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最後は笑顔と偽りで(上

もうすぐで、形だけの序章は終わります

風が凪ぐ、その光景は碧に染まった感覚を得た――


身に吹く風が心地よい。短い丈の草が広がる草原に思わず、立ち止まって優多は息を吸い込んだ。体の内に溜まっていたものが吐き出される感覚は癖になりそうだ。透き通った空気を吸いながら、5歩先を進んでいる彼に声を張る。


「気持ちい場所ですね……。王都とは全く違って」

「それはよかった」


忙しない王都を抜けて、この草原に辿り着く。


優しい風が草原を撫でた。

その跡を彩るかのように朝日がそこに反射する。薄く黄金掛かったその青空と丘陵な草原は不思議と地平線を介しても、どこか繋がっているかのような美しさを感じた。


風に吹かれるまま、優多たちはその大地を登ったり下りたりを繰り返しながら、道の無い道を歩んでいくのだった。


例の一件から5日ほど経ったある日、クリオッドに頼まれて彼の故郷に来た。まだまだ監視期間ということもあり、優多自身もクリオッドのそばを離れるわけにはいかないのだが、それでも、どこか自分が自分で申し訳ない気持でもあった。

本当は一人で来たかっただろうな、なんて優多はクリオッドの背中を見ながら思う。彼は今どんな気持ちでいるのだろうか――

多分、自分にはわからないだろう。人の心を覗けるわけがないのだから……。


ふと、一つの何ともない、ただここ一帯では一番高い丘を登り切ったときに、強い風が体を吹き付けたのだ。音が伴うほど、肌寒い風が吹く――あたり一帯が不自然なくらいに静かになった。

すると、そんな静寂の中で彼は、言った。


「ありがとうな」

 

優多はまるで、水面に一滴の雫を垂らしたような、そんな啞然に似た感覚を覚えた――


それを、一旦切り取るように、さっきよりも一段と強く吹き付ける、風が静寂を断ち切った――


その強風の渦の中で、

優多は依然と内も外も啞然とした表情で、何をもっての「ありがとう」なのだろうと、さっきまで流れていたくだらない思考が止むと同時に、空気が抜けるような声が出た。

いや、声というよりかは軽い嗚咽に近かった。


風がまた元通りになると、落ち着いた雰囲気で優多は、噛み切れないものを飲み込むような感覚のまま口を開く。


「いえ……こちらこそすいません」

「いいんだよ」


それは優しい声だった。


「一人じゃこれなかったから」

「なら、よかったです」


彼は、こちらに顔半分向けて柔らかい雰囲気で微笑を浮かべた。

それにどこか納得したように優多は、「うん」と頷いた。


「なあ、お前は……どう思う」


歩きながら、クリオッドは優多に問う。


「何がです?」

「俺の事」

「ああ、そうですね……」


その答えに、優多はどうするべきか渋った。

正直、優多自身彼への評価はいいものでも悪いもでもなく、過去の事を汲めば肯定はできず否定もできない。優多の中でクリオッドという人物は絶妙なラインに位置する人間だった。倫理的に考えれば、彼は報われるべきなのだろう。

しかし、他人を巻き込んだという事実は変わらない。しかしそれの根本は華日の能力によるものなのだ。

だから、全ての事を感情抜きに考えれば、彼は悪くない。しかしそれはあくまで感情を抜きにすればの話だ。「彼は悪くない」という事実と「彼は悪い」という二つの反した思考が優多の判断を狂わせる。


「……そんなに難しいもんか?」

「正直、複雑です」


しかし、声は前を向いていた。「そうか……」そう、残す彼だったが、その短い言葉に含められた色というのは、どちらかといえ暖かいものに近かった。


「悪かった」

「いえいえ!謝らないでくださいよ!貴方は悪くないんですから……」

「偽善者だねえ」

「そうかもしれないです」


 そうかもしれない。自分は、彼が言ったように偽善でものを決める人間なのかもしれない。それが善か悪かは状況によるだろうけど……。

 現に、クリオッドの善悪の境界がつけられない時点で、自分という人間は完全に偽善者なのだろう。


「でも――」


それでも、少なからず心のどこかで思っていた、自分自身の心の内を明かしてもいいのなら――

優多は言った。


「悪い人じゃないって思っていることは本当ですよ」


そんな言葉にクリオッドは「そうか」と嬉しそうに言う。


「クトシルファだな」

「僕らの世界では性善説って呼んだりしますよ」

「面白い言葉だな。日本語もいいかもしれない」

「大変ですよ、覚えるの」

「そうかもな」


優多とクリオッドはそういって、微かに笑い合いながら、その山道を登り続けた。取り留めのない……。しかし、確かに意味はあった。

そんな会話の中に、彼は少しづつ、今この山に登る意味だったり、前に軽く耳にした彼の過去のすべてを話してくれた。

彼の好きだった景色、人、モノ、匂い、食べ物、温もり……。

 そう、彼は気づいたら無邪気にそのことを語っていた。どれほどそれが楽しいことだったかを、懐かしむような声に乗せていたので、それは思い出というよりかは、哀愁漂う語りというものに近かった。


