娘が「流行病で死亡(一行)」だなんて絶対に許しません!大貴族のばあばが爆走したら、娘婿が薬草栽培で国まで救いました
その手紙が届いたのは、よく晴れた朝のことだった。
朝のお茶を楽しんでいた私のもとへ、侍従が銀のトレイを運んでくる。
「奥様、お手紙が届いております」
載っているのは、封蝋のついた薄い封筒がひとつ。宛名は『公爵夫人イレーヌ様』。差出人の名を見なくても分かる。娘の暮らしぶりを見守らせている、報告役からの手紙だ。
一人娘のエステルが、うちの庭師と手に手を取って屋敷を出ていってから、三年が経つ。
身分違いだからと、私に反対されると思ったのだろう。相談もなしに消えた娘に、腹が立たなかったと言えば嘘になる。けれどそれ以上に、胸が潰れそうなほど心配だった。だから報告役を付けた。無理に連れ戻しはしない。ただ、娘が笑って暮らしているかどうかだけは、毎月、知っておきたかったのだ。
庭師のベンノは、腕のいい男だった。彼が手を入れた生垣を、王宮の庭師が見学に来たほどだ。仕事に真面目で、いつも土の匂いがして、エステルを見る目だけは驚くほど真っ直ぐだった。だからこそ、娘は惹かれたのだと思う。
今月の封筒は、いつもより少しだけ厚かった。
開けると、折り畳んだ報告書の上に、小さな姿絵が一枚。
『エステル様、ご出産。女児。母子ともにご無事。名はノーラ』
孫。私に、孫が。
口の中で転がして、頬がゆるんだ。ばあば。悪くない響きだ。
はやる気持ちで、姿絵を手に取った。粗末な木の椅子に腰かけた娘が、小さな赤ん坊を抱いて、こちらに微笑んでいる。描いたのは平民街の絵描きだろう、筆は素朴だけれど、娘の笑顔はちゃんと伝わってきた。
けれど、絵の中の娘は、ひどく痩せていた。頬はこけ、首筋には骨が浮いている。赤ん坊を抱く腕など、折れそうなほど細い。
(こんなに痩せて。ちゃんと食べているのかしら)
そう思った瞬間、こめかみのあたりで、何かが弾けた。
視界が白く染まり、見知らぬ景色が頭の中に流れ込んでくる。ぎゅうぎゅうの通勤電車。吊り革。片手に握った、薄くて四角い板。そこに浮かぶ、小さな文字の群れ。
(……スマホだ)
そう思い至った途端、すべてがつながった。私はイレーヌ。公爵夫人で、エステルの母で、それから――ここではない世界で、毎日のようにウェブ小説を読んでいた女だった。
その中に、あった。公爵家の娘が庭師と駆け落ちし、生まれた女の子が孤児院で苦労しながら育っていく物語が。ヒロインの名は、ノーラ。
そして、その序盤の、たった一行。
『母のエステルは流行病で亡くなり、ノーラは孤児院に引き取られた』
一行。
……一行?
(ちょっと待って。私の娘が流行病で死ぬ? しかも、たった一行で?)
