<番外編>侯爵様、助言を切望する
『 突然の手紙に驚いただろうと思う。藁にでも縋る思いで相談してくれたヴィンセントに、少しばかり酷いことをした、と少々反省した。もし何かあれば、私たちにできる最大限の援助をさせてほしい。』
ある日、キング侯爵セシルから届いた手紙の内容である。
以前、キング夫妻に恋の悩みを相談し、助言に従った結果、ものの見事に敗北したメイフィールド侯爵ヴィンセント。
彼は夜会に出れば女性が群がり、まさに両手に花を地で行く男である。
しかしながら、そんな彼が恋に落ちたのは、理想の異性は学者見習いもしくは医者、さらに近い将来、平民になることを前提として生きる娘だった。
彼女の名は、リーヴィス伯爵令嬢クローディア。貴族令嬢でありながら学問を愛する、変り種と言っては失礼であるが、実際珍しい女性だ。
ヴィンセントは、キング侯爵夫妻の助言を受け、”押してだめなら引いてみな”作戦を決行した時のことを思い起こす。
それまで押しの一手だったから、急に引けば少しばかり寂しく思うのではないか、と期待した。
(……そんな時代が俺にもありました)
結果――クローディアは喜んだ。彼女にとっては邪魔でたまらない存在、ことヴィンセントの顔を見なくて済むのだ。当然のことだろう。
その事実に心はしくしくと痛むものの、これくらいで挫けるならば、もっと前にこの恋を諦めている。
ゆえに、これまでの失敗を反省しつつ、次は”押してだめならもっと押す”作戦を立てた。
ちょうどクローディアもなにやら策を練っていたらしく、夜会で会った彼女はヴィンセントに媚びを売る、という奇行をお披露目した。
見事な時機だ。
もちろん、ここぞとばかりにヴィンセントは自身の作戦を決行する。
だがしかし――以来、クローディアはヴィンセントの気配を感じ取ると、一定の距離を置き、近寄らなくなった。それだけではなく、近寄ることすら許さなくなった。その姿は……あまりにも必死に拒絶する、怯えた兎のようだった。
一方通行の恋どころか、通行止めの恋。
さすがのヴィンセントも、これには落ち込んだ。執務の合間に花占いをするほど落ち込んだ。
――それでも、ヴィンセントは諦めるつもりなど欠片どころか爪の垢ほどもない。
これはもしかしたら、血のなせる業なのかもしれない。従兄弟であるキング侯爵セシルも、現奥方への片思い期間は長かったと聞く。粘着と執着――つまりはしつこい性質の血筋なのだろう。
現在のヴィンセントは、セシルの手紙にある通り、”藁にでも縋る思い”真っ只中。ゆえに、その藁ことセシルにもう一度だけ相談しよう、と心を決めた。そう血迷うくらいには、必死なのである。
ヴィンセントはセシルに返信を書くため、執務机の引き出しに手を伸ばす。便箋を取り出そうとしたのだ――が、すぐにその手を引っ込めた。
(手紙を出してからキング領につくまでひと月、セシルの返信が届くまでひと月。計ふた月。一通の手紙にどれだけ情報を書けるか……返信に対して問うた答えを求めれば、もっと時間はかかるか。その間に、クローディアが他の男となにかあったら……。ならば――)
――先手必勝。心に浮かんだのは、その言葉。
そうして、ヴィンセントのキング侯爵家行きが決まった。
――と、いうのがかれこれひと月ほど前のこと。
今、ヴィンセントはキング侯爵邸にいる。
彼は長椅子で腕を組み、眉間に皺を寄せて瞑目している。
卓を挟んで向かいの席に座るセシルとエステルは、連絡もなく突然現れた従兄弟に驚きつつも歓迎した。
今日の茶は、ヴィンセントの髪と同じ色をした、ミルク入りの紅茶。お茶受けはエステルが作ったマカロンである。
セシルは彩なマカロンを一つ摘み、ヴィンセントに声をかけた。
「おいしいよ、ヴィンセントもどうだい?」
淡い金の髪をさらりと揺らしたセシルに対し、ヴィンセントは溜息をつく。
「俺は菓子を食べに来たわけじゃない。どうしたらクローディアに振り向いてもらえるか、相談に来たんだ」
セシルは「ああ、そうだろうね」と口にしながら肩を竦める。ついで、再度吐息をこぼすヴィンセントを横目にマカロンを口に入れた。
セシルからすれば、別に茶化しているつもりはなかった。正直、目の前にいるヴィンセントは、かつての――クローディアと出逢う前の彼と比べて、かなり疲弊しているように見える。だから、疲れを癒してもらおうと勧めたのだ。
溜息を呑みこみエステルへと目配せすれば、彼女は苦笑した。セシルも同じものを返し、従兄弟の望む本題へ切り込むことにする。
「クローディア嬢の好みの異性とは、どんな男だ?」
セシルが問うと、それまで覇気のなかったヴィンセントは視線だけで射殺せるのではないかという目つきでセシルを睨めつけた。
「……君は、喧嘩を売っているのか?」
地を這う声、とはこのことだろう。
だが、セシルは怯まなかった。あえて空気を読まず、優雅に茶を啜る。
「そうじゃない。以前、クローディア嬢の理想は学者見習いや医者だと聞いたが、容姿や性格の好みはきいていなかったことを思いだしたんだ」
すると、ヴィンセントは機嫌を直して顎に拳をあて、思考を巡らし始めた。
