(前奏・1)
(前奏・1)
「えっと………、ここはどこでしょう?」
クララクララは考えます。
目の前に広がる風景は、確かにクララクララの記憶の中にあるんです。
クララクララは胸の中心に右手を当てて、景色を眺めます。たくさんの高い建物が遠くまで並んでいて、ここが大きな街なのは分かります。クララクララが夢中になっている新聞のクロスワードパズル。その文字を入れて埋めていく空欄のように、バラバラの高さで並んでいるんです。そうした遠くに並んだ建物の屋根は、光を受けてピカピカ、ギラギラ光っています。ノコギリの刃のようなギザギザの縁取りになっています。
そうして、中央の開けた場所にクララクララは目が向きます。鮮やかな緑色がクララクララの視覚装置の画像検出器まで飛び込んで来ました。その場所は木々の生えた公園になっているんです。その真ん中にポツンと立つ赤レンガ製の建物には見覚えがあるんです。
そうなんです。二つ並んだ塔の屋根が特徴的な緑色で、先が少し鋭角な、トンガリ帽子みたいな、玉ねぎみたいな。
えっと、クララクララの説明がヘタクソですみません。そのトンガリ帽子の建物に見覚えがあるんですよ。でもクララクララはどこで見たのか、いつ見たのかは覚えていないんです。肝心の部分があやふやで、クララクララはどうにも申し訳無く思ってしまうのです。
えーと、クララクララの頭部内記憶装置には、どうやら「そりっど・すてーと・どらいぶ」とやらが入っているらしく、爆速なのだとおじいさんが言っていたりするんですけど……。クララクララにはどうにもこうにもチンプンカンプンな、お話だったりするのです。
ええ、それなのに「お前は容量が足りないな!」と、いつもいつもおじいさんに叱られていてばかりの日々でした。
酷いと思いません?
クララクララの頭のネジを外し、パカリと蓋を開けて、最新鋭の大容量の記憶装置に取り替えてくれればよかったのに――と今になって感じているのですが、皆さんはどう思われますか?
あ、クララクララの言うおじいさんは、つい最近に亡くなられてしまったのです。
ええ、クララクララの本当のおじいさんではないのです。三年間一緒に暮らした間柄ですが、祖父と孫との関係ではないのです。おじいさんとは、クララクララを製作した人物なのです。
ええ、だってクララクララは、おじいさんが作った「ロボット」なのですから。
クララクララは、自分がロボットで有ることを悲観したりはしません。かといって得意気に周囲にひけらかしたりもしないのです。クララクララは慎ましくも奥ゆかしい古式豊かなロボットなのですから。
そうして、クララクララは自分の作られた意味を考えます。
世界の平和に貢献?
クララクララには、今の世界はとっても素晴らしいと感じているんです。
でも、現在のクララクララは途方に暮れた状態です。
クララクララの現在立っている場所は、クララクララが乗って来た白と青のツートンカラーのバスが到着した、バスターミナルのある建物に入った所から階段を一階分昇った先にある二階バルコニーのはずでした。
バスの方は、屋根が青色で、ボディが白色に塗られているヘンテコなデザインでしたよ。
クララクララは密封された空間に長時間閉じ込められていたので、気分転換のつもりで、新鮮な外気をクララクララの空気口に取り入れようとの軽い気持ちで、階段で二階に出たつもりになっていました。
でもでもでも、今は下を見るとクララクララの足先の遥か遠くに建物の基礎が見えるのです。そうして上を眺めると、青いお空があるべき場所には憂鬱な色のコンクリート製の天井が広がっているのです。雲のように見えるのは、灰色になったシミのようでした。昨日、訪れた教会大聖堂の丸天井のような半球の形になっているんですけど、これってやっぱり変ですよね。
そのまん丸お空の下に、大きな街があるんです。確かクララクララは、長い長いトンネルを青と白のバスに乗ってこの場所に来ましたから、もしかしたら地下にこのような広大な空間が広がっているんでしょうか。
クララクララには全く理解が出来ないでいるのです。
キューン、キュン。キューン、キュン。
突然の事でした。
何だか甲高い音がしています。その音の波による空気の振動で、ビリビリと建物の金属部分や窓ガラスが揺れているんです。建物の屋根の下、黒い鋳物製の雨樋も震えていました。チョッピリ不快な音なので、クララクララは眉を寄せ、顔をしかめてしまいます。
音はバルコニーの外から聞こえました。クララクララはバルコニーの手すりを右手で掴み、身体を乗り出して音のした方向を探ります。肩から提げているオレンジ色の大きめのクーリエバッグを下に落とさない様に、クララクララはカバンの青色のストラップを左手で強く握ります。このカバンは、元々はおじいさんが使っていた男性用の大きなカバンで、クララクララが譲り受けた訳で、メッセンジャーバッグとも呼ばれている品で。その中には、クララクララの大切な品物がたくさん詰まっているのです。
キュイ、キュイ、キュイ。キュイ、キュイ、キュイ。
音は右隣の建物の影からします。クララクララは前屈みだった身体を起こし、右手の平を右耳の後ろに当てて、右方向を見ました。そちらにはクララクララの居るビルと同じようなタイプの白い壁の大きな建物が立っています。屋根には明るいオレンジ色をした瓦が並んでいるんです。
その白色の建物の裏から何やら出て来ました。その飛行物体は、ビルの角にぶつからないように大きく迂回しているんです。それが進行方向を変え、段々とクララクララの方に近づいてくるのがクララクララの聴覚装置と視覚装置とに情報として入って来るのです。クララクララは、目まぐるしく頭の中の中央演算装置を働かせます。
えーと、こういう場合には、クララクララはどうしたら良いのでしょう? 隠れる? 逃げる? いったい、どこに?