『悲しかった事も、辛かった事も悲しいけど過ぎ去った事だから』


そう彼は言う。


そうなのだろう。まだ何も失っていない優多にとって、それは微かな不安でもあった……。

彼が今生きているという事は、前を向こうと決意したから……。ふと、ある思考が脳裏を過るが考えるのをやめた、そうでないで欲しい所だが、実際はどうだろう。


……辞めよう。他人の詮索なんてあまりしたら失礼だ。


しかし、と優多はふと、彼の「今」に心のどこかで安堵していた。


ふと、小さな……でも登れなくはない崖を登る事になった。どうやら、あったはずの階段がなくなっていたらしい。

先に登ったクリオッドは優多に向かって手を差し伸べた……。そんな光景に、優多はどことなく感傷的な気持ちになった。


「どうした?」

「初対面の時……今思えば、懐かしい気もします。どこか遠い出来事のような気がして……」


そう笑いながら、彼の手を取って、小さな崖に足をかける。


「そうだな……。今思えば最悪な出会い方だったな」


 彼も静かに楽しく咀嚼するように笑みを浮かべながらそう返して「今こうしていると、余計にな」と付け足した……。

 染み渡るような複雑な表情したのは彼だけじゃなく、優多もだった。

 クリオッド・アデラの監視初日……。今から5日ほど前だろうか、その時に比べれば、いくらか心を開いてくれた


※※※※※


「こん、にちは……」


その簡素な客室の真ん中に、彼は椅子の上で体育座りをしていた。

こちらを睨むかのような、そしてこちらを見下すかのような目をしているのが第一印象だった――


事件の翌日。

クリオッド・アデラの監視係を無限に指名させられた優多は当然複雑な気持ちだった。彼は、悪か善かこの時優多にその考えの荒波は既に過ぎ去って、今は穏やかにそこまで強くは思っていなかった。

しかし、その思考を捨てきれずにいた。

そもそも自分がどういう立ち位置であるのかさえ、微妙な気がしてならなかった。


そんな神妙な面持ちで、彼は、廊下を歩いていた……。

今歩いているそこは、館の南側で、そこまで被害は被っておらず、比較的に元の状態に保っている場所で、彼らは残った室内に安置されている状態だった……。

 

 優多は優多自身の事を考えた。

 自分は一体、何なのだろうと。化物か英雄か、対局した……しかし、紙一重なその存在のどちらなのかと、優多はふと、何度も何度も自問自答を繰り返していた。それは今もそうなのだ。

 あれから、脳の裏側から問われない時間なんて、一秒たりともなかった。

 その、答えの見つからぬ自問自答を繰り返しているのは何故なのか……優多自身もわからなかった。

 否、答えは出ているはずだった。いや、答えは既に導き出されていたいたのだ、しかし、私は、それにさえ疑っているのだ。「信用できない」というほど、重いニュアンスではないが、しかし心のどこかで不信に思っている所があるのだ……。

 自分は……。


 陣之内優多は――人間なのだろうか。


 ただ一つ、わかることがあるとすれば、今まで出されてきた答えは全て数学的な、単純な考えで、いまある問題は、ずっと問い続けているそれは。

単純な式で解決できないほど複雑なものであることが、今はっきりとした。

もっと明確に示すのであればそれは、哲学的であり宗教的であり国語的な……。それすべてを兼ね備えた「人情」というものに似た。

『偶像崇拝的思考』なのだろう。


陣之内は、止めていた足をまた動かした……。


その神妙な面持ちのままだったが、ふとした拍子に思考が違うものになる、それはこれからの出来事への懸念だった。話は戻ったのか移ったのかは、優多自身も分からない。


綺麗にガラスの抜けた窓が連なる、南館。他のメイド達が伺えないのは、安全面を考慮して別館に避難しているからだった。クリオたちを監視につくまで、彼女たちには避難するよう、無限とカイトから指示が飛ばされている……。

