第11話
「フィリエス、お前は……」
あーあー、聞こえない聞こえない。
私が上位魔法を使える、使えてしまうということはもう誤魔化しようがないと分かってる。
どれだけ精霊魔法を使えるかを重視する人魚族において、それがどんな結果を生み出すか。ある程度想像出来るが、逆に言えばある程度しか想像出来ないとも言える。
前例が皆無に近いだけに、みんながどこまで過敏な反応を示すか予想出来ないのだ。
取り敢えず、後にしたい。今は考えたくない。
『まぁ、今は目の前の敵が優先なのは確かですが。
後々、苦労しそうですね』
一体誰のせいだと思ってるの、リーン!?
Ψ Ψ Ψ
自分が上位魔法を使えることに気付いたのは、魔法の訓練を始めてからすぐのことだった。
切っ掛けは、中位魔法が無詠唱で使えたことだ。
中位魔法が使える人魚族は下位魔法を無詠唱で使うことが出来る。
それなら中位魔法が無詠唱で使える私はもしかしたら……というちょっとした思い付きで実行してみたら本当に使えてしまったのだ。
あの時は本気で焦ってしまい、他のみんなが気付く前に慌てて逃げた。
上位魔法と中位魔法。
位階で並べれば一つの差に過ぎないけれど、そこには大きな違いが存在する。
中位魔法までの精霊魔法は、言ってしまえば精霊にとっては「労働」だ。
私達の支払う魔力を対価として、彼らはその力を発揮してくれる。
しかし、上位魔法は違う。
魔力を対価として頼むのではなく、精霊自体に命じることで力を使わせるのが上位魔法だ。
だから、普通の人魚族には使えない。
それも当然だろう。
人魚族にとって精霊とは、やがて自らが昇華して成る存在であり、先祖であり、信仰の対象なのだから。
大精霊やドラゴンといった精霊の上位に位置する超常の存在だけが使える、それが上位魔法だ。
それなら、人魚族である筈の私が一体何故使えるのか。
考えられるのは、前の世界で最後の時にリーンに対して才能を願ったことくらいだ。
……少し優れた才能というには限度を超えている気がするけれど。
対価として支払う魔力の範囲に効果が制限される中位魔法や下位魔法と異なり、上位魔法は精霊本来の膨大な力がそのまま発揮される。
人の尺度に左右されない、自然の猛威に等しい真の精霊魔法の力が。
上位魔法の下、【渦潮】。
水流を操作し大渦潮を巻き起こす魔法だ。
この魔法を陸上で使えば、水竜巻によって町一つを壊滅させることすら出来るだろう。
そして海中で使えば……それは、あらゆるものを水流で締め上げ鋭利な水の刃で切り刻む凶悪な魔法と化す。
たとえ、それが伝承にあるような強大な魔物であっても。
「───────ッ!!!」
人魚族の数倍数十倍がある巨体は、水流に締め上げられ身動きが出来ない。
巨大な大蛸であるクラーケンの身体は、軟体動物の特徴を持っている。
生半可な衝撃ではダメージにすらならない。
そんな怪物ですら苦痛で絶叫する程の強力な水竜巻。
しかし、【渦潮】の真の脅威はまだこれからだ。
水流は螺旋を描くたびにその勢いと鋭さを増していき、中央に囚われた虜囚を切り刻む刃となる。
超高圧の水は、いかなる物すら両断する最強の刃となり得る。
あの渦巻きの中ではたとえダイヤモンドでも切り裂かれるだろう。
まぁ、この世界にダイヤモンドがあればの話だけど。
幾多の触手も巨大な丸い頭部も切り裂かれ、噴き出す血が周囲の水を濁らせてゆく。
「おお……」
「す、すごい」
後方から称賛の声が聞こえてくる。
これまでダメージらしいダメージを与えられなかったクラーケンに、致命傷と思える損傷を与えているのだから無理もない。
しかし──。
「これでも、ダメなのね」
『ええ、これでは倒し切れないでしょう』
確かに、ダメージは与えている。それは確かだ。
でも、みんなが思う程の致命傷と言うわけでもない。
普通の生物なら間違いなく命を落とす傷だが、強力な再生能力を持つクラーケンにとっては滅びに至るには足りない。
クラーケンが再生するよりも【渦潮】によって傷が出来る方が早いから、次第に傷は増えている。
このままダメージを与え続ければ、やがてこの強大な魔物を死に至らしめることが出来る……そう思うのは早計だ。
