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終止符-ピリオド-

 その瞬間は唐突に訪れた。

 多分、優多に言わせれば、これこそが恐怖だった。信じていたものが裏切られた……いや、自分が今まで思い込んでいたという、過った感覚に似ている。


 カイトがいたところは――華日がいたところは、その黒い靄で……その黒い球体ような靄で覆われていた。


 その瞬間、その瞬間。

 その空間に形を保っていたのは、その場にただ一人、優多ただ一人しかいなかった。

 何が起きているのかは詳しくは分からない。ただ、この状況を作り出した張本人はもう明白だった。


 奴が……華日が……。


 滞る優多の表情は驚愕に染まり、カイトの消失に驚きを隠せなかった……。何故……何故……。カイトの能力なら間違いなく対抗できるはずだった。無にする力

を覆すことなんてできない。なのに何故――!? 

黒い靄はゆっくりと、まるで重く連なる積乱雲の様なゆっくりとした動きでただ、その場に……。カイトと華日がいたところに、そこを点としてただ何も言わず、その靄はそこに居続けるのだ。


 確かに……確かに、カイトは華日の能力の全てを無効化したはずだ。


 なのに、何故ッ! と、優多はその場で凍りつく身体の中、ただただ思考に全てを注ぐのだ。

 

 いつから……いつからッ! 入れ替わっていたッ!?


 それは、いつの間にか起こっていた出来事で、しかし、今気が付いても取り返しのつかないことだった。

 今、無限がいないこの状況で、能力に関しては圧倒的に強いカイトが負けたのだ……。それは、完全に無を操る力よりも、上位に位置する力を持っているということじゃないか、そんなの、勝てるわけがない……。

 想像し難いその事態に、優多は四面楚歌を詠った項羽の気持ちを味わった気がした。

相手がどこにいるかもわからないのでは、逃げも隠れもできない。


『無の力って……強そうに見えて……弱いのよ?』

「!?」


 背中を百足が這うような感覚に怖気がして咄嗟に声のする方を振り返ると、そこには、彼女の姿があった。さっきとは違って、整ってあった髪さえも今度は乱れていた。

 そんな見るからにボロボロの姿に優多は唖然とする。彼女は、華日という敵は、不安を呼び寄せるような笑い方をして、こちらを困惑させるのだ。

 

何故か? ――その問いに答えるならば、彼女が突如として、あるはずもない闇から姿を出していたからで、優多自身本当に啞然とするしかなかった。

それは多分、驚愕を通り越した反応に違いないのだろう。


「……カイトさんは」

「ん……?」


 優多の内に、静かな怒りがこみ上げたのは言うまでもなかった、しかし、その噴きあがるものがニトロ並みの危険なものとは、彼女も……また、本人である優多でさえも分からない。


「カイトさんですよ……」

「ああ……あの悪魔……。私悪魔って嫌いなの」

「……それだけ、で……それだけで彼を始末したんですか?」

「始末だなんて物騒なことを喋らないで欲しいわね」


 その、まるで興味の無いような物言いに優多は冷静を心掛けるが、身体が脳が言うことを聞いてくれない。

 優多の怒りは憤り寸前というところで、その静かな剣幕には底に渦を巻くようなドスの効いた黒い何かがうごめいて、それは秒を追うごとに勢いを増していった。


『いい加減にしてください……人を、人を殺したんですよ?』


 怒りに、優多の震えた声が静寂に放たれる。そんな彼を華日はただただ、よくわからないような面をして耳を向けるのだ。

 そして笑い声をあげた――何がおかしい。


「はっはっはっはっは……なんの話?私はあの悪魔を殺したわけじゃない」


まして――と、彼女は乾いた舌を湿らせる。


「まして、ここで殺したって私には何の利益もない……殺しても殺さなくても未来は変わらないの」

「……な――」

「いい?私はあの悪魔を殺してなんかいない。あなたの勘違いよ」


 予想外の答えに、優多はその場にたじろいだ。彼女が何を言っているのか理解できない。彼女は、一体全体何を言っているのか、何を語っているのか……。

 優多の怒りは、その瞬間、無意識の下で熱された頭が冷める感覚を得た……何が、どうなっているんだと、考えた。余計なことはもう考えないようにした。しかし、てっきり彼女が殺めたのかと優多は思い込んでいた、その彼女の態度を見る限り、まだ生きてる。というか、彼女はそう言ってる。しかし、それはそれで、冷静になった頭が、気を抜くなと言い聞かせてくる。


 まるで、自我の下に別の自分が存在している様な感覚だった。

 今の優多の心の波は静まって、まるで夜空に次の朝を待つかの様な、八部の恐怖と緊張感に、心を揺らしながら……しかし、それを力づくで抑え込むような……そんな、自我を仮面の下に無理矢理押し入れている様な感覚を得て、自然と表情が渋くなる。

 そんな中、彼女が口を開いた。


「まあ、言いたいこととか思っていることはわかるわ……説明してあげる」

「親切なんですね」

「自分の作戦外で勘違いされるのは気持ちが悪いじゃない」

「……」


 彼女は、静かに……しかし、偽ることのない本当の顔で口を開いた。


『カイト……というのかしら?まあいいわ、あいつはね――』



彼は、嫌々彼の名前を呼ぶと話始めた……。


 何故、カイトはこの時あっさりと、黒い靄に飲み込まれたのか? 彼女曰くそれは、彼の能力は、無にする力があるが、自身にかけられる無の力というのは制限され、自分にマイナスな方面に作用するのしか自分自身に能力が効かないのである。

故に『自分にかかる不幸を一切無にする』なんてことは当然できない、つまるところ、どれだけうまく無の力を作用させようが、カイト自身にはマイナスの方面でしか作用しないのである。

これがカイトに科せられた死神からの呪いらしかった。

勿論、死神の呪いで寿命がなくなったカイトに『自分の存在を無にする』なんてできない。

 というか黒い靄とは何ぞや? という根本的な問いに彼女は『黒い靄……これは、私の魅了に従えた運命や自然、妖精などの全てにおいて無の力に対応できる一部を引き出して一つにまとめた塊なのよ……だから私にどうすることもできないし、どうしようとも思わない』と答えるが、その勝手な思考に再びその怒りに火が灯るような気がした。

 それも当然無の力に作用しないそれぞれの能力なので、カイトの能力は効かない。なので、カイトは否応なしにそれに飲み込まれたのだ。

 納得がいった。

 何が起きたのか、何故カイトが飲み込まれたのか……。

 優多は、そこに生きているならと、黒い靄に向き合った――直後


「止めといた方がいいわよ」

「な……」


 華日はそういって、片足を入れようとしていた優多に嫌な笑い方をしながらそう放つ。「忘れていたけど」と彼女は、言いつける。

 内容は、この靄の危険性だった。

 普通そこに入れば地獄を見るような精神的苦痛を味わいながら、最終的に耐えきれずに自死に至るが、いくら苦痛を味わっても死ねないカイトはただひたすら、それにもがき続けながら耐えることになる。

