妄想オヤジ 年上のひと編
実らなかった恋は、いつまでも記憶に残るもの。
彼女いない歴22年だった自分を思い出して、書きました。
森嶋高志は、五十四歳になった。息子の翔介は大学四年生、娘の朋美は大学一年生に成長した。ある日、息子の翔介が話しかけてきた。
「お父さん、俺、大学院へ行きたい。」
翔介は高志の大学時代と同じ電子工学科だが、横浜の一流国立大学で学んでいた。そして、自分の進路をしっかり見据えていた。
[立派に育ってくれたもんやのぉ~]
と思いながら、高志の回想は始まった。
* * * * *
「森嶋君、これはどういうことだね。君は私の顔をつぶした・・どころじゃない。前代未聞だ。」
杉本教授は、静かな口調ながら激しい怒りの視線を、森嶋高志に突き刺してきた。高志が福井県の二流大学の四年生のときだった。杉本教授は研究室の担当教授。その日、高志が就職試験を受けた一社目の東京の会社から、不採用通知がきたのだ。
文系の学生にとっては一社どころか十社、二十社の不採用も珍しくはないだろう。だが、高志の所属する電子工学科は常に売り手市場で、第一志望で当たり前のように合格していた。北陸の二流大学とはいえ、〈国立〉の文字も入っていたし、担当教授の推薦状があれば、不採用はまず有り得ないことだったのだ。
小一時間、高志は杉本教授に、こっ酷く叱られた。推薦状が無にされたことよりも、会社の人事担当者が教授に直接電話をしてきて、高志の程度の低さを散々罵り嫌味を言ったらしい。これはもっともな話だった。高志の会社選びの選考基準は、
・東京にあること
・給料が高いこと
・企業紹介パンフレットに可愛い女の子が写っていること
この三点に集約されていたのだから。会社の事業内容がどうとか、社風がどうとか、将来性があるとか、自分のやりたい仕事があるとか、そんなことはどうでもよかった。
そうしてのぞんだ入社試験では、募集要項に何ら記載の無かった筆記試験があった。それと面接があった。『学生の売り手市場』という言葉を鵜呑みにし、採用されるのは当たり前と思い込んでいたので、筆記試験があるとは夢にも思わなかった。もちろん試験対策などする訳もなかった。また面接については、
『ありのままの自分を伝えればいい』
と、親切な先輩からアドバイスを受けていたので、ありのままの自分を語ることにしていたのだ。
結果、筆記試験はほぼ0点。面接では、
『激しい妄想癖があること、バイト、パチンコ、麻雀、などに明け暮れていたこと』
という、ありのままの自分を素直に正直に語ったのだった。そのとき、社長をはじめ取締役全員が引きつった表情をしていた。この状況は、高志に自信を与え、とても安心させてくれた。
[超個性的な人間と思てくれたんやなぁ。採用間違いなしやって!]
と妄想していた。まったく能天気な男だった。
実社会では、ありのままではいけない、素直さや正直さは決して表に出してはいけない、ということを、そのとき初めて学んだ高志だった。しかし、杉本教授のことは許せなかった。高志のアホさ加減を学科中にふれまわり、〈おバカの森嶋〉を有名人したのだ。それだけなら、まだいい。電子工学科の紅一点の事務員『小久保浩江』にまで、直接話したのだ。
これにはさすがに男・森嶋高志はぶち切れた。妄想の中で。
小久保浩江は、電子工学科の学生と職員の全二百五十名の中で唯一の女性で、歳は高志の三つ上の二十五歳だった。電子工学科の窓口となる事務室で、学生の庶務を一人で処理する役割だった。ちょうど高志が四年生になったときに前任者が辞め、臨時職員として入ってきたのだった。容姿端麗、性格快活、頭脳明晰、の素敵な女性だった。才色兼備の女性が個室の事務室で一人で事務をこなし、入室者があると手を止めてニッコリ微笑むのだった。文豪の有名な小説の書き出しを思い出さずにはいられない。『暗い暗い男だらけの電子工学科の事務室のドアを開けると、そこは天国だった』と。
