第3話 マーサルの逆鱗
ルーアを見つめる《双頭》の顔に浮かんだ醜悪な笑み。
それは離れている私達でさえ、彼らの性根がどれほど腐っているのかを理解させられるものだった。
「っ!」
……そして私達でも気づけたその性根にに、近距離で《双頭》の笑みを向けられたルーアが分からない訳が無かった。
そして次の瞬間、自身を見下ろし、醜悪な笑みを浮かべる男達の姿に、今まで怒りにつき動かされていたルーアの顔に隠し切れない怯えが浮かんだ。
その大きな目にじわりと涙が漏れ出す。
それはまるで大型の魔獣に出逢ってしまったかのようなそんな反応で、そのルーアの反応を見た私の頭に古い精霊から聞かされたとある話が蘇る。
それは精霊は人間などの心情を感じ取りやすい存在であるという話。
精霊達は人から向けられる感情を印象的に受け取るのだと。
心からの善意は暖かい陽だまり。
分け隔てない優しさは満開の花畑。
強い悲しみは深い深い海底。
強い怒りは山。
そして強い悪意は凶暴な獣となって精霊には感じられる。
だとしたら今、ルーアは一体目の前の男達に何を感じているのだろうか。
それは精霊では無い私には分からない。
幾ら話を聞いたとことがあると言っても、私自身が体験したことでは無いのだから。
けれども一つだけ私には確信を持てることがある。
……それは今、ルーアは泣き出したくなるような恐怖に襲われているということ。
ルーアのその目に浮かんだ涙はいつのまにか溢れ出し、その細やかな頬に一筋の線を描いていた。
そして流れ出た涙を補完するかのように、その大粒の目に涙が滲み出す。
「ルイジアに、謝れ!」
けれども、それでもルーアは《双頭》を怒りの込めた目で睨むことをやめようとはしなかった。
ルーアは恐怖を覚えながら、涙を流しながら、それでも《双頭》にその声を張り上げる。
「なっ!」
そしてそのルーアの態度に《双頭》は驚愕の声を漏らした。
恐らく《双頭》の二人はルーアが恐怖で泣き叫ぶ光景を想像していたのだろう。
けれどもルーアは恐怖に涙を流しながらも、それでもその顔を俯かせることはなかった。
それは《双頭》にとっては予想外なことで。
「生意気なガキがぁ!」
……そしてルーアの態度、こんな子供一人泣かせられなかったということが、男達の《二つな》持ちとしてのプライドを痛く傷つけた。
「俺たちが礼儀ってやつを教えてやるよ!」
「い、やっ!」
次の瞬間、《双頭》の一人の男が未だ自分を睨みつけることを止めようとしないルーアの胸ぐらを掴み、持ち上げた。
ルーアは手足をばたつかせ必死に抵抗するが、それらの抵抗はルーアの望む結果をもたらすことはなかった。
たしかに男達は《二つ名》に値するような力は持っていないが、それでも冒険者としてはある程度の実力を有している。
幾らルーアが暴れようが、か弱い少女の身体を手放すことなんてあり得ないのだ。
「このっ!クソガキ!」
……けれども、ルーアの抵抗は男達を更に苛立たさせた。
ルーアを抱えた男は感情のままにその拳を頭上に振り上げる。
「やっ!」
その振り上げられた拳に、これから起こる痛みを想像してルーアの顔により強い恐怖の感情が浮かぶ。
「はっ!」
そしてそのルーアの表情に、ようやく望む反応を得られたとでも言うように男の顔に隠し切れない喜色が浮かぶ。
それから男は今までの鬱憤を晴らすかのように焦らし、敢えて直ぐに拳を振り落とそうとはしなかった。
嗜虐的な愉悦に浸るかのように、男は拳を空中で止め、その口に笑みを浮かべながらルーアの顔を眺めて。
「殺すぞ、下郎が」
「………え?」
ーーーー そしてその一瞬がマーサルの介入を許す致命的な隙となった。
呆けた声とともにルーアを捕まえていた男が、ルーアを手放し頭から側の茂みに突っ込んでいく。
「え?いや、は?」
……一方、《双頭》の片割れは突然仲間の身に起きた暴力に状況を飲み込むことが出来なかったのか、顔に驚愕を浮かべたまま、呆然と立ち尽くす。
「……おい、人の大切なものになに手を出している?」
「ーーーっ!?」
しかし、泣き噦るルーアを抱えた状態のマーサルが殺気を男に向けたことで呆然としていた男は我に戻り次の瞬間その顔が青く染まる。
そしてその冒険者の様子を見て、私はようやく男があることに気づいたことを悟る。
ーーー そう、マーサルは《双頭》程度の冒険者では絶対に勝てない存在であることを。
男は今更ながら何とか言い逃れしようともごもごと口を動かし始める。
「もう遅いのに」
けれども、それは今更すぎる態度でしかなかった。
何せもう男はルーアという決して触れてはならなかったマーサルの逆鱗に触れてしまっているのだから。
「っ!?」
私の言葉に反応するように剣をさやから抜きはなったマーサルの姿に、男の顔が絶望に染まった……




