表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/25

派遣女中マーサ




 現在、クラーク家に派遣されている歳嵩の女中がいる。

 実は、婚約破棄となった男爵令嬢を気にかけたり女中として働くための紹介状を用意したり、さらには男爵にエステルの不貞が嘘だったという報告をしたりと、さりげなく暗躍していたりする。

 彼女の名はマーサ。

 仕える侯爵の命を受け、二年前よりクラーク家にて働く。




 この物語は、そんなマーサの過去の苦労話であり、葛藤しながらも侯爵の命を忠実に全うしようとしたある日のお話である。




***   ***   ***




 男爵家から一番遠い某菓子屋。侯爵の息がかかっているその店に、マーサは定期的に通う。

 別に菓子が好きだからではない。セシルからの命が書かれた封筒が菓子屋に預けられるようになっているからに他ならない。

 いつものように店主はマーサを店の奥へと導くと、キング侯爵家より届けられた手紙を渡す。

「いつもありがとうございます」

 マーサが頭をさげると、店主は人好きのする笑みを浮かべた。

「こちらこそ、ご贔屓に」

 苦笑を返すマーサが手紙の封を切ると……便箋に書かれた文字を見て遠い目をした。


『エステル嬢の持ち物がほしい。

※彼女のいらないものでかまわない。むしろゴミでもかまわない』


「…………」

 マーサは一気に老けこんだ。

(……セシル様、一体なにに使うおつもりですか)

 涙が零れそうになった。

 息子でもおかしくはない年齢の侯爵。

 キング侯爵家には長く仕えてきたため、幼少の頃の彼も知っている。

 美形ではあるが優男な父と傾国の美姫と見まごう程の凄艶な母を持つセシルだが、価値観がどこかずれている両親の毒牙にいつか掛かるのではないかと彼の成長を見守ってきた。

 マーサ含め、不安を抱いていた女中や侍女たちで両親から植え付けられたものを補正してきたつもりだった、が。どうやら侯爵家のどこかずれた価値観は、育てる過程で培ったものではないらしい。

(…………遺伝か)

 やはりというかなんというか、完璧な人間などいないんだな、と黄昏たくなった。ああ、夢をみるくらい、いいではないか、神よ。

 それでも、髪や使用後のティーカップを送ってくれ、といわれるよりはマシか、と思い直したマーサは渋々クラーク家へと戻って行った。

 マーサの疲れた後ろ姿に「が、がんばれー」と店主は声をかけた。




***   ***   ***




 マーサは考えた。

 エステルの物を送るにしても、支障ない物とはなんなのであろうか。

 ゴミの回収をするフリをして、エステルの部屋へと立ち入る。そして室内を見回した。

(ハンカチ……はセシル様の性癖を疑いたくなるからやめましょう)

 寝室を覗くと、銅色の毛並みのクマのぬいぐるみが飾られている。

(クマは……エステル様が気づかれるわね)

 寝室を出ると、机の上に置かれたペンが目に留まった。

「ああ、ペンなら無難かしら」

 掃除をしていて折れただの壊れただの言えば、代用品を渡して終わるだろう。エステルはそういったことで怒ったところを見た事がないのだから。

 しかし、と思う。好きな相手のものを持っていたい気持ちはわからないではないが……直接ではなく、間接的でもなく手に入れたものを大切にするのは……。

(変態と大差ないわ)

 発覚した事実に、マーサは頭を抱えた。

 葛藤する。この使命、遂げるべきか、遂げぬべきか。

 けれど、結局彼女はいつもと同じ結論に達するのである。

 一つ溜息をつき、なくなっても困らないであろうエステルの物をさがす。

 やがて目に留まったのは、ゴミ箱の中身であった。

 しゃがみこみ、ゴミ箱に手をつっこんで紙くずを取り出す。

「あら、手紙でも書こうとしていたのかしら」

 丸められた紙を丁寧に開くと、そこには『カイル様へ』と書かれていた。

 マーサは目をそらし、斜め下を向いた。

(なにやってるのかしら、わたくし)