四年生は就活時期なので、事務室に行く機会が多い。しかし、何やかんやと用事を作り事務室に行くのは四年生に限らず、教授、助教授、助手、講師、技官、大学院生、出入り業者などのすべての男どもで、事務室の扉はまさに天国への入り口になっていた。
そんな小久保浩江に〈おバカの森嶋〉を印象付けてしまったのだ。彼女いない歴二十二年の高志にとっては、就職不採用よりも、何千倍・何万倍もショックだった。
小久保浩江とは、夏休みに一度ドライブに行ったことがあった。もちろん二人きりで行ったわけではない。そもそも高志に彼女を誘うだけの勇気はない。同じ学科の友人二人が浩江をドライブに誘って、おまけで高志も誘ってくれただけのことだ。誘われた理由は、小久保浩江が高志と同じ高校出身だと判明し、会話のネタになると思われたらしい。とは言っても、三歳差。高志が高校に入学したときには、すでに卒業している。共通の話題などない。しかも暗い高志は、ろくに女性と会話をした経験もなかった。とりあえず付いて行ったが、会話は盛り上がらなかった。
一つだけ、印象に残った会話があった。
浩江が言った、
「遠い将来、私の子どもが就職活動するころには、みんな会社の重役さんやねぇ。そんときは、よろしくお願いしますぅ。」
京都の女子大で四年間過ごしていたとのことで、若干の京都弁が混ざっていた。この問い掛けに男三人は、
「・・・・・」
どうやら高志は当然として、ほかの二人も、その子どもが自分と浩江との子であることを妄想していたようだった。
浩江については、ミステリアスな部分もあった。京都の女子大は結構名の通った大学である。彼女の能力と容姿から考えれば、普通に大企業のOLになっていてもおかしくはない。なのに二十五歳にもなって、なぜ福井くんだりの二流大学の臨時職員なんだろうか? これは学生の間で、大きな興味のマトになっていた。その理由を高志の親友が、自信満々に語った。
「小久保浩江は遊び人なんじゃぁ。化粧濃いぃし、髪の毛染めてるし。二年ほど男遊びしてたんやろぉ。第一あいつB型やぞぉ。B型の女は遊び人に決まってるげぇ。B型人間は信用したらあかんって!」
そう語った親友もB型だった。
夏休みのドライブが縁で、森嶋高志は小久保浩江に顔と名前を憶えてもらえた。大学の廊下をすれ違うときは、会釈しあう程度の関係にはなった。そんな浩江に杉本教授が〈おバカの森嶋〉をボロクソに語ったのだった。
[小久保さんはもともと高嶺の花。今さら悪いイメージが付いても、な~も変わらんわな。ほやけど杉本教授だけは絶対許さんって。]
杉本教授は百三十九回殺害された。妄想の中で。
十二月に、高志はようやく就職内定通知をもらった。電子工学科の中で最も遅い内定だった。一応、希望通り東京の会社に入った。第一希望だった不採用の会社は大企業だったが、内定した会社は名も知れぬ中小企業だった。それでも高志は、東京に行けることにウキウキしていた。ちなみに、正確には本社が東京にあるだけの会社で、職場は埼玉のド田舎なのだが・・・。高志にとっては、関東地方=大都会東京と思っていたので同じことだった。
卒業の近づいた二月。冬の北陸は天気が非常に悪い。この日も雪が降り出していた。高志は、卒業論文関係の資料を提出しに事務室に入った。普段は会釈だけの関係の小久保浩江が呟いた、
「また雪やねぇ~。」
高志は極度に緊張していたが、それを悟られないように答えた。
「ほうですねぇ~。まぁ、スキーぐらいしかすっことありませんねぇ~。」
すると浩江は、
「森嶋君、スキーすんのぉ? 私もすき~。」
突然のオヤジギャグに目が点になったが、苦笑いを浮かべながら、
「あっ、ほうですかぁ? ほなぁ、今度一緒に行きましょか。」
と、当たり障りなく受け流した、つもりが、
「行こ行こ。ほないつにするぅ?」
と返してきた。高志は、浩江が夏のドライブのように、大勢でスキーに行きたがっているのかと思った。ところが、
「森嶋君、車あんの? 私もあるけど、森嶋君ので行きたいなぁ~。二人でなぁ。」
ときたもんだ。
[『二人でなぁ』それってデートってことけ?]
