町に住む野良のものであれ、生態的平均寿命は長く見積もっても数ヶ月未満、あるいは、数週間程度ではないかと言われている。

(※注:『生態的寿命』実際に生活している状況下での生物の寿命)


 ただ、その生態的寿命の短さにも拘らず、ゆっくりが種の存続の危機に瀕する事は有り得ない。それを上回るペースで子世代が作られているからだ。

 生まれたてのゆっくりは一般的に赤ゆっくりと呼ばれるが、これは慣例的なものに過ぎない。赤ゆっくり、子ゆっくり、成体ゆっくりという区別は、単に生後の経過時間、もしくは、体の大きさを表すだけのものなのだ。

 これが何を意味しているかというと、赤ゆっくりはその体の小ささ故の(体自体や体力の)脆弱さや、慣れ不足による動作の不完全性を除けば、成体と何ら変わらない機能を持っているという事だ。

 実際の例としては、生まれた直後の赤ゆっくりが妊娠出来る事も知られている(但し、赤ゆっくりが妊娠すると、殆どの場合は体力不足によって母子共に死亡する)。


 また、受胎可能期間も限定されておらず、一年中いつでも妊娠する事が可能なのもゆっくりの特徴だろう。これは文字通り『限定されておらず』、たとえ妊娠中であってもさらに受胎し妊娠する、いわゆる『多重妊娠』という、他の動物からは掛け離れた状態を引き起こす事もある(但し程度によるがこれも、過剰に母体の体力を消耗し母子共に死亡するケースが多い)。

 赤ゆっくりの妊娠の例は極端だとしても、平均世代長(生まれてから、子を産むまでの期間)は僅か数週間程度である。これは、一度の妊娠につき数匹を出産するのが普通であるゆっくりにとっては、種を絶やさないには充分な長さの生態的平均寿命を持っているのだという意味になる。


 一方で、研究機関で理想的な環境を与えて飼育されているゆっくりは、事故や自殺行為以外で死亡したケースが無いという。つまり、ゆっくりには老衰は無く、生理的寿命は存在しないという事だ。この点においても、ゆっくりは一般の動物とは掛け離れた存在であると言える。

 つまりは、生き延びているゆっくりは、延々と子世代を増やし続けるという事なのでもある。

(※注:『生理的寿命』生きる上での条件が整った状況下での生物の寿命)



 今回の私達の部隊――カイト(CYT : Counter Yukkuri joint Task force : 対ゆっくり統合機動部隊)――の任務は、完全にゆっくりに占拠されてしまったこの町の、外縁部からゆっくり共を駆逐する事だ。

 勿論、町全体から駆逐出来るならばそれに越した事はない。ただ、一気にそうする事が不可能なのは、馬鹿な上の連中にも理解出来るらしい。


 それは同時に、私達の部隊が充分な規模でない事も意味している。隊の名前が表している通り、この部隊は対ゆっくりの戦闘訓練を受けた『寄せ集め』に過ぎない。それだけ対ゆっくり戦闘というのは通常の戦闘とは違う特殊なもので、一朝一夕に人員を供給出来るようなものではないのだ。

 現時点でこの部隊は、普通の一個小隊にも欠ける程度の人数しかいない。

(※注:『小隊』通常の歩兵などでは、約40~50人程度で編成される)



 もし、ゆっくりを駆逐する目標地域が開豁地なら、さほど問題はない。ゆっくり共に近寄る必要さえなく、遠距離からの射撃で殺害すればいい。有効な飛び道具を持たない相手に対しては、最も安全な手段だ。

(※注:『開豁地』開けた地形。空き地、路上、草原など)

 しかし、森林などでは勝手が違う。丸ごと焼き払っていいのでもなければ、攻撃側が乗り込んでいき近接戦闘を行う必要がある。待ち伏せを受ける危険性のあるそうした戦闘は、たとえどんなに戦力差が有るとしても危険を伴う事だ。ましてや、捨て身で攻撃してくるつもりのある相手ならばなおさらだ。

 市街地ならば、さらに攻撃側の危険は増大する。人間が人間のために作った建物はゆっくり共にとっては十分に大きく、隠れる場所も沢山ある。多少は上下の移動に苦労するかも知れないが、人間を待ち伏せするには格好の物なのだ。


 ゆっくり共には思い至るはずもないだろうが、人間達は自分達が作った町(と言うか、財産そのもの)をゆっくり排除のために破壊するのを好まない。それは人間の欲がなせる業なのだが、現場を知らない能天気な連中が声高に主張しているものでもあり、現場の兵士達の士気を下げる原因ともなっている。