前世の私は、この文を電車の中で、親指ひとつでスクロールして読み飛ばしていた。「かわいそうな過去ね」くらいに思って、次の行へ進んだのだ。
その「かわいそうな過去」が、いま、私の手の中で笑っている。
カップが受け皿の上で、かたかたと鳴った。手が震えているのだ。涙が出るより先に、腹の底から怒りが湧いてきた。誰に怒っているのか、自分でも分からない。作者だろうか。読み飛ばした前世の私だろうか。たぶん両方だ。
(そんなの、絶対に嫌よ)
しかも、その小説には、祖母の公爵夫人が一行も出てこなかった。孫が孤児院に送られているあいだ、私は何をしていたのか。答えは簡単で、何もしていなかったのだ。娘の意思を尊重するふりをして、遠くから報告書を眺めていただけで。
私は、ゆっくりと立ち上がった。涙は後でいい。いまは、動くときだ。
「侍女長」
呼ぶと、壁際に控えていた侍女長が、すぐに歩み寄ってきた。
「馬車を出してちょうだい。一番大きくて、一番足の速いものを。それから、一番腕のいいお医者様を呼んで。同乗してもらうわ」
「かしこまりました。お行き先は」
「平民街。エステルのところよ」
侍女長の動きが、ぴたりと止まった。この三年、私が自分から娘の名を口にしたことは、ほとんどなかったからだろう。
「奥様、お支度は」
「要らないわ。毛布と清潔な布と食べ物を、積めるだけ積んでおいて」
「……どなたか、お加減が」
「これから悪くなる人がいるの。させないけれど」
我ながら意味不明な説明だった。それでも侍女長は、一礼して駆け出していった。さすが、長年この屋敷を回している人だ。
* * *
公爵家の紋章をつけた黒塗りの馬車が平民街の狭い通りへ入ると、道ゆく人たちが、揃って振り返った。
四頭立ての馬車は、金の装飾がぴかぴかに光っている。まるでパレードだ。御者が汗をかきながら角を曲がるたび、窓から顔を出した人たちが「公爵家の馬車だ」「何事だ」とざわめき、子供たちは後ろをついて走ってくる。
(目立っているわね。でも、いまは構っていられないわ)
向かいの席では、年配の医師が、鞄を抱えて小さくなっている。事情を聞かされないまま乗せられたのだから、無理もない。
「医師殿。着いたら、まず娘を診てちょうだい。それから赤ん坊も」
「は、はい。お嬢様は、ご病気で」
「分からないの。だから診てほしいのよ」
医師は頭上に疑問符を浮かべたまま、こくこくと頷いた。
目指す家は、通りの突き当たりにある、小さな黄色い壁の家だった。
馬車が止まるのを待たずに、私は扉を開けて飛び降りた。ドレスの裾をつかみ、公爵夫人にあるまじき速さで門をくぐる。
庭とも呼べない狭い土の上に、男がひとり、しゃがんでいた。
ベンノだ。
三年ぶりに見る彼は、少し日に焼けて、少し痩せていた。手には大きな剪定ハサミ。鉢植えの低木を刈っていたらしい。顔を上げて、ぽかんと私を見て、それから馬車と紋章を見て、また私を見た。
ハサミが、地面にごとりと落ちた。
その横を一息で駆け抜け、家の扉を押し開ける。
「エステル! 死んではだめよ!」
台所で鍋をかき混ぜていた娘が、おたまを持ったまま、こちらを見た。腕には小さな赤ん坊。薄いスープの湯気の向こうで、娘は目を丸くして、ゆっくりと瞬きをした。
「……お母様?」
「エステル、生きているわね。息をしているわね」
「はい。私、めちゃくちゃぴんぴんしていますけど……」
どう見てもぴんぴんしてはいない。絵よりもずっと痩せているし、顔色も紙のように白い。けれど声には張りがあって、自分の足で立っているし、おたまも持てている。
(よかった、まだ元気。間に合った)
安堵で膝が抜けそうになったとき、背後でどたどたと足音がした。
「ひぃっ!」
振り返ると、ベンノ殿が戸口で土下座していた。額を床にこすりつけんばかりだ。
