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もし、侯爵世界にクリスマスがあったら (4)



 ウォーレスに相談した後、セシルはエステルを捜し始めた。

 エステルは貞操観念がない女性というわけではない。そんな彼女が自ら婚前交渉を望んだということは、もしかしたらセシルのことを頼りないと思っているのかもしれない。些かの不安を抱えながらも、エステルに再度意思を確認しなければならない、とセシルは思った。

 邸内にいた女中から、エステルは温室にいる、という情報を得、言葉の通り温室へと向かう。




***   ***   ***




 エステルは温室にある、こじんまりとした小さな苺畑で収穫をしていた。

 おいしいクリスマスケーキを振舞うため、まずは材料集めをしているのだ。ゆえに、彼女が抱える籠には苺が山盛りに積まれている。

 時間も忘れ、ひたすら苺を摘んでいると、後方の扉が開かれる音がした。

 隣に気配を感じると共に、視界が陰る。

 エステルが気配へと視線を向けると、そこにはセシルがいた。

 目が合った彼は無言で腰をおろす。

 なにやらセシルは言いたいことがありそうに口を開いては閉じ、を繰り返す。そんな様子を不思議に思い、エステルは銅色の髪を揺らした。

「セシル様? どうしたんですか? 目が泳いでますよ」

 目を瞬くと、セシルは心を落ち着けようとするかの如く、小さく咳払いした。

「その……だな」

「はい」

 セシルは気まずさに、視線をエステルが抱える苺の入った籠へ向ける。

「……いい、のか……?」

「……え?」

”いい”ってなんのことかしら? と首を傾げるエステル。セシルの視線の先へと目を向けると、そこは自分の抱える苺の入った籠だった。

 ――籠の中の苺は、まだ少しばかり未熟。

 しばし苺を見つめると、エステルはその情報から推測した。

(つまり、苺がまだ収穫するには早いってことかしら。……目聡いわ。やっぱりもうちょっと熟していた方が甘いわよね……。多分、籠の中の苺は酸味が強いわ)

 セシルの意図を察したつもりのエステルは眉尻を下げ、彼の顔を下から窺いみる。

「やっぱり、早いと思いますか?」

「……いや、その、だな……あと少しの辛抱だと思っていたから……なんといえばいいのか」

 セシルは少しずつ顔を高潮させたが、俯いてしまったために、エステルはその顔色に気づかなかった。

(そういえば、セシル様、甘いものは嫌いではないはずだけれど……酸っぱいものはどうなのかしら)

 失念していた。もしかしたら、セシルは遠まわしに「酸っぱいものは苦手だ」と言いたいのかもしれない、とエステルは判ずる。

 だから、率直に訊いてみた。

「セシル様は、嫌ですか? もし……」

 酸っぱいのが苦手なら、生のままケーキに使用するのはやめます。

 とエステルは続けようとしたが、その言葉にセシルがきょとん、と目を瞬いたため、口を噤んで彼の様子を窺った。

 セシルは首を捻るようにして言葉を吟味する素振りを見せた。やがて一人頷くと――はっ、と思考から意識を戻すように顔を上げ、エステルの両肩を掴んで必死に首を振りはじめる。

「いや、嫌じゃない! 嫌なわけではなくて……」

 気持ちを伝えようと必死に言葉を探すセシルは、若干挙動不審だった。

 とりあえず、エステルは眉根を寄せて続く言葉を待つ。

「だから……嫌とか、そういうのではなく……エステルは、いいのか?」

 なぜか頬を真っ赤にして上目で窺うセシルに、エステルはさらに首を捻りながら頷く。

「は? はい。私は大丈夫です」

 そうして、エステルは苦笑してみせた。

「今日はセシル様に一番喜んでもらいたいんです。二人の思い出にずっと残るように。なので、セシル様のご意見も伺ってよろしいですか?」

 もちろん、苺やケーキのことだ。苺は甘く煮詰めた方がいいか、熟した苺がいいか、酸っぱい方が実は好きなのか。ケーキもクリームをたっぷり使ったものから乾燥させた果物を加えて焼いたケーキまである。つまり、エステルがしているのはセシルが先刻凝視していた苺の、ひいてはケーキの話である。が、桃色一色に染まったセシルの脳は、もはや残念な変換しかしてはくれなかった。

「――っっ!?」

 一体どんな脳内変換をしたのか、セシルは頭から湯気が出るのではないか、というほど耳まで赤く染め上げた。

 随分言葉に詰まった後、彼が答えたのは「エステルなら、どんなものでも……」。

 ちなみに、言葉尻はどんどん声音が小さくなっていったため、エステルには届いていない。

 一方、セシルの言葉にエステルは、「わかりました」と困ったように微笑んだ。

「それじゃあ、これからがんばらなくちゃ」と立ち上がった時。

「え!?」とセシルが目を丸くする。口元は当てられた拳で隠れているが、驚愕している様子はよくわかった。

「い、今から、か?」

 妙に躊躇うセシルに、エステルの頭上には疑問符が浮かぶ。

「え、だって、ケーキ作るのって結構時間がかかるし……この苺は甘く煮詰めて使いたいので……今から作らないと、夕食のお菓子として出せません……」

「…………ケーキ? 苺?」

「はい。苺のケーキ、です」

 刹那、セシルは蹲った。抱えた膝に顔を埋めているため、その表情はわからない。

 彼の纏う空気が桃色やらどんよりした黒色やら、なんともいえない色合いであるため、エステルは空気を読んで、静かに隣で膝を抱えて座った。

「セシル様? ……あの、やっぱり苺、嫌ですか?」

 セシルは顔を上げることなく首を横にふる。

「私、気に障るようなこと、してしまいましたか?」

 またセシルは首を横にふった。

 少し考えた後、エステルは自分がセシルにしてしまったことを想像する。

 そして思いあたったのは、サンタクロースの真似をして枕元に置いた贈り物。

(ケーキのことで頭がいっぱいで、すっかり忘れてたわ。……中身、気に入らなかったのかしら……)