 実際に、自分達の家を守ろうと最後まで抵抗していた人間達は、全てがゆっくり共に殺されてしまった。今、『自分達の財産を守れ』と声高に主張しているのは、さっさとそこから逃げ出してきた連中なのだ。


 安全性から考えれば、ゆっくり共をその町から出ないように封じ込め、また、出ようとするゆっくりのみを積極的に殺害し、兵糧攻めにするのが良さそうなものだが、私達の部隊が能動的にゆっくり共を駆逐しに町に入らなければならないのも、そうした声に答えようと焦った政府の命令によるものなのだ。


 勿論、政府の連中だって、現場の状況など知るはずもない。

 それでも私達は任務を遂行しなければならない。組織とは、そういうものだ。命令は絶対ではないが、それを覆せる十分な事実が提示されない限りは、絶対と言ってもいい。そして殆どの場合、命令が覆されるタイミングは遅すぎるのだ。事実、現在まで少なからぬ死傷者が出ているのに、未だにこの命令は撤回されていないのだ。


 はっきり言うなら、中性子爆弾を使って町を丸ごとを電子レンジ調理してしまうのが一番良さそうなものだ。しかし、現在に至るまで、それほど残留放射能が軽微な戦術中性子爆弾は開発されていないし、そもそも、建物内にいるゆっくり共を全て殺せるかどうかも確かではない。

 そして、『表向きは』この国は核兵器を保有していないのだ。



 小さな町で、建物の殆どは平屋か二階建て程度で高い建物もあまり無いが、それでも殆どの道路は舗装されており、大きい通りもいくつかある。

 私はその中の一つの大通りを進んでいた。普通の侵攻ならば建物の壁沿いに進むのだが、相手がゆっくりだという事を考慮して、道のほぼ真ん中を歩いて行く。


 不意に、建物の陰からゆっくりが一匹出てきた。およそ40mほど前方、大きさからするに成体のまりさ種だろう。

 こちらに気が付いていないのか、それとも挑発のつもりなのか、路上を右に左にとヒョコヒョコと跳ね回っている。

 こっちは趣味でゆっくりを殺しに来たわけではない。近寄れば、どんな危険が無いとも限らない。遠くで仕留められるものは仕留めておくべきだ。

 私は近くにあった交通標識に近寄り、その柱で銃のグリップをホールドしつつ、まりさ種に照準を合わせようとした。

(※注:『ホールディング射撃』銃のグリップなどを固定物と一緒に握ったりする事によって、銃を安定させて命中率を高める射撃方法)


「リンクス・ツー、伏せろ」

 イヤホンから聞き慣れた声がする。が、それが何かを頭が認識するより先に、私は反射的に地面に伏せていた。

 その声は、私と同じ『メスゴリラ』の渾名を持つ――いや、この隊に編入された女性の殆どは、その渾名で呼ばれるのだ――狙撃手のものだった。


 次の瞬間、路上にいたまりさは破裂音と共に四散した。

「ナイスショット、リョウコ!」

 私が立ち上がりながら言い終わるや否や、イヤホンに隊長の半笑いのお小言が響く。

「シミズ中尉、雑音を立てるな!」

 私のマスクの下の顔も苦笑していたのだろうが、少しばかり間を置いてから聞こえたリョウコの声のトーンは、戦況の悪化を予兆していた。

「アヴァロン・リーダー、右ウイングのビーコンが見えません。そちらで確認出来ますか?」

(※注:『ビーコン』位置信号)

 狙撃手のポジションについているリョウコは、私達よりも後方の高い場所に陣取っているが、狙撃時に味方への被害を防ぐため常に全員の位置を確認している。それ故に、全員のビーコンを監視する役目も兼ねているのだ。

 隊長もほぼ同時にビーコンの消失を確認していたのか、反応は早かった。

「いや、確認出来ない。ハマモト、カガ軍曹の所在は確認出来るか?」

「入った建物は……推測出来ますが、……手前にかなりの数の……ゆっくり共が居ます。援護に到着するには……ちょっと時間が掛かりそうです」

 恐らく交戦中なのだろう。切れ切れに入ってくるハマモト伍長の声を聞いた私は、隊長が応えるより先に割り込んだ。伍長の次に右ウイングの位置に近いのは私なのだ。

「リンクス・ツーが援護に向かいます」

「任せたぞ。気をつけろ」

 隊長の返事を聞く前に、私は走り出していた。


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