「お、お許しください! 駆け落ちの不敬罪ですね。打ち首だけは、どうかご勘弁を!」
「ベンノ殿」
「お嬢様をお連れしたのは私の罪です。ですが、エステルと生まれたばかりの娘だけは」
「ベンノ殿」
「はいっ」
「処刑なんてしませんから、話は後にして。いまは時間がないの」
「……えっ、では」
顔を上げた彼の目は、泳いでいた。納得したというより、最後の情けの言葉だと受け取った顔だ。
(これは、信じていないわね)
けれど、誤解を解いている余裕はない。私は手をぱんと叩いた。
「能書きは後でゆっくり聞きます。荷物をまとめなさい。流行病の予防には、手洗い、うがい、栄養、清潔な環境、それから腕のいいお医者様。これに尽きるの。お医者様は連れてきたわ。いますぐ、うちに来るのよ」
台所が、しんと静まった。
「流行病、ですか」と、娘が言った。「お母様、どこかで流行っているのですか」
「これから流行るのよ」
「これから」
「そう。だから急ぐの」
娘とベンノ殿は、顔を見合わせた。何を言っているんだこの人は、という顔だ。おかしなことを言っている自覚は、私にもある。
ベンノ殿が、娘のほうへにじり寄って、小声で言った。全部聞こえているのだけれど。
「エステル。これは、冥土の旅支度をしろという意味では」
「ベンノ、立って。処刑なら、お医者様は連れてこないと思うわ」
「それもそうか……」
娘の言葉なら納得するのか。
私は気を取り直して、娘の腕の中を見た。
「その子が、ノーラね」
赤ん坊は、ふにゃりと眠たげな顔で、こちらを見ていた。本当に小さな顔だ。私はおそるおそる手を伸ばして、娘から受け取った。
軽い。驚くほど軽い。そして、それを抱いていた娘の腕も、同じように軽かった。
(この子も、エステルも、ちゃんと食べさせてもらっていなかったのね)
胸の奥が、ぎゅっと痛んだ。ベンノ殿が悪いわけではない。きっと彼は、懸命に働いたのだ。それでも足りないのが、この暮らしだったのだろう。
ノーラの小さな手が、私の指をきゅっと握った。
「はじめまして、ノーラ。ばあばですよ」
声が、少しだけ震えた。
荷物は、風呂敷包みがふたつだけだった。「これだけ?」と聞くと、エステルは「これだけです」と恥ずかしそうに笑った。
(屋敷中の衣装部屋を、ひっくり返してやるわ)
荷物を積み、娘と赤ん坊を乗せ、固まったままのベンノ殿の背中を押し込んで、私たちは平民街を後にした。走り去る馬車を、近所の人たちが、口を開けて見送っていた。
* * *
屋敷に着くなり、私は、娘を浴室へ、医師を娘の部屋へ、赤ん坊を乳母たちの腕へと、次々に送り込んだ。
診察の結果は、予想どおりだった。
「貧血と栄養不足、それに産後の疲れが重なっておられます。ですが、お若いですから、しっかり食べて眠れば、じきに戻りますよ」
「どれくらいで?」
「半年もあれば」
「分かったわ。では、その半年で、すっかり元気にしてちょうだい」
そこからの私は、我ながら容赦がなかった。
毎食、肉と卵と豆と根菜。温かいスープは必ず添える。果物は毎日。娘には日当たりのいい東の客間を整え、寝具は全部取り換えさせ、赤ん坊の寝台は、乳母たちに聞いて一番いいものを選ばせた。
そして、手洗いだ。
屋敷中の扉の脇に、洗面台と石鹸を置かせた。部屋に入る前、食事の前、外から帰った後は、必ず手を洗う。指の間も、爪の間もだ。
「奥様、これは何の儀式でございましょうか」
「儀式ではなくて、習慣よ。帰ったら、うがいもしてもらうわ」
「う、うがい」
「水を口に含んで、のどの奥をがらがらしてから、吐き出すの」
使用人たちは、ものすごく微妙な顔をした。けれど、さすがは公爵家の使用人だ。しばらくすると、屋敷のあちこちから、がらがらという音が聞こえるようになっていた。
(変な屋敷になったわね。でも、流行病なんて、結局こういう地味な習慣がいちばん効くのよ)