 効能が効かなくなるのは、相手の意識を失ってから……。つまり、カイトが意識を失う前にこの靄を何とかしないといけない。


ならばッ――


と、第一に華日を倒すことだと、彼女に身体を向けたその瞬間だった。


ドサッと、砂利の入った袋を落としたような鈍い音が耳に届く。嗚呼最悪だ。第一声は、心の中でそう絶望的な表情をした優多が放っていた。

その光景は、もう見てはいられない程惨たらしい有様だった。苦しく意識を失った今でももがき苦しんでいるのだ。

 口と目から赤い血が流れ、身体が思い切り跳ねる。

 当然一瞬見ただけでは分からないのだが、しかし……顔をよく見ればわかる。目は気を失って、口は異常に震えている……。意識が正常に保たれておらず、もはや、今の彼が戦えるような状況ではなくなってしまったのは、もう見ればわかる。

 優多は、そのタイムリミットの短さに驚愕した、いや、驚愕に啞然が混ざっている様な感じだ。

 早くしなければと思った矢先の出来事だったのだ、早く、彼女を瀕死状態にまで追い込まないとまずい、そう思った矢先の出来事だったのだ。

 注意が背くと、彼女のその異様な能力は磁力を解除された電磁石の様な姿を見せる。だから、早くそうさせなければならなかった。


 ――しかし遅かったのだ。


 そして、本当に何もかも遅かったのに気が付いた――


 黒い靄が完全に散って姿を見せたのは、クリオッドとカイトの二人だった。

 二人だったのだ。クリオッドが……クリオッドさえも巻き込まれていた。


 陣之内優多という人間は生まれつき、大変に察しがよかった。

 場の空気を読むことにとても長けており、いつも敏感で……それ故に優多は大体何事も先の事を、相手が思っていることを大体察せることができるようになっていた。だから、最初から、彼女達が優多自身を特別に扱っていることに疑問は持つが受け入れないという程には至らなかった。

 ただ、今は、そのおかげで……いやその所為で……。


 いや、そのどちらでもない。ただ、その二つのどちらでもない答えで……。


 故に……彼女が本当にクズなのだと、心の底から軽蔑し、そんな彼女に従事したであろう彼らを哀れみ、この状況を引き起こした元凶である華日という人物に、今までない以上の嫌悪感を抱いた。


「クリオッド……さん……」


 優多は二人の名を声に震わせ、その元に歩み寄った。

 カイトと共に、せめてもの安らぎを込めて、覚えたての……付け焼刃程度にしか身に着けなかった治癒魔法をかける。

 その時の、優多の表情は、苦痛に満ちていた……。優多の使った治癒魔法は初心者向け、だから弊害は大きい。その一つに、感覚の共有というものがあるのだ。相手の擦り減った精神力を補うために起きることらしい。自分の内に残った数少ない栄養を分け与えるような感覚だ……。


「あらあら……貴方、もしかして自棄になってるのかしら?」

「……違います」


相手に上げられる分は全て上げた。もう残りはあと少ししかない……。少しばかりか眠気と吐き気……あと何か食べたい……。


『最低限』


優多に残された精神力や体力、魔力……分けられるものは全て与えられた。少しぐらいは回復の充てになってくれるだろうと、足りなくなった身体で優多は熱っぽい頭で彼女と対峙する。

血液がだいぶ減ったのだろうか?眩暈がする。

栄養分がだいぶ減ったのだろうか?空腹感が半端じゃない。

 しかし、それでも……悪い気はしない。


「助けて……あげなかったんですね」

「必要ないもの……」

「やっぱり貴方はクズですね……」


 優多は、刀を抜いて最後に問う


『貴方が……いえ、お前が……お前が「元凶」で……間違って、無いよな?』


 華日は、複雑な感情の入り混じった笑みを作って声高らかに言った。


『ええ……そうよ』


 「間違ってないわ」彼女は終始変わらず笑っていた。その笑みになんの意味があるのか、優多にも、華日にもわかるはずがなかった。

 彼も彼女ももう他人を気にすることはない……二人はその瞬間同じ風に同じ事を同じタイミングで同じ言葉で、頭の中を反芻する。


それを境に、

優多は重い刀をゆっくりとした態勢で構える。

途端に、優多は自身のものではないという感覚を得たがもう、どうでもよかった。あくまで、その時はもうこの力のことなどどうでもよかった。

華日を、彼女を殺すことができるのであれば、もうどうでもよいと……。重力を操る力とか、どれだけ削っても回復する力とか、無意識的に反応する刀の扱いとか……もう気にはならなかった。ただ彼女を殺せればいい。

 優多は、ただ……ただ、思考が狂暴と化していた。しかし、それも一時の事だと、もう、優多自身、そのことに完結していた……。


 華日は慣れた手つきと必須と言わんばかりの演出でその黒剣をその手から生み出す。

 華日自身これがどういったものか、詳しくは分からない。ただ、この力、美を操る力故のものだというのは、薄々理解している。

 もう、自分自身の体力は限界を迎えようとしている。それでも虚勢を張り続けるのは、何故だろうか? まあしかし、それももうどうでもよかった。ただ、私には私の望みが、願いが、なんとしてでも叶えなければならない夢がある。

 ただ、しかし、何故そうしなければならないのかは忘れてしまった。

 まあ、でも、それでも私は、やらなければいけないのだ。

 ならば、殺人だって許されるのだろう――革命には犠牲が必要なのよ。


 その瞬間、時が斬れる。


 交わされる鍔迫り合いに優多は、持ち前のバカ力に刀を任せて、がら空きになった華日のわき腹を砕くと、思いきり人形のように……無造作に吹っ飛び彼女はむき出しになった岩肌に身体を埋め込んだ。

 山々に囲まれた、この地で一番岩肌の露出した山脈に、また傷跡が残る……。しかし、そんなことも、優多は気にしない。


 『突風』


 その名の通りの俊足で山肌を駆けあがる。

 筋肉が引っ張られるのを感じる。限界まで、限界まで引っ張るのを感じる。体の何かが生きている、体の中の身体ではない何かが激しく動いている。それは、自身の足だった。

 収縮する足の感覚が直に伝う。

 髄が、両足に通っている感覚だろう、両足に双脚に太い芯がそこに通っている様な感覚に苦しみを覚えた。


 顔が引き攣る。


 脚の全てを使いこなしている感覚だ。


 優多は、力の限り……その力の限り足に力を入れる……。休むことはできず、止まることも許されない。


 彼女の元へ――


 華日を中心とした岩肌が大きく砕け、崩れ落ち、岩肌が大きく削れた。

 轟音、崩れたそれは波の如く勢いで、下に崩れ落ちる……砂埃を巻き上げ、大小様々な大きさの砂利が雪崩のように落ちていくのも相まって一層、それが波の……津波のようで。

 その中を、二人は滑る。

 滑り落ちる。


 その最中、バランスを失い地に背を向けた瞬間、華日はそれを見逃さなかった。

ここぞとばかりに欲望がむき出しになった表情で彼女はすぐさま宙に浮いた剣を掴むと即座――優多の懐に、黒剣を叩きつける……が急に持ち替えた所為か、峰打ちだった。よく考えずに、目の前の光景を真似していたのが仇となった事実に、華日は明らかに嫌悪丸出しで舌打ちをした――