瞬間、雪華は大丈夫だろうかと心配になってくる。彼女が担当するのは華日だ。それを本人の目の前で聞いたときは、驚愕して思わず無限に意見した。しかし、それこそ驚きだったのだが、彼女が「全然大丈夫」みたいなことを口にしたのだった……。


全然大丈夫。

自分を殺そうとした人間にそう答えられる、彼女に優多は心の奥底で理解し難い何かに取り憑かれたままだった。

その他の彼女達も、当然といった風でいた……。死んでいたかもしれないのに……なんてことを思っていても口出す気にはなれず、一人まだ納得できないままでいた。勿論わからないままではない。その風習というか空気に疎い自分に、ステレットが優しく説明してくれたのだ。

それでも、優多の腹の奥では消化しきれずに、小さな欠片が滞っていた。


『危険だという事はみんな承知の上です。でも、これも私達の仕事の一環ですから……』


 仕事の一環。そう言葉で、さも当然かのように告げるのは、非日常なのか日常なのか、もうその判断さえ、優多の常識を塗り替えてしまいそうだった。

 優多は思った、そうだよなと……。


 これだけの力があって、互いに違う種族の人々が暮らし合っているのだ……。それが普通なのかもしれないな。


 だけどもそれは、優多にとって理解できたと問われれば、それは違った。

 体は彼ら彼女らとはそれほど変わらない。

 けれども、心や精神はまったくもって、元のままで――それが良いことなのか悪いことなのか……。こんな状況になっても分からないままだ。


 ――遂に来てしまった。


 扉の前に優多は畏まって足をそろえ、そわそわと、落ち着かない体を慣らし、深い呼吸を一度した。

 息を思い切り吐くと、今あるすべての緊張が一緒に体外に出るような感覚を得る。まあ、ほとんど気持ちの問題だけども――


「陣之内優多です」


 返事はなかった。

 二度目も同じく返事がないので、恐る恐るドアノブに手をかけた。ひんやりと冷たいそれに握る力が強張った……。

 部屋といっても、ここ一帯はあまり使われない場所。だからか軋む。同じ屋敷なのに、方角が違うだけで、ここまで格差があるものなのかと心の中までも笑みが強張るのだった。

 まあ、あまりにも大きな屋敷だから、事前に大きく分けているのだろう。

 にしても、軋むしドアの建付けが微妙に悪く、目に見えないコツがいる。上に持ちあげながら開けるのだ。


 ドアノブを握り占める手は緊張している……。もう、握りしめたそれに冷気は感じず、おまけに少し滑るようにもなった。

ドアを少しずらしただけで、まだ完全には開けてはいない……。まだ、中の様子は確認できていないのにも関わらず、緊張が増す。


そして、完全に開けた途端目の前に広がっていたのは、暗闇のような静寂に似た、落ち着いた雰囲気だった。ダークな雰囲気といった方が近いかもしれない。

その眼前に広がったそこの中心にあったのは、椅子の上で縮こまっている彼の姿だった――

昼間の太陽が傾き始めた頃、部屋は陰で覆われ、ガラスから通った光が逆光として彼の姿を縁取っていたのは今でも目の記憶に残っている。


そんな暗闇に居た彼は、洞窟のなかでただ雫が垂れているだけの、そんなちっぽけな感じにも思えた。

とてつもない悲しみと、言葉に形容し難い、憤りと共に溢れ出る呆れ。

こちらを吟味するような視線は、優多にとってそんな風に見えた。だけども、彼は決してこちらの方なんか見ていなかった。

焦点が合っていないらしい。こちらを覗いているようでただ目をそこ一点に向けているだけ、情報が通り過ぎているだけにすぎないのだ。


優多は未だ、その緊張が解けておらず、次にかけるべき言葉が見当たらない。ちゃんとした言葉が扱える種でも、優多はそこまで堪能した人間ではない。

何より中学2年の、齢14の少年には荷が重すぎる行いだった……。


裏切られた彼の感情なんて瞳を見なくとももう十分なくらいに、分かる。しかしそれ故に、優多には、どう彼に声をかけるべきか、迷い続けていた。


ゆらりと彼を形作る陰が揺れる。

光の加減でうっすらと彼の表情が照らされて、憂鬱そうな顔が露わになる……。


「あの――」

『なんだ、優多か……居たんだ』


 その一言に優多は、吐こうとした息を飲み込んだ。彼は不気味に口の端を上げる。そんな彼の表情からは虚しさしか読み取れず、優多は飲み込んだ息の苦しさに、それに対するある種の恐怖を緩和させていた。

