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プロローグ

「………………ごほ……」


 口や鼻から入り込んだ水が呼吸を阻害してきた。

 キーンという耳鳴りがして、涙が溢れては水の中に溶けて消えてゆく。

 息苦しさを通り越して、激しい頭痛が私を苛んでくる。


 しかし、その苦痛以上に私を苛んでいるのは……後悔だった。


 何故なら、この苦痛は初めてではなかったからだ。

 かつて幼い時、街を流れている小川に転落して同じように溺れかけたことがある。

 あの時も、今と同じように苦しみを味わうことになった。

 幸いにして近くに居た人が見付けて助けてくれたから一命を取りとめることが出来たけれど、その時の苦痛と恐怖がトラウマになり、私は泳ぐことが出来なくなった。


 学校の水泳の授業は仮病や生理を言い訳にしてサボり、友達から海やプールに誘われても何かと理由をつけて行かなかった。

 もしかすると、逃げずに取り組めばトラウマを克服して泳げるようになったかも知れない。

 でも、しなかった。


 そうやって嫌なことから逃げ続けた結果が……これだ。

 事故で橋の上から投げ出されて川に落ち、そして溺れてこの様。


 今更ながらに思う。

 逃げずに真っ向から向き合っていれば、こんなことにはならなかったんじゃないかって。


 でも、後から悔いてももう遅いみたいだ。

 次第に意識が遠退いていくのを感じる。

 多分、このまま意識が途絶えたら二度と戻らないだろうな。



 ああ……もしも生まれ変わることが出来たなら、今度は絶対に泳げるようになりたいな。



『第一優先は泳げることですか。

 種族を選べば確実に可能に出来ることですね。

 望みはそれだけですか?』



 え? え? の、望み?

 ええと、そんなこと急に言われても……。

 強いて言うなら、出来れば容姿は綺麗な方がいいとか、ちょっとぐらい人よりも優れた才能があった方が嬉しいとか、食べるのに困らないくらいには裕福な家庭に生まれたいとかくらいかな。



『強いて言えばと言いながら随分と色々出てきましたね。

 まぁ、それくらいなら許容範囲です』



 許容範囲って……つい本音で答えちゃったけど、そもそもあなたは誰?

 それと、私の望みを聞いてどうするつもりなの?



『私の素性については、秘密とさせて頂きます。

 いずれその時が来れば、明かすこともあるでしょう。

 望みを聞いたのは、私の望みを叶えるために人材を探していたのですが、

 仕事を依頼するためには対価が必要だそうなので、要望を聞かせてもらいました』



 ???