 優多自身の腹に変な衝撃が伝わったのは景色が反転してからだった。

 崩れた岩肌を滑り落ちる、薄くはがれた残骸。

そこへ転がり、不安定ながらも立とうとすると、岩肌に亀裂が走るわけでもなくバラバラと砕けた……。なんの余白も無く急にそれが現れ、優多は感情を表す間もなく、何も感じる間もなく放り出された――そう思った瞬間、急に地へ振り落とされる。その感覚に優多は、意識に蓋が開いたり閉まったりする感覚を得て、その土煙の中へ姿を消した……。


その波に飲み込まれてからは、目が開けられず、口も開けられず、鼻も目も耳も、五感の全てが塞がれた様な感覚だ。土砂が露出した肌を削る。勿論傷もつく……。感じるものは削られるという感覚だけ、腕や腹や足や胸に感じる土砂鑢に大小様々な落石……。

波に押しつぶされながらゴロゴロと転げ落ちる。


が、彼が大人しく、その土砂の下敷きになるはずもなく、その中を蹴って這い上がる。普段使わない部分を初めて酷使するもんだから、先ほどからキリキリと変な音がするのにも関わらず、優多は獣の如く体躯を駆使する様は、まるで豪傑。とても昨日まで普通の人間だった素人がするような動きには思えなかった……。

その体使いに華日は、表情を苦くする。

彼の身体と全く比例しないのだ。筋肉がそれほどついているわけでもなく、どこの部位を見ても未熟なのにこの動きは全くもってありえないのだ。

顔を見ても読み取れるものは一切ない。やること一つに誠実な瞳をただただするばかり。はっきり言って、この状況は自分の能力よりも不可解だった。


優多の筋肉量と運動量が比例しないのもそうだが、何よりも体の動きがまるで、人のするものではないのだ、武芸に励んだとしてもこうはならないし、勿論超人的な身体を手に入れたとしても、こうはならないのだ。

こんな……全身一つ一つの部位が一つとして完結している様な動きはありえないのだ……。


 乱れた思考の最中に、目の前がブラックアウト――意識と似た何かが何処かへ飛んで行った……。


 華日は、防御に徹底していた。彼と真正面からぶつかって居れば、何か得られると思ったのだ。魔術防御壁なるもの築いて彼の攻撃を真正面からひたすらに耐えて、耐えて、耐えまくった……。

 それ故に周囲への警戒に怠った。


 ――その時、途端に冷静になった頭で彼女は自嘲する。

 何も得れるものはなかったと自身の思考が醜く感じるが、そんなことよりももう、自身の異変、身体がもう持ちそうにないと悟った。

 華日自身いくら力の使いになれたからと言って、それは技術面。体力面では今も変わらない。あと、どれくらいか、何分か、どれもあやふやで分からない。


 直後、土煙の壁が立つ――


「私を殺せると思った?」


 孤独の中に彼女が声となって、耳に入り込むのが、ダイレクトに感覚として伝わる。否、それは比喩ではなく実際の出来事だった。

 優多の首を鷲掴み、まるで、モノを扱うようにその腕で投げると衝撃波と共に砂の壁を突き破るのだ。

 まるで優多は人形のように無機物のように、しかしながら生き物のように……まるで、その宙に軌道を描いて吹き飛ぶさまはまさに虫といったところだった。


 生きているのか死んでいるのかも分からない格好で、ビタンビタンと音を立てながら地を跳ねる様はとてもではないが生気を感じられるものではなく、かといって完全に死んでいるものとは思えなかった。

 綺麗だった庭に優多だった肉片は……いや、それは肉片とは呼べない、まだ無惨にも造形が残っている体の部位を着地面としてその地に突き刺さるようにして落下する。しかし、それで、終わることはなく身体はまるで、中の骨が一瞬で無くなってしまったかの様に、彼の身体はゴム人形の如く、全身が曲がりくねるのだ。

 間接なんて、見分けがつかなかった。


 首は捻じれ、胴体は逆に向き、足はありえない方向へ曲がり曲がって、それはゴムを超えて粘土のようだった……。

 彼は擦れ行く意識の中で……もう何も感じることのない身体で、反転し血の色に染まる世界で、ただただ自分の身体が潰され、捻じられ、伸ばされていた事に、ただただその事実を悟るのだった――飛び込んだ挙句に自滅……なんて情けないんだと。


 瞬間、優多に激情が走った。

 それは言うまでもなく、自身への恥だったわけだが……しかし、それが超回復の、言うなれば引き金、トリガーになったのだ。

 超回復というものは普通、超人の種であればなんの弊害もなく作用する。だがしかし、優多の場合、超人の種に変化してから日が浅い……だからかその力を使うのには何らかの強い意識がなければその力が発揮できないのだ……。


 今……彼に走った感情の昂ぶりに、身体が回復するーーが、しかし回復するにはタイミングが遅すぎた。

 

 突如、意識がはっきりし始めてすぐに全身が激痛を襲う。それは、考えてみれば当たり前の現象だった、いままで痛みを感じるような状態でも麻酔が効いていたような状態から、無理矢理、麻酔が切れたような状態に陥ったのだ、意識が鮮明になり続ける感覚が無情にも優多を襲う。

気を失えないのもその所為だ、普通、過剰な痛覚を味わえば、意識はシャットダウンされる。しかし今の回復し続ける優多にとって意識というものは冴え続けるものなのだ。


即ち痛みというものに、更に酷い痛みが重なるようなものなのだ


脊髄に電撃が走る。

ミシミシと腕から背から足から至る所から痛みを感じるという線を折れた骨の先で思い切り突かれている様な悍ましい感覚だった。骨折するような痛みにも似ていた骨がそのまま折れる感覚さえ感じた、音が感覚が、ダイレクトに心臓に伝わってくる……。

嗚呼、耐えられない、この苦しみを耐えることなんてできないッ!


