第8話 水神の息子
マリンシルの独裁者、コータと名乗るその男は最初ただの冒険者だった。
確かにその実力はずば抜けていたが、それだけで他には対して光るものは無かった。
その当時、ジョセフさんは奥さんと一緒に冒険者をしていたらしいのだが、時々見かけるコータの姿は傲慢そのものだったらしい。
自分のことを特別な存在だと口癖のように告げ、さらには周囲を見下す態度を常にとるコータは冒険者の中の嫌われ者だだった。
だがらこそ、コータは腕のいい冒険者でありながら憲兵団どころか、《二つ名》さえ与えられることはなかったらしい。
……《二つ名》は冒険者の中で最大の栄誉であるので、実力だけで与えられるものではないのだ。
その結果、コータは腕のいいところ以外は何の長所もない男というのが周囲の認識となっていた。
ジョセフさんもコータに対してはそんな認識だったらしい。
……だからこそ、コータの計画にジョセフさんたちが気づくのに遅れることとなった。
武装したコータとその下に付き添う冒険者から作られた傭兵団の姿にようやくマリンシルの人々が異常を覚えた時にはもう既に物事は致命的な所まで進んでいた。
その時になってようやく憲兵団が動き出したが、間に合うことはなくコータ達はラミスタリアの大使館を襲った。
……そして、マリンシルの人間は望んだことのないマリンシル独立戦争が始まることとなった。
◇◆◇
ー ラミスタリアはマリンシルを不当に支配している。だから解放する。
そんな言葉を大義名分としラミスタリアとの戦争を始めたコータはまず始めにこの国の最大戦力である憲兵団はラミスタリア派の人間だとして乗り込んだのだ。
……そして複数人の《二つ名》持ちが居たのにもかかわらず、憲兵団をコータは一人は壊滅させた。
ーーー そしてその後に、コータは自身は人間と水神の息子だと宣言した。
自分は神獣のハーフで、選ばれた人間だとそうコータは周囲に告げたのだ。
「……その宣言は恐らく十中八九嘘だろう。何せ神獣と人間が番になれるなんて聞いたことがないからな。だが、コータの実力は神獣にさえ並び立つものだった」
コータの水神の息子であるという宣言、それをジョセフさんは全く信じていなかった。
……まぁ、普通の人は神獣が人型にならないから当たり前だろうが。
けれども、ジョセフさんは信じていないにも関わらず、コータの実力は神獣のものと遜色がないと告げた。
……そして確かな実力を持つジョセフさんのその言葉に、私はコータの実力が逸脱したものであること理解する。
コータが何者であるかは私は知らない。
けれど、コータが実は神獣で人間を超越した力を持っている可能性も否定できない。
……そしてその逸脱した力をコータはラミスタリアとの戦争でも隠すことなく用いたのだ。
ラミスタリアの兵は大国であっただけあり、たしかに強力な精兵だった。
さらにラミスタリアの冒険者ギルドにもマリンシルの憲兵団と同じ数だけの《二つ名》持ちがいた。
けれども、水神の息子と名乗るコータとコータの作った冒険者達の傭兵団はラミスタリアの精兵さえあっさりと蹴散らした。
……ラミスタリアという大国さえコータに勝つことは出来なかったのだ。
そうして海洋都市マリンシルの独立は、コータという規格外の力を有する人間の活躍によって強引に成し遂げられることになった。
…… だが、その結果マリンシルが得たのは不利益だけだった。
この無茶な戦争によって、マリンシルからラミスタリアの同盟国だけでなく、今まで友好的な商売相手あったさまざまな大国が離れていくことになったのだ。
そしてもちろんのごとく、独立を成し遂げたコータに対する民衆からの感情は決して良いものではなかった。
だが、なぜかコータは独立を成し遂げた立役者としてマリンシルの独裁者の地位に居座り。
………そしてその結果、マリンシルは坂道を転がり落ちるように衰退する子になった。
◇◆◇
「……つまり、あれだけ栄えていたマリンシルはそのコータという男のためにここまで衰退することになったと?え、本当なのですか……?」
ジョセフさんの話を聞いた後、私は思わずそうジョセフさんに聞き返していた。
決してジョセフさんを疑うわけではない。
それでも聞き返してしまう程にジョセフさんの話はあまりにも酷いものだったのだ。
「……本当だよ。あの馬鹿は何故か自分に溢れんばかりの自信を持っている。自分がやればマリンシルは栄えるってな」
……私の質問に、やつれた様子で答えたジョセフさんの様子、それをみてようやく私はジョセフさんの言葉が真実であることを理解する。
「え、水神の息子て大それた名前名乗っておきながらその程度て……」
「……貿易名所のマリンシルで大真面目に考えて、貨幣改革をするような人間なんだぞ」
「……そう言われれば逆に納得出来ました」
言われてみれば、このマリンシルで貨幣改革をするような人間がまともであるわけがなかった……と、私はジョセフさんの言葉に納得してしまう。
「……それだけじゃないぞ」
「………え?」
……だが想定外、いや想定を下回ることに水神の息子のあんまりな政策はそれだけではなかった。
あの私達に襲いかかってきた《二つ名》持ちの二人組、彼らの身の丈に合わない称号も水神の息子の仕業だったらしい。
水神の息子が憲兵団を掌握した結果、マリンシルは酷く治安が悪くなった。
その状況を打開するために水神の息子は、ラミスタリアで自分と一緒に戦った冒険者達に《二つ名》を与え、憲兵団を復活させることにしらしい。
……そしてその結果、マリンシルの治安はさらに酷くなった。
「………いや、本当にその水神の息子て何がしたいんですか」
「……俺も知らん。というか、知りたくもない」
とにかくそんなこんなで水神の息子は政治力が皆無のくせに思いつきでマリンシルで改革を行うようになり、その結果マリンシルでも高名な商人は逃げ出し、ジョセフさんでさえ、あれだけあった資金が殆ど尽きることになったらしい。
「……まぁ、これが俺の知っているマリンシルの状況だ」
「あ、ありがとう、ございました……」
そうして語り終えたジョセフさんに対し、私は途切れ途切れにお礼を言うことしか出来なかった。
……いやもう、あまりにも酷すぎる。
現在、ジョセフさんの説明を全く理解できていなかったマーサルとサラルにはちびっこ達の様子を見てもらっているのだが、今後の方針をじっくり話し合わないといけない……
「はぁ……」
そう考えた私は思わずため息を漏らしていた。
正直、この話を聞いた今私はマリンシルには長居したくはない。
何せ私だけならともかく、現在はちびっこ達がお供なのだ。
危険なことは出来るだけ避けたい。
だが、ここまで来たのにもかかわらず、目的を果たせず帰るのはあまりにもやるせない。
いざという時には、一時的にちびっこ達とマーサルには精霊の国に戻って貰う必要もあるかもしれないが、ちびっこ達が反発するのは目に見えている。
だがらこそ、私は思わず頭を抱えてしまって。
「そしてこれからが本題だ」
「………え?」
……ジョセフさんがそう告げたのはその時だった。
もうジョセフさんの話は終わったものと思い込んで、考え込んでいた私は思わず驚愕の声を上げてしまう。
だが、そんな私の反応を気にすることなくジョセフさんは懐から何かを取り出し、前に掲げながら口を開いた。
「宿屋の本題といえば、価格交渉に決まっているだろう」
「っ!?」
そう笑みとともに告げたジョセフさんの手の中では、私が手渡した大金貨が室内の魔法灯の光を反射していた……




