姓無しの華日
私はーー何故だろう。
何故こんなことをしてしまったのだろう。いや、もう答えは出ていた。だからもう、考えることはない。
私はただ、何かを追い求めていた。
何かというものは今でも私にはわからない。
結果経過は分かろうとも、思想なんてものは、私には無かった。ただ、目的のためなら何でもしよう、そう心に誓った日から今日のこの瞬間まで、揺らいだことは一度もなかった。
死神に記憶を捧げて受け取ったこの力。
今の私にあるものと言えば、数えるほどしかない。
きっと私は……。私はこんな運命を辿る一人の人間だったのだろうか。
乱れ、ボロボロになった振袖の姿で瓦礫に横たわる彼女の表情は生と死の境界を彷徨っていた。朦朧として、今にも逝ってしまいそうな瞳をして、ただ、その青い空を眺めていた。
華日という少女の話をしてみようと思う。
かといって、これは私が知っているだけの物語だから、私が知らないものはもちろん話さない。私にある、記憶は限られているからーー
華日という少女は追い求め続けた、自分の理想に。自分が思う“ソレ”に憧れた。
誰一人としていない、その屋敷にただ、一人、妹と二人。
少女は大層驚いたことだろう。誰一人としていない屋敷にただ一人、何も思い出せないままでいるのだから。
何が、起きているのかも、何が起きていたのかも分からなかった。
だって、その日から自分の思い通りになっているのだから、それはそれは少女にとっては革命的な瞬間だった。
何もかも自分の思い通りにしたい。その一心で動いた。
一心不乱に、大図書館で寝る暇も食べる暇も惜しんで、勉学に時間を注ぎ、魔術も何もかも操られるように努力に努力を重ねた。自分の理想の先にあるそれをただひたすらに脳に叩き込み、超人になるために言葉通り骨を削るほど努力以上の鍛錬さえ積んだ。
どんな時でもどんな日でも、堕落した日々を送ったことはなかった。
重ねてきた。
どんな時でも、どんな日でも。
耐えてきた。
理想をーー未だに、文字にできない“ ”を実現するためだけに……。
そして、今こうやって人を、魅了するまでの力をつけた……。
どうしてなのかいまだに答えなんて出るはずもない。ただ、私は理想を求め続けた。私の統治する国が欲しかった。
国を統治するには、市民からの信頼が必要なのだ。
なら、この力を使えばあっという間なのだ。
でもそんなことをしたら、多世界中で指名手配犯になるだろう。
何か……。他に手はないのか?
一気に人を魅了して操っても大罪人としてのレッテルを張られなくて済む方法は……。
あった。
一つだけ、その方法があった。
香花界だーー
『香花界』
それは、多世界の中心であり、また、その姿は多世界の心臓部そのもの。
その世界の王になれば、どんな多世界中の組織でさえ私を大罪人とすることはないだろう。例え神であったとしても、裏世界の政府だとしても香花という壁を突き破った前例がないのだからーー
私の力さえあれば、支配なんて簡単だった。
香花界の支配にさえ成功すれば一石二鳥ではないか。
そうして一人の少女は、一人の神人類を己の手の中に入れるためだけに、彼の大切なものを奪い、邪魔だった妹を見殺しにしていった。
何千何万……何億と、自分の成功のためだと犠牲を払い続け、その死体の山……いや、死体の地に立って尚思うことは過激と化していく、己の理想への道だった。
未知の場所へと続く死体で紡がれた一本の道。そこにはもう、分かれ道も行き止まりさえもない、もうどうにもならないものだった。
その過激と化していく理想への一本道。それは、彼女にとっては積み重ねれば積み重ねるほど、己の力への暗示へと化していくのだった。
人を殺すことは彼女も嫌ではある。
生理的な嫌悪感すらあった。
だがしかし、彼女が試しにと能力を扱う際の練習として、人々を実験体にしていくうちに、不思議と自分への自信に繋がったのだった。
早い話、自分の理想な世界を作る上では仕方のない犠牲だと思うようになったのだ。そうやって、人を易々と殺めていき、そのうち己が絶対的に理想な世界を作れると確信するようになった。
なのに、何故?
なのに何故私はこんな風になっているのだろうか、これじゃあ、まるで……。まるで犠牲が犠牲ではないじゃないか……。
じゃあ、彼らの犠牲は無駄だったってことなのか……?
