第06話
「ただいま〜」
「おかえりなさい、フィリエス」
「ああ、おかえり」
『おかえりなさい。
一緒に外出していた私が言うのも変ですが』
私が家に帰ると、出る時にはいなかった両親が既に帰宅していたらしく声を掛けてきた。ついでにリーンも。
セリーヌ達との訓練の後に無詠唱魔法の自主訓練をしていたため、大分遅くなってしまったためだろう。
もっとも、わりといつものことではあるのだけど。
お父さんは外見年齢で言うと四十代前半でがっしりとした体付きをしている。ディランのような細マッチョではなく、正真正銘のマッチョだ。
しかし、粗野なイメージはなく落ち着いた性格の頼りがいのある自慢の父親である。
まぁ、それもそうだろう。この父、実は人魚族の族長なのだから。
それも、この集落だけでなく人魚族全てを束ねる長だ。
赤い短髪に紫の瞳、尾びれのカラーは蒼。私の瞳や尾びれは父親譲りだ。
精霊魔法の強さで定められる長であることから分かる通り、お父さんは人魚族でも最強と言われている。
中位魔法の上層を使いこなせる数少ない人物であり、誰からも長として認められていた。
私もそんな長の一人娘ということで次期長となることを周囲から嘱望されている……なんてことはない。
ディランやアルト、セリーヌと私の四人組は若手の中でも有望と注目されているのは事実だけど、だからと言って即座に次期長が決まるわけではなかった。
そもそも、人魚族の長は世襲制ではなく精霊魔法の強さで決まるため、前の長の身内だからといって次期長が任せられる保証は何処にもない。
そんな父を隣で支えるお母さんは、三十代後半に見えるたおやかな女性だ。
腰まで伸ばした金色の髪に橙色の瞳、尾びれの色はピンクをしている。
私の髪や顔立ちは母親からもらったものだ。
「食事は?」
「大丈夫、食べてきたから」
「そう」
家に帰宅した娘と待っていた母親としては正しい会話かも知れないが、ここで仮に「まだ食べてない」と答えたところで別に料理が出てくるわけではない。
そもそも、人魚族には料理という概念が存在しないのだから。
食事がまだであれば、おそらくお父さんが「じゃあ狩りに行くか」と鉾を片手に繰り出すだけの話だ。
私が「食べてきた」と答えたのも嘘ではない。訓練場所から家に帰る途中で適当な獲物を見付けて狩り、泳ぎながら食べただけ。人魚族の食事などそんなものだ。
お米と味噌汁が食べたいけれど、深海じゃまず無理。それどころか、この世界にあるのかどうかも分からないし、仮にあったとしても人魚族の味覚が受け付けるかも分からない。
「訓練の方はどんな感じだ?」
「基本的にはいつも通りだけど、みんな着実に強くなっているよ」
「そうか……四人の中では誰が一番強い?」
「それは、ディランかな。
魔法だけだったらみんなそれほど差は無いけれど、彼は体格がいいから模擬戦だと有利だよ」
「そうか、|魔法だけならそれほど差は無い《・・・・・・・・・・・・・・》か」
『……? この聞き方は……』
いつも通り落ち着いた表情で私の話を静かに聞いているお父さんの何処か探るような問い掛けに、内心で冷や汗を流しながらも努めて平静を保って答える。
実際には私の返答には多少嘘が混ざっているのだが、それを言うわけにはいかない。
「まぁいい。それより、今度四人で見回りをしてみないか?」
「見回り?」
『フィリエス達に?