 きつい……。

きつすぎる、とにかくこのままじゃダメな気がするっ! 何とか、何とか気分というか雰囲気をに飲み込まれちゃだめだ……。

そうやって、優多は彼の空気に飲み込まれないよう、必死にいつも通りを装う。幸い、彼は心に自制を掛けるぐらいには何とか保てているらしかった。流石の自分ではそこまでのケアはできそうにない。


「気づきませんでしたか」

『……そうだな、うん……気付かなかった――えっと……じん、じん――』

「陣之内優多です」

「そうだった」


 その時の彼の笑みには温もりが含まれて、少しだけその曇りがかった瞳に光が差し込んだようにも見え、優多もまた普段を装っていたのでいつも通り余裕のある風に微笑んでいた。けども、それは決して建前とかではなくて――


「これから一週間ほど、お世話させていただくことになりましたので、よろしくお願いします」

「うん……」


 しかし、それまでの表情が続くことなどなく、ましてやいい方向にいくことなんてなかった。彼のさっきまでの表情が崩れ、一瞬、表情と表情の間のほんの一瞬、嫌悪の瞳をしていた――

彼の正面にいたのだ。そんな微妙な表情でさえ、逃すことはなかった……。

いや、「微妙」なんかじゃない、自分から見たらそうでも彼にとっては多大な内の一つなのだ。そうじゃなければ、こうやって伝わるはずがないのだ……。


 今の優多には、第三者による心の葛藤の最中だった……。


「あの……」


 思い切って、話しかけてみたが、やはり気まずい雰囲気になってしまう、わかってはいた。しかし、この現状を何とか変えたくて、それ故に導き出した答えが、コミュニケーションを取ることだった。

 なんとも、不器用な答えだと、優多は思った。けれども、これしか方法が見つからないのだ……。


 それから、二人の距離感としては地獄のような日々が始まった。


 話しては無視をされまくる日常。

 一日の流れとしては、基本的に自由だ。ただ、優多が監視人として、彼の近くにいなければならず、たまに舌打ちされたり、声には出さないがあからさまに不満そうな瞳をこちらに向けてきたりするので、その度に、申し訳なさを感じながら、微笑を浮かべてごまかすのだった。

 初日、まだ午前中で、眠れたかどうかを聞いてもやはり無視。

 聞いてるのかどうかさえ分からない表情で話題も早々に尽き、気を付けていないとため息が出そうになる……。

 

 しかし、それでも彼は美しく感じた。

 どちらかというと儚い感じ。

 黙っているからか、まるで薔薇のような存在に思えた……。


 無限からは、ほとんど何も聞かされておらず。監視の具体的な指示は8割カイトによるもので、なんと言うか、いつもの光景だと納得してしまう。

 そういえば、無限は、ここの主として、色々な仕事をしているという話だけれど、一体どんな仕事をしているのだろうか……? わからない。


「そういえば、む……主は何をしているんでしょうかね。こんなんでも、来たばかりでほとんど知らないんですよ」

「……」


 一応、形としては仕えているので、無限の事を主と呼ぶことにした。

 その方が、ここに住んでいる者としてなんとなく正しいような気がしたから……。しかし、彼から返事が返ってくることもなく、ただ鬱陶しい表情をこちらに向けて歩くスピードを上げるのだった。


 やはり、ダメなのだろうか……。

 逆効果なのだろうか……。


 撃沈しそうになりながらも、優多は屈せず話しかけることに専念した。微妙な距離を保ちつつ警戒心を解こうと頑張る。


※※※※※


 カイトからは、館の案内やら散歩にでも連れてってくれという事で、今彼を連れて、庭に来た。


「どうですか?気持ちいでしょう」

「……」


 やはり、あまり良い反応を示してはくれなかった。

寝そべって微笑みかける優多に対して不満そうな顔をすると、すぐにそっぽ向いて歩き始めてしまった――


彼の扱いに最も困惑したのは、食事だった。


食べないのだ。

無限やカイト曰く、食べなきゃいけない体質であることは、明白であるのに彼はそれを口へ運ぼうとはせず、他のメイドが食べさせようとしても、顔を背け嫌でも口に入れない……。メイド共に顔を合わせて優多は、困惑するだけだった。

 しかし、幸いなことにクリオッドには敵対意識は無いようで、ひとまず安心した。

 風呂も就寝も、驚くほど素直に応じてくれたことが何より優多にとって新鮮で、しかしそう感じるのは、午前中とのギャップが大きいからだろう――



 やはり、クリオッドの監視をしてきて二番目に衝撃的に感じたことといえば、今まで拒否してきた食事を3日目にして受け取ったことだった。


その日はごく普通の日常だった。

朝起きて、身支度を済ませて、クリオッドのいる部屋へ行く、彼の監視も3日目ということもあってかだいぶこの生活にも慣れ、気分は安定して平穏を保っていた。その光景を確認するまでは――