館のガラスを破る感覚がいつもの数倍に感じた……。ガラスが肌に刺さったのではないかと錯覚するほどに全身から突き刺さるような鋭い痛みを感じた……。

床を転げるとようやっと静止してくれた、しかし、まったくといっていいほどその記憶、というよりはその過程の記憶が消失して、ここがどこなのかも分からなかった……。


しかし、意識が覚醒し続ける状態というものは厄介だと、地べたに這いつくばりながら優多は苦い表情を浮かべる。

視界は良好しかし、心はもう擦り減ってなくなりそうだ。


優多が見た景色は館にはなかったはずの、広間だった。


「ひ、お……ま?」


声に出してみてもその声が孤独に広がるだけだった。

しかし、それは今、ガラスが散ったときに反転した。


「決着ををつけようじゃない」

「――ッ!」


 その声を聴いて、疲弊で忘れていた感覚が蘇った。


「どうしたの?ねえ!?どうしたの!?あれだけ、迫力あったのに!?あれで終わりなの?ねえ!終わりなの?」


皆を騙し、殺そうとするだけでは飽き足らず、クリオッドを自分の身代わりにまでした張本人がここにいる、ここでやらなければ――いつやるか


「終わりじゃない」



 脳裏に蘇るのは、優多自身が目の当たりにした、彼女の起こした罪の数々。

 身に纏うのは、ボロボロに破けたズボンだけ、彼女も同様、身に纏っているのは布一枚だけといったところだった。

 痛みを忘れることはない……ただ、新調された全身が馴染んできたころ合いだ――


「あら、どうしたの?こないの?なら私から――」


 脚をばねのようにしならせて、跳躍。鈍い音と共に身体を動かしながら迫りくる華日に優多は、傷の無くなったその腕に全てを託すことにした……。


 勝手に身体は動き始める。

 それは、自身の中に眠る無意識的なものかもしれない。

しかし――


右目を貫こうとする華日の黒剣を、優多は背をくるりと回し、刀で思い切り叩き落した。


――何故ここまで戦闘慣れもしてないはずの人間が、こんなにも身体を使いこなせているのかは、優多自身も知らないことだった、しかしもう気にはしなかった、多分これも超人の種にあるような力なのだろう。

そう納得すれば、腑に落ちた。そう、腑に落ちざるをえなかった。


「――!?」

「残念ながら……」



『もう終わりです』



その瞬間は、スローに見えた。

 黒剣が下に落ちる勢いにつられて、彼女も下へ落ちる……。それを持ち上げるかのように身体を捻り、腹に蹴りを入れると、直にその感触が伝わる。


「死んで……くださいッ!」

「あヴッガ――」


 瞬間、弾ける様に突風が生じ、壁や天井に掛けられた、シャンデリア等の装飾物は大きく揺れたり崩れ落ちたりと一瞬でそれらすべてを屑にしてしまうほどの威力。

 しかし、またやってしまったという背徳感が……隙となり――


『やられないわよ!』


「……え?」と彼女の存在に、優多は阿呆の面で、その存在に時が止まるような感覚を得た。

今の優多には、明らかな隙があった。

感情の隙……。力の隙……。その二つが重なり、そこには空虚しか存在しなかった。

……吹っ飛んでいるはずの彼女。華日は吹っ飛んでいるはずだった。


しかし、状況が予想とは違っていたことを、優多は即座に受け入れ直ぐに思考を立て直すことに、集中する――が、対処のしようが無かった……。


 時間が間に合わなかったのだ――


 瞬間『お返し』と語気を強めた言葉と共に、顔面を鷲掴む……。顔面が割れるその時思ったのは、これから起きる事への恐怖など微塵も感じることはなく……というかいきなりすぎて、そのことに感じる事さえ忘れて、その握力に優多は思考が、いっぱいいっぱいになる。

 感じるのは、痛み。しかし、思うことは彼女の持つその強靭な肉体に秘められたスタミナへの称賛だった。考えることは、彼女の応用力……。

 心の中で、陣之内優多はあらゆることを考えていた。

 一方では率直な感想、もう一方では称賛、もう一方では打開策を……これ以上にも複雑な思考が絡み合って名もなき一つの感情が生まれる。


 今の優多の内にある感情もやはり、名もなき感情であろう。


 優多の身体は、彼女の怪力により地へ叩き込む……が、驚くべきはその威力だった。優多も、白い目の内で「まじかよ」なんて垂れるが……。ただ、地を抉ることに衝撃を受けたのではない……まだ、その力が残っていることに内心驚いているのだった。


『痛みを感じるかしら?感じるのなら……“ごめんなさいね”』


 優多を叩きつけた衝撃に地が抉れ、優多はその反発に宙へ浮く。

 そんな人形のように宙に舞う優多の首根っこを、彼女は……華日は変わらないその握力で握ると、勢いを軽くとり、壁に向かって振りかぶる……。


「喉をつぶしちゃったかしら?謝るわ、ごめんなさいね……」

「いいですよ、謝らなくても……すぐに、回復、しますから」

「あらあら、強がっちゃって」


 魂のかけらもないような骸のように壁に当たると、地面に額から落ちた優多の元へ、華日は声を高らかに上げながら歩を進める。


「にしても、あれだけ大口叩いた割には、全然だったわね」

「自分は、あれでもう全力です」

「そう……」


悲しそうな顔をする華日に、優多は不気味さを覚えるが感じるだけで、ただ、擦れた瞳で一点を見つめる。


「私ね、殺しは趣味じゃないのよ」

「……信じられませんね」

「だからね、貴方を殺す理由を考えているのよ。必死でね」

「成程、言い訳ですか」


「でも、善いことか悪いことなのか、出てこないのよ……殺す理由が」

「それは、僕自身も判断に困りますね……どっちにしますか?」


「そうね、そういえば理由を話してなかったわね……こんなことした理由」

「理由なんてあったんですね」

「聞きたい?」

「是非お聞かせ願いたいです」


「私ね、気が付いたら、記憶がなかったのよ……。でも使命はあったの。天啓ってこのことだと私は思うわ……脳裏に自分の国を作れってお告げを言い渡されたの……。私の国よ、私の思う国……私が治める国」

「ヒトラーにでもなるつもりですか?」

「いくら悪魔嫌いでも、殺しは趣味じゃないわ」

「分かりませんよ」

「私は変わらないわよ」


『理由は、分かりました……でも――』


優多は、喉に突き付けられた刃先を握ると、手の平の隙間から血があふれるほどの痛みを感じながらも力を振り絞り、腕の力のみで強引に投げ捨てようとする――が、ダメだった。


そもそも力の優劣をつけるならば、今の優多は断然劣だった……。まだ使える力は有り余っているはずなのに、立ち上がることさえできない。

それもそうだったと優多は少ないその時間の中で悟る。走馬燈に似た、一瞬の思考だった……。優多の精神力はもう限界を迎えていた、もう使えないはずの身体を無理矢理使っていたも同然だった、カイトが言っていた……呪いに似た類の副作用のようなものが起きると……。それは、優多の中に蓄えられたただでさえ少ない精神力を喰らう何かなのだ。

あの一瞬、賭けるつもりじゃなかった……とっくに忘れていたのだ。

今じゃ鱗を剥いで、骨や内臓がむき出しになってもまだ這う魚のような姿の優多にはもう、なすすべがない。


剣が引かれると同時に、顔面に向かって華日の脚が落ちてくる……。


しかし、回復機能……いや、思考というものがバグっているのか、半強制的に意識が冴え続けるのは、一種の地獄とも呼べる。しかし、まだこれは浅い方だ。痛いがただそれだけ。