そうだ、私は無駄な殺生ばかりしてきたのだったーー
虚ろな瞳から完全に光が消えるーー
消失した骨が再構成され、肉が皮が神経が張り巡らされ、感覚が冴え意識が覚醒される。
嗚呼、良い。とても良い。こんなことは滅多にないのだから。
咄嗟に、手のひらに収まったのは、確かに鼓動を感じる温もり。そう、首だ。私は彼の首を鷲掴んでいる。途端に溢れる狂笑の圧、まるで、押し寄せるかのようにそれは、ドッと津波のように静かにそして、確実な狂気を見せながら、それは、止まることを知らずに突進する。
「――」
快感に身を任せ声にならない叫び声をあげながら、彼の首を掴んだまま、地に叩きつける――
しかし、それは、完全に物理法則を無視した因果で、それは一切経過という概念の存在しないスピードなのだ。所謂瞬間移動に似て非なる、力任せでなす荒業である。
カイトは、笑った。
有り得なさ過ぎて、痛みに笑う。その破格の身体能力に笑う。無謀な壁を見て笑う。
恐怖を恐れているのではない、はたまた死というものすら恐れていない。
だって、カイトにはそれを感じることは愚か、到達することすらできないのだから……。死んでいるのなら死んでいる。恐怖を感じているのなら速攻で逃げる。少しの、感情だって、もう今のカイトには無いし、だけども、無いと言ってしまえば嘘になる。ただ、それを感情と呼ぶのはあまり相応しくない。
カイトは、その狂笑に答えることにした。もう、殺すことに決めた。さっきまでのは憶測だ。憶測というのは、憶測だ。だから、たまに違う結果になることだってあるのは、当たり前なのだ、よく無限の趣味である魔法の実験に付き合わせられるが、憶測や緻密に計算された予測でさえも、裏切られた数は尋常ではない。
何が起こるかなんて、分からないのが、この世の掟なのだ。もう、そんなことは、慣れたのだ――
華日が勢いよく間合いを詰める。
それに従って、素早く、カイトも次の行動に出る。
もう二人の動きは、攻めと守りの生易しいものではない。
問答無用の殺し合いなのだ。
攻めや守りなんて一々気に留めていたら、それこそ命取りになる。
だが、その「生」を常に気に留めとかなくてはいけない華日に対し、カイトにそれは、関係のないことであった。
カイトは、死なない。いや、違う。死ねないのである。いくら、痛みを伴う傷を負ったところで、死ぬことなんてできないし、その業を無にすることなんてできない。
だから、カイトは問答無用で彼女を追い詰める。
もう殺したって構わないのだから、それこそ、本気になる。
しかし、発動する能力全て効かないのだ、何故か? 両者共に、能力を酷使していたのにも関わらず、まったくもって、効いていない。しかし、その原理なんて、もう二人は心の底から分かっていた。
同じ力の源、能力の相殺。
くだらねえし、つまらねえ、世界の答えだった。
さっきまで否定してたこと、それは単に彼女の基礎能力が高いからだとばかりに考えて、それに、一番可能性が低いものと勝手に思っていた、それが、事実だということ。本当……エンタテイメントに欠ける。
やはり、これが、皮肉か。
死神から、最強の力を貰える。その甘い誘惑に負けて実際に強い能力を手にしたとして、残ったものは何もなかった。誇りも失って、身体の自由も奪われた、自由に命を絶つことも、意思を明かすことさえもできなくなった……。血族からは迫害され、絶望に暮れる日々。もう、それさえも、身を蝕む死神からの代償で次第にその感情さえも失せていった。
ここまで、捨ててきて、なんの価値があったのだろう。
彼女を殺すことができないこの現状にぶち当たって、この気持ちを確信した。いままで、なんども、当たってはいたものの、ここまで、強く感じたのはこの瞬間が初めてだった。
なら、ならば。
この力が、役に立たないというのなら、この搾りカス同然のこの身をすり減らしてやろうじゃねえか……。
その瞬間から、戦闘はより過熱していき、もう、気付いたら、立っている地はあのホールでは無く、そこは幾度も踏んだ敷地の緑だった。
※※※※※
――神の悪戯か、それが神ならば、神は、本当に一人しかいないし、そもそも、彼は一人では無かった。
彼の能力と彼女の能力が干渉しない理由。
それは、カイトの無の力が勝っているからとか、華日の魅了の力が老いているからとかの以前の問題だった。
それは――
「どうも……。メイド長のシフィアでございます」
「シフィア……さん?」
目の前にいるのは、シフィアであった。
「なんで、ここに……シフィアさんが?」
優多達は崩壊寸前の館の中で、彼女と鉢合わせたのだった。
何故――? 優多は、どこか、彼女にただならぬ不審を抱いた。それもそうだ。何故こんなところにいるのか、何故、ここに……?優多が不審がるようにボーイッシュも同様にして、驚愕の表情をして突っ立っていたのだ。
――だって、ボーイッシュとステレット以外のメイドたちは、この棟に来てない……別棟の清掃をしている途中だったのだから……。
本来、ここにいるはずのない、シフィアが何故……。何故ここにいるんだ?
