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人間ぎらいのパヴァーヌ  作者: 姫宮 雅美
第一のメロディ「クララクララと人間嫌いのキースおじさま」
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 コン、コン、コン♪


 木製の扉の高い位置で、小気味よいノックの音が三回しました。

 窓際のテーブル席に座っていたクララクララは、音のした方向に振り返ります。

 クララクララが待ちわびる人はもっと低い位置で、ノックもゆっくりと二回なさるのです。クララクララが住むのは、深い森の中の小さなあばら屋なので、周囲には何もありません。そここへわざわざ来て下さった奇特な訪問者さんは、残念ながらクララクララの待ち人さんではありませんでした。

 でも、クララクララは「ハァーイ!」と元気よく明るい返事をして、椅子から立ち上がり扉まで向かい、扉の内鍵を開けて外側へと開きます。大工さんではない素人のおじいさんお手製のドアなので、立て付けが悪く、ギギィーと大きな音を発します。初夏の午後の強い日差しが小屋の中に差し込んで来ました。クララクララには眩しいです。

 クララクララは、左手で顔を覆います。


「や、やあ! ク、クララクララちゃん」

 ドアの後ろの影から顔をヒョイとのぞかせた訪問者さんは、ハンス・ボルフマンさんでした。ハンスさんは、お姉さんのアンナさんと一緒に、ここから一番近い街でボルフマン商会というお店屋さんを営業されているんですよ。

 ボルフマン商会は、パンやパスタ、お肉やお魚にお野菜、牛乳やチーズの乳製品の他に、文房具から掃除道具に洋服まで、日用品のありとあらゆる商品を扱ってらっしゃるのです。

「ハンスさんこんにちは! でも、今日は配達の日じゃないですよね。確か昨日にたくさんの荷物が届いたばかりです。あ、でもでも、入口で立ったままなのはお疲れでしょうから、どうぞ中にお入り下さい」

 クララクララは、にこやかな笑顔となってハンスさんを招き入れます。

 そうなのです。ボルフマン商会のハンスさんとアンナさんのお二人には、クララクララは大変親切にしてもらっていて、毎週水曜日と土曜日には、クララクララの生活に必要な食料品や日用品を配達に来て下さるのです。

 次の配達日までに必要になりそうだと思った品をメモに書いてハンスさんに提出すると、希望する品物を持って来て下さるのです。代金の方は一回もお支払いしていないのですが、その辺の事情は詳しくは聞けないでいたのです。

 何しろクララクララは、お金を全然持ってはいないのですから。「この商品はお幾らなのですか? 最近は異常気象の影響で牛さんがお乳を出さないで、牛乳が値上がりしていると新聞に載っていました」過去に、ハンスさんにそれとなくニュアンスを含めた曖昧で遠回しな質問をしたのですが、「値上げ分は関係ないよ。クララクララちゃんのおじいさんからお金をたくさん預かっているからね」そう言われたのです。

 じゃあ、おじいさんの預けたお金が底を付いてしまったら、クララクララは飢えてしまうのでしょうか? そこまでは、踏み込んでは聞けませんでした。クララクララの駆動装置はノミさんの心臓の大きさしかありません。


「ハンス! 頑張りな!」

 ボルフマン商会の名前と電話番号がドアにゴシック体の青文字で入っている白い色のワゴン車が、小屋の外の池の近くに停車しています。その助手席の窓を開けて、ハンスさんのお姉さんが叫んでらっしゃいました。

「アンナさん! ご一緒にお茶でもどうですか? クララクララの焼いたクッキーも、ごちそうしますよ」

 クララクララは小屋の外へと一歩踏み出して、アンナさんにお声をお掛けしました。アンナさんは、カールした栗色の髪の毛が右目に掛かる特徴的な美人さんで、お胸のとっても大きいお姉さんなんですよ。おっぱいが、アンナさんの着る白いシャツを、お空の方向に引っ張り上げているのです。クララクララは思わず自分の胸と比較してしまいました。でもこの大きさはおじいさんの趣味であって、決してクララクララ胸が貧相と言うわけでは無くて。