クララクララはバルコニーから建物の中に入ろうと、音の方に背中を向けました。
「何をしている! お前は何者だ!?」
いきなり怒鳴られて、クララクララは首をすくめます。
多分、クララクララの事を怒っているんだと思います。クララクララはゆっくりと振り返りました。
先ほどからの音の発生源は、全身赤い服を着た男の人の乗る飛行物体からなのです。男の人の服装は、ボタンが縦に二列並んだダブルの真っ赤な軍服です。クララクララとしてもヘンテコなデザインの服だと思うんです。
そうしてその人は、右手に銃を持っています。それをクララクララに向けて、叫んでいるのです。クララクララは銃には驚きません。おじいさんもクマさん撃退用の猟銃を持っていましたから。
でも、何よりもビックリさせられたのは、その赤い服の男の人は、装置に乗って空中にプカプカと浮いているのでした。バルコニーの手すりから身を乗り出していたクララクララは、この建物が地面からかなり高い位置にあると既に把握しています。隣の建物の窓の数を数えました。
「えーと、いち、にー、さん、しー、ごろくしちはち、きゅー、じゅうー」
指差しながら数えると、十階建ての高さだと分かります。えっと、それってかなり高いですよね。そんな高さの空中にプカプカと浮いているんです。その装置が、キュンキュンキュンキュンと、ずうーっと耳障りな高い音を発しているんです。
装置は銀色に輝く短い円筒の形で、大きさは直径が1メートルくらいで高さが50センチぐらいでしょうか。装置の側面には、ボタンやらランプやらがたくさん並んでいました。そんな装置にどんな秘密があるのかはクララクララは知りませんが、この国の最先端の軍事技術だと理解します。装置の横にはマークが入っていました。二重の丸の中に赤いバッテンが入っている――ハンスさんやキースさんの乗っている車の鼻先にあるマークと同じです。そうでした。ハンスさんとキースさんとは、クララクララの知り合いの人の事で、クララクララは大変にお世話になっている方々の事で。
「動くな! 両手を上げたままにしていろ!」
「動くなと言われましても……」
クララクララは困りました。クララクララとしては、早くこの場所から移動して、おばあさんのお家に戻らないといけないのです。こうしている間にも、お遣いに出掛けたままのクララクララの事をおばあさんは心配していて。
クララクララは右手を右胸に当てて、右を見向いて左を向いて、オロオロと取り乱すばかりです。クララクララの言うおばあさんとは…………。
「何だ、その格好は!」
また、怒られました。また、銃口を向けられました。
金属製の銃の表面がキラリと光ります。そういえば、この光の源はどこにあるのでしょうか? だって、お日さまは見えないのですから。どこかに照明装置があるはずですが。
クララクララは周囲を見渡します。そうして、赤い服のおじさんの方へと向きました。
「格好といわれましても……これが、クララクララの普段着なのですよ」
クララクララは両手を上げて、抵抗の意思がないことを相手の兵士さんに見せつけます。クララクララはマーガレットの花柄の淡い黄色のワンピースを着ています。家事をするときに服を汚さぬように、白いエプロンドレスを体の前に着けています――これは、全くの仕事着なんです。クララクララはおばあさん…………そうでした。ここで言うおばあさんとは、クララクララが一昨日知り合ったばかりのステファニーおばあさんの事で、クララクララの本当のおばあさんではなくて。
「そのカバンは何だ! 何か入っているな! ゆっくり降ろして、床に置け!」
また、命令されました。クララクララは何か悪いことをしたのでしょうか? 温厚で平和的なロボットであるクララクララも、さすがにこれには腹を立ててしまいます。
「あ、ハイ、降ろします。今、します。少し、お待ち下さい」
チョッと拗ねた表情のクララクララですが、大人しく従うことにしました。胸部の奧にある駆動装置から、無性に沸き上がってくる怒りの感情を、無理矢理押し込めます。
落ち着くように大きく息を吐いて、二酸化炭素を排気したクララクララは、右肩からたすき掛けにした大きなカバンを両手でゆっくりと持ち上げます。オレンジ色のカバンの中は、クララクララの大切な品物で一杯なので、かなり重いです。
