間話 エルヴィス・マーキュリー
「エル―…… どうしたんだい?」
エルーの初お披露目が終わって、ギリアン地区のアジトに帰って直ぐの事である。
「………………………………」
部屋の隅に座ってじっとしているエル―の様子が、少しおかしい事に僕は気がついた。
「……………………震えているのかい?」
顔を伏してじっと椅子に座るエル―の体が、わずかながらに震えている。
「……………………ちょっと無理させちゃったかな」
顔を蒼くして震えるエル―の姿を見て、僕はエリザベートと対面させた事を少しだけ後悔した。
そうだ……
自分に対してあれだけの残虐行為を働く人間と、対面をさせたのだ。
その精神的ショックは計り知れない事だろう。
まぁ…… 避けては通れない道であったとはいえ、もっとやりようがあったのかもしれない。
「………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………許してくれるでしょうか?」
「………………………………………え?」
僕が、そんな事を考えながらエル―の心配をしていると、彼は小さく零すようにしてそう囁いた。
長い沈黙を経た後、か細い声でそう囁いた。
「………………………………………………………………………………………………………………………………………許してくれるのでしょうか?」
エル―は静かに自分の肩を抱き、ふるふると子犬の様に震える。
悲しそうに表情を歪め、泣きそうになりながらそう呟く。
「エル―…………」
怯えを含むその様子に、僕は最初「よほどエリザベートが恐ろしかったのか」と思った。
しかし……
「私を………… 許してくれるでしょうか」
必死に許しを請うている様なその姿に、それはどうやら違うらしいと、僕は思いなおした。
どこか「叱られる子供」の様なその姿は、エリザベートと相対した時のそれとは違ったからだ。
そして、その疑問の答えは……
その直後のエル―の言葉で明らかになる。
「………………………………………………………………………………くぅ」
泣きそうな顔のまま、こらえる様に沈黙をした後、エル―は本当に小さな声でそう言う。
「パパは………… 私を許してくださるでしょうか」
エル―は……
瞳に涙を貯めながら、小さくそう言うのであった。
「エル―…………」
その一言で僕は、何となくエル―の気持ちを察してしまった。
エル―が抱いている、「怯え」が何なのか分かってしまった。
先王の事を調べ、エル―の生い立ちを知り、そして…… エル―と言う人間と契約をした僕は、その「怯え」が何なのかを察する事ができるのだ。
その悲しみを推し量る事ができるのだ。
「………………………………………大丈夫だよエル―、もう君は十分に報いを受けている」
そう……
エル―と言う人間の根本を、僕は知っているのだ。
「きっとお父さんも…… 君を怒りはしないさ」
エル―が抱える、深い悲しみを、僕は知っているからだ。
エル―を今まで助けずに、エリザベートの元においていたのには、勿論理由がある。
どうしてもエリザベートの元から外せない、二つの理由があったのだ。
一つは王権紋の存在である。
あの紋章は複製が出来ない。
つまり、あの紋章を身に宿すエル―は、影武者を用意する事が出来ない立場にあったのだ。
なにせ、紋章を展開させさえすれば、簡単に本物であるかどうかの真偽が分かってしまうのだから。
加えて計画開始時からすでに、エル―に対してのエリザベートの虐待はかなりの物であり、二人は強く関わり過ぎていた。
故に、下手にエル―を動かす訳にはいかなかったのだ。
もし、エル―が王宮から離れて活動していると言う事が発覚していたら、間違いなくエリザベートはその活動の妨害をしていた事だろう。
何故かは知らないが、計画当初からエリザベートのエル―への執着はかなりの物であったからだ。
なので恐らく、「エル―の環境が良くなる」全ての事柄に対し、エリザベートは必ず妨害を働いた事だろう。
計画進行度と計画規模が、もうエリザベートにはどうにも出来ない所まで来てしまった今ならば、何の問題も無い。
しかし計画当初の水面下で動いていた頃に、エリザベート規模の勢力に妨害されては、抵抗する術はなかっただろう。
まぁ、妨害を跳ねのけるだけなら武力さえ行使すれば簡単なのだが、それをしてしまうとこれから始まる「新事業」に対し、どうしても「危険な企業」と言うイメージがついて回ってしまう。
顧客のターゲットが武力を持たない一般市民である以上、それは避けねばならなかったのだ。
上手いこと情報操作をして、不利な情報を出さないよう立ち回るように出来れば一番良いのだが……
生憎、僕と持ち駒達の情報操作能力は「王族に喧嘩を売る」という、余りにもセンセーショナルな情報を隠し通すには無理があったのだ。
故に、エル―に犠牲になって貰うのが、計画の進行上、「一番楽」であったのだ。
勿論。
楽な方法をとらないと言う手もあった。
しかし、もう一つの理由がそれをさせなかったのだ。
エル―を直ぐに助けなかったもう一つの理由。
そして、それこそが助けに行けなかった一番の理由。
それは……
エル―自身の贖罪の為である。
エル―が気持ち良く「復讐」をするためには、どうしても「贖罪」を受けねばならなかったのだ。
そうしなくてはエル―が復讐を出来なかったのだ。