「ありがとね、クララクララちゃん。でもね、今日はハンスの話を二人きりで聞いてやってくれないかな。まあ、若い二人が顔付き会わせてお茶をするのも、大事なコミュニケーションの一つなのだよ。こういうのを億劫がっていると、姉ちゃんみたいに未だ独身になっちゃうぞ! 頑張り給え、我が弟よ!」

 アンナさんは大きな口に鮮やかな赤色の口紅をされていました。その口から、弟さんのハンスさんを叱咤激励なさっているのです。

 でも、何を頑張るのでしょうか? クララクララは考えます。

「うるさいぞ! 姉貴!」

 ハンスさんは苦笑いをしてから、大きな背丈を折り畳むようにして、クララクララの暮らす小屋の中に入ってきました。ハンスさんは、とっても身長のお高いお人なのですよ。


「どうぞ、どうぞ。狭い家ですが」

 クララクララはいささか謙遜して、お客様を中に招き入れてからドアを静かに閉めます。そうしてハンスさんを見上げます。やっぱりハンスさんは大きいですね。

 身長は2メートル近くて、百キロ近いとお聞きした体重は、クララクララと比べると大人と子供ほどの差があります。ハンスさんの背後に回ったクララクララは、背伸びしたクララクララとハンスさんの身長差を、手を使って計ります。

 ハンスさんが一週間に二回、重い荷物を抱えて運んで下される姿を見ると、とてもたくましく思います。ある春の日のクララクララは、いたずら心を出してしまって、ハンスさんの青いポロシャツからのぞく太い二の腕の筋肉を触ってしまいました。丁度、1リットルの牛乳の入った瓶が半ダース入ったケースを抱えていらした時ですから、ハンスさんは油断なさっていたのですね。

 その時はハンスさんに叱られると思ったのですが、ハンスさんはクララクララの顔を見て全身を真っ赤にしてしまわれたのです。クララクララは、ハンスさんが優しい人で安心しました。


「ク、クララクララちゃん。どどど、どうぞお構いなく」

 ハンスさんは手先と背中をピンと伸ばして、小屋の中央のテーブルにある椅子の前で直立で固まってらっしゃいました。今日はホストであるクララクララが、ハンスさんを優しくエスコートしなければなりません。

「どうぞ、お掛け下さい」

 素早くハンスさんの背後に回ったクララクララは、音を立てないように細心の注意を払って椅子を引き、ハンスさんを案内します。

「ごごご、ごめんよクララクララちゃん」

 謝られる必要はないのですが、ハンスさんはクララクララの方を向いてからしきりに頭を下げてらっしゃるのです。そうして椅子に腰掛けられました。

 だって、ハンスさんはとっても可愛いらしいんですよ。クララクララは、ハンスさんの大きな身体に抱きついてみて、モフモフしたいと思っているんです。

 でもでもこうしてみると、ハンスさんとお姉さんのアンナさんは姉弟といってもあまり似ていない印象です。アンナさんはスラリと痩せているお方なのです。

 そして、アンナさんの大きくてパッチリとした眼と比べると、ハンスさんは細くて垂れ下がっていますし、アンナさんは小さくてツンと尖った鼻ですが、ハンスさんは大きくて横に広がっています。ハンスさんにはソバカスがありますが、アンナさんはお化粧をして誤魔化しているのかも知れませんね。

 ちなみにクララクララはお化粧をしたことがありません。だってロボットなのですから、当たり前の話です。

 そんなご姉弟の共通点は、とっても厚い下唇でしょうか。お姉さんのアンナさんのように真っ赤な口紅の塗られたハンスさんの顔を想像します。

「ウフフフ……」

 クララクララは何だか楽しくなってしまって、思わず笑ってしまいました。

「な、何か変だった? ん?」

 キョトンとした顔でクララクララに聞いてくるハンスさんです。

「いえ、すみません。直ぐに紅茶をお入れしますね。今日の茶葉は、先日ハンスさんが持ってきて下さった高級茶葉を使用しました。とっても香りが良くって、クララクララもお気に入りの逸品です。葉っぱが無くなったら、また同じ品の配達をお願いしますね。このお茶は、外国から輸入されているのでしょう? お値段はお高いですよね?」