精神力がただ食われ、今は意識を保つのに精いっぱいだ。五体満足の回復の目処も経たない……。


「残念ね」

「ええ、残念です」


脚を退けながら華日が言う


「一つ……いいですか?」

「じゃあ、最後の質問ね……殺す前に聞いてあげる」

「なんで、殺しは趣味ではないのに、ステレットさんたちを……皆に、刃を向けたんですか?彼女たちが邪魔なら、何故僕を殺さないんですか?」

「二つは効聞いてあげられないわよ」

「一つですよ……イコールってことです」


「……なんででしょうねえ、その問いは直ぐに答えられそうにないわね、でも強いて言うなら理由があったから……いや、あったのを見つけたからかしらね?」

「正当防衛だと思いますけどね」

「違うわね、慢心よ……。正当防衛は当たり前でも、感情に問題があった。玉砕覚悟で飛び込んだりするんだもの。ここの主は逃げる事を恥だとでも思っているのかしら?」

「……それは違うと思います」

「……?」

「皆さん守ろうと必死でした、ステレットさんだって……雪華さんだって……貴方達からこの館を守るために必死でした……」


「分からないわね、私には……数学的に理解できても、文学的には理解できないわ」

「やはり、貴方はそう言う人でしょうね……でも、それじゃあ、自分の国なんて統治できませんよ」

「さあどうかしら?案外難しそうなものほど、簡単なものなのよ」

「それは視点の問題ですよ」

「かもしれないわね、私……国語はどうしても嫌いなのよ」


 瞬間、剣が振り落とされる――


 だけども、それで終わるわけにはいかなかった……。正直、優多自身にこの館を守ろうだなんて、みんなみたいに立派な意思を持っているわけじゃない……ただ、そんなみんなの思いも蔑ろにした華日という一人の人間に、優多はただ、このままやられようと思えるほど、燃え尽きたわけではない……もう一度、もう一度限りで良い。

 息を吸う――心臓の鼓動がはっきりと感じる……。

 あの、勝手に動く暴れ馬の身でやっと掴めた、刀技――


 一撃……一撃で良い。


 見よう見まねの付け焼刃だ。でも、この一瞬、この一瞬だけでもこの一撃に任せる。



――其ノ刀ニ“斬”レヌモノ“無”シ――


無斬(ムザン)


 空間が斬れる。

 その技は、何とも妙なものだった……。あれを初めて体感したとき、理解に時間がかかった……。何せ、斬る対象にしか斬撃が入らない技なのだから。

 

 優多は賭けた、今度こそその一瞬に……もう体は動かない。

 無茶はしてみるものだ。火事場の馬鹿力、そう優多は薄れゆく意識と、擦れゆく視界の中で思うが――はっきりと捉えた斬撃の瞬間だった。


 ……避けられたッ?


 嘘だ……避けられるはずがない。

 しかし「あ……」と、即座に優多は……彼女の能力で弾かれたのだと悟った……美を操る能力、あらゆるモノを魅了させる程度の能力……。


「なん、で……どうして……」

「ごめんなさいね、でも……どちらにしても同じ結果だったみたいね」


 とうとう彼女に傷一つ付けることなく終わってしまう。

 その事実が脳裏を過った途端、頭を焼く感覚に悲鳴を上げるかの勢いで身体が重力を無視した挙動を見せたのだ……。

 それは、身に振り下ろされる剣から何とか逃れるためなんかではない……。ただ、何かの……眠った何かをたたき起こしたその逆鱗に触れたかのような衝撃に身が不自然に浮き上がったのだ。


 何とか逃れた。その安堵に反して身体のコンディションは最悪だった。動かない。そう限界という許容を越えたことを実感したところでセーブしていた……にも関わらず、身体を無理矢理動かした所為で、もう体中錆びた歯車のように鈍くなっている。

 いくら何度と覚醒できたとしても、己の意識はもう耐えきれそうになかった……。

 眠気を吹き飛ばすほどの、脳内麻薬の口が開かれるのを感じる。短い時間の中で、もう何十と味わったこの感覚、流石にそれがやばいなんて分かっていた……。中毒症状は実感できない。だからこそ心の底で不安が湧き上がる。不安で不安で……精神が、そう少しばかり不安定になるのもそうドクドクと身体が活性化している何よりの証拠なのだ。

 精神が擦り減る。それと引き換えに放つ、本当に最後の最後の大技だった。

 もはや、己の能力を「立つ」ことに使わなくていい。

体の重みが増し力が上手く入らなかったが、もう何とかなった……。正真正銘の「最後の力」残そうと思ってた“ソレ”も、全てこのトキに回した。

 重力――まだ……。全体の割合で言えば、まだ微かにしか使えないこの力。

 まだ……人を立てなくする程度。まだ……「重み」を少し変える程度。


 手に取るように、“その瞬間”が理解できた。

 脳ではなく、肉体から直接伝うこの感覚――掌とこの大地がヒモで結ばれるような感覚と似て……。


 『今、繋がる』


 引き寄せる大波(たいは)の如く、その地は波を打つ。

――手に取るようにその地と感覚が一致した。

地は割れて、飲み込むが如くの超重力。床は一面割れて部屋を飲み込むようにその奈落自体がモノを吸う。

その奈落に落ちるのではない――飲み込まれるのだ。


『強大な重力という災害に』



重力(じゅうりょく)大重増(だいじゅうぞう)



その光景は、彼が宙に浮かんだ時だった――

まるで振り下ろした刃の反動のように彼は、彼女の頭蓋の真上に言葉通り、逆さの格好で宙に浮いていたのだ……。その姿は、ふわりといった「瞬間」の、その時間を切り取ったものではなく。そこに留まる「永遠」だった――


 瞬間、彼から見れば、手前で重いものを押し上げるかのような動きだったが、しかし……時が止まった後の次の瞬間かのようにその場の景色は一変した。

 まるで、それは抑えられたものが爆発するかのような勢いで、地が――床が下に落ちたのだ。

 それは、いつ来るのか掴めない程急なもので、それも一面、一気に下に落ちたのだ。

 しかも、それだけではなく、まるで、“何かに”耐えられなくなってしまったといわんばかりに部屋の全てが歪み、そこへ飲み込まれるかのような仕草で、まるで、粘り気のある液体が、突如開いた穴に抜け落ちるかのようにそれらは底へ流れ込む。


直径10メートル


その広い空間の中心にそれは突如として開いた。

形は歪で、不格好な円状にそれはぽっかりと飲み込み、ほんの数秒でそこは静寂に包まれるのだった……。

が、部屋がそこに吸い込まれるといったことはなく、ただ縮まった……いや、潰れたといった方が合っているだろう。勿論原型は留めておらず、下へ凹み、全体的にヒビが入ったり、穴の真上となる中心は、剝がれ落ち、壁も床も殆ど似た景色だった。