シンプルなまでその恐怖の正体は明白だった。
しかし、彼らは彼女らは認めたくなかった。認めることを恐れた。
だがしかし、向こうにある、渡廊下が崩壊しているのが見て取れるほどに優多達の目は冴えていて、しかしそんなものをちょっとやそっとの時間が解決してくれるわけでもなく、いい加減に優多と、ボーイッシュの二人は、一人は生唾を飲み込み、もう一人は重い息を吐いてから、落ち着いた風を装い。一人が口を開く。
「やあ、メイド長。なんであんたがここにいるの?メイドたちの指導はしなくていいのかなあ?」
「御冗談を、貴方を連れ戻しにきたんです」
「はっはっはっは、冗談キツイよシフィア。こんな状況でどこを掃除するっていうんだよ」
「冗談に決まってるでしょう?」
その瞬間、怖気が立ち上る。
ぐちゃりと、妙に濡れた音が彼女の、シフィアの底から静かに響く……。そして、嫌な靄が、重みを露わにしながら彼女の、輪部という輪部を伝い、その正体が露わになった。
そして、ようやく優多はその衝撃的な光景に脳内で文字として、整理することができるほどに心の鼓動を地につけることができた。
「おいおい、だれなんだこいつは」
そんな中、一人が、優多達に向かって問われる。彼女は誰なのかと――そうクリオッドは二人に聞いてくる……。
その問いに、少々優多は答えに渋るが、ちらりとボーイッシュの顔色をうかがってから答える。
「――多分、知らない人です」
「ほーん……。そんな風には見えないけどな」
「そっくりのがいるんだよ、私たちも、今まで気付かなかった」
何故という疑問に対して根本的な面からしての理解は十分ではなかった。だが、その時の情報だけでも彼らからしたら十分すぎるほどの真実で――
それは、実に簡単で、極度にシンプルな答え。
『彼女は(・)シフィア(・・・・)で(・)は(・)ない(・・)』
――今はそれ以外は余計な情報であった。
もう、分かっている。解り切っているからこそ、もう、それを考えないように彼女はした。
――反対に、彼は身体の内で反芻した。
今までのシフィアは偽物であったのだと。彼女は、今そこに立つ知りもしなかった女性が「シフィア」というここにいるメイド長に化けていたのだということを、彼は、優多は……ただその事実を我が身に言い聞かせる……。
だって、いままで不可解なことがようやく合点いったのだ……ワインの件でも彼女の不審な行動においても全て合致するのだ。だから、逆に優多からしたらその事実は納得のいくものだった――
「ごめんなさいね。いままで騙し続けて。でも安心して頂戴、用があるのは貴方達の主なの今日はここでお暇させてもらうわ。こんな状況だし」
と、彼女は、崩壊寸前の天井を見上げながらそう言った。が、
いや待て……。そう、毛が逆立つほどに声を荒げたのは、ボーイッシュ。
半歩……前へ足を出す。
「させるわけ……ないだろ?」
低く、声を荒げる。
しかし、今にも崩れ落ちそうな天井、崩壊寸前の眺め良い館……周りを見渡せばそれどころではない状況である。優多は今にも、駆けだしそうな彼女の腕を掴み説得を試みる。が……。
「放せよ!あれは、今やらなきゃいけない!気持ち悪くてしょうがない!」
「ダメですよ!いくら何でも、こんな状況で――な!?」
と、彼女を説得してきたにもかかわらず、目の前を駆け抜ける陰に優多は啞然。
「とりあえず、こいつはお前らの敵だってことは分かった――なら、取る行動は一つだ」
それは、武器を振るってからの一言だった。やってやった……これが正義だと語るような瞳に、啞然とする二人。
未だ、神人類としての黒い紋様が刻み込まれたままになった身体の彼、クリオッドの片腕から生み出された、謎の黒い武具で、たった今、彼女の命が絶たれてしまった事実に、ただただ二人は啞然と、そのぽっかりと空いた虚空にしらけるほかなかった。
あっけなく終わったその事実に、優多は晴天を疑う程の疑心暗鬼に陥った。
いや、死んでいるのである。確かに、死んでいるのだ。いや、死んでいるという事実は確かに存在しているのだ。
彼女の運命はここで絶たれ、もう、彼女の魂はこの世に存在してはならないのだ。しかし、何故――何故ここまで、まるで生きてるかのように思えてしまうのだ!