 クララクララは茶葉の入った青い四角い缶の金色の丸蓋を開け、白い陶器のお客様用ティーポットに銀色のスプーンで茶葉を山盛り四杯入れていきます。そうして、黒い丸ストーブの上に乗せたままになっているアルマイト製の金色の大きなヤカンを持ってきて、そのお湯をゆっくりとティーポットに円を描くように注いでいきます。

 そうでした。夏なのにストーブを点けたままにしているのは――。

 ええ、小屋のあるこの森は、朝晩はまだまだ冷えることもあるのです。気温が低いときには、手足の先の潤滑オイルの働きが悪くなることがあるので、クララクララは楕円型の黒金くろがねのストーブに手をかざしてグリスの温度を上げてやるのです。まあ、若干ものぐさなクララクララですから、薪ストーブでは簡単な煮炊き料理が出来ますから、便利なので片付けないだけの話なのです。


 そんな事を、紅茶缶の裏に印刷された異国の文字を眺めながら考えます。なんて書かれているのかはクララクララは読めませんが、いつかは行ってみたいです――外国に。

「大丈夫だよ、クララクララちゃん。値段の方は心配しなくてもいい。それよりも、あの紅茶を気に入って貰えて嬉しいよ」

 終始緊張されていたハンスさんが笑顔になられたので、クララクララも笑顔を返します。そうすると、更にハンスさんの顔が真っ赤になって仕舞われました。今度は、耳の先まで真っ赤です。

「ハンスさん、クララクララがクッキーを焼いてみました。二週間前にハンスさんが持ってきて下さった高級クッキーとまではいきませんが、新聞のレシピ通りに作ったジンジャークッキーです。アンナさんが冷え性に効くと言って大量に生姜を持ってきてくれましたが、クララクララは利用法も思いつかず、余ってしまったのですよ」


 どうでしょう。

 ロボットであるクララクララが冷え性とはおかしな話ですけど、クララクララがロボットであるのは秘密中の秘密ですから、ハンスさんもアンナさんも知らなくてもしょうがない話なのです。そう――クララクララがロボットなのは――国家の最重要機密だと、おじいさんも、そうおっしゃってらっしゃいましたから。


「そろそろ、紅茶の茶葉も開いた頃合いです。美味しいお茶を、ハンスさんの為に入れました」

 クララクララは、ティーポットからハンスさんの前に置いた白いティーカップに注ぎます。正しいアフタヌーンティーのマナーなど知らないクララクララですが、おじいさんに教わった通りの手順で入れていきます。少しぬるめで濃いめに入れたお茶には、ハンスさんが配達してくださったミルクと、タップリのお砂糖とを加えます。お砂糖は、白い四角い角砂糖です。ポン、ポン、ポンと三つ加えました。

「あ、ありがとう」

 そう言ったハンスさんは、お紅茶を一口口に含んで、幅広い鼻の広い鼻腔にそのお茶の香りを広がらせます。そうしてゆっくりと飲み込んでいかれます。クララクララは、ハンスさんの大きなのど仏が動く様を立ったままジッと見つめます。

「どうですか? ハンスさんは甘いのをお好きですから、お砂糖タップリに仕上げました」

 ハンスさんの向かいの席に座ったクララクララは、満面の笑みをハンスさんに向けて小首を右側に傾けます。おじいさんに習った通り、両方の口角を上げて、両目尻を下げます。

 お味はどうですか?

 そう――聞いているのです。


「おおお、美味しいよ、く、クララクララちゃん。ととと、とっても美味しいよ。そして、これがクララクララちゃんが作ってくれたジンジャークッキーかあー。どーれどれ」

 ハンスさんは毛むくじゃらの大きな手で、クララクララの焼いたお皿の上の小さなクッキーを手に取ります。クリケットで使うグローブで、おはじきを掴んでいるかのような対比です。でもこれが働き者の大きな手なのです。

 クララクララの住んでいるこの小屋には、クッキー型のような気の利いた便利な道具は置いてはいないので、おじいさんが使っていたお酒を飲む小さなコップで、生姜を練り込んだクッキーの生地を丸くくりぬいたのです。

 そのくりぬかれた生地を百八十度に熱したオーブンで、十七分ほど焼くのです。以前は二十分入れてしまって、クララクララはクッキーを全部丸焦げにしてしまいましたから、その時間を見つけるまではたいそう苦心したのです。