一週間後の夕方、領地から夫が駆けつけた。
公爵アウグスト。大柄で、ひげ面で、いつもは領地で土まみれになっている人だ。手紙を読んで馬を飛ばしてきたらしく、外套が埃だらけだった。
「エステル!」
「お父様」
夫は、娘を見るなり、ぎゅうっと抱きしめた。大きな身体が震えている。娘の肩に顔を埋めて、「おかえり」「よく帰ってきた」と何度も言いながら、鼻をすすっていた。
それから、後ろで石像のように立っていたベンノ殿に、向き直る。ベンノ殿の顔が、さっと青くなった。
「ベンノ君」
「は、はいっ」
「娘を幸せにしてくれて、ありがとう」
夫の笑顔は、本心からのものだ。けれどベンノ殿は、その場で九十度に折れ曲がった。
「と、とんでもないことでございます。せめて、せめて首だけは」
「首? ははは、面白いことを言うなあ」
夫は冗談だと思って、愉快そうに笑っている。ベンノ殿は本気だ。娘が「ベンノ、まだ疑ってる」と小さく呟いたのが、私の耳にも届いた。
(そろそろ、誰かが誤解を解いてあげなさいよ)
と思いつつ、本人がいちばん真剣なので、誰も強くは言えないのだった。
* * *
屋敷に来て十日。ベンノ殿は、見ていて気の毒になるほど縮こまっていた。
食事の席では、背筋を伸ばしたまま、パンをちぎる指が震えている。廊下で私とすれ違えば、壁に張りついて動かなくなる。寝台が柔らかすぎて眠れないらしく、先日などは、絨毯の上で丸まっているところを侍女に発見されたそうだ。
(まあ、ずっと仕える側だった人だものね。急に主人の家族扱いされても、落ち着かないわよね)
娘と孫が大切にされていることには、心から感謝しているのだと思う。食事のたびに、娘の皿が空になるのを見て、目を潤ませているのは知っている。ただ、その感謝が、そのまま私への恐縮に変換されているだけで。
そんなある朝、早く目が覚めた私は、窓から庭を見下ろして、足を止めた。
東の生垣の前に、ベンノ殿がいた。
まだ薄暗いのに、懐から出した小さなハサミで、枝を一本ずつ整えている。昨日まで少し乱れていた生垣が、見る間に、すっきりとした美しい線になっていく。
(手が勝手に動いてしまうのね)
朝日が差して、彼の横顔が見えた。眉間のしわが消えている。少年みたいに、楽しそうだ。
(ああ、この人、ここでなら息ができるんだわ)
その瞬間、ひらめいた。私はガウンの上にショールを羽織って、庭へ降りた。
「おはよう、ベンノ殿」
「ぎ、義母上様! 申し訳ございません、お屋敷の木に、断りもなくハサミを」
「怒ってなんかいないわ。見事よ、この生垣。やっぱり、あなたの手は特別ね」
「……え」
ベンノ殿は、ぽかんとした。褒められたことに、頭が追いついていない顔だ。
私は、庭の奥を指さした。
「ところで、本館は気疲れするでしょう? 庭の近くに、使っていない離れがあるの。あそこを、娘たちと自由に使ってちょうだいな。そのほうが、落ち着くでしょう?」
ベンノ殿は、しばらく固まっていた。やがて、その目が、みるみる潤んでいった。
「義母上様……なんてお優しいお気遣い……」
「そんなに大げさなことでは」
「私のような者に、離れまでお与えくださるとは。このご恩は、一生」
「一生はいいから、ちゃんと眠ってちょうだい。絨毯の上ではなく、寝台で」
「ご存じでしたか」
彼は顔を赤くして、うなだれた。
(ふふふ……)
心の中で、私はにんまり笑っていた。
(これで、娘と孫と、心置きなくキャッキャできるわ)
離れは、庭を挟んで、本館のすぐ目の前にある。孫の寝顔を見に通っても、誰にも気兼ねはいらない。夜中に押しかけたって、本館の誰にも気づかれない。完璧な計画だ。
もちろん、ベンノ殿を遠ざけたいわけではない。庭のそばなら、彼もうずうずしなくて済むし、何より、あの庭を、この人に任せたいと思っていた。