いや、ただ呆気ないという訳ではない。呆気なさすぎる(・・・・・・・)のだ。
こんなんで、誰かが死ぬのか?いや、死ぬのだ。いくら短期間とはいえ、流石にここまで感覚は麻痺しない。するはずがないのだ。だって、人が死んだんだぞ? いや、人が死んだ……のか? なんなんだ……なんだっ一体――
一瞬の気の迷い。
何が何だか分からなかった。だって、まるで、死んでいないのだから。
――透過って知ってる?
ふと、集中して、外部からの音声など受け付けない。静寂しきっていた聴力の蓋が強引に引きはがされそれは土足で踏み入るような不快感すらあった。
ふと、異変というものを目の当たりにする。
いや、異変そのものというよりか、異変が起きる瞬間を彼女たちは目の当たりにした――
「意識の透過」
クリオッドの片腕がもがれ、正確な「死」に最も近い情報に軽く嫌悪を覚え、久しい吐き気がこみ上げてくるが、まだ耐えられるほどまでには忍耐力がついた。
あまりの衝撃に、驚愕に叫ぶクリオッド、逃げようとするも蹴りを入れられ、分厚い壁に叩きつけられ、半分意識が飛んでいるようだった。
いや……おかしいだろ。と、内心、彼の芝居が笑えなかった。だって、あのクリオッドがあの一撃でここまでくたばるはずがない……。だって、ただの蹴りだ。あんなの自分だってやったけども、まったく効いていないとでも言うかの如くピンピンしていた……。
直後、なにが起きているのか分からず、状況が呑み込めぬまま置いてけぼりにされるボーイッシュ……。
「光の透過」
陰から、何かが高速でこちらに打撃をかましてきた。
一瞬、あの一瞬の光景が間違っていないのなら、あれは、足だ……。左右どちらのものかは分からないが、あれは歴とした足で、強力な蹴りを入れられたのは、その瞬間理解できた。だけども、不可解な点が、見えたのは、その足一本だけということと、今まで感じたことのないほどの、痛みが伝い、まるで内臓が攪拌されるような、というか、事実内臓が破損しているだろう衝撃である……。
痛みの所為で、もう痛覚を通り越していたが、まだ意識は残っていた。だから、クリオッドのことは早々に理解できた。
しかし、困ったことに、痛覚は通り越したがまるで歩けない。力すら入らないのだ。
歩く感覚すら、体が忘れてしまっているのではないかというほどに力が入らないのだ……。
ふと、目の前の光景に、焦りが加わる。
ボーイッシュ――彼女の怯える姿が目に留まったのだ……。
早くしないと……早くしないと彼女が……。まだ、名前すら明かしてもらえない彼女が今度は犠牲になってしまう。
早く、早く回復してくれ……。早く……ッ。
だがしかし、願っても願っても、回復の感覚は掴めないまま、何が起きているのかさっぱり分からない。さっきまでは、あんなに早く回復できたというのに、何故なのか彼には理解できなかった。首を動かすが、唯一の弱点である「心臓」は無傷で済んでいる。しかし、何故回復しない?そして、今気が付いた。
――何故彼女の遺体がそこにない?
「空間の透過」
これはもしや――ッ!