幾ら上位魔法とはいえ、無限に効果が続くわけではないのだから。
対価としての魔力が不要だからとはいえ、一定の行使が済めば魔法の効果は止まる。というか、精霊が疲れたら終わる。
そして、私やリーンの見立てではクラーケンが倒れるよりも【渦潮】が終わる方が早い。
『元より、斬撃は強力な再生能力を持つ相手には相性が悪い攻撃です。
あれを倒そうと思ったら、もっと他の方法を採るべきでしょう』
「他の方法?」
『ええ。
そうですね……ダメージを与えるよりも再生を阻害したり、などでしょうか』
「なるほど」
リーンの助言を聞き、私は次の魔法を選択した。
尾びれをくねらせ、クラーケンとみんなの間へと移動する。
一瞬後ろに視線をやり、みんなが魔法の効果範囲に入っていないことを確認した上で、私は詠唱を開始した。
【渦潮】は次第に弱まり効果を終わらせようとしているが、水流は今もってクラーケンを拘束している。
これなら、外すことはあり得ない。
「Pulchra profunda maris──
到来せよ、全てを静止せしめん氷河の時代 【氷期】!」
魔法を唱えた次の瞬間──世界が停止した。
透明だった水が白く染まり、その中央で悶えていたクラーケンも動きを完全に止める。
もっとも、正確に言えば止まったのは私の視界に映る前方だけ。私の周囲や後方に居るみんなは止まっていない。
私の前方だけが一瞬にして凍り付いて止まったのだ。
本来なら大陸一つを丸ごと凍らせることすら出来る強力過ぎる氷結魔法。
ましてや、ここは陸上でなく水中であるためその効果は一瞬にして周囲を凍らせる。
かなり加減をしても、巨大な怪物を凍り付けにするには十分だった。
……というか、もしも加減をせずに放っていたら私もみんなも、それどころか集落すら凍り付いてしまったことだろう。
「これで一件落着、かな」
『確かにこれなら再生はしないでしょうが、この後どうするのですか?』
「え? この後?」
『このまま氷像として置いておくわけにもいかないでしょう』
「そ、そうだね」
中央に巨大な大蛸が鎮座した大氷塊。
確かに、こんなものをここに置いておいたら邪魔だし、いつ再び動き出すかと不安で仕方ない。
リーンの言う通り、このままにしておくわけにもいかないかな。
「それなら……えいっ!」
私は右手を頭上に翳し、【水鋼】で鉾を作り出した。
と言っても、そのサイズは普段のそれとは大きく異なる。
巨大なクラーケンにも対抗出来る程の特大サイズの三叉の鉾だ。
頭上に作り出したそれは、私が声と共に手を振り下ろすと応じるように氷塊へと一直線に飛ぶ。
【水鋼】の鉾は氷漬けのクラーケンを粉々に砕く……と思ったのだが、表面に穂先が衝突すると同時にキンッと音を立ててあっさりと跳ね返された。
「………………」
『………………』
考えてみれば、【氷期】は上位魔法の中に位置する氷結魔法。
それで作り上げた氷塊を中位魔法である【水鋼】で砕けるとは、考えが浅かった。
……て、その理屈だとこの氷をどうにかするのは相当ハードルが高いことになるんだけど。
最上位の魔法でないと砕けないということだし。
不可能なわけではないけれど、それをやると周囲の被害が半端無いことになる恐れがある。
【氷期】をこの範囲に抑えるのも結構大変だったのに、それ以上の魔法を限定的な範囲に留めるのは正直自信がない。
自分がやったことながら、これ、どうしよう?
「取り敢えず……」
『取り敢えず?』
「遠くに押し流しておこう。
仮にも上位魔法で氷結させたわけだし、そう簡単には復活出来ないでしょう」
精霊に頼んで水流を起こし、大氷塊を集落から反対に向かって押し流す。
かなり重いけれど、水中であれば動かすことは可能。
呆気に取られる人魚族のみんなが見守る中、氷山はゆっくりと流れていった。
最後がいささか締まらなかったけれど、人魚族を突然襲ったクラーケンの脅威はこうして過ぎ去る。
でも、それはあくまで予兆に過ぎなかったのだと、この時の私には気付く由も無かった。
「それで、フィリエス。
色々説明してくれるのだろうな」
その前に、色々と片付けなければならないことがあったから。