柳生の刃
十兵衛は鯉口をきって白刃を抜刀、中空を一閃した。
父、柳生但馬守の江戸屋敷から、馴染みの酒場へ行く道すがら、柳の木を抜けた時のことだ。闇の中から紺碧の塊がぬるっと飛び出してきた。そこに白刃が見えたので、隻眼の侍は抜刀したのである。
野生の獣の如く殺意を嗅ぎ分ける男は、どさりと落ちたその塊に見開いた右眼を落とすと、忍び装束に身を包んだ男が崩れ、鮮血にまみれていた。
それを見てすぐ、柳の木の裏からまるで蟻のように無数の影が現れた。全員、忍び装束と頭巾をかぶり、顔は見えず、直刀を逆手に構えていた。
「伊賀者か」
ふてぶてしくニヤリとすると、飛んできた3つのカラスのような影を斬り上げた白刃で斬り捨て、その後ろから仲間の遺体を足場に跳ね、上から降ってきた6人の忍び。
白刃は空中を2度、行き来した。そして鞘に収まった瞬間、6つの影がどさりと降ってきた。
この一瞬で十兵衛は複数の遺体の山を作ったのだった。
だが伊賀の忍びの手応えに何かを感じ取った十兵衛は、遺体の頭巾を取った。するとその忍びの顔は、見るもおぞましき、人の形相ではなく、まるで鬼の如き醜き顔をしていた。
「やはりこちらの人間ではなかったか」
と、立ち上がった彼をギョロリとした瞳が見つめていた。
1つため息を付き、やれやれと言いたげに振り向くと、そこは江戸の街ではなく、果てしなく広い部屋の中に立ち、遥か向うに薄っすらと玉座に腰掛けた人物の姿が見える。
次の刹那、玉座は十兵衛の目の前に現れた。
彼が立っていた場所は今ははるか背中の後ろだ。
十兵衛の前の頭蓋でできたおどろおどろしい玉座には、それよりも不気味な妖気を放つ男が座っていた。
「俺は俺のやり方でやる。そう言ったはずだぜ」
十兵衛は誰もがおののくその雰囲気にもおくせず、ずけずけと言う。生来の性分だ。
玉座の男は不敵に笑う。
「予は貴様に任せた。なにも言わぬ。1つ、お主の江戸にさらに奴らの手が入った。以前の江戸とは違うぞ」
それを聞き、十兵衛は笑った。
「そんなの知ったことか。来るものは斬るまでだ」
「で、あるか!」
玉座の男はそういうとニヤリとした。
刹那、十兵衛はまた江戸の街に戻っていた。が、そこにあった柳の木は見たこともない不気味な紫色の植物に変わっていた。
江戸は今の瞬間に変化したのだ。
それも構わず十兵衛は道を歩きだした。
これを闇の中から2つの瞳がじっと見つめていた。今のやり取りをすべて目撃していたのである。
雲水姿の男がすぐに闇から現れると、傘の下の瞳で静かに死体のおぞましい姿を見つめ、唇の中で小さくつぶやいた。
「伊賀ではない。ならばやはり……」
そう言うと雲水姿の男は再び闇に溶けていった。まるで闇と融合するかのように。
柳生の刃 完