優多は、直感的に理解した。
彼女が、口々にする「透過」の言葉。彼女は透過の能力の持ち主なのではないかと、ならば理解できる。仮定段階だが、あの一瞬に見えたものが足だけだとするなら、透過の能力も説明がつく。
しかし、優多は同時に、絶望の一歩手前で思う。でも何もできないじゃないかと。
彼女が怯え、未だ奇跡的に一撃を入れられていないとはいえいつかは殺されてしまう。殺されるのだ、彼女が……。どうにかしないと……その一心で手を伸ばすが、肝心の手が動かない……。おかしい、さっきまで感覚はあったはずだ。何故――ッ!
両腕がもがれていた。
思いもよらぬ展開だった。何が起きているのかも分からない。
ただ、分かることはといえば、この中でも一番危機が迫っているのは自分だということで、それは、周囲の状況からして、自分が一番被害が大きかったから――
「あらまあ、いい姿ね」
「どこもよくないですよ」
そこに、彼女が姿を現した。僕の目の前で笑いながらナイフを手にしている。
かろうじて耳は聞こえる、だがしかし、両腕はいつの間にか失い、足ももう使い物にはならない……。今まで使えた自己治癒は何故か使えない……。
終わったな……。軽く自嘲するが、慰めにもならない。
「私の能力なんだと思う?」
「さあ……どうでしょう。透過でしょうか?」
「似てるけど、不正解」
「……そうですか」
その問いに、一つの可能性を破られて。啞然とする。
優多の内にできた問い。それは、透過ではないなら何なのだ?ということ。
じゃあ、さっきのは何だったのか?もしかして、幻覚か? それなら、否定しておきたい……恥ずかしいじゃないか。
下される。真の恐怖を感じたのはこの時だった。
本当にどうにもならない現状というのはまさにこのことを言うのだろう。それまでの愚かな自分に酷く恥じた……。それは、赤面するといった感情とは程遠い、自分の考えの甘さに絶望する類の恥であった。
甘い。そうだ、甘かったのだ。
そうなるであろうという考えが間違っていたのだ。いや、冷静に考えて観ればそれは、疑って当然だった。
どうにかなる。
すべては愚考に過ぎず。恐怖の代わりにしては大きく務まり過ぎていたのだ。またどうにかなるであろう、だって、今までも酷く短い間であれ目に見えるピンチは全て乗り越えてこれた。
だから、今度もどうにかして乗り越えられるだろう。
その思い過ごしが全て、己の恥だった。
だからこそ、その瞬間に絶望するのだ。何も……。何もないじゃないかと、何を思い違いしていたのかと。
彼は嘆く、こんなはずではなかったと。いや、違った……。もっと抗うはずだった。こんな無力なままに生を終えるはずではないのだ……。
優多は、必死に身体に力を入れようとする――だがしかし……。もう間に合わないという死神のような知らせが目の前に迫るのだ。
優多は、ただ、それに怯える。迫る「死」にどういった表情をしていいのか分からなかったから……。
彼女のその一撃に優多はただ、凝視するだけで……。
終わりを悟ったその刹那、疾風の如く風が突っ切って、次に来る耐え難い衝撃と共にその一撃は拒まれた。
――一人の少女によって……。
「……」
「……吸、血鬼?」
優多は唖然とした、突然と姿を現した彼女の存在を忘れていたわけではない。ほんとだ、忘れてなどない。しかし、突如それを見たので、純粋な驚きがどんな感情よりも優先され、その場からは一瞬の沈黙が過る。その中には彼女までもが驚きのあまり、その瞬間固まって、まるで、その場から時が止まったかの如く動きをぴたりと止めた。
「あらまあ……。これは予想外の展開ね」
「……悪いけども、現実というのは、小説よりも展開が読めないものなのだ」
「そんなことはないわよ、だって私にはその力があるのだから」
「私の身内とよく似た傲慢さだな。まあでも、貴方の方が説得力がある」
