とりまきその十六の日課と邪魔する侯爵様
私は今日明日にでも、未来の旦那様を見つけなければならない。
そう悟ったのは、つい先日のこと。
メイフィールド侯爵になぜか……なぜか目をつけられたらしい私のもとに、これまで顔をあわせたことがあるかもしれないが、話したことは一度もない――場合によっては名前すら知らない――高位貴族たちから祝福の品がぞくぞくと届くのだ。
しかも、なぜかそれらの物品には不吉な文面の手紙が添えられている。
いわく。
『ご婚約、おめでとうございます。今後もお付き合いのほどをよろしくお願い致します』
『ご結婚、おめでとうございます。結婚式の招待状が届くのを楽しみにしています』
『妊娠、おめでとうございます。元気なお子様が生まれることを祈っております』
……いやいやいや、婚約も結婚も妊娠もした記憶はない。というか、今、現在進行形で相手を死に物狂いで漁っているんですが。
もはや気苦労で痛む胃と頭。
そうして、今すぐにでも私は目ぼしい男性を己の婚約者として祭り上げねば、と思ったのである。
なぜかあれだけ「舞踏会へ行け」と頑固だった父は、近頃舞踏会の招待状を押し付けてくることがなくなった。
そのかわりに、私の顔を見るたびに「よくやった!」といわんばかりに親指を立てた拳を主張させ、片目をつぶって歯をキラリと輝かせてくる。その様子がどうにもうざくてたまらないのはなぜだろう……。
とにかく毎夜舞踏会、というそんな日常から解放された私は、図書館へ通う日々を送っている。
未来の旦那様を漁りに行っているわけだが、いつも行く図書館では毎回例の侯爵と遭遇するため、理想の男性を見つけたところで声すらかけられない。むしろ、無駄に近い距離で、無駄に密着してくるため、勉学目的で図書館を利用する者たちからは(逢瀬の場にしてんじゃねーよ)という批難めいた視線を向けられる。私が彼らの立場であったとしても、同じ視線をぶつけるだろうけれども。
なんてことだ。これでは未来の旦那様をさがすどころか、図書館へ通うことすらできなくなる。
そんなこんなで、今日からは違う図書館へ通うことにした。
経済分野の本が並ぶ本棚の前で、今日も今日とてうろちょろする。
誰かこないかな、とひたすら待っていると――足音が近づいてきた。
早鐘を打つ心臓。血のめぐりが速度をあげた。
私のすぐ傍でとまった足音に、ちらりと横目で視線をやれば。
(きたぁぁぁ! 今度こそきましたよ!)
ぴょんっ、と寝癖のついたチョコレート色の髪。分厚い本の頁をくる繊細だけれどペンだこのある指。文字を追って動く冷静さを物語る灰色の瞳。
……ん? 灰色の、瞳?
(私と同じ色の瞳だわ!!)
間違いない。これは運命だ。そうとしか考えられない。
まだ年若く、私より二つか三つ年上に見えるその青年は、私の胸を高鳴らせた。
(しゃ、しゃべりかけるのよ! 恋の肉食動物になるのよ、私!!)
意を決して頷くと、私は青年の方へと体を向けた。
「あ、あのっ」
あああ、緊張して声が裏返ったっ。
のに! この青年、目をぱちくりさせて私の方を見てくれた! なにこれ草食動物っぽいじゃない恋の肉食動物と化した私に捕食してくれと言わんばかりじゃないしかも疑問符を浮かべて首を傾げる姿に萌えるじゃないのよぉぉぉ!
「はい? なんでしょう」
穏やかな声で答えてくれたあなたに、恋に落ちました!
とは言えず、私は視線を左右に彷徨わせた後、口を開く。
「今あなたがご覧になっている本は、どのような内容なのでしょうか? 経済学に興味があるのですが、難しくて……」
と言おうとした。
したが!
「あの本、もう前に読んだと言ってましたよね。クローディア」
背後から、しかも私の耳元で囁く艶やかな美声。私の両肩に乗せられた手。
振り返るまでもない。――やつだ。メイフィールド侯爵だ。
こめかみに青筋が浮かぶのを感じながらも「…………そうでしたか?」と答えれば、やつは青年の目の前だというのに、雄弁に語りやがった。
「おぼえてませんか? ならば思い出させてあげましょう。君と図書館で出逢った後にお茶をした時、俺があの本について話していると、君は『もう読みました』と言って、あの本の理論について答弁して――」
「ももももう結構です!!」
なんとかやつの話が終わる前に遮ってみたが……目の前の青年は本を本棚に戻し、顔色を悪くしてしまった。彼の視線は、なぜか私に向けられていない。私の背後の男に向けられている。あああ、私は今、背後の男に軽く嫉妬をおぼえた!
しかもしかも、ぺこり、と会釈をして、そのまま立ち去ってしまった。
「ま、待ってっ」と言った私の声は、むなしく図書館に響いた。
私は今、無性に腹がたっている。腸が煮えくり返りそうなほど。
怒鳴りたい。背後の男を怒鳴り、詰り、罵り、殴り、ど突き倒したい。
だがしかし、侯爵に伯爵令嬢である私ができるわけがない。
悔しい。悔しいが、仕方ないこと。
(大丈夫よ、クローディア。男なんて星の数ほどいるんだから!)
そう自分を慰め、私は両肩に置かれた侯爵の手をどかす。
優雅にくるりと侯爵へと向きなおると、令嬢らしく、裾を持ち上げ、礼をとる。
「ごきげんよう、侯爵様。私はこれで失礼いたします」
言うと、やつは「お茶をしよう」と発言してきた。
――これまでの経験で、なにか反駁したところで丸めこまれるのはわかっている。
ゆえに。
(ふふふ、ここはいっちょ、必殺技を披露するしかないわね)
刹那、私は踵を返して全速力で駆けた。目指すは図書館の出入り口!
「あ痛たたた! お腹が急に……あ痛たたた! 厠へ今すぐ行かねばなりませんゆえ、私はご遠慮いたしますわぁぁぁ」と叫びながら。
図書館で叫んだものの、利用者も受付係員も誰も、私に注意する者はいなかった。腹痛厠直行発言だったからだろうか。
……ああ、また一つ、私の来られない図書館が増えた……。
ちなみに、ただ一人、図書館に残された侯爵が小刻みに肩を揺らしつつ「――嘘が下手すぎていっそ愛おしいな」と呟いていたことを私は知らない。