いつものように、彼の世話係兼監視係として、食事を彼のもとへ届ける。

何の変哲もないその行為が、それまでの優多からしたら億劫でどうせ食べないだろと、字で書けば冷たく突き放される印象を持つが、でもその言葉に偽りはない。

実際、めんどくさいし……。


そう思いながら、いつものように彼の目の前に朝食を差し出す。「食べれたらで大丈夫です……」そう言って、彼から少し離れて、倒れた椅子を起こしてその様子をちらちらと伺う。近くにいたら、余計に食べづらいと思った故の行動だが、どうなのだろう。

そんな日常的な思考を他所に、自分の分も食べ始めた。


 今日も美味しい……。普通のポタージュスープに普通のパン、普通のサラダと、普通の平均的な朝食で、バランスの取れたメニューだった。

 普通、いやそれ以上にここのご飯は美味しいのだが――しかし、今日は違った。


目の前の光景に、優多はパンを持ったまま啞然とする


「食べてる」

「……」

「食べてる!」


食べていた。あれだけ、食事を拒んでいたクリオッドがパンを恐る恐る齧りついているのを見て、その光景に優多は踊るように、席を立ちパンを持ったままその嬉しさに、ついつい喜びを全身で表現する。

 ただ、クリオッドはというと、まったく動じずパンに貪りついていた。


第三者の自分は問う――このカオスな空間は何なのだろうと。


※※※※※


『……楽しいか?こんな人間の前にいて……』


 それは久しく聞いた彼の声だった。しかし、その声には元あった力強い生気は感じられず、まるで、今にも風に吹かれて消えそうな灯に見えた。

そんな中で一番記憶に強く残っているのは、衰弱したはずの彼が「……なあ、お前……名前を教えてくれ」と遠慮がちに聞いてきたことだった。それまで彼は食事を食べる以外、基本的にぼんやりとしたままで、心の内で自殺をする前の人間はこんな感じなのだろかと本格的に心配になっていた。

『一番記憶に残っている』その中にも入るが、そんな彼が、元の姿を取り戻すまでの光景は一番忘れられないと思う。


その過程は話さないが、しかし、その日々はとにかく困難であり、最難であり、また楽観であった。情緒不安定なクリオッドの宥め役である優多は心が痛いままで……。

だけども、何よりも濃密な二日間だったと思う――

 その過程を話さないと言ったのは半分嘘で半分本当である。つまり前言撤回ということで、その日々の中を短く切り取って縫い合わせるような言い方になるが、彼が回復するのは、早くも遅くもなく、でも長いようで短い、そんな気がした。1秒が1時間くらいに、濃密な日々だった。

 それを話すのは本一冊にとても収まるような内容ではなかったので上記したように、縫い合わせる。


 基本、自分へ話してはくれるが、それはとてもじゃないけど笑うことの許されない自虐で、見た目は変わらずとも、精神は見るだけでわかるくらいやせ細っていた……。

 ただ、そんな彼を変えたのは、一通の手紙だった。


 未来便通という名の一種のタイムカプセルというものだ。

 そんな、「多世界では常識」というものに慣れていない優多にとって、「?」で返すような代物だが、要は魔法やら錬金術やらで、人の声や映像を取り留めておけるということだ。仕組みとしては携帯電話に近しい印象を受けた、いわばそういう世界の情報機器なのだろう。やろうとすれば、VR的なこともその封筒一枚でできるらしい。

 魔法の力ってやっぱりすごい。ちなみに科学と錬金術は似て非なる存在である。


 どうやら、彼が以前話してくれた大事な人からのメッセージらしかった。

 プライベートということもあり、僕は見ていないが、彼は泣いていた。静かに立って、涙を流していた。

 それ以外に言うことはなかった。

 きっとそれだけ大事な人からのメッセージだったから、こんな風に変われたんだろう。僕はそう信じたい。

「……なあ、お前……名前を教えてくれ」

 彼は、見違えるほどに元気を取り戻していた。


 それまでは前を向くことすら否み続けていた彼も、目に見えて一歩踏み出し始めている。


 ※※※※※


風が吹く

心地が良い――


そういえばと、クリオッドの口が開く。あの事変の事だった。あの時はごめんだとか、彼女らの具合はどうだとか、被害にあった人々を気にかけていて、「大丈夫だよ」と答えると彼は安心した風に顔を和ませ、前を向いた……。

