第09話
「くっ!」
「しつっこい!」
【水鋼】の壁を何度作っても、ディランが何度矛先を逸らすように鉾で切り掛かっても、クラーケンは只管に私達の集落へと突き進んでいた。
進行速度は当初と比べれば劇的に落ちている。
障害となる壁にぶつかる度に回り込むように移動しているため、真っ直ぐに進んでいた時と比べればその差は明白だ。
しかし、確実に近付いて行っている。
やはり、どう考えてもおかしい。
行動を邪魔する私達に目もくれることなく、ひたすら集落を目指すその姿は異常としか思えない。
何か嫌な予感を感じながらも、私達は足止めを続けるほか無かった。
「アルト達はそろそろ集落に着いた頃か」
「多分ね。
早目に結論を出してくれると助かるんだけど」
「切にそう願うぜ」
クラーケンへの牽制から戻ってきたディランと言葉を交わす。
集落へクラーケンの襲来を報せに向かったアルトとセリーヌは、そろそろ集落に着いて大人達に呼び掛けている頃の筈だ。
問題は、そのことを知ったお父さん達がどんな決断を下すか。
「長達は迎撃と避難と、どっちを選ぶだろうな?」
「それは多分……」
言葉を濁したけれど、私もディランも答えはおおよそ予測が付いている。
お父さん達はおそらく避難を選ぶと思う。少なくとも私なら、まず間違いなくそうする。
それというのも、建物を建てたりしない人魚族にとって、集落というのは単にその近辺を棲家と定めて集まっているだけの場所に過ぎない。
何も命を懸けてまで守るようなものではないのだ。
大事なのはそこに棲んでいる者達の命だけ、それならわざわざ苦労をして守るよりも逃げてしまえばよい。特に壊されるような物もないのだから。
クラーケンが去るのを見届けたら、改めて戻ってくればいい。場合によっては、別のところに集落を移したって構わないのだ。
ただお父さん達が避難を選択した場合、足止めの役目を負っている私達は何処かのタイミングで逃げないといけなくなる。
幸いと言うべきか、クラーケンは私達に注意を向けることなく一心に集落の方向へ向けて突き進んでいるため、逃げるのはそう難しくないだろうけど。
流石に避難するとなれば誰かがそのことを報せに来てくれると思うので、それを待って足止めを終わりにして逃げよう。
──そんな風に考えていた私だが、いつまで経ってもその報せが来ないことに焦りを感じ始める。
いや、焦っていたのは私だけではない。
ディランも私と同じように、いや、私以上に苛立ちを感じていた。
「クッ、長達は一体何をやっているんだ!?」
「話し合いが長引いてるのかな?」
「そんなことをしている場合じゃないだろう!」
まさか、お父さん達が私達への連絡を忘れたとは思わない。
アルトやセリーヌも居るのだし、私達が足止めをしていることを忘れる筈がない。
でも、それならどうしてこんなに遅いのだろうか……?
「クッ、まずいぞ。
このままだとじきに集落に着いてしまう!」
「ディラン!? 何をするつもり?」
「どうするもない!
長達が間に合わないなら、ここでヤツを留めないと駄目だろう!」
「駄目! 待って!」
焦りに衝き動かされたディランが、鉾を手にクラーケンの前方へと回り込む。
これまで彼が決して取らなかった行動だ。
いくらクラーケンが私達を無視して真っ直ぐに突き進んでいるとはいえ、真っ正面に立ってしまえばどうなるか分からない。
だからこそ、ディランがこれまで行ってた牽制も正面からではなく横合いからのヒットアンドアウェイばかりだった。
しかし、その方法では足止めとして弱いというのも事実。
クラーケンが私達のことを無視して集落に向かうことを優先しているため、大して時間を稼げていないのだ。
流石に真っ正面に立てば何らかの反応を示すかも知れない。
しかし、それは命を賭け金にした危険過ぎる行動だ。
「ディラン! 逃げて!」
果たして、クラーケンは道を塞いだディランを認識し、彼に向かってその触手を振り被る。
それは、攻撃とも呼べぬ単に道端の石ころを蹴り飛ばすような無造作な行動だったが、それでも触手の一本一本が私達の身の丈よりも巨大な相手がすれば命を奪うには十分な攻撃となる。
私は【水鋼】の壁で彼を守ろうとするも、動揺してしまったせいで一拍出遅れてしまい……。
「はあああああーーーーッ!」
ディランを薙ぎ払おうとした太い触手が、裂帛の雄叫びと共に弾かれた。
「ええ!?」
「なっ!?」
風前の灯だった彼の命を救ったのは、がっちりとした体格の一人の人魚族。
それは、私がよく知る相手だった。
「危ないところだったな、ディラン。
しかし、二人ともよくぞここまで持ちこたえた」
「お、お父さん?」
「長? 何故ここに……ッ!