 クララクララは小屋の柱に掲げてある時計の針とにらめっこをしながら、オーブンと格闘してこの時間にたどり着いたのです。クッキー生地の厚みと大きさ、そして気温や湿度によって誤差がありますから、時計だけでなく、オーブンのガラス扉から見える炉内の色の変化にも気を使います。


 クララクララの自信作なので、クッキーを頬張るハンスさんの顔にクララクララは注目です。「クララクララちゃん、このクッキーも美味しいよ」その言葉を聞きたくて、テーブルの反対側に座ったクララクララは、チェック模様のクロスが掛けられたテーブルに両肘を載せ、ハンスさんの方に身を乗り出します。


 でも――。

 ハンスさんの顔は、微妙な表情に変わります。右のこめかみ部分に血管がプクリと浮き出しました。

「ク、クララクララちゃんさ、お、お砂糖は入れたかな?」

 そう言った後、ブファー! ハンスさんは激しく咳き込んでから、口に含んだクッキーを全部吹き出されて仕舞われました。

「あっ!」

 クララクララは口の前に右手を持ってきて、思わず大声で叫んでしまいました。そして、テーブルの上のフキンを使い、クッキーの粉を必死に拭き取ります。

 クララクララは気が付いてしまいました。お砂糖、入れてません!

 入れたのは、もしかしたらお塩だったのかも知れません!


「ゲホ、ゲホホ。しょ、生姜の辛さと小麦粉の粉っぽさが相まって、ゲホゲホ、凄い味だね。やっぱりお砂糖は凄いんだと、ゲホ、思い知らされるよ」

 そんなにも酷い味だったのでしょうか? クララクララはショックです。でも、めげません。クララクララも白いお皿の上に盛りつけたクッキーを一つ手にとって、一口頬張ります。


 途端でした。

「ケッ、ケホ、ケホ、ケホホ、ケホ!」

 クララクララも胸の奥がカァーっと熱くなってきて、思わず咳き込んでしまいました。


「ク、クララクララちゃんも、ホラ、お紅茶を飲んで」

 自分のティーカップのお茶を飲み干したハンスさんが、カップを置いてからクララクララに向けてそう言いました。でも、クララクララの前にはお紅茶は用意されていません。


「クッ、クララ、クララのお気に入りの……ケホッ、ケホ。ウサギさんのマークの……ケホホ。……っかに行ってしまって、ケホ。み、見当たら……ケホ、ケホ、ケホホ、ホ」

 こ、声が上手く出せません。恐るべし砂糖無しジンジャークッキーさんです。クララクララの優秀な音声発生装置に誤作動を生じさせるとは驚きです。これでも、クララクララは歌を歌わせたら超一品なのですよ。ラララララ~♪ おじいさんにも褒められていました。

 そうでした。クララクララのお気に入りのウサギさんのマークの入ったマグカップがここ二三日前から見当たらないのです。ですから、クララクララは自分に紅茶を用意出来ていないんです。


「待って、クララクララちゃん。コップに水を汲んでくるからね」

 親切なハンスさんが、クララクララのために立ち上がり、小屋の炊事場の水を貯めた茶色い素焼きのかめまで走って行かれます。狭い家ですから、足の長いハンスさんが三歩も脚を突き出せば台所に突き当たります。ハンスさんは台所の食器棚からガラス製のコップを取り出されると、水瓶から柄杓ひしゃくで水をすくわれます。

「ありが……ケホケホ」

 クララクララは感謝の言葉も途中ですが、コップを両手で受け取って一気に飲み干しました。喉の奧辺りにある焼け付くような痛みに向けて、勢いよく水を流し込む感覚です。

「どう?」

 ハンスさんは身を屈めてクララクララの顔をのぞき込まれます。本当にハンスさんは優しいお方です。

「……っハイ! だ、大丈夫です…………ヒック!」

 クララクララは両手で口を押さえます。えっと? この現象は何なのでしょう?

「クララクララちゃん。しゃっくり?」

「しゃっくり?」

「ヒックとなるやつ」

「…………ヒック! 今、なりました。これが噂に聞くしゃっくりですか…………ヒッ、ヒック!」

 クララクララは戸惑ってしまって、涙目になります。


 誰か、止めて下さい!


「ヒック!」


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