第39話 聖女
「ーーーーー!」
「っ!」
変質魔力によって、人が倒れパニックに陥っていた民衆。
けれども彼らは突如響き渡ったサラルの咆哮に、我に戻りその咆哮の響いた場所、広場の中心へと目を向けるのが伝わってくる。
「なっ!」
……そして、彼らはその中心へと向かって集まる変質魔力に言葉を失った。
集結し、濁った光を放つ変質魔力。
それはただただ異様で、だからこそ民衆は自分達が変質魔力に侵されなくなった安堵よりも、その異様さに対する恐怖を覚えていた。
何せ、それ程までにこの光景は異様で、生理的な嫌悪感を抱くようなものだ。
実際、通常の場合ここまで変質魔力が集まることがあれば、その中心にいる人間はほぼ一瞬で命を落とすだろう。
「……え?」
ーーー けれども、その変質魔力は私は軽く手を振った途端、霧散した。
その瞬間、変質魔力の濁った空間が晴れ、封魔の儀用の儀式服に身を纏った私と戦闘体型となったサラルの姿が民衆達の目に晒される。
「聖女、様?」
誰かが思わず漏らした、その言葉を区切りに、次の瞬間広場に広がったのは沈黙だった。
聖女がこの場に来ていると気づいていたものさえ、広場の中に突然現れた私の姿に言葉を失い、呆然と視線をこちらに向ける。
「少し、待っててね」
そして、その民衆達の顔に張り付いた拭い去れない恐怖の色を少しでも和らげようと私は微笑み……
ーーー 次の瞬間、舞が始まった。
◇◆◇
封魔の儀の陣、それは当たり前だが酷く複雑なものになる。
媒体や、魔法陣だけでなく、音楽などの様々な要素を組み合わせて、その陣を構築する。
それだけでなく、魔力を留まらせている封印術式も、封魔の儀では必要になることを考えれば、最終的にはどれほどの手間が要りようになることか。
だが、それは決しておかしなことではなかった。
何せ、10年間も溜まりに溜まった変質魔力を散らすのだ。
それだけの規模が必要になるのは当たり前で……
「ま、魔力が……」
「全て、浄化されていっているのか……」
ーーー けれども、私はルシアの使っていた酷く安易な陣だけで、変質魔力を浄化していた。
濁った魔力が浄化されていく光景、それは本来ならばあり得ないもので。
だがその奇跡を、私は神獣達の力借りることで成功させていた。
その一つは、簡易な陣の上に配置された、カラムの鱗、リヴァイアサンの爪、そしてサラルの毛皮などの神獣達の身体の一部。
そして現在、魔力が流し込まれ光り輝くそれらこそが私の切り札だった。
神獣達の身体の一部、それは本来一大きな魔術を発動する際に必要となる素材の中でも最高級の品質を持つ。
それこそ、あの精霊の羽を凌駕するほどの。
さらに現在、私が陣を構築するのに使用しているのは元々変質魔力を生み出した神獣達の身体の一部だ。
その効果は恐ろしく、どんどん魔力を散らしてゆく。
「っ!」
……けれども、舞いながら私は今のままでは魔力を散らしきれないことを悟っていた。
現在、私はサラルに頼んでこの場所へとアルタイラ中に散らばった変質魔力を集めてもらっている。
それは、アルタイラを守るために必要不可欠な行為で……
……けれども、ここに変質魔力が集えば、そう遠くない未来に自分が限界を迎えることを私は悟っていた。
何せ、常の封魔の儀ならば少しづつ封印を緩めて魔力を散らしている。
だが現在私は一気に魔力を散らさなければならないのだ。
……もし、サラルがリヴァイアサンと同じように少しの時間でも変質魔力を封じ込められればよかったのだが、若いサラルにはある程度変質魔力を操作する程度の能力しかない。
「やるっきゃないか……」
……だから、私は覚悟を決めた。
今、なお激しく発光している神獣達の素材が目に入る。
けれども、現在私はその素材に全力で魔力を込めていなかった。
何故なら、神獣の素材は余りにも優秀すぎるのだ。
並みの魔法使いならば、その素材を使うと、魔力をコントロール出来なくなり、吸い尽くされて死に至る。
……いや、そもそも私は人間がこの素材を使えるなんて話を、自分を除けば聞いたことがない。
それほどの危険物、それが神獣の素材なのだ。
そして今、私の取ろうとしている手段はその素材に全力で魔力を込めるという、あまりにも危険な行為で……
「でも、今は迷っている暇なんて無いよね……」
……しかし、もう私には迷うことさえ許されなかった。
もう既に、集まってくる変質魔力は最初私が晴らした濃度より少し濃い程度のものになっていた。
……それも、私が今も魔力を散らしているのにもかかわらずだ。
さらにその濃度はどんどんと上がっていき、とうとう私の姿を民衆から覆い隠す。
「聖女様!?」
「おい、何とかしないと……」
「どうやってだよ!?」
そして、その状況に民衆達の顔に絶望が浮かぶ。
けれども次の瞬間、広場の中心から濁った魔力を払いのけるかのように、強い光が走り……
ーーー そして空間が、震撼した。
◇◆◇
広場で、あり得ない程の濃度となった変質魔力。
「ー!」
けれどもそれは私が声にならない言葉と共にが手を前に出した瞬間、消え去った。
だが次の瞬間、何事も無かったかのように再度変質魔力が集いかけて……
「ーー!」
だが私が手を再度あげ、また消え去る。
だがまた変質魔力は集って。
そしてまた消える。
それでも集って。
だがまた消える。
「ー!」
その動きを私が続けているうちに、いつの間にかその動きは舞となっていた。
それへまるで変質魔力と舞うかのような、酷く不気味で神々しい舞。
しゃらん。
……そして、いつの間にかその舞には限界まで魔力を込められた神獣の鱗や爪、そして毛が発する音が付け加えられていた。
その音は、まるで限界を迎えた素材が悲鳴を上げているかのような、酷く儚げな音楽で。
「ー!」
その音楽はどんどんと激しくなっていく。
さらに時間が経つごとに素材があげる悲鳴が、一つの音楽として舞と一体化していく。
その音楽に合わせるかのように私の舞もどんどんと激しいものになっていた。
そして広場に流れ込んでくる、先程の比では無い変質魔力は全て霧散していく。
ーーー その時にはもう、先程まであった不気味さは消えていた。
本来、一部のものでしか可視化することの出来ない魔力。
それはあり得ない程の変質魔力が一度に散らされ、普通の魔力に魔力に戻され濃度が増したせいか、民衆達にさえ可視化できる状態になっていた。
そしてその魔力は私と共に舞を舞うかのように、私の豊かな身体に纏わり付く。
「ーー!」
それは酷く神々しくまた淫靡な光景で、その場にいた存在すべての目を奪い、感嘆の息を漏らさせる。
「ほぅ……」
ーーー それはこの世で最強の種である神獣の目さえ例外なく。
だが、その周囲の目を気にせず私はさらに舞を舞う。
そしてその一瞬にも、永遠にも感じられる時間は……
シャリン。
と、その響きを最後に神獣の素材が砕け散った瞬間、最後の変質魔力を散らし、終わった……