――クローディアがよく、図書館で声をかけていた男の特徴。
思いつく限りで言葉にする。
「……顔立ちや背は、これといってこだわっていないように思う。そうだな……外見は、寝癖を直していなかったり、服がよれていたりと野暮ったい印象だ」
「……ヴィンセント様に掠ってすらいませんね」というのはエステルの談である。というのも、エステルはヴィンセントと会うのはこれで二度目であるが、二度とも彼は御髪も服装も整えられているのだ。紳士として完璧とも評せる。
「イーミルも勉強一筋なせいか、前に会った時は少し髪が伸びていたな。”切る暇がなかった”と言っていたが、容姿はそこまで気にしていなかった」
エステルの呟きに同意するように、頷きながら発言したセシル。
直後、キング侯爵夫妻に、ヴィンセントから突き抜けるような鋭さが持つ視線を向けられたことはいうまでもない。
咄嗟に、エステルは手のひらを拳で打った。
「で、でも、ほらっ、あの……理想と現実は違うといいますし――ね!」
”ね!”のところでセシルへと顔を向け、同意を求める。
セシルは目を瞬き、慌てるエステルを微笑ましく眺めながら頷こうとした、その時。
今日も今日とて、ヴィンセントは爆弾を投下する。
「ああ、それもそうだな。奥方の理想は元婚約者のカイル、結婚相手はセシルだしな。もっともだ」
瞬時にして、場の空気は凍りつく。
エステルの表情は固まった。セシルの笑みは絶対零度のものへと転ずる。
「……クローディア嬢には、ぜひともイーミルを紹介しよう。ね、エステル?」
その声に温度は感じられない。にこやかな表情との温度差が、その場に居合わせた者たちの背筋をふるわせる。
「待て待て待ってくれっ!」
腰をあげて止めようとするヴィンセント。彼の顔は蒼い。
「せ、セシル様」
どうどう、と馬を宥めるように、エステルはセシルの袖を引っ張った。
気づいたセシルはもの言いたげに口を引き結んだが、焦りを見せるヴィンセントに満足し、冷気を引っ込めた。
「冗談だよ。まぁ、君がクローディア嬢に本気のようで安心した」
彼は、穏やかな翠色の瞳を細める一方で、どこか悪戯めいた色を秘めて喉の奥で笑う。ついで、笑いをおさめると、髪を掻きあげた。
「で、今まで君が恋人にしてきた女性と雰囲気が違うようだが、なにかきっかけでもあるのか?」
ヴィンセントは椅子に座り直し、目を丸くした。――恋に落ちたきっかけを、誰かに話すことははじめてだと思い至れば、少しばかり照れる。
「……夜会で、見かけたんだ。舞踏の輪から抜けて、休憩のためにバルコニーで涼んでいたら、二人の女性が庭園にいるのを見つけた。女性同士で庭園にいるのは珍しいから、観察していたんだよ。そうしたら……一人の女性は手巾をもう一人に投げつけて会場に戻っていった。――手巾を投げつけられた女性が、クローディアだったんだ。彼女は、女性が去った後でこう言った。”……いったいあの男のどこがそんなにいいのかしらね?”」
セシルとエステルは顔を見合わせた。目を瞬き、二人揃って首を捻る。
ヴィンセントは話を続けた。
「クローディアは、夜会で俺のとりまきの一人だったんだ。それなのに、その言葉は俺への好意は欠片もない」
「むしろ嫌悪はあるかも」というエステルの呟きに、ヴィンセントは耳を塞ぐ。
「とにかく。不思議な女性だと思った。それから、彼女がよく目撃されている図書館へ行って接触を試みた。そうして言葉を交わしたら、話があったんだ。……女性と討論したのは、生まれてはじめてだった。その後、彼女のことが気になって、彼女が図書館でなにを借りていたか調べて、俺も読んでみた。……それまで、どんな女性でもすぐに飽きていたのに、クローディアとはそんなことがなかった。沈黙すらも、心地よかったんだ。――俺は、クローディアでないとだめな身体になってしまった」
「その表現、いやらしいな。クローディア嬢が聞いたらどん引きするかもしれない」というセシルの呟きに、ヴィンセントは知らん振りを決め込む。
そして、「どうしたらいい? もう策が思い浮かばないんだ……」と、いつになく弱々しい声音を零して項垂れる。そんな姿に、キング侯爵夫妻は少しばかり同情した。
やがて、セシルが口にしたのは、かつてエステルがセシルに言った”片思いの恋がうまくいくかもしれない”助言だった。
「既成事実をつくってみるのはどうだろう?」
ヴィンセントは、目から鱗、というように目を丸くする。
「……既成、事実?」
セシルは己の過去を脳裏に浮かべながら、穏やかに笑んだ。
「私とエステルの場合も、似たようなものだしな」
少し頬を染めたセシルであるが、もちろん肌を重ねた、という意味合いではない。もっと他の、健全ではあるが騙し討ちに近い形で、だ。
しかし、ヴィンセントがそれを察することはなかった。
「可能性がないわけではないと思う。――これも、恋の駆け引きじゃないかな?」
そのセシルの言葉が終わるか終わらないかの内に、ヴィンセントは勢いよく立ち上がる。
「ああ、そうだな! ありがとう!」
声を弾ませながら素早く踵を返し、彼は去っていった。