大小、10~20豪奢に並んだシャンデリアも全て落ちて砕け、一番大きいものもそこらのタイルやガラスと共に底へ飲み込まれていった……。


全体的に起きた変化といえば、部屋が歪んでしまったことだろうか。


凹凸ができたり、中身がむき出しになったり、破れた断熱材を見て、優多はその光景を意外に思ったりしていたが、ただでさえ今眠ってしまいそうな程疲弊しているのだ。途切れそうな思考で、彼女の元へ降り立とうとした。

正直、何を考えているのかはっきりしなかったかもしれない……いや、何も正常には考えられなかったのだ。


ただ、その視界にとらえた、彼女の脆い姿が今でも焼き付いては離れない。

いきなりの事で、対処が追いつかず落ちる床に身を打って起き上がろうとしても、その重さ故に立ち上がる事どころか脚すらまともに動かせない状況でこちらを鬼の形相といわんばかりの怒りに満ちた表情をこちらに向けながら、流れゆく瓦礫に刺さり埋もれながら下へと飲み込まれてゆく光景に、ただただ、優多はその残酷な光景に、擦り減っていった精神でなんて受け止めるか?それは、分からないままだった。感じるはずのそれは感じずただ、手に取れない何かを取ろうと手を伸ばすような、幻覚に触れようとする感覚だった。

ガラスが、シャンデリアの宝石が……鋭利なそれらが、重点に直通する彼女の全身に刺さり、その逃れられない苦痛に悲鳴を上げる様を優多は、なんとも言えなくて、ただ、芯の底で感じる衝撃の所為で己に下す判断ができなかった……。自分が今見ているその衝撃的な光景は地獄の刑に匹敵した。

そんな悍ましい姿に、一つの思考が脳裏を過った。


これは罪なのだろうかと。

許されるのかと。

神も仏も宗教として、救いとして、自分の柱として、存在を信じてこなかった。だから、優多はそれを聞くあてがなかった……。

華日という大罪人は、本当に大罪人なのか、自分がやったのは本当にあっていたのだろうか、自分は果たして解決の道を歩んだのだろうか、自分は――考えても考えても、その思考が尽きそうにはなかった。


今、隣には誰もいない。


それ故に、優多は、不安が尽きないで止まないのだ。

微かな思考の中で、優多はそればかり考えているのだった。


自分のやったことへの結果が、何かしら答えを求めていた。それ故の行動であった。


彼女を見て確かめるという、優多が導いた答え……今思えば、それはあまりにも考えが足りなかったなんて思う。だけど……やっぱり、その時の自分はどうにも正しい行動というものが、とれそうに無かった。


※※※※※


 こんな時でも、精神とは真反対に体の方はぴんぴんとしている。

 だから別に足が使えないわけではない。だがしかし、自身へ作用される重力を軽くする事に越したことはない。特に、今の自分にとっては……。


「重力大重増……この技の名前です」


「自分は……本当に、よかったんですかね」


 弱々しい姿の弱々しい声に彼女が答えてくれるはずがなかった。

 不思議と、心持が不安ではなくなった……やっぱり一時の不安だったのかもしれない……。彼女はやっぱり、悪い事をした。その事に変わりはない。優多は何か確信を得て、彼女が埋まっているはずの瓦礫を退けようと手を伸ばした瞬間だった。


『……あうぇ?』


 殴打したときの痛みが顎から走る。一種の打たれる衝撃に意識が固定され、失うに失えず、目を白黒とさせる。

 なんだったのだろうか……今の痛み。あれ? いたい? 

「――!?」


 直後、声にならない痛みが、悶絶として顎の中をこだまする。

 何が起きたのか、一瞬頭が鮮明になるが、状況の優劣はもう遅かった……。彼女に殴られたという事を理解するまでに十数秒とかかるのは何故だ? 答えは簡単だ。

 彼女の存在を視認できない程に、意識が憔悴しているのだった……。ヤバイ……ヤバイヤバイやばいやばいッ! 未だに痛みが治らない視界も並行が保てない呼吸が乱れる集中もできない手も何か感覚が変だ頭が痛い舌が口に張り付く触れるだけでいたいッ呼吸の仕方も分からないッ思考もままらないッ視点が定まらないッ触覚が――視覚が――聴覚が――口内が――嗅覚が――体の感覚が――狂いだして止まらない。


 喉も潰されて、呻くような声しか出ない。


『よかった?罪?正義?んなもの知らないわよぉッ!』


『私からすれば完全悪ッなのよおッ!にもかかわらず己を問うなんて、外道ッ』


『私は私は私は私は私はわたしはわたしはわたしはわたしはわたしはわたしは――』


それまで、はっきりと彼女の顔を見ることはできなかった。けども、その憎いものに怒りで叫び散らす顔を見た時、凄まじいものを目の当たりにした。


その美貌は至るところにガラスの破片が突き刺さって、度々彼女は、顔を強く拭うようにして破片を顔から取る……しかし、その度に彼女の顔は傷を負い顔を真っ赤に血で染める仕草に、怖気を感じるのだった。


そして、無造作に窓際に投げ飛ばされ、もう逃げ場はないと心の中で悟った。


不自然にも、完全に割れていなかったのか、粉々に砕かれたガラスがそこへ座り込む優多を囲い込むようにして舞う――


 思い切りといわんばかりの勢いで新たに作り出したであろう、殺意丸出しの大剣が振り下ろされる……。


 鳴り響く轟音に、二人は信じられないものを見るような目でそれを凝視した。


『間に合って良かった』


 一人は泣きそうになりながら、

 一人は寂しそうな顔を浮かべながら、


 ただ一点を見るだけ。


 何か、言おうとした……しかし、回復が追いつかずに言葉が発せられない。そんな優多に、彼は微笑んだ。


『何も言わなくていいよ。優多……ありがとう、守ってくれて』


 優多は、走馬灯を見つめるような気持ちで、死ぬように深い眠りについた。


『――さて、準備はできてるかい?』


底に着く直前に聞いた外の言葉はそんな、彼らしい仕草の声だった。


※※※※※


 次の瞬間、華日は跳ね返されるような、引っ張られる感覚に対応できずそこに転げ、すぐさま起き上がると、大剣を変形させてさっきと同じサイズの今度は両刃の剣を構えて警戒する……。

 しかし、そんな華日を彼は蔑む様な……つまらなさそうな瞳で、やる気のない。優多に向けた表情とはまるで真反対の感情をその面に乗せる。

 

読めない。


 そのことに華日は、驚きを隠せず。呼吸が少し早くなる。

 吹っ飛ばされたが、その時何が起きて何をされたのか、華日には何もわからなくて……尚更、呼吸が早くなるのだった。


 彼はポケットから、ハンカチを取り出して手を拭いた見ると、紅い液体がべっとりとついていて――


「どうも初めまして……僕は無限って言うんだけど……」

「――そう、私は華日……あなたが無限なのね」


 しかし、彼が話しかけたことによって華日は平静を取り戻した。なんとか、だけども。

 無限は手を拭き終えると「そう、華日って言うんだね」と薄く微笑んだ。どこかとってつけたような表情に、少しばかり寒気を覚えるが、しかし、こちらの領域に引っ張り込めばこちらのものだ……なんとか、なんとか隙を――