 そう思う。

 婚約者がいる男爵令嬢。その婚約者と、仲むつまじい姿を何度か目にしている。

 そんな彼女にまつわる情報を横流しするために、男爵家へ派遣された。いっそ仕える侯爵がそんな現実に気づき、この恋を諦めてしまったほうがいいのではないかとすら思う。

 それでも――マーサは進言できなかった。

 マーサは、騎士となって宮廷から戻ってきた時のセシルを見ているから。

 ……彼は、潔癖な騎士道に染まっていた。

 きっと、仲間の中には宮廷の恋に花咲かせる者も多くいただろう。未婚の騎士と年上の人妻の恋なんて当たり前。貴族世界なんてそんな場所なのだ。

 長くキング侯爵家で仕えてきたマーサだって、話で何度も耳にした。ただ、セシルやセシルの両親はそれと無縁だったというだけで。

 マーサは苦笑した。

 潔癖となって帰ってきたセシルが、侯爵として夜会へ参加した一年。

 権力と美貌に群がる花。笑みを浮かべながらも腹を探り合う古狸。日々届く山のような縁談の手紙。それらと関わり、彼は変わってしまった。

 セシルの翠の瞳には、貴族の在り方を冷ややかに見据え、笑う中にも拒絶と嘲りの色を滲ませて。

 マーサはこのままセシルが家のためだけに愛のない政略結婚をするのではないかと、心底心配した。

 けれど、彼に救いの手は差し伸べられた。

 ハーシェル家の嫡男が来るからと、女装して赴いた仮面舞踏会。

 そこで、セシルは一人の令嬢に出会う。銅色の髪に紫の瞳をした女。

 彼は一目で恋をしたという。話を聞けば、夜会なのになぜか二人で茶をしたらしい。

 セシルは女装していたため、どうやらエステル嬢は女同士で茶をしているつもりのようだ、とセシルが笑っていたのが印象的だった。

 その笑顔は、昔と同じものだった。

 使用人たちがどんなに安堵したか知れない。

 ゆえに、マーサはセシルの恋を応援しようと思った。どんなに勝ち目がなかったとしても、力の限り尽くしてみせる。それは、どんなに趣味や性癖を疑いたくなる命を受けたとしても。


 マーサが気を取り直して立ち上がろうとした時だった。

 突如扉が開かれる。

 マーサは固まった。明らかに不審人物極まりない。本気で(もうダメだ)と思った。しかし、かけられた声は不審を問うものではなかった。

「落とし物?」

 柔らかいそれ。

「は、はい」とマーサはつい、嘘をついていた。

 今、目の前に立っているのは、部屋の主 エステル。

 銅色の髪を揺らして首を傾げる姿は、鈴蘭の花のように可憐だと思った。

「なにを落としたの? 私も一緒にさがすわ」

「えっっ!?」

 実際無くし物をしていないのに、一緒にさがされては困る。焦るマーサは見つめてくるエステルの視線に耐え切れなくなり、適当に答えてしまった。

「あ、あのっ! か、髪紐でございます! 今使用しているのは代用品でして……もう他にないのでさがしておりました! 申し訳ありません!」

「髪紐ね。了解」

 にっこりと笑った令嬢は、床に膝をつけて屈んだ。

 マーサは顔を蒼白にさせる。このままではやばい。間違いなくやばい。

「いえいえいえ! 心配ご無用です! 諦めました、ええ諦めましたとも!!」

「え、でも先刻、他にないって……」

「ご安心を! 紐の一本や二本、その辺に転がっておりますゆえ」

「え、それ使うの?」

 眉を顰めるエステルを尻目に、墓穴をどんどん掘っていったと自覚するマーサは壁に頭を打ちつけたくなった。

 両手で顔を覆い、破滅へと向かう自分を想う。

 すると――物音がした。

 マーサが顔をあげると、目の前に髪紐が垂らされている。

「え、エステル様?」

「私のでよければ、使って。汚いと思ったら洗ってくれてかまわないし、本当に必要なかったら捨ててくれてもいいわ」

 エステルはマーサの手をとって髪紐をのせると、優しく微笑んだ。

 思わず、マーサは呆気にとられる。ついで、何度も頭をさげ、慌てて部屋を辞した。




(せ、セシル様! 正攻法? で髪紐を手に入れました!)

 涙目で天を仰ぐマーサ。この日ほど神に、ひいてはエステルに感謝したことはない。

「ああ、あの方がセシル様の奥方になってくださったら……」

 マーサは片手で頬を覆い、セシルの母のような気分になった。

 そうして、彼女はその日からセシルの命を忠実にきくようになったという。

 セシルの恋の成就を、心から願って。



 その後、エステルは婚約者との婚約が白紙となる。

 その時、マーサは自発的にエステルの傍に在ろうと誓い、また在れることに安堵したのは、別の話である。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