(嘘はひとつもついていないわ。九割、善意だもの)
* * *
離れの話をした翌日、私はベンノ殿を、書斎に呼んだ。
やって来た彼の足取りは、刑場へ向かう人のそれだった。顔は真っ白で、手は握りしめた拳のまま。入口で一礼して、そのまま石のように固まる。
「座ってちょうだい」
「い、いえ、立ったままで結構です。最後まで、立ってお聞きします」
「最後って、何の最後なの」
「……沙汰の」
「沙汰ではなくて、お願いごとよ」
私は、机の上に、紙を一枚広げた。
「ベンノ殿に、庭仕事をお願いしたいの。大きな仕事を、ふたつ」
「……庭仕事、でございますか」
ベンノ殿の顔に、はじめて、血の気が戻った。
「ひとつめは、ノーラのための庭。離れの南側の芝を広げて、あの子が安全に遊べる庭にしてほしいの。棘のある木は植えないで。毒のある草花もだめ。転んでも痛くない、柔らかい芝がいいわ。それから」
私は、少しだけ身を乗り出した。
「ブランコを作ってほしいの。大きくて、頑丈なものを。私とノーラが、一緒に乗れるくらいの」
「奥様と、お嬢様が」
「ええ。ノーラを膝に乗せて、ゆっくり揺れるのよ。鎖は絶対に切れないように。座面は柔らかく。揺れは穏やかに」
「かしこまりました。全力で、設計いたします」
彼の目つきが、ほんの少しだけ、変わった。
「ふたつめが、本題。月雫草を育ててほしいの」
「月雫草」
庭師は、植物の名前に敏感だ。ベンノ殿は、首をかしげた。
「山の湿った斜面に生える薬草ですね。咳止めの古い処方に使うと聞いたことがあります。ですが、野生のものを少し摘む程度で、畑で育てる人など」
「その草が、灰咳病の特効薬になるの」
「灰咳病……」
ベンノ殿が、息をのんだ。咳に灰のような粉が混じり、高い熱が出て、弱い者から命を落とす病。十数年に一度、国のどこかで流行り、いまのところ、まともな薬はない。
「近いうちに、また流行るわ。そのときのために、できるだけたくさん、月雫草が欲しいの」
「どうして、それを」
「確かな筋から聞いたのよ」
(確かな筋というか、前世で読んだ小説なのだけど)
ベンノ殿は、感嘆の息をもらした。
「やはり、義母上様は、国中に耳をお持ちなのですね」
「……そういうことにしておいてちょうだい」
深くは追及されなかったので、よしとする。
「畑は、東の直轄地を全部使いなさい。三十ヘクタールあるわ」
「さ、三十ヘクタール」
「足りなければ、まだ増やせます。種は、商人たちに言いつけて、国中から集めさせるわ。人手も、道具も、乾燥小屋も、必要なものは何でも言って」
「お、お金は」
「気にしなくていいわ。予算は、無制限です」
ベンノ殿は、口をぱくぱくさせた。
「む、無制限。……土も、水路も、小屋も、好きなだけ」
「好きなだけ」
その瞬間、彼の目の奥に、ぱっと火がつくのが見えた。
(あ、この目は知っているわ。ごちそうを前にした子供の目よ)
庭師にとって、これ以上の仕事はないのかもしれない。ベンノ殿は、がばっと背筋を伸ばし、拳を握った。
「命に代えても、最高の庭をお造りします」
「命には代えないでちょうだい。エステルが泣くから」
「……はい」
「あと、私は、栽培の方法までは知らないの。ただ、あまり難しい草ではないと聞いているわ。あなたの腕なら、きっと大丈夫よ」
「まずは、現地の土を見せていただけますか」
即答だった。もう、怯えた顔は、どこにもない。
それからのベンノ殿は、人が変わったように働いた。
夜明け前に畑へ出て、日が暮れても帰ってこない。土を指でこねて匂いを嗅ぎ、水の流れを確かめ、斜面の向きを見て回る。集まった種は、産地もばらばらで、芽の出方もまちまちだった。彼は小さな試験畑をいくつも作って、土と日当たりと水加減を変えながら、根気強く育て比べた。