彼が「自分」の為に、そして「父親」の為に復讐するためには、どうしても必要な過程だったのだ。
そう……
父親の、先王の復讐をするには、必要だったのだ。
エル―の父親である先王は、超平和主義者である。
その平和主義っぷりは度を越しており、後継者争いを嫌って王権を分割してしまう程の平和主義者である。
まぁ、そんな感じで、平和主義者過ぎて、王としては余りにアレな人物であったのだが、どうやらこの王は……
父としては素晴らしい人物であったらしい。
特に、エル―の父親としては……
一般市民からの妾であるエル―の母を大切に扱い、そしてエルーの事も「目に入れて痛く無い」とばかりに可愛がったらしい。
優しく、カッコよく、溢れんばかりの愛情をもち、誰よりも家族の事を考える…… エル―曰く、彼はそんな父親であったらしいのだ。
王族の親を持ち王族として育てられた他の王子達には、愚王でしかない先王も……
一般国民の母を持ち、継承争いには元来無縁であったはずのエル―からすれば、本当に良き父であった様だ。
エル―はそんな父を愛し、慕った。
先王もまた、同じ様にエル―を愛した。
それは本当に幸せで、父と母さえ元気でいれば他に何もいらないと…… エル―は本気でそう思っていたらしい。
しかし…………
それはあっけなく崩れる。
余りにあっけない父の死で、それはあっさりと崩壊する。
エル―の幸せは、一瞬で消えてなくなったのだ。
まるで泡の様に、はかなく消えた。
それから……
エル―の悲運は続く。
最愛の父を失いその悲しみに暮れていたら、いつの間にか、ついでの様に母も死んでいた。
エル―の話では、彼の母は突然、階段から落ちて死んだらしい。
一応は事故と言う事らしいのだが、所詮は一般市民。
使用人が一人死んだのと変わらない程度の扱いで、碌に死因の究明もなかったらしい。
こうしてエル―は失った……
自分が大切だと思っていたものを、全てを、失ったのだ。
それもあっけなく。
一瞬で失ったのだ。
エル―は、そのあたりの事を良く覚えていないらしい。
父と母の死が強烈過ぎて、そのあたりの自分がどう過ごしていたのかは、ほとんど覚えていないらしいのだ。
そして…… 気が付いたときにはもう、エリザベートに虐げられていたのだとか。
しかし、そんな日々の中で……
エル―はその虐げられる日々の中で、一つの事を察する。
王子達の会話の節々に散りばめられた情報から、一つの事実を想定する。
そして……
それこそが彼の生きる目的、即ち復讐である。
つまりは「両親が誰かに殺された」と言う事実だ。
エル―はこのあらゆる情報から、この事実にたどり着き、復讐を誓う。
そして……
今に至ると言う訳なのだ。
さて……
ここで、「理由」についてだ。
エル―をエリザベートの元に残しておかねばならなかった理由。
エル―自身の「贖罪」についての話だ。
はたして……
はたしてこの話のどこに、彼が「贖罪」する必要があったのだろうか?
……いや、そんなものは無い。
全くない。
エル―は何も悪くない。
償うべき罪など無いのだ。
だが…… ある。
エルーの中には、払わねばならない「贖罪」があるのだ。
それは……
「パパ………… ごめんなさい、ごめんなさい…… パパの言う『みんな仲良く』……… やっぱり守れそうにないです……… ごめんなさい」
そう…… 亡き父との約束だ。
平和主義者である亡き父が、彼に何気なく言った「兄妹仲良く」の言葉だ。
何気ない言いつけだ。
そう………… その何気ない父の言いつけを破る。
それだけでエル―はこんなにも苦しんでいるのだ。
「パパ…… パパ…… ごめんなさぃ…… 許して………… やっぱりわたしは」
もう……
大好きな父は亡く、遺品も無い。
エル―に残されたのは、父との想いでと、この約束だけなのだ。
唯一のこされた父の遺品。
それがこの約束。
だが、それを破らねばならないのだ。
『贖罪』
エル―にとってのそれは、罪を犯すために罰を受けると言う事。
自分にとって一番憎い相手から、責め苦を受けると言う事。
あの残虐行為を甘んじて受ける事。
『贖罪』
それは……
「だけどやっぱり………… わたしはあいつをころしたい」
彼が約束を破る為に、償わなければならない、対価なのだ。
これをしなければ……
エル―は自分を納得させられないのだ。
復讐をできないのだ。
「大丈夫だよ…… 大丈夫… エル―、落ち着いて」
エル―、君が何でこんなに眩しいのか今なら分かる。
君の悲しみを目の当たりにしてる、今なら分かる。
そう、分かるのだ。
君と僕は、似ているようで似ていない。
同じの様で、完全に違う。
君はやさしい。
そして愛に満ちている。
そして哀にも満ちている。
僕に持っていない全て持っている。
君は凄いよエル―……
君はなんて純粋なんだろう。
君はなんて、悲しいのだろう。
君は……
この僕が同情できる、初めての相手だ。
「ごめ…………ぅ……くぅ… ひっく…… ごめんなさぃ…… ぱぱ…… ぱぱぁ……」
「エル―、大丈夫だよ、そんなに怖がらなくても………… きっとパパだって怒らないさ」
そう、怒らせなんてしない。
エル―を責める奴は、死者だろうが許さない。
もう、エル―はいい加減むくわれていい。
ああ…… エル―、泣かないでくれ。
僕はただ…… 君の悦楽顔が見たいんだ。