思えば、怒涛の日々だった。色々なことが起きて、様々なことが変わった日々だった。


現在の状況はというと、未だ改修工事が続いて野次馬の絶えない日々。

騒がしく、カイトも久しぶりの仕事に結構疲れている様子だった。野次馬の中には勿論マスコミ等も居て、厄介だとカイトはため息を吐いていたのは記憶に新しい。ちなみに、会見は明日だ。どんな騒ぎが起こるのか、優多には未知なる領域だ。

優多自身、被害は最小限に抑えられた別館に住んでいる……というか、いつもそこに居ついてしまった為そういう形に一応なっているのだけれども、普通に用意された部屋は持っている。6帖の洋室だ。

まあ、そんなことなどどうでもよくて、そんなことなんかよりも華日とのことだ。


華日と会った。

ふとしたときにだ。


今回の主犯格であり美を操る能力を所持した彼女、華日という女に会った。

それは香花館が未だ修繕工事が始まった、クリオッドに変化が起きる一日前。つまり事変から3日目の出来事だった。

 覚えている感覚を言い表すのであれば――実に……実に清々しい感覚を得た気がする。


※※※※※


「……お久しぶりですね」

「あら……奇遇ね」


 目の前に現れたのは、前のように雅な服装とは違って、ここから貸し出しているドレスを着た、華日だった。

 未だに、その悲惨な姿を忘れられていない優多にとって、華日も、クリオッドとまた違った複雑な気持ちを抱いた……


「お……お元気ですか?」

「あら……元敵にそんな言葉を掛けられるなんて、もう余裕だったりするのね……」


 微笑を浮かべて、しかし、どこか空虚に遠くを見ていた


「長い……永い夢を見ていたようね」

「今は……どうなんですか?」


 生唾を飲み込むのと同時に聞く。


「さあ……。ただ、手のひらから何かが零れてしまったみたい」


 そう言う彼女の瞳はどこか、寂しげで儚げで……。

 その姿が、何故か優多には可哀想だとも感じて、それが不思議でならなかった。


 

彼女の瞳は、どこか虚ろげでまるで生気が感じられず人形と呼ぶほどには血の匂いが濃すぎた――


「優多……と言うのだったかしら……」

「はい、自己紹介がまだでしたね、優多……陣之内優多です」

「そう……」


 特になんとも言わず彼女はただそう返事するだけで、彼女からは何のアクションも示しはしなかった。

 既に彼女の意気は消沈している模様で、彼女の言った通り、急に何かが欠落したような反応しか示さなかった。受け答えだけまるで人形……。そういえば呪いの人形の作り方なんて文献を読んだ覚えがあったが……。

 優多自身触れたこともなければ、触れたくないので、その場で実験なんてしようとも思わなかったが、人間としての生気も感じず、人形のような潔白さもないとするなら、その呪いの人形のようなものに近いのではないのだろうかと、無駄な推察をする。


 まあ、つまるところ今の華日は前よりも少し不気味さが加わったってことだ――


 そう言えば、あの日から姿を消してしまった彼女の事を話さなければならない……。グリオードの事だ――


 今回の事変……。なんと名乗ればいいのかわからないので、香花館襲撃事件とでもしておく。その後華日の他にクリオッドとグリオ―ドを保護し、色々と作業をしている所だった。

 ボーイッシュが無限の名を叫びながら、走ってこういう言った。「グリオードがいない」と、みんな、同じ表情で驚愕し、そして、最も驚いたのがその救護テントが既に襲撃され、新たに護衛していた5名のメイドが負傷していたことだった……。

 場は混乱し、無限の仕事量が増えたことに、彼は嘆きたいのをこらえ、指示をする。まるで、戦場の中で窮地に陥った指令本部かのようにそこ一帯は困惑と焦燥に満ちていた。


 誰が、そこを襲ったのかなんて前提として、“どんな敵だったのか”だ重要だった……。仮にも、無限の分身体な訳で……。優多自身あまり彼女らの存在自体あまり詳しくはないのだが、無限の分身のようなものということは把握していたので流石にそこに居る無限とカイト以外が戸惑い、焦りなどの表情を見せた……。