長雨で根を腐らせて、畑の隅でしゃがみこんでいた日もあった。けれど翌朝には、「水はけです」と呟いて、斜面に溝を掘りはじめていた。
夕食の席では、土の水はけについて話し続けて、娘に「ベンノ、お母様の前でも土の話をしているわ」と小突かれ、慌てて口を閉じた。
「続けてちょうだい。面白いわ」
「ほ、本当でございますか」
「ええ。月雫草は、半日陰が好きなの?」
「そうなのです! 直射日光が強すぎると葉が」
目が輝いている。怯えて動く人は、こんな顔で土の話をしない。
(この人に任せて、正解だったわね)
* * *
ノーラが一歳を過ぎた、秋の午後のことだ。
私は、離れの前の芝生に敷物を広げて、ノーラの庭を眺めていた。庭は、もう半分ほど出来上がっている。柔らかい芝に、小さな砂場。ベンノ殿が、約束どおりの仕事をしてくれた。
その芝の上を、ノーラが、危なっかしい足取りで歩いている。一歩、二歩、ぺたん。座り込んで、きょとんとして、また立ち上がる。
(かわいい。かわいい。かわいい)
孫の前では、私の語彙は驚くほど少なくなる。
そこへ、離れの扉が開いて、エステルが籠を持って出てきた。
「お母様、クッキーを焼いたので持ってきましたよ。一緒に食べます?」
「まあ、嬉しい。あなたの手作り?」
「はい。今日は、ちゃんと固くなりませんでした」
「それは、先週の私への当てつけかしら」
「いいえ、個性的でした」
先週は、私も厨房に入れてもらった。結果、生地をこねすぎて、石のように固いクッキーができあがった。娘は、笑いをこらえながら、最後の一枚まで食べてくれた。
平民街にいたころは、バターが貴重で、お菓子など気軽に焼けなかったという。いまは、材料を好きなだけ使える。籠の中のクッキーは、きれいなきつね色だ。
娘が敷物に腰を下ろすと、ノーラが、とことこ、よたよたと近づいてきた。籠をのぞきこんで、小さな手を、にゅっと突っ込む。
「ノーラ、ひとつだけよ」
「あー」
一枚を、両手でつかんだ。まんまるのクッキーは、小さな手のひらからはみ出している。ノーラはそれをじっと見つめて、ぐるりと私のほうを向いた。
そして、ぷくぷくの腕を、ぐいっと伸ばした。
「あいっ」
(…………)
(ぎゃんかわ……)
頭が、真っ白になった。
私は、世界でいちばん大切な宝物を受け取る手つきで、クッキーを受け取った。
「ありがとう、ノーラ。いただきます」
口に入れると、バターの味が、じんわり広がった。ほんの少し、塩気が強い。
「お母様、お味は」
「……おいしいわ。世界でいちばん」
「大げさです」
「大げさじゃないわ」
口の中のクッキーが、なぜだか、うまく飲み込めなかった。
この小さな手も、娘の笑顔も、いつかあの一行の中に消えるはずだった。
(死なせないで、本当によかった)
目の端がにじんだので、私は慌てて、カップで顔を隠した。娘が、その横顔を見て、ふっと笑う。
「お母様。あのとき、反対されると思って、何も言わずに出ていって、ごめんなさい」
「……私こそ、そう思わせるような母だったのね」
「そんな」
「反対なんてしなかったわ。ベンノ殿の仕事を見ていれば、真面目な人だってことくらい分かるもの。あのとき相談してくれていたら、きっと、笑って送り出したわ。たぶん、三日くらい寝込んだ後でね」
「三日、ですか」
「三日で済むかしら」
娘が、声を出して笑った。つられて、私も笑った。
「お母様。そのこと、ベンノに直接言ってあげてください。あの人、まだ処刑されると思っていますから」
「どうして、何年経ってそうなるの」
「さあ。真面目なので」
そのとき、芝生の向こうから、ベンノ殿が、土だらけの手で走ってきた。畑から戻ったばかりらしい。
「義母上様、エステル。お休みのところ、申し訳」
「あいっ」
ノーラが、ベンノ殿に向かって、クッキーを差し出した。
ベンノ殿は、一瞬、固まった。それから、震える両手を衣服できれいに拭い、