 訳が分からないので、もう少し詳しい説明を……



『説明をしたいのは山々なのですが残念ながら時間がありません。

 細かいことはあちらでお話しましょう』



 え、ちょ!? まっ──



『それでは、どうかよろしくお願いします』



 そうして、不思議な光に包まれて私の意識は途絶えた。




 Ψ  Ψ  Ψ




「……ぅ……夢?」


 意識の浮上と共に、周囲の状況を確認した私は先程までの光景が夢の産物であることを自覚した。


「あの時の夢か……もうこれで何度目かな。

 まぁ、まさかあの時の『望み』の結果がこんな形で叶えられるとは思わなかったし、

 印象が強く残ってるのも不思議ではないけれど」


 視界に映るのは、水、水、水……周囲の全てが水に満たされている。

 それも当然だろう。

 ここは海の底(・・・)なのだから。


 わずかな光さえも差さない深い深い海の底。

 居るのは深海魚と私の同類だけの、静かな世界。


 本来なら真っ暗で何も見えない筈だが、不思議と私の視界には真昼の太陽の下であるかのように鮮明に見えている。

 空気なんてある筈もないけれど、息苦しさは感じないし窒息して死んでしまうこともない。

 普通の人間なら水圧でぺしゃんこになってもおかしくないが、何の圧力も感じずに泳ぐことが出来ている。


 そう、泳いでいる(・・・・・)のだ。前世(・・)ではカナヅチだったこの私が。

 とはいえ、海の底に居るこの状況で泳げないとかあるわけないし、仮にそうだったらとっくの昔に死んでしまっているのだけど。


 前世。

 そう、私は生前の記憶を持ったまま生まれて来た。

 幼い頃に溺れかけたことによるトラウマでカナヅチになった、女子大生の記憶だ。

 事故で橋から投げ出されて川に落ちた私は、そのまま溺れて命を失った……筈だった。

 しかし、命が尽きる直前に不思議な声を聞いたかと思ったら光に包まれて、気付いた時にはこの世界に生まれて、こうして生きている。


 いきなり水の中で流石に最初はパニックに陥ったけれど、次第に慣れて状況を把握することが出来た。

 転生という事実を理解した私は、同時にここが生前居た世界とは異なる世界であることも悟ることになる。

 そんな突拍子もない事実をあっさりと受け入れられたその理由は、元の世界ではあり得ない生物をこの目で見たためだ。

 と言うよりも、自分自身がそうだった。


 腰まで伸びた母譲りのウェーブがかかった黄金の髪。

 母親似とよく言われる整った顔立ちに、父親譲りの紫色の瞳。

 水中を泳ぐのに適した流線型のボディを包むのは、胸を隠す二枚の貝殻のみ。

 ……そして、しなやかな蒼い尾びれ。


 元の世界ではあり得ないと言ったが、それは現実の中に限定しての話。

 空想の中でもよいのであれば、同じような生物はあの世界にも存在した。

 人間の上半身に魚の下半身を持つ生き物──すなわち、人魚(マーメイド)だ。

 断じて、半魚人ではない。


「ほんと、どうしてこうなった」


 うん、確かに生まれ変わったら泳げるようになりたいとは言った。

 言ったけど、これは何というか想定外過ぎる。

 確かに泳げるようにはなっているけれど、何か違うんじゃないかと思う。

 私はあくまで人間として泳げるようになりたいと思っただけで、人外に転生したかったわけじゃない。

 まさか、こんなファンタジーの産物になってしまうとは。


 とまぁ、最初は途方に暮れたけれど、何だかんだ言いながら順応してしまった私が居る。

 流石に二十年以上──深海にカレンダーなんて無いから正確なところは分からないし、そもそも元の世界とこの世界で暦が一緒である保証もないけど──も生きていれば、慣れるのも道理だ。


 ちなみに、どうやら人魚族(マーメイド)は前世の人間ともこの世界の人間とも寿命が違うようで、大体一・五倍から二倍ぐらいは生きることが出来るらしい。

 生まれてから二十年以上経っているけれど、外見で言えばせいぜい十代半ばといった感じだ。

 だから、まだ少女と名乗っても問題はない。多分。


 なお、順応出来た理由は長い時を過ごしたからだけではなく、もう一つある。


『まだ言ってるのですか、貴女は』

「いや、言う権利はあると思うんだけど」


 脳裏に響いた呆れたような声に、私は頭痛を堪えるように頭に手を当てながら答えた。

 この声は、耳から聞こえたものではない。私の中から聞こえたものだ。

 そして同時に、この世界に転生する直前に聞いた声と同じものでもある。


『それについては既に納得した筈ではないですか、フィリエス』

「納得したというより諦めただけだってば、リーン」


 声が呼んだフィリエスと言うのは、今生での私の名前だ。

 一方、私が呼んだリーンという名前はこの「声」が転生後に教えてくれたものである。


 この世界に転生してようやく現実を受け止められるようになった頃、突然頭の中で声が聞こえて来たのだ。

 その時はあまりにも唐突だったのでパニックになってしまい、周囲の人達からひどく心配されてしまった。黒歴史である。


 その後、名乗ってくれたリーンから説明して貰ったところによると彼女は元々こちらの世界の存在で、何か叶えたいことがあって人材を欲していたらしい。

 しかし、この世界の存在ではその願いに適う者が居らず、私が元居た世界で死んだ人間の魂をこちらの世界に誘導しようとしていたそうだ。

 そして、そのお眼鏡に適ったのが私というわけだ。

 彼女が叶えようとしている願いについては教えて貰えなかったため、何故私が選ばれたのかは分からない。もしかすると、誰でも良かったのかも知れない。


 なお、彼女は別に私の別人格とか本来の身体の持ち主というわけではなく、憑依しているだけだそうだ。

 なんでも、私をこちらの世界に転生させる際に無理をしたせいで力を消耗し、そのまま一緒に身体に入ってしまったらしい。

 その気になれば抜け出せないことはないという話だが、彼女の元の身体は活動出来ない状態なので戻ると身動きが取れなくなってしまうそうだ。


 結局それ以来、彼女は私の中に宿る形で一緒に過ごしてきた。


『ほら、早く行かないと遅れてしまいますよ』


 この同居人は口うるさいのが玉に瑕だった。

 アンタは私のお母さんか!

投稿開始後一週間は毎日投稿予定です。

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