まさか、避難ではなく迎撃されるつもりなのですか!?」
「そんな、どうして?」
内心でディランと同じ結論に至っていた私は、お父さんの採った予想外の選択に思わず驚愕してしまう。
避難してクラーケンが去るのを待てば済む筈なのに、敢えて危険を承知で戦うというのは本当に想像の埒外だった。
しかし、信じられないという面持ちで固まる私達に現実を教えるように、お父さんの背後に続々と人が集まってくる。
それは三叉の鉾を手に持った人魚族達の姿。
「集落のみんなまで……」
「本当に戦うつもりなの?」
目の前に集まった人魚族の数は多く、集落の中で戦える年齢の者を全て集めてきたのだと思う。
文字通り、人魚族の戦力の全てを結集したようだった。
それを見て、私やディランもようやく本気でお父さん達がクラーケンと戦うつもりだということの実感が湧いて来た。
息を呑む私達の姿を見てそれを察したのか、お父さんが私達に向かって声を掛けてきた。
「詳しく説明している暇はないが、見ての通りだ。
これより私達は全力でクラーケンを迎え撃つ。
お前達は下がっていなさい」
「ま、待ってください!
俺も一緒に戦います!」
「ディラン!?」
お父さんに下がっているように言われたディランが、反発するように食い下がる。
ここまで足止めしてきたにも関わらず戦線から外れろという指示に、まるで戦力外の子供扱いをされたように感じたのだろう。
「駄目だ」
「どうしてですか!?
俺はもう子供じゃありません! 俺だって戦えます!」
「お前達はこれまでヤツを足止めして疲労しているだろう。
そんな状態で戦線に出るのは危険だ」
「ぐ、それは……そうですが」
痛いところを突くお父さんの指摘に、ディランが思わず口ごもる。
離れたところから【水鋼】で壁を作っていただけの私はそうでもないけれど、幾度も切り掛かって牽制を仕掛けていた彼は実際かなり疲弊しているのだろう。
お父さんは的確にそれを見抜いていた。
実際、先程お父さんに救われた時のディランは焦りと疲労で冷静さを失っていたし、その様子を見たお父さんにとっては分かって当然だったのかも知れない。
彼自身も頭では無茶だと分かっているのだが、それでも心情的にジッとしていられないようだ。いかにも納得いかないと言わんばかりの表情で、更に口を開こうとする。
しかし、彼が言葉を発するよりも先に、お父さんの方が諭すように述べた。
「それと、私の娘を……フィリエスを護ってやってくれ」
「分かりました!」
あ、あれ?
なんであっさりと受け入れてるの?
てっきり、もう少し食い下がると思ったのに。
いや、ディランが無茶をしないでくれるのはいいことなのだけど、なんだか釈然としない。
「フィリエス、長達の邪魔にならないように下がるぞ」
「う、うん……?」
突然意見を翻して聞き分けよく下がろうとするディランに戸惑いながらも、私は彼と一緒に戦場を俯瞰できる場所まで下がった。
そんな私達を横目で見送ったお父さんは満足げに一つ頷くと、集落の戦士達へと向き直ると士気を高めるべく声を上げる。
「よいか、お前達!
敵はクラーケン……伝承によればかつて集落を襲い壊滅させ掛けた怪物だ。
しかし、案ずることはない!
精霊の加護を受けた私達が力を合わせれば、必ずや退治出来る!」
勿論、根拠があるわけではない。
相手は伝説になるような化け物だし、いくら人魚族が水の精霊の加護を受けた種族とはいえ勝てる保証は存在しない。
それでも、お父さんの激を受けた彼らは鉾を強く握りしめながら戦意を昂らせる。
そこには、敗北への恐れなど一片も存在しなかった。
「さぁ、征くぞ! みなに精霊の加護を!」
「応!」
「はい!」
お父さんの掛け声と共に、人魚族の戦士達は巨大な大タコへと向かっていった。