 どんな手を使ったのか……。無限は一瞬で理解したらしい。華日以上の戦力だ。

 華日のような力の持ち主なんて普通にそこら辺に存在するわけがない。だがしかし、確かに存在はするのだ……。

 それが何者なのか、方角、傷の形状、全てを一瞬で彼は把握してこう一言優多に告げた。


『後で、裏世界に行く』と――


 その言葉を口にした無限は、いつものような子供らしい面をすべて取り払ったような真剣さが滲み出て、異様でない雰囲気が感じられた。

 瞬間、風が吹き荒れるかの如く、そこに居た数十名のメイド達がざわついた――が


『沈まれ』


 その言葉は、誰の言葉にも被さるようなそんな貧弱な声量ではなかった。

 耳が壊れそうなほど、大きな……手をたたくような、場面を切り取るような感覚を得た。そしてその次に柔らかな声で「大丈夫だ。ここは俺の領内だ」と、いつも通りではないが、にやりと笑ってそう宣告する彼の姿はやはり、何よりも信頼度が強かった。


「さあ、作業を再会しよう」


 無限は手を叩き、彼女らに仕事を促した――


「ここは、あの子達に任せよう。僕らは他にやらなきゃいけないことがある……」

「ほかに?」

「ああ、あの子たちには体的に無理だからね」

「と、いいますと?」

「前にも言ったけど彼らのメンタルケアね、今回は事が複雑すぎるから……」


 そういいながら、廃墟と化した館内を回り、これからやるべき事を大まかに話し合った……。

優多はその中でグリオード・フォードの姿を思い浮かべた……。

彼女と最後にあったのは、確か、ステレット達を預けた時だった、それ以来、この事変が終わりを告げてからも、彼女の事は他のメイド達が担当していたので、顔を合わせることができなかった……。

染みるような淋しさに、優多はボーっとしてしまう。


何故――ああそうか、

優多は理解した、混沌なまでに混ざり合ったこの感情が何なのかと悟る。


自分は、彼女が心配で心配でたまらないのか――


力が入るのは手か心か……。

または、そのどちらかだった。


※※※※※


 雪華によれば、印象ががらりと変わったそうな……。

 彼女が初めて華日と対峙したときに明らかに感じていた戦意が嘘のように消失して、まるで人形のようだと。

 そうか――無限は、グラスに注いだワインを飲みながら、思考を巡らせる。


「……まあ、仕方がないか」


 一人、部屋で呟いて、半壊になった執務室でいつも通り仕事をこなしていく。

 今は、今までの作業を一旦ストップさせ彼女の資料をまとめ上げるのが優先的であった。


※※※※※


 車椅子に座って、その草原を眺める華日に、雪華はただ、黙って隣にいた。

 自分を殺そうとした相手の面倒を見ろだなんて、主人もどうかしてるなんて、思ってもすぐに消え失せて、まあ、でも仕方がないで済むのがこの世界の道理なのだ。

 一歩踏み出したら自己防衛が当たり前……。そのことに何度もおかしいと喚いていた優多もいつかは、慣れるだろう。

感覚的なことだ。

だからと、雪華はただ彼女のそばで、突っ立っていた。


「ねえ――」


 その声を聴いた瞬間、たちまち怖気が、肌に現れる……が、しかし、大袈裟に何かをするなんてことはなかった。

 もう、彼女に危惧することは何もないことは、誰よりもこの自分が知っていることなのだから、だけれど、未だに慣れない……。まあ、自分で言うのも当たり前だし、なんとも複雑な気分になる。

 それはそうと――


「どうかし……ましたか?」

「風が吹いてるわ……ここの風は生温いのね」

「そうですね……。確かに、生温い」


「ねえ……」

「はい」

「私、何にもなくなっちゃったみたい……。何もかも、手のひらから落ちていっちゃったみたい……」


 彼女はどこかを向きながら、そう告げて震える手にどうしようかと雪華は迷う。迷った末に――


 無表情の、虚ろの奥深くにある感情が全く読めない、否出すことができないように見える彼女の姿が、カイトの姿と少し一致してて……。

 微笑む彼女はふというのだった


「私わからないの……。もっとあるはずなのに、何も見えないのよ」


 余裕のある言い方だった。

 しかし、言葉には普通は含まれていた。


「体も思うように動かないの、今日はそういう日」


 私は何も言えずにただ、そこに居るしかできなかった。


「だれか……大事な人を忘れている気がするわ」


 その言葉が一番雪華の胸を締め付けた。


※※※※※


 華日の身体は蝕み続けている。その事実が分かったのは、この件が終わって華日を魔術で拘束してからだった。

 流れの能力は、

スターウォーズのフォースに近いけれどもできることはそれ以上であり。世界を壊すことだってできる。それを聞いた優多の心は冗談を受け止めるもので、それほど本気で聞いてはいないようだった。