「あら、貴方こそ大したものじゃない……能力を見破るなんて。まあ、でも今日の私の予定は貴方達全員を殺すことじゃないのよ。単なる力の証明なの」
「そうか……。でも、彼らに死なれては、困るのだ。まだ、礼も言えてない」
彼女は、顔を上げながらそう言う……。
突如放たれた言葉の掛け合いに、優多はそれをただ啞然と見ていた。口を阿呆のように開けて、その幻は、吸血鬼である彼女によって閉ざされた。指揮者が演奏を止める合図かのようにしてその地獄に「終わり」を与えた。
そう、それは、終わったのだ……。
未だに緊張に縛られた身体はそれまでと変わらないのに、動かせなくて、ただ、目の前をぼやけたようで、はっきりと見える自分の瞳で見る。
そして、静寂の中で、優多はその正体を凝視する。
その光景は、変わらなかった。
倒れるクリオッドにオドオドとするボーイッシュ。しかし、それを……。それを変わってないと言うには、さっきのまでの光景を偽りと呼ばないと辻褄が合わなかった。
目の前に立っていた、シフィアの皮を被った得体のしれない奴によって壊されたその廊下は元の状態に、壊される前の半壊状態の元の姿を取り戻していた……。
ハッキリ言って、「それは元の姿を取り戻した」というよりかは、まるでそんなことはなかったかのように部屋の表情はシラけ、まるで、そこで起こった絶望なんか自分の幻覚だったかのように空気からは完全に可哀想な目で見られているような気がしてならなくて、嫌でも、その静寂が訴える。
何もなかったと――
――何もありませんでしたよと彼女は微笑みかける。バカにするように……。
「大丈夫か?」
「……状況を把握できるまでにはなんとか」
「あら?珍しいわね効かなかったのかしら?」
なんて変わらぬ表情で言うが、それに優多が返事することはない。反応はするが、言葉に詰まったからだ。何とも情けない、これでもあれだけ彼女にかっこつけた男かと……。
一体何だったのか?と、傍らに寄ってきた吸血鬼、グリオ―ド・フォードに瞳を向ける。
そんな優多に対して彼女は逞しく、彼女は肌は見えずとも、その豪奢な黒いドレスがズタズタに引き裂かれてしまっていた。罪悪感を抱き何か言おうと言葉を探していると「仕方がない」と、彼女はそれだけ言って表情の方は何ともなさそうだった。
「随分と余裕だな」
グリオ―ドは彼女に向き直るなり、尋ねる。
「ええ。もしもの時は逃げればいいんですもの」
「そうだな、その力だと特に……」
煽っているが、見た感じだとあまり効果は期待できない。
「――幻覚を(・)見せる(・・・)力だと」
は?
なんて、優多はグリオ―ドの方を向く。
いくらなんでも、それは安直すぎるのではないだろうか? 幻覚を見せる? あれが幻覚だというのは、あまりにも受け入れ難いものだ……。いや、だがしかしこの状況だとそう呼ぶ他ないのかもしれない。現にあれは、無かったことなっているのだから……。
何なのだ? 本当の能力は……。
人の思考を操るのか? それとも、他の何か……?
優多は、考える。一瞬の思考に全ての神経を集中させる。
しかし、何も答えは浮かんでこなかった。一体何なのかも、分からないまま時は無駄に過ぎる。そんな中、彼女が、得体の知れないその彼女が口を再び開いた。
「じゃあ、答え合わせと行きましょう。まあ能力を打ち明けるわけじゃありませんけども、私がこの力で何をしたのか……。流石に答えを明かさずに次を待つだなんて私はこの世で最も嫌うことですから」
笑いながら、彼女は言う。
それは、もう子供が仕掛けたいたずらを明かすかのような態度であった。
「この館……なんて言うんでしたっけ?まあ、この建物にいる人たちの能力を無効化していました」
その一言に、優多は驚愕する。
そして続いての一言にも……。
「私の能力の応用で、全てを私の予定通りに組み替えさせていただきました」
「な――」