「間に合ってよかった。あともう少ししたら遅れてた」

「遅れても良かったんだけ――え?」


 作っていた余裕は直ぐに崩れた。彼の無気力な姿は、仮であった。全て悟らせぬようにするための罠だったのだ……。それを悟るまで、私は啞然とするだけで、気付いてからは、その苦しみにもがくことしかできなかった……。

 能力が効かない、超人の回復機能さえも作用しない、痛みが……単なる痛みが、激痛となって、内臓を切り刻み、絞られる如く激痛に声を上げることもできない。


「君の、能力の流れも、超人としての流れも、とりあえず止めた。戦う流れも、根本的な勝利の流れも、絶ったよ。今、君の身体にあるのはただの肉体と魂と精神だけ……」

「……」

「気を失ったみたいだね」


 ボロボロになったその空間を見回して、ため息を吐く。

 流れを読んだ限り、彼らにとっては壮絶だったらしい……。まあでも、今のカイトじゃ対処しきれないか。

 しかし、よく暴れてくれたものだ。


「華日……クリオッド・アデラ……グリオード・フォード」


 三人の名前を呼ぶ。

 そうか、とそこに眠る華日に掛けた痛みの魔法を解きながら、無限はただ、三人をどうすればいいのかを考えていた。

 だが、死人が出ていないのは最もの救いだった。他のメイド含め、本当に良かった……。


 無限は、止めていた華日の能力の流れを書き足す。『人に危害は加えない程度の縛り』と――やっぱり自分には人を裁く資格はないよ。


 そう、彼は寂しい顔をして彼女を見た後、優多の方へ向かった。

 以外にも、声をかける直前に彼は眼を覚ましたので、少々心が跳ね上がった。まあ、意識が早く戻るのは嬉しいけども。


「急に目が覚めるとやっぱり怖い」

「何言ってるんですか……。それよりも彼女は――」


 そう、状況を尋ねる優多に、複雑な気持ちにかぶせるように微笑んで


『終わったよ』


 と、答えると優多はいかにも苦笑いといった苦笑いで「そうですか」と相槌を打った……。その後にくる気まずい空気というものが嫌なので、無限は、破れた壁の外に映る光景――朝日で輝いて、風に揺れる草原を眺めながら言う


「少し、外でも歩こう。落ち着いた空気を吸いたいでしょ」

「はい」


 二人は、並んでその壁を抜けるとそれまで、暗い所にいた所為か、朝日が目に刺さる。


「終わったね」

「終わりましたね……とても、長かったように感じます」

「……そうだね」


 無限は乾いた笑い声で、何とか相槌を打った。


「どうしようか迷ってるんだ」

「華日さんの事ですか?」

「許せたのかい?」

「いえ……決してそんなことはないと思います」


 優多は、苦い顔でそう言った……。どうやら何か迷っているらしかった。


「彼女は、皆を傷付けたんです……。みんな……みんないい人たちなのに――」


 その言葉に、無限はまた寂しいような顔をした。いや、複雑な心境を映し出した鏡なのかもしれない。

 だがしかし、彼にはそう見えるのだろう。そう見えるのであれば、言う必要はないし、わざわざ明かす必要もない。だから、青い空を見上げて答える。


「いい人たち――か……そうだね、みんないい人たちだ」

「華日さんは悪い事をしました。それは事実です。でも……それでも僕には彼女を殺そうなんて、何かしらの罰を下そうなんて思えません……ごめんなさい」

「謝る必要はないよ――」


――僕にだってそんな資格はないよ。こんな僕に、そんな資格は……。


 どこまでも広い青空を眺めながら、無限は倒れるようにして、その草原に寝そべった。

 眼前に広がる、大部分が崩れた自分の館、かつてここまで崩壊状態に陥ったのはいつぶりだろう……。見るからに今にも崩れそうだが、倒れないよう、流れを書き換えたから大丈夫だ。


強い風が吹いた時、無限は決めた。


「優多」

「なんですか?」

「今日から香花の監督下で彼女達三人を保護する」

「いいんですか?」


 優多の疑問は当然だ。

 勿論、傍から見ればいいわけがない。だがしかし……。


「だいぶ問題だろうけどな……だけども、気になるところが多々あるから、しばらくの間保護観察の対象だ。まあ、裁判所(閻魔)からも、そう手紙が来るはずだから、面倒を見るしかない」


 実際、今の状況だと閻魔も、魔界の最高裁も、裏世界もどこも手が回らないだろうし……。前にも、そう言うのがあったから、今度も同じだろうと、無限は考える。というか、百発百中それでしかないだろう。

 明日明後日には、新聞屋達がここに来るだろうし、今のうちに言い訳考えとかないとだった。


「そうなんですね」

「不安なのはわかるけど、僕がいるから大丈夫だよ。それに、見守り係も手配しなきゃならないから、その間華日達の見守りよろしくね」


 と、言うといきなり優多が嫌な顔をして「一人で三人はいくらなんでもきついですよ」なんて言ってきた。返し方がカイトに似てきた気がする……ったく僕をなんて思ってるんだか……。


「そこまで鬼じゃないよ、一人ね、ひとり。んで、優多はクリオッド・アデラの見守りをお願いしたいんだけど……いいかな?」


 やはり、男には男じゃなきゃなにかとダメな気がしてきたので、クリオッドには優多をくっつけることにした。


「大丈夫ですけど……他の仕事はどうすれば?」

「カイトに任せるから大丈夫だよ」

「鍵番とかは――」

「僕がやる」

「心配です……色んな意味で」

「大丈夫だよ……きっと」

「じゃあ、華日さんとグリオ―ドさんはどうするんですか?」

「雪華とステレットに頼む予定」

「予定って……」


 本当に大丈夫なのだろうかと心配になるが、まあ、どうにかなるかと、優多は館に向き直った。

 にしても、本当にボロボロにしてしまった。このほとんどが自分だとは口が裂けても言う気にはなれない。いや、そもそも無限の能力からしたらお見通しなのか? 少し良く分からないラインだ……。


「優多」

「なんですか?」

「また忙しくなるよ」


ため息をつきながら……。でもいつも通りの、いつも通りの日々に戻るなら。


『どんとこいですよ』


ご愛読ありがとうございます


感想・ファンレターお待ちしてます


※※※※※


没・会話シーン

無限が華日に詰問するシーン


「……あ――」


「サヨナラ」


――ブラックアウトで、辺り一面真っ黒な景色の内に見えるのは、その白い4文字だった。



※※※※※



「自惚れ……って知ってるかい?」


黒剣を優多の心臓に突き刺そうとしたとき、奥の陰から誰かが甲高い足音を立てて近づいてきてるのに気が付き。そちらを警戒する……。もう、自分にはあまり体力は残っていない……。早くこの世界の主を見つけなきゃならないのに……と内心、その正体の分からない陰に苛立っていたのだが、正体がわかれば、その心持も反転した。