少々早いのでは……』
「ああ、年齢的にもそろそろ任せてよい頃だろう」
「うーん、分かったよ。
明日にでもみんなに言ってみる」
人魚族は生産的なことがほとんど出来ない種族なので、仕事という概念が薄い。基本的に魔法を使いこなすための訓練を繰り返しながら、適当に獲物を狩って日々の糧を得るだけの生活を送っている。
そんな人魚族が行う仕事と言えば、せいぜいが「狩り」と「見回り」くらいとなる。
前者の「狩り」は日々の糧を得るためではなく、大掛かりな狩猟を行うことを指す。
そこまで大喰らいな種族ではないため、日々の食糧という意味ではその辺を泳いでいる適当な獲物を狩ればそれで済む。
しかし、祭りなどの特殊な事情、あるいは大型の魔物に集落が襲われた時などは、みんなで一致団結して狩猟を行うのだ。
後者の「見回り」は文字通り集落の周囲を交代で見回ることを指す。
危険な魔物が近くにいないかを確認するパトロールだ。
当然、どちらも一定程度の実力が必要なことであり、選ばれるのは普通は年長者だけの筈。
少しだけ年長のディランはそろそろ抜擢されても不思議ではないが、私やセリーヌ、アルトなどがこういった仕事を任されるのはまだ数年は先の話だと思っていた。
とはいえ、全く予想していなかったわけでもない。
何故なら、私達四人はその全員が中位魔法の中層を使用することが出来るのだから。
人魚族全体でも一割程度しか到達していない域に、未だ子供と見られる年齢の私達が至っているのだ。
お父さんを始めとする大人達が前倒しで仕事に参加させると言い出すのも理解出来る。
まぁ、見回りは念のために行うものであって危険も少ない。
どちらにせよ遅くとも数年以内には参加することになるものだし、特に問題はない筈だ。
そう考えた私は、両親に挨拶をすると寝床に移動した。
Ψ Ψ Ψ
人魚族の「家」は、前世の私の基準から言うと家足り得ない。
屋根もなければ家具もない、壁すらも岩壁をそのまま利用しているようなものであって四方にあるとは限らなかった。
当然、部屋という概念も存在しない。
両親に挨拶して寝床に移動した私だが、自分の部屋なんてものがあるわけではない。単に、大体私が個人的に使っているスペースがこの辺りというだけの話だ。
両親が寝床にしているスペースからは少し離れている上に岩壁があるため、小声で話せば聞こえない。
自らの内にいる存在とこっそり話すには都合のよい環境だった。
「『見回り』かぁ、私達ももうそんな歳か」
『不安なのですか、フィリエス?』
「少し……でも大丈夫だよ。
見回り中に何かに遭遇するなんて滅多にあることじゃないし」
『そういうことを言ってると、実際に起きそうですよ?』
「縁起の悪いこと言わないでよ……ちょっと心配になってきちゃったじゃない」
ぷかぷかと浮かびながら、私は先程お父さんから言われた話をリーンと相談する。
「そう言えば、リーンに一つ聞きたかったんだけど……」
『? 何でしょう?』
「ディラン達が普通の人魚族よりも強いの、何か理由があるの?」
私達四人は何れも中位魔法の中層を使用することが出来る。
これが一人とかなら偶々才能に恵まれたと考えることも出来たが、流石に四人が四人ともというのは確率的に不自然だ。
通常なら一割程度、十人に一人くらいしか使えない筈の「中位の中」を四人いて四人が使えるなど偶然とは思えない。
もっとも、その内私については原因はある程度分かっている。
リーンによってこの世界に転生させられた際に与えられた精霊を視認する力。精霊との結び付きが重要な精霊魔法において、これがあれば確かに十人に一人の中に入ってもおかしくはない。
しかし、だとしてもディラン達はどうなのだろうか。
『そうですね、これはあくまでも推測になりますが……』
「うん」
『精霊達は自分を見ることが出来る貴女を好み、近付いてきます。
つまり、貴女の周りにはそれだけ精霊が集まりやすいということです』
「そうなの?
自分では分からないけれど」
水のあるところなら、水の精霊は何処にでも存在する。
実際、家の中である今この場所にだって彼女達は存在するのだ。屋根もないから当然だけど。
ただ、それが多いか少ないかなど判断が付かない。特に、私自身には比較対象が無いから尚更だ。
『精霊が集まりやすい環境、それはつまり精霊魔法が使いやすい環境ということでもあります。
貴女の近くにいる彼らが精霊魔法に秀でるのはそれが理由でしょう』
「ちょ、ちょっと待って。
だとすると、ディラン達は私の傍じゃないと『中位の中』が使えなくなるってこと?」
私の近くだと精霊が多いから魔法が使いやすい、ということは逆に言えば私から離れると精霊が少なくなって魔法が使い難いということだろう。
私から離れたところでディラン達が魔法を使おうとした時に、使える筈の魔法が使えなかったらピンチになってしまうのではないかと、私は顔を蒼くする。
『それは大丈夫でしょう。
貴女から離れたとしても、周囲を水に囲まれたこの地は水の精霊の楽園です。
一緒にいないと魔法が使えなくなるようなことはありません。
ただ、ちょっとだけ貴女の近くにいた方がコツを掴みやすいというだけのことです。
今の彼らはその機会にコツを掴み自分自身の実力としていますから、心配は要りません』
「よ、よかった。
お願いだから焦らせないでよ、リーン」
『ふふ、ごめんなさい』
その後しばらく雑談していたが、魔法訓練の疲労が残っていたのか気付かぬうちに寝入ってしまった。
『そろそろ、あの子達も動き出してもおかしくない頃ですね……』