クララクララはバルコニーの床にカバンを置きます。そうして、クララクララは三歩ほど下がって、兵士さんの事を上目遣いに見つめます。
兵士さんが持つ銃は、お隣の国の標準的な装備品の護身用拳銃で。直径9ミリの弾を十五発弾倉に入れているはずです。
9ミリというのは、このぐらいの大きさしかありませんからね。クララクララは右手の親指と人差し指で、1センチメートルよりもホンの少し狭い幅を、目の前に作って見せます。
その辺は新聞で得た知識なのですが、多分クララクララの胸部強化外装は、銃から発射された小さな弾丸なんて、簡単に弾じき飛ばしてしまう事ですから。
拳銃の攻撃を受けて怒りのクララクララは、ジャキーン! カシャーン! と、戦闘形態に移行するのです。左手が重機関銃に変化して、バババババババババババババババ――って、12・7ミリの大口径弾で、相手の兵士さんを蜂の巣の穴だらけの無残なお姿に変えてしまうのですよね。
その時のクララクララは、怒りで我を忘れて、顔を真っ赤にして、両目を釣り上げて、口を大きく開いているのでしょうね。
無敵の殺戮マシーンと変化したクララクララの姿を想像してしまうのです。
キューイ、キューイ、キュン。
帽子も手袋も靴も真っ赤っかの全身赤ずくめの兵士さんは、空中を浮遊する装置を左手のリモコンで操作して、バルコニーの黒い鉄製の手すりを乗り越えて、クララクララが立つ場所に着地しました。着地したとクララクララは言いましたが、バルコニーの白色タイルの上を少しだけ浮かんだままなのです。
兵士さんの右手に持った拳銃は、クララクララに狙いを付けたままです。クララクララは、兵士さんの移動中も銃口の動きをずっと目で追っていました。
「動くなよ! いいな、動くなよ!」
「そう、何度も何度も、同じ事を言わなくてもクララクララは理解しています!」
クララクララは、本格的に腹が立ちました。
どうやら、クララクララは入ってはいけない場所に迷い込んでしまったようですが、注意して下さればクララクララはすぐにでも立ち去るのです。ですから、クララクララは早くおばあさんのお家に戻らなくてはならないのです。
兵士さんは、装置から勢いを付けて飛び降ります。
「何だこれは、ガラクタばかりじゃないか」
兵士さんは、クララクララのカバンの場所までやって来られて蓋を開けて中を漁っています。カバンからモノを取りだしては首を捻ってしまわれます。しまいにはクララクララのカバンを逆さまにして、中身を全て10メートル四方の広さのバルコニーの床にぶちまけてしまいました。軽いモノはカランコロンと音を立てて転がってしまいます。
ガラクタとは、全くもって失礼です!
――って、言いたいのですど、クララクララは右手に握り拳を作ったままグッと我慢します。人格者――いいえ、この場合はロボットの出来たクララクララは、反抗の意思は見せないでいるのです。
「この袋に入っているのは、何だ? 爆発物か?」
「ジャガイモさんと、ニンジンさんと、玉ねぎさんですけど」
クララクララは、ムッスリとした表情で答えます。だってだって、爆発物であろうはずはありませんから。爆発するジャガイモさんとは、初耳ですから。
兵士さんは、丁寧に床に置いた茶色い紙袋の中から、赤い皮手袋をした左手で一個一個確認されながら用心深く出していかれます。右手は拳銃を持っていますから、クララクララの顔を見つめながら、時々視線をクララクララが街の市場で昨日のお昼に買ってきた野菜に移し、不審な点が無いかを慎重に確認されています。
「芽が出ているじゃないか。このジャガイモも、ニンジンも、玉ねぎも、これじゃあ食べられないぞ! 怪しいなお前、名前は何て言うんだ!」
日が経って無残な結果となった野菜さんたちを指差しながら、兵隊さんはクララクララを糾弾します。
「ですから、昨日の夕飯に使う予定でしたから、市場で売れ残ったのをお安くお分けしてもらったんです。それよりも、そんなにクララクララをバカにしたような目で見るのは、失礼だと思うんですけど」
クララクララはチョッと拗ねた様子を現すように、ホッペタをプクリと膨らませて、口の先を尖らせて言うのです。おじいさんに叱られたときの対抗手段で覚えたワザなのです。