<番外編> キング侯爵家に、メイフィールド侯爵がやってきた(キング侯爵家視点)
長椅子には、ミルクティーのような柔らかい茶の髪の青年が前かがみに構えて座っていた。
彼は本来優しげで端整な顔立ちであるが、現在の表情は厳しい。
そんな彼の前に置かれた湯気の立ち上る茶と焼きたてほやほやの芳しい香りを放つ菓子の存在に、彼は今、気づいているのだろうか。
緊張した青年、ことヴィンセント・ジェラルド・メイフィールドの前に座る従兄弟、セシルとその妻エステルは二人で顔をあわせ、首を傾げた。
が、セシルは従兄弟よりもエステルお手製の菓子が気になったのか、一口大のそれをつまんだ。
「おいしい」
相好を崩した夫に、エステルも嬉しそうに声を弾ませる。
「本当ですか? ふふ、今日のお菓子は師匠に伝授していただいたものなので……成功したか不安だったんですが……嬉しいです」
「師匠?」と目を瞬くセシルに、エステルは頷いた。
「街で評判のお菓子職人の奥様です」
「そうか」
あははうふふ、と目の前で穏やかながら背景に花を撒き散らす二人に、ヴィンセントの心はささくれる。ジトリ、と睨めば、二人は口を噤み――エステルは無言でヴィンセントの前に菓子を置きなおし、セシルは無言でヴィンセントと彼の茶との距離を縮めさせた。
まるで供え物である。
結局、先に折れたのはヴィンセントで、彼は溜息を一つつくとこめかみを揉んだ。
「相談したいことがあるんだ」
疲れた声に、セシルは「なんだ?」と答えた。
ヴィンセントは躊躇うように口元に拳をあてていたが――また、あははうふふが再開されてはたまらないとばかりに早口で言った。
「気になる女性ができた」
「つまり、好き、ということか?」
視線を泳がせるヴィンセントにセシルの眉根が寄るが、詰め寄ることはしなかった。
「……まさか、セシルに恋愛相談をする日がくるとは思わなかったよ。君はほら……政略結婚でもして恋とは無縁になるんじゃないかと思っていたから」
セシルの黒い過去である。それは、エステルが話として知っているものの、実際を知っているわけではない過去。
セシルにとってあまり思いだしたくない過去ではあったが、彼は怒ることはせず……にこやかに笑んで言葉を紡いだ。
「そうか、私もだ。ヴィンセントから恋愛相談を持ちかけるられる日がくるなんて思ってもみなかったよ。それこそ、年に一度の王宮の夜会か、滅多にない親戚の集まりでしか会うこともなかったから。恋多き君だしね」
無自覚な嫌味を故意的な嫌味で返すセシルに冷や汗を流したエステルは、菓子をつまみあげた。ついで、「セシル様、あーん」と言って口を開けた彼の口に放り込み、黙らせる。
都合のいいやつだ、と遠まわしな発言をされ落ち込んだ様子のヴィンセントに、エステルは声をかけた。
「えぇと、あの……その女性はどのような方なのでしょう?」
すると、死んだ魚の目だった青年は瞬時に目を輝かせ、饒舌に語った。
とりあえず、饒舌すぎて無駄な情報も多かったため、セシルとエステルは要点をまとめる。
「つまり、本が好きで博識、君に靡かない女性、か」
「好みの男性はお医者様や学者見習い。……あ、イーミル様にぴったり」
呟いたエステルの発言はまさに凶器だった。
やさぐれたヴィンセントからやはり睨まれたが、エステルは誤魔化すように茶を啜った。
そうして、開きなおることを決めたヴィンセントは語った。
「セシルはカイルから奥方を奪ったと聞いた」
「奪ってない」
「奥方はカイルと長年婚約していて相思相愛だったと聞いた」
「婚約はセシル様に逢う前に、あちらから破棄されましたけど……」
「とにかく! 焼け木杭に火がついてもいい展開だ! なのに! セシルは奥方を手にいれた! 一体どうやった! 言え、教えろ……教えてください」
なにやら暴走したヴィンセントは禁句を数回口にしたが、セシルはやはり怒ることをしなかった。エステルも、だ。
数拍の沈黙後、セシルが微笑む。
「押してだめなら引いてみろ、と私は助言してもらった」
「押してだめなら……引く?」
目から鱗、というように目を丸くするヴィンセントに、セシルは神妙に頷いた。
「君、押しが強そうだしね」
「――!」
刹那、ヴィンセントは立ち上がった。
「ありがとう!」と言ってそのまま足早に去っていく。
「茶くらい飲んでいけばいいのに」と呟くセシルに、エステルは苦笑した。
そして……エステルはセシルの顔をのぞきこむ。
「……え、エステル?」
愛妻の上目遣いに胸を高鳴らせるセシル。
エステルは怒ることも責めることもせずに、セシルに言った。
「セシル様の小悪魔」
その言葉に、セシルは苦く笑う。エステルは、セシルの真意に気づいていた。
「ヴィンセント様の好きな方は、お話をきく限りで草食系。しかもヴィンセント様を避けていらっしゃるなら……ヴィンセント様が引いたところでせいせいする可能性が高いですよね?」
髪を揺らしたエステルに、セシルは口尻をあげた。
「気づいていて何も言わないエステルも、十分小悪魔だな」
そうして、二人でくすくすと笑う。
キング侯爵夫妻の、思い出すとしばし苦い想いを噛み締めることとなる過去を掘り起こしたヴィンセントは、小悪魔の標的となったのだ。口は災いのもとである。
「セシル様はヴィンセント様の味方をしますか? それともご令嬢?」
小首を傾げるエステルに、セシルは凄艶に笑んだ。
「様子見、かな」
そんなことをキング侯爵夫妻が話していることを――ヴィンセントは知らない。
ちなみに、その後、ヴィンセントはセシルからの助言を実行した。
結果――エステルの予想通り、クローディアは寂しさを感じることなく、むしろ「あー清清しい!」と数日間だけの幸せな日々を送ったという。