第二話 出会い
私が初めて青馬様にお会いさせて戴きましたのは、青馬様がまだ僅か五歳になられたばかりの頃の事でございました。
◇◇◇◇
当時都では、皆外出を控える程に流行り病が蔓延しておりまして、元々ご健勝であられなかった私のお母様は、又長らく臥せっておられました。
それを聞き付けた郁馬様が、青馬様を伴われてわざわざ我が家にお立ち寄りくださり、
『細君に食べさせよ。』
と、獲ったばかりだという鰻をお持ちくだされたのでございます。
そして青馬様は娘の私に、本来私のような身分の低き者が口になど出来ぬ、“蘇”という珍しき食物をお持ちくだされて、
『好むかどうかは判らぬが、身体には良いらしい。私は薬と思うて食しておるぞ。』
そう、少しおどけた言い回しをなされて、私に“蘇”をお手渡しくだされたのでございます。
その時、指の先、ほんの二~三本の指が、僅かに青馬様の指と重なったのです。
それは些細な事でございました、誰とでもよく有る些細な事。
なのに私の指先はビリビリっと痺れて、同時に心の臓がドクンっと一つ痛みを伴うような大きな鼓動を刻んで、驚いた私は、失礼にも気付けば手を引っ込めておりました。恐らく頬は真っ赤だったに違いございませぬ。
青馬様が素早くお持ち直してくだされたから何とか落とさずに済んだものの、青馬様がわざわざ私の為にお持ちくだされたお品を、私は何という事をしてしまうたのでございましょうか!それも青馬様は未だ五つ、私より三つも下の幼子であられるというのに・・・。
我に返った私が、羞恥と困惑に顔を上げられずにおりますと、案の定、隣で一部始終を見守っておられたお父様が、
『菫、何を致しておる!若君、失礼致しまして申し訳ございませぬ、お怪我はございませんでしたか?』
と申されて、慌ててその場を何とか取り繕おうとなされたのでございます。
すると、
『騒ぐな、大事ない。』
僅か五歳の青馬様は、お父様をお宥めくだされた上に、
『私の渡し方が悪かったのだ、済まなかった、驚かせて。』
そう仰られて、跪く私の前に膝をつき、改めて“蘇”を差し出されたのです。
私が今度は細心の注意を払い、お手に触れぬようにお箱を受け取らせて戴きますと、
『お前、恋人がおらぬであろう?』
ニヤリと笑うて私をご覧になられておられました。
(は?)
未だ五つの青馬様が、何を仰られておられるのかと俄かには信じられず、私がポカンとその綺麗なお顔を見つめておりますと、
『こっ、こらっ、セイ!』
お父上・郁馬様が慌てて青馬様を引っ張り上げられました。
そして、
『あははは、全く此奴は誰に似たのかませておって、あははは、菫、済まぬ、許せ。』
そう郁馬様が早口で仰ると、透かさず私の隣から、
『誰に似るとは又異な事を仰ります、貴方様以外、何方に似られると仰るのでございますか?』
然も呆れたような声音でお父様が申されました。
すると、
『暁房!子らの前で何を申す!おお、そうだ、秋人の屋敷に向かう途中に立ち寄ったのであった、では細君に養生するように伝えよ、ほらセイ、行くぞ。』
と慌ただしく出て行かれようとなされましたので、
お父様が、『でしたらお供を。』と立ち上がられたのを、
『よい、細君の側に付いていてやれ。』とやんわりと制されて、疾風の如く去って行かれました。
◇◇◇◇
『お父様、先程はとんでもない粗相を致しまして、申し訳ございませんでした。』
郁馬様ご一行をお見送りさせて戴いて、家に入る途中、お父様にお詫び申し上げますと、
『もうよい。然れど、身体が弱い故、あまり外に連れ出さなかったが、そろそろ少し出歩くようにせねばならぬな、それでは嫁になど行けぬぞ。』
などと申されましたので、『はい、申し訳ございませんでした。』と返答しつつ、先程気に掛かりました事を思い切ってお尋ねさせて戴きました。
『お父様、あの・・秋人様とは・・・、』
『ああ、秋人様は郁馬様のご友人、右大臣様のご嫡男・柿本秋人様の事だ。』
『右大臣様の・・・。』
私は高貴なるご身分の方々の華やかなるご交友関係に一瞬思いを巡らせましたが、然しながらその時はそれで話が終わってしまいまして、残念ながらそれ以上私が右大臣家について知る事はございませんでした。
◇◇◇◇
然れどありがたい事に、青馬様はその日より度々我が家にお立ち寄りくだされるようになられたのでございます。
私をはじめとして我が家の家人は皆等しく、僅か五歳にして、既に当主の風格を備えた青馬様に、すっかり魅了されておりました。
然りとてそれは、決して偉ぶられておられるという訳ではございません。私の事も『菫、菫、』と親しくお呼び掛けくだされて、お出での度にお菓子をお持ちくだされるなど、誰にでも分け隔て無く接してくだされるのでした。
青馬様がお優しいのは誰にでも等しくであって勘違いしてはいけないと、私は私自身に必死に言い聞かせ、戒めながらも、どんどん青馬様に惹かれてゆく心を止める事は出来ませんでした。