「一目でわかったわ、貴方が主さんね」


 一度も彼の姿を目にしたことはない。

 が、しかし、一目で彼がここの長であることが分かる。なんで、そう言いきれるのかといえば、能力が全てを教えてくれるのだ。

 そこらに住まう精霊を魅了してしまえば知りたい情報全てを教えてくれる。


「ああ、そうだよ、僕がこの館の……この世界の主、そして、全ての世界の権利を持つ優遇者、開智無限……悪いけれど、優多に何をしてるのかな?」

「見てわからないの?」


 彼は、「無限」と名乗った。

 内心、華日は「ふーん」といった様子で特に何も思うことはなかった。いや、そう装うのに精いっぱいだった、真の目的にやっと対峙できた。そのことに、華日は嬉しくてうれしくてたまらなかった。


「殺そうとしてるのよ。でも貴方が来てくれたから、そうしないで済んだ……。無限って言ったっけ?いまから、貴方を殺すわ」


 そう、声高に、遠くにいる無限という悠然と立つ男に、狂ったような笑みを浮かべて宣言する。はっきり「殺す」と口に出した。その時点で昂って昂って仕方がなかった……。もうゴールは目の前……だった。


「随分乱暴で、しかもきみはとても世間知らずらしいね」

「――なッ!?」


 その事実に、華日は視界がぐるりと反転するような衝撃を受けたのだった。

 その冷淡な視線と、その瞳の奥に眠る哀れな感情に華日はただ、追撃の意思は芽生えず、ただ何となく、彼の思考のままに身体が動く感覚に、彼女は何が起きているのかさっぱり理解できなかった。

 華日は、何が起きているのか、はたまた何をされているのか、理解できなかった。いや、何が起きているのかは視線の外側で視認できる。しかし、何故か理解ができないッ!? 何が起きているのか頭の中で処理しきれないのだッ! 

 華日には、絶対の……絶対の類の自信があった。この能力を信頼していた故に、なんの事前準備もしていなかった故に、処理が追いつかないでいた……。

 脳裏に過るのは何故? という疑問ではなくその後に来る悟りの領域で、絶対的な強者というものに対峙した気がした……。こうなれば、もう華日自身抗う手段さえ手から透け堕ちたも同然の状況だった。

 瞬間、空間に異常が起きた――


『今、止めたよ……。時と君の運命、そして能力の流れを。そして切ったよ、君に流れる幸福と、相手を殺めるといった感情を……』


 無限は宙に無造作に張り巡らされた線の一つ一つ手の内に収めてるようにして流を操る。その姿には、それまでの少年らしさは無くなって、あるのは、険しいけども悠然を保とうとする、困難に直面した責任者の顔だった――

 間に合わなかったことに、無限は内心自分を呪った、あっちの件が落ち着いたわけではない、しかし急いで帰ってみればこのありさまだ、館の全てを見て回ったが、幸いにも皆命を落としているものはいなかった。しかし、カイトとそこに居たクリオッドという、初めて目にする青年共に色々と損傷が激しく、とりあえず自己回復ができるくらいには戻しておいた……。

 色々と状況の説明が欲しいところだが――取り合えず彼女が原因らしい。地に張られた流れを読めば、その出来事がさっきよりも鮮明に見えてくる。が、しかし、これだけじゃあやっぱりだめだ。限界がある。


 彼女に直接聞いてみないとだめらしい……。

 しかし、当の彼女はというと


「な――何がッ起き、てる――」


 なんて、体の変化や状況の変化に、とても喋れそうではなかった。

 しかし、一瞬でも、その瞳を見れば無限には大体事の状況が掴める――ほう……。

 一瞬のうちに全ての情報が脳に入ってくる。

 「成程な」と、無限は殆どの事情を理解した、彼女はどこから来て、どこから入り込んできて、何をしに来たのか、など情報を整理するのに10秒もかからないで終わる。ついでに、頭の中を少々いじっておくことにした。

 少し、落ち着いたか? 反応を見るにさっきまでとは明らかに態度が違って、思考的にも暴れそうではなかった。


『君に流れる今の思考を少し変えさせてもらったよ……今君はたつことができないし、能力を使うことも、先を読むことも、周りが味方してくれることもない。まあ、僕がその流れをもとに戻せば、殆どが元通りだ……だけど、君の目的への道……といえばわかりやすいかな?流れは断ったから……どう足掻こうがこの世界を乗っ取ることはできない』


「ど――」

『君の頭の中を覗いているから喋らなくてもいいよ……。僕の能力は「流」を操る能力だ。物事は、全て形は違えど「繋がっている」でもそれが目に見えることはない。空気やオーラみたいなものと変わりない。ほんの少しの変化があるだけであっという間に世界がひっくり返ってしまうし、でもほんの少し変わるだけで色んな均衡を保っている……。今は後者に当たるね』


「君は詰めが甘いね。きっとカイトもそう思ってるだろうな、己を過信して、実に滑稽だと僕は思うよ」


「君の頭の中にある記憶を読んだけど、色々やってくれたね。ただ不思議に思うんだ……。メイド達を殴ったり蹴ったり好き放題してたらしいけど、なんでどれも半端なんだい?」

「あら、じゃあ完全に殺した方がよかったかしら」

「そうじゃないよ、君はそうしてもおかしくなかったから……純粋な疑問」

「心の中が読めるんでしょ?意地悪ね」

「僕は記憶を辿ってるに過ぎないよ、まあ、君が大罪を起こしたことには変わりないけどね」

「貴方紳士ね」

「紳士じゃないさ、君と同じだけだよ。ベクトルはね」


「それで……私のことをどうするつもり?殺す?」

「そりゃあ大罪人だ、特にクリオッドという少年には殺されるだろうね」

「はぐらかさないでよ、死ぬんでしょう?私……死ぬのなら戦いで散った方が良いわ、その方が“革命”らしいもの」

「えらくロマンチストな考え方だね。僕は即刻地獄逝きだと思うけどね」

「貴方は政治家なのね」

「夢だけでこの力を背負えたら苦労なんてしないのにね」


「それで、私をどうするの?」

「僕にはそう言うのを決める権利なんてないよ……裁判で決めてもらう」

「じゃあ私はこのまんまなの?」

「うん、そのまんまさ」


「革命って難しいのね」

「さあね、案外簡単なのかもしれない」

「失敗した人の前で言わないでよ」


「私、殺しは趣味じゃないの」

「だれだって、人の命奪うときは理由が要るもんだけどね」

「私って悪人なのね」

「嗚呼、悪人だよ……君は、純粋な悪人だよ。過程も原点も全てすっ飛ばしてここにいるんだもん……」

「そうらしいわね」


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