「まあ、組み替えたといえば、それは拡大解釈になってしまいますが、私は真実を、事実を……光というものを自在に折り曲げることができるんです。いかかでしょうか?最低限のヒントを……伏線を与えたのですがそれでも分からないですかね?」
「まあ、読者が汲み取れない伏線を張っても、なんら面白みもないけどな」
「作用でございますか」
残念そうに彼女は首を傾げ、「では」そういって、指を鳴らした途端に、景色は一変した。これが、本当の現実だと分かったのはすぐの事、それはもう感覚が全てを物語っていた。形として絶対的なものを認識できるようなものではない、だがしかし、これは本当だということは、直感的に本能的に理解できるものであり……言ってしまえば理解せざるを得ないのだ。
だって、それは確かに補足されていたからだ。
状況が、彼らが、彼女らが……。
全て、辻褄のあった、おかしくない世界なのだ……。
だがしかし、いくら真っ当な世界に戻れたとしても、彼女を逃がしてしまったことには変わりなかった。
目の前にいたはずのあの女の姿が見当たらず、ぽっかりとまるでパズルの1ピースが姿を消したかのような虚空がその場に漂うばかりで、しかしそれは前にも後ろにも進展することはなく、どうやら本当に逃してしまったらしい。
相変わらず、腰が抜けてから、座りっぱなしの優多に、彼女が「立てるか?」と手を差し伸べてくれた。
「ありがとうございます」
「これくらいは普通だ。ありがとうはこちらのセリフだからな……。ありがとう」
そう言って、周りを見渡しながら彼女は、吸血鬼であるグリオ―ドは、その場に倒れていたボーイッシュとクリオッドの安否を確認する。
「多分、思考を操作するような能力だろうな」
「さっきの……人ですか?」
「ああ、能力が使えなかっただろう、あれも多分あいつの仕業に違いない」
「……貴方は……一体」
「吸血鬼になったグリオ―ド・フォード……。やっと、全てを思い出せたよ」
彼女は、そう、何とも言えない表情でそう口を開こうとした、その瞬間――
床が抜けた――
何が起きたのかは、優多でも予想がついた。多分、これはカイト達のだろうと……。瓦礫の中で、未だに目を覚まさないボーイッシュがこちらに滑り込むと、咄嗟の判断で彼女を庇う様な形で、優多は全身を彼女の身体に被せ、崩れ行く床にただ必死にへばりつく他に案を出すことなんて、その状況じゃ優多にとっては無理な話だった。
なんの予兆もなく崩れたのも反応に遅れた理由になるのだが。しかし、その大半は彼女の話を聞き入っていたからであって、完全に油断していたのだ。だから、冷静に考えてみれば、わざわざ身を盾にして彼女と瓦礫に埋もれずに済む方法など、いくらでもある。
優多は、瓦礫の山からボーイッシュになるべく傷つけないよう、慎重に瓦礫を退けながら何とかして這い出ると、グリオードが吐きそうになっているクリオッドを片手に出迎えてくれた。
「怪我は大丈夫か?」
「何とか、二人とも無事ですよ……。彼女も僕も……」
「ならよかった」
――続けてくる、大きな振動。
間違いなく、カイト達のものだろう……。かなりの大激闘を繰り広げているようだった。
「華日……」
「へ?」
ふと、横で何かを見つけたかのような、そんなふと漏らしたかのような物言いに思わず、優多は、振り向いて気の抜けた声を漏らす……。
今なんて言った? 優多の表情はそんな阿呆にもそんな思案が浮かんでいた。
勿論優多は、彼女の漏らした呟きをちゃんと耳にしていた。だってそれは、以前にも聞いたことがある名だったから……。余計にそれは、優多の中で聞き逃せない重要なワードと化していた。
今この時に、この時点で、優多の思考はそれでいっぱいになった。
二度目で掠めていたものが掘り起こされてそれが、目立ち、自我の中で、強く思考に結びつく。
そうか……今、多分、今カイトは華日と……彼らの、この一件の主要人物と渡りあっているのか……!