 少しばかり落ち込むが、まずは訊いてみる。

「セシル様、あの、枕元の贈り物……」

 ここまで口にすると、セシルの身体がピクリ、と反応した。

(やっぱりそうなのね……)

 確信し、凹みながらも言葉をつごうとすると。

「いや、勝手に早とちりしたのは私だ。エステルのせいじゃない!」

 なぜかセシルはエステルの弁護をはじめた。

 だが、エステルはセシルの言葉の意味がさっぱりわからない。彼女にとっては今までの会話は成り立っていたのだ。ゆえに、「早とちり?」と繰り返した。

 セシルは睫毛を伏せながら、しどろもどろになって答える。

「だから、その、だな……エステルから下着を贈られて、その……苺の話をうっかり勘違いして受け取ってしまったというか……男のさがというべきか……」

「…………下着を贈られて?」

 ちなみに、エステルはセシルに下着を贈ったおぼえはまったくなかった。

 数拍、目を点にする。

 ついで、「それって、私からセシル様宛、ですか? 他の方からではなくて」と問うと、セシルははっきりと頷いた。

「ああ。メッセージカードの筆跡がエステルだったし、アールがエステルからだと……」

 エステルは(……あれ?)と思った。身におぼえがないはずなのに、不思議とこめかみから冷や汗が滴り落ちる。

 走馬灯のごとく、つい最近の自分の行いに思考をめぐらし――ま、まさか、と思った。

 片頬が引き攣りそうになりながらも、セシルに訊ねる。

「…………ちなみに、どんな下着でしたか?」

 セシルは即答した。

「ぴらぴらしていてひらひらした、下着だ」

 しばしの沈黙がその場を支配する。




 この重たい沈黙を破ったのは、エステルの悲鳴だった。

「いやぁぁぁぁぁ――――――――――!!」

「え、エステルっっ!?」

 突如目に涙を浮かべ、わたわたと手で両頬を押さえて身を捩るエステル。

 セシルは呆気にとられながら、声をかけた。

「エステル? だ、大丈夫だから。私がついている」

 一体なにが大丈夫なのか、自分がついているからなんだというのか。

 言っている本人も発言の意図はわからなかったが、セシルはとりあえず宥めようと孤軍奮闘した。

 すると、エステルの動きはぴたりととまる。

 ついで、頬から手をおろし、セシルを潤む瞳で見上げた。

「せ、セシル様……っ。私……私、どうしたらいいでしょうか……っっ」

 顔を赤くしたり蒼くしたりと、エステルはひとり忙しい。

「エステル、なにが、どうしたんだ?」

 先刻までとは立場が入れ替わったセシルは、エステルの小刻みに震える手を握って問うた。

 エステルは躊躇しながら口を開く。

「あの、ですね……」

「ああ」

「友達が、結婚したんです。だから、結婚祝いを贈ったんです」

「そうか。私もエステルの婚約者として、なにか贈ろう」

「で、ですね……。セシル様への贈り物と、結婚祝いの贈り物を、一緒に置いていたんです」

「そうなのか」

「どっちも箱が一緒で……」

 その言葉に、セシルはなんとなく察する。

「つまり、下着は、結婚祝いに贈る筈だったもの、ということか?」

 セシルの穏やかな声音に、エステルは頷いた。セシルは苦笑しながら言葉をつぐ。

「じゃあ、私への贈り物はエステルの友人のところか」

 返事を確認するためにセシルがエステルを見下ろせば、エステルの顔色は蒼を通り越して白くなっていった。一体どうしたというのか。セシルは金の髪を揺らす。

「エステル? 結婚祝いはまた改めて出そう。私への贈り物も、気にすることはないから……」

 セシルはエステルが贈り物を用意してくれたことだけでも嬉しかった。かつての自分には、考えられない幸福。嬉しさを心の底に押し沈め、今は慰めるように言うと、エステルは首をふる。

 そうして、倒れるようにセシルに身を寄せると、服を掴んで涙声で訴え始めた。

「どどどどうしましょう、どうしよう、どうしたらいいですか!? わ、私……結婚祝いに”あれ”を贈っちゃいました……。どどどどうしたらいいのですかっっ」

 セシルは恐慌状態のエステルをそっと抱きしめると、優しく頭を撫でる。

「エステル、落ち着いて。”あれ”が何かわからないが、きっとその友人も怒ったりしない」

 もとはセシルへの贈り物だ。怒るような物は用意していないだろう、とセシルは考える。

「だから、エステル……」

「怒りはしないと思います。ええ、はい、怒りは……っ。で、でも! 人様に見られたら私……私……っっ」

 もうお日様の下を歩けないぃぃ。

 叫びながらしゃくり上げはじめるエステルを、セシルは一生懸命慰めた。

 そして、思う。

(一体エステルは、私になにを贈ろうと用意していたんだ)と。




***   ***   ***




 ちなみに、それからひと月後、エステルの友人からなぜかセシルとエステル宛にそれぞれ手紙が届いた。エステル宛の手紙に何が書いてあったのか、セシルにはわからない。

 とりあえず、セシルの手紙にはこうあった。

 いわく。

『セシル様宛の贈り物、届きました。爆笑しました。笑いの絶えない素敵な一日をありがとうございます。後日、セシル様宛に送りますので、楽しみにしていてください。――エステルをどうぞよろしくお願いします』

 セシルはこの手紙を受け取ってから贈り物が届くまでのおよそひと月を、思い悩んで過ごすことになったという。




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