もし、キング侯爵家に俺様系がいたら (時間軸:エステルが女中の頃)
それは、一仕事を終えた昼下がりのこと。
「おい、エルー」
不機嫌そうな声が、エステルを呼ぶ。
エステルが振り返ると、そこにいたのは侯爵の弟 ルーカスだった。
声同様に歪められた口。さすがキング侯爵家の血を引くだけあり、彼も例によって例のごとく魅力を放つ容姿をしていた。いわく、少し目尻が吊り上っているが切れ長の目、歪むことなく直線を描く鼻梁、現在は不機嫌を表して口尻の下がった唇は厚さも程よく、そのすべての調和がとれているのだ。
そんなルーカスを訝りながら、エステルが「……なんでしょう?」と答えれば、彼は彼女の手首をつかみ、歩き出す。
「え、あのっ、ルーカス様っ!?」
引きずられるようにして、エステルは否応なしに小走り状態で後を追う。
「休憩時間だろ。つきあえ」
ルーカスは短く命じた。
エステルは眉尻を下げてルーカスを見上げたが、彼の背中を追う形になっているため、きっとルーカスはエステルの表情に気づかないだろう。
(本当は、この後、セシル様にお茶を届けようと思ってたのに……)
執務室で朝からずっと仕事をしているセシルに、少しでも安らぎの時間を持ってほしかった。けれどその小さな計画は、侯爵の弟によって阻止された。
*** *** ***
ルーカスが向かったのは、街だった。
大通りを挟む両側には、さまざまな店が並ぶ。
エステルの実家がある地方は田舎であるため、そのすべてがものめずらしかった。
キョロキョロと視線を泳がせると、ルーカスが引っ張っていた手をはなした。
彼は、エステルへと振り返り、言葉を紡ぐ。
「エルー、行きたい店は?」
尋ねられても、使用人であるエステルが言えるはずもない。
困惑しながら、「ルーカス様は?」と問い返すと、青年は「別に」とそっけなく答えた。
(……なにがしたいのかしら、ルーカス様)
首を捻ってルーカスを観察しながら反応を見守る。
すると、ルーカスは問いをかえた。
「エルー、ほしいものはないか?」
「……ほしいもの、ですか?」
やはり、エステルには答えられない。口ごもっていると、次第にルーカスの機嫌が急降下していくのがわかった。
焦ったエステルは辺りを見回し――必死に探した結果認めたのは、菓子屋。
安堵しながら、ルーカスを振り仰ぐ。
「あのっ」
「なんだ」
「あそこにある、お菓子屋さんに行きたいですっ!」
店を指せば、ルーカスは眉間に皺を寄せた。
「……また今度な。――そうだ、あの店に行くぞ!」
そう言って、ルーカスはまたエステルの手首をつかみ、再び歩き出した。
*** *** ***
ルーカスが選んで連れて行ったその店は、硝子細工の専門店だった。
安っぽい硝子細工はひとつもなく、どれも硝子の箱で展示されている。
(た、高そう……)
貴族ではあるが、貧乏貴族であるエステルは身動きがとれずにいた。
だが、ルーカスはさすが先代侯爵の次男だけあり、なんの抵抗もなく展示物を見て歩く。
「あ、これなんかいいな」
呟いて、ルーカスは店主に展示されている硝子細工を指定した。
店主は鷹揚に頷くと、白い手袋をした手で硝子の箱からそれを取り出し、ルーカスに差し出す。
そうしてルーカスは直に手にのせると、硬直するエステルを呼んだ。
「エルー、これ、買ってやる」
「……は?」
恐る恐るルーカスへと近づき、その手のものを凝視する。
エステルは内心悲鳴をあげた。
(ひぃぃぃっ。これ、すんごく凝った細工の香水瓶じゃないっっ!? しかも宝石なんかもあしらわれてるし! いくら!? いくらするの、これ!! 私の給料の何ヶ月……何年分!?)
女中になってから、金銭感覚がより庶民へと近づいたエステルは涙目になった。がんばって働く自分の給料より、彼にとってのはした金の方が高いという現実に黄昏たくなる。
落ち込みながら、エステルは答えた。
「あの……女中は香水禁止なので……。実用的なものでお願いします。硝子製の重石とか……」
希望を出せば、ルーカスは目を眇めた。
もはや、蛇に睨まれた蛙。
蛙エステルは結局、「いえ……喜んで頂戴いたします。あ、ありがとうございます、ルーカス様……」
――エステルは、香水瓶を手に入れた。
*** *** ***
その後、外の空気にふれることなく包装箱に入ったままの香水瓶。
「壊れでもしたら……っ」と想像すれば、取り出すことも危ぶまれるのである。
そんなエステルは、休日、ルーカスに却下された菓子屋へと足を運ぶ。
実は、さりげなく「行きたい」と言った菓子屋は本当はとめどなく気になっていたのだ。
そして見つけたのは、とてもかわいらしい飴細工。
「うわぁ……すごいすごいっ。飴の指輪だわ!」
飴の指輪は、二種類あった。
――紫色の飴玉がついた指輪と、翠色の飴玉がついた指輪。
エステルは迷うことなく、二つとも注文した。これならば、二つ買っても財布は痛くない。
店員は、にこやかに笑う。
「あら、二つですのね? ふふ、いい男にひとつお渡しになるのかしら?」
それは明らかな遊び言葉だったが、エステルは翠の指輪を見て、瞬時にセシルの姿を脳裏に浮かべた。
真っ赤になる顔。店員は「あら」と目を丸くした。
店員は空気を読み、紫の指輪を箱に入れると、丁寧にリボンを飾る。
「翠の方はあなたが持ってた方がいいですわ。紫の指輪は、がんばって」
それぞれ箱にいれられた指輪を受け取りつつ、エステルは高潮した頬を隠すように俯いたまま頷いた。
*** *** ***
躊躇った末、リボンの飾られた箱はセシルへ贈ろうとエステルは決めた。
ゆえに、侯爵の執務室まで足を運ぶ。
扉を開ければ――彼は、正面の執務机で書類仕事をしていた。
「これ、私がもらっていいのか?」
エステルが差し出した贈り物に目を丸くして、セシルは首を傾げる。
エステルは頬を染めて頷いた。
「や、あの、変な意味ではなくてっ。そのっ……街へ行ったら、かわいらしい飴細工のお店がありましてっ。そこで、あの、飴をですね? 買ったのです。ほらっ、お疲れには甘いものがいいといいますし……」
あわあわと言い訳しつつ、言葉尻はしぼんでいく。
エステルのそんな様子を瞬きながら見つめ、セシルは嬉しそうにリボンを解いた。
――現れたのは、紫の飴玉がついた指輪の飴細工。
セシルはそっと指輪を持ち上げる。視線まであげると、そっと微笑んだ。
「これ、エステルの瞳と同じ色だ」
拍子にエステルは耳まで赤く染まる。
「あっ、あのっっ」
「ありがとう。とても嬉しい。――すぐたべるのはもったいないから、しばらく飾っておいて、その後たべていいか?」
淡い金の髪を揺らして上目で尋ねる。
そんなセシルを見て、エステルの頬はつい緩んだ。
「もちろんです」
頷き、「それでは……」と踵を返そうとした時。
セシルはエステルの手をひいて、囁く。
「今度は、一緒に街へ行こう?」
言われた言葉に驚いてエステルが振り返れば、セシルは緊張にこわばらせた表情をしていた。
その顔がいとおしくて、エステルは表情を緩ませて微笑む。
「はい、喜んで」
セシルは安堵したように、優しく微笑んだ。