優多は、思った。
早く、カイトの元に行き、早くこの一件を解決させなければならないと。
優多はカイト達が向かったであろう、場所に身体を向ける。と、ふと感じる一人の陰に振り向くと、そこにはクリオッドの姿があった。
「道案内を頼むぞ……優多」
「任せてください……クリオッドさん」
そう言って、グリオ―ドに向き直ると、申し訳なさそうに微笑んみながら。
「彼女のこと……任せてもらっても大丈夫ですか?」
「信頼するのか?私なんかを」
「大丈夫ですよ……貴方はそういうことをする人じゃありませんよ」
その言葉に、彼女は、少し驚いたような顔をするが、優多はそれに構わず「お願いします」最後にそうとだけ伝え、彼らは行ってしまった。
「何も知るはずがない小僧が何を言うんだか」
呆れた口調。だけれども、けっして声に負の感情は宿ってはおらず、どちらかといえば、困ってはいるものの決して悪い気はしないような……。そんな温かい笑みで、彼女は……。一人の少女は彼らの背中を見る。
「そう言うことをする人じゃない……ねえ……」
未だ騒がしくも、奥底の共鳴が響き渡るその中で、吐いたため息は、どこか生温かい印象が強い気がした。
※※※※※
暗い中で、彼女は歩ていた。
「いててて……もうっ!いくら歩けば済むのよ!つーかーれーたー!」
500歳児が
「まったくもう……花火ったらあの娘……」
内楽華日はその未知なる樹海を彷徨っていた。
雪花花火による緊急テレポートなるもので、大分離れた世界に送られたのだが、いくら歩いても、世界移動の扉は見つからないし、さっきから同じ場所を通ているような気がして、もう疲れに疲れて、今すぐにでも熱いシャワーを浴びて汚れを落としたい気分だった。
だがしかし、困った……イオナとは連絡がつかないし、何故かさっきから能力も発動できない違和感に苛まれている。なんでだ?
まあ、とりあえずどこか……ここら辺にあるはずなんだ……ここら辺に……扉が……あれ? なんでだ? なんで……感触はあるのに……さっきから景色は同じなんだ?
その状況は何とも奇妙であった。
だって、空気の通りが、流れは、草原のはずだし、ここに扉があるはずなのだ……それも結構な大門だ。にも関わらず、この景色は変わらないまんま。奇妙な……まるで、偽物のような別の……生きとし生ける流れがそこら中に張り巡らされている。
まるで、固有世界を持つ結界にでもはまったようだが、それも流れを見て見れば、僅かに作りが違うのだ。
『あらあら、案外気付くのが早いんですね』
「!?」
『そんなに怖がらなくていいのに……』
「何なのよ……何なのよ、これ……」
震えに震える恐怖の正体は、背後から忍び寄る、圧倒的な殺気。両肩に手を置かれ、滑り込んで、抱き着かれる。嫌な、妖でも怪物でもない、よくわからない生温かく、しかし、どこか冷え切った体温が肌に突き刺さるように触れる……。
そしてその腕を絡ませる。最初は胸を……次に片腕は首を口内を。もう片腕は腹を……陰部を弄らせる。
あまりの恐怖に言葉が発せられなくなる。能力すら出せなくて、唯一抗う手段でもあった、超人特有の身体能力すらも、何故か力が抜けてしまって発揮できず、本当にただの人間同等までになってしまった……。
一体何が起きているのか、やっと理解できた。
「お前……。のろいを……。」
気づいた頃にはもう、遅かった。体に直接だ……。
何故、体を弄るのかやっとその頭で理解した。身体能力を拘束する呪術による地肌直接の刻印。
身体の場所により流れる気力、妖力、魔力はそれぞれ違う。だから、直接肌に刻印すれば、効果も的確に反映される……。
だが……。だが、これはいくら何でも規格外だ!こんなの、並の呪術じゃ……実現不可能なのに……。
『あらら……?超人とは言ってもやっぱり個体差はあるのですね……。てっきりこれくらいであれば簡単に耐えられると思ったんですけど……』
残念そうな声が聞こえる。だがしかし、もう立っているだけでも辛い程に、力を押さえつけられてしまっている……。
そうか……成程。
流れを見ればそれの正体は一目瞭然だった……そりゃあ勝てない訳だ。
正常な思考ができないようにする能力使いというわけか……。
――これはマズい……かなりマズい。
「はなびぃ……」
『あらあら可愛らしい』
はなび……助けて……はなびい……。
内楽は何度もその名を虚空に向かって、力なく呟く。力が出ない。怖い。これからどうなるのかもわからない。怖くて怖くてその名を呼ぶ。やがて、それに担がれ、どこかに連れていかれる……。
割れた空間に私は連れていかれる。やがてそれからは声すらも出せなくなって……。段々と、閉じていく、その日々が、元に戻る……。その最中で、人影が見えた。
見覚えのある影だった……。
そう、ここで叫べば……。
は……な、び……は、なび……はなび……はな――
しかし、その願いは叶えられることなどなかったのだった。
※※※※※
その日、多世界から数十名の女性が行方不明になるといった事件が起こったのだが、それが世に知れ渡るのは、まだ、先の事であった――