これを話すか否か……未だ彼は悩んでいた。いや、それを打ち明けることを一方的に拒んでいるだけだった。

まあ話が逸れたが僕の持つ流れの能力は万能であって、万能ではない。だから、一方的にその情報が飛び込んでくるものを拒否することはできないのだ。

人の心を見たり、透視したり、モノを浮かばせたり……。それは全て、この世の中にある見えざる概念の一つに身を沈ませたからに過ぎず。それを操るというか、もうその概念にすぎないのだ――

だから、拒むことはできず無限は『彼女』という存在を受け入れる他なかった。


その力がある限り、無限にとってのその地獄は、その悪夢は、終わることなどないのだ――


 時が過ぎる感覚はなく、彼女の全てが脳に流れ込む感覚に、無限はただ静かにその事実を飲み込んだ。

 悲しみなどない。感情のほとんどは胸の底にしまってある。そうでもしなければ耐えられそうにないのだから。


壮絶というのだろう。彼女もその壮絶の一種だった。

壮絶の中に生きる人間を、それ故に悪に走った人間を果たして罪人というべきか……。

僕にはわからない。わからないままだ。


※※※※※


 海のように広がる。草原を見下ろす。

 草木が掠れ、まるで、浜辺に来ているかのような臨場感がそこにあった。


 数本の低木、青い空と白い雲。

 あったはずの賑やかな王都は無数の丘陵に飲み込まれまるで存在が、なくなってしまっているようだった。

 そんな光景に優多は呆然とする。

 別世界に来た間隔だった。まあ、文字通りの別世界なんだけども……。


「人気がまるでないですね」

「そりゃそうだ、普通、誰もここには住まないよ」

「といいますと」

「魔獣が多いんだよ、ここは」


 そういえば、入り口から続いていたランプが、なくなっている魔獣除けのようなものだろうか。


『ついたぞ』


その光景は、あまりにも悲惨だった。生々しさが残った痕で散らばって、思わず息を呑む。

 崩れた家、単純に言ってしまえば、それでお終いなはずなのに、その残り方はどこか、虚しさを覚えるものだった。

 それを見ながら、クリオッドは、寂しく微笑んだ。


「エグァラシス」


――その声は、愛する人の帰りを目の当たりにしたものだった。


「エグァラシス、バル=フランの……家だよ」


 彼の顔は次の瞬間歪む。そして、雫がポトリと落ちる音がした。

 悲しみと虚しさに彼は、ただ立ち、その光景を見るしかない。一人はその惨劇を、もう一人は、そのもう一人の傍らで背を擦るしかできなかった。

 

 ふと、クリオッドは何かを見つける――本だった。

 本。だけれど、ただの本なんかではない。途端に感情があふれ出し、ああ……ああ……と、嗚咽にその重い支柱を無理矢理どかし木屑と木屑の間を必死に彼女の証を、生きていた「記憶」を探って探って……。

 正気を失うとは、まさにこのことだった。

 涙を咽らせながら、必死にその残骸を探る様は傍から見たらどうだろうか……。そんな考えがふと過ったとき、深緑の欠片が見えた――

 残骸を払って、あったのはあの時のまま書き残されていた黒板だった。

 あの時のまま――いつしか、彼女が言った時のまま残っていた。


「これは……?」


 そう聞くと彼は、安堵した表情で「世界で一番美しい数式だよ」と、答えてくれた。

 結構重たそうだが、軽々と欠けたそれを起こすクリオッドに、少々たじろぎながらも一緒に支えるのを手伝う。「無事でよかった」ふと漏れる、彼の言葉と表情には確かなぬくもりがあった……。


「いい学者になるよって言われたんだ」

「エグァラシスさんにですか?」

「……俺も――あれ」


 ふと、クリオッドが足元に不自然な床扉を発見した。


「地下室だ」


 その木でできた床扉は、割と重くコンクリートでしっかりと作られていた。中を覗くと、呼応するかのように壁際に不格好に並べられたランプが点灯していく。

 その状況に、二人は生唾を飲み込み、慎重に下りていく。下手したらこけ落ちてもいいくらい乱雑に作られた階段だからだ。

 ふと、クリオッドがこんなことを言い出した。


「そう言えば前に言ってた」

「地下室の事ですか」


 タンタンと靴の音が響く


「いつも入るなって言ってた」

「何があるんでしょう」


 ワクワクというよりは、ドキドキに近い。未知なる探求心が擽られるのは、クリオッドも同じだ――


 いざ、扉を開けた瞬間の光景は、驚きや戸惑い、疑惑などで、困惑させた


お待たせしました。といっても上巻です。全部完結させるにはあまりにも長すぎたので、書けませんでした。

下段も書くのでお待ちください。


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