高志の頭の中は錯乱状態になった。彼女いない歴二十二年、女性とまともに会話もできない。当然、デートなど一度もしたことがない。それが、降って沸いたように電子工学科二百五十名のマドンナと、スキーデートをすることになるとは!
* * * * *
突然、興奮し出した五十四歳の父親を、息子の翔介は冷静に観察していた。
「お父さん、大学院の学費なら奨学金でなんとかなるから。あとパソコンとか専門書は、アルバイトで自分で買うから。」
「おっ、おお、なんにも心配しなくていいんだよ。思いっきり勉強しなさい。」
トビが鷹を生むとは、このことか。親と違い、横浜の一流大学の大学院を目指す息子に感心する森嶋高志だった。
しかし、高志の回想は止まらない。
* * * * *
平静を装いながらトントン拍子に段取り、翌週末のスキーデートと決まった。事務室を出た高志は、痴呆老人のように研究室に戻った。今起こったことが現実だと理解するまで、一時間四十三分を要した。そして、翌週末に起こるであろうもっと素晴らしい出来事に、妄想を膨らませるのだった。ただし、親友が語った小久保浩江評『二年ほど男遊びしてたんやろぉ。』の言葉が引っかかった。
[三歳年上の美女が、な~も取り柄のない学生をからかっているだけでねぇんか?]
[いや、ほんでもいい。たくましく遊ばれてほしいゎ]
と妄想する高志だった。
スキーデート当日、高志は浮足立っていた。三歳年上で世間を知っている小久保浩江に対し、対等な関係でいようと、思いっきり背伸びをしていた。車の助手席には浩江が座っている。二人だけの世界。ハンドルを持つ手は震え、アクセルを踏む足はすくみ、心臓はバクバク音を立てている。それでも高志は、デート慣れしている男のふりをして、余裕たっぷりの会話を試みたのだった。無理はいけない。会話がトンチンカンだった。それでも、年上の浩江は、高志のとんでもないスルーパスの連打を神業のようにことごとく拾い、ゴールを量産してくれた。一見会話が弾んでいるようで、実は小久保浩江の手のひらで、高志は適当に転がされていたのだ。そんなこととは露知らず、有頂天にドライブし、スキー場に着いた。
高志は、女性をエスコートすることさえ全く知らなかった。重いスキー板やスノーブーツを持ってあげることもなく、亭主関白風に自分勝手に準備を整え、一人で滑り始めてしまった。
浩江は優しかった。そんな子供相手に文句を言うこともなく、楽し気に振る舞ってくれていたのだ。スキーの技術も、浩江の方がはるかに上だったが、高志のスキーを褒めることも忘れなかった。
高志にとっては最高のデートだったが、浩江にとっては気遣いばかりの最悪のデートだったに違いない。
大学卒業、そして就職。高志は東京に出て行った。浩江とのスキーデートは、高志の故郷での唯一の素敵な思い出になった。と同時に、現在も進行中であると思っていた。浩江がどう感じていたかを思いやることもなく。
高志は時々、浩江に電話を入れた。しかし次第に、電話をかけると『入浴中です。』という浩江の母親の返事が多くなった。そこで気がつくほど高志は大人ではなかった。お盆に故郷に帰ったときには、『入浴中です。』の返事から三時間後の再電話でも、『入浴中です。』の返事を頂戴してしまった。結局お盆期間中は会うことが出来ず、後ろ髪を引かれる思いで東京に戻った。そして、正月の帰省。祈る思いで浩江に電話した。
「森嶋高志と申します。浩江さんいらっしゃいますか?」
浩江の母親は答えた。
「浩江は、嫁ぎました。」
* * * * *
五十四歳になった森嶋高志は思う。小久保浩江は、杉本教授から〈おバカの森嶋〉の話を聞きかされ、同情していたのだろう。高志の心の傷を察して、さりげなくスキーデートに誘ってくれた、優しいお姉さんだったのだ。
[小久保浩江さんに子どもがいるとすれば、もう三十歳くらいやなぁ。もう孫もできて、優しいおばあちゃんになってるかもなぁ]
遠くを見やりながら、少し涙ぐんだ父親を見た息子の翔介は、
「大丈夫、大丈夫。俺、もう大人だから。」
ショートショートの作品になりました。
今後も『妄想オヤジ』をシリーズ化して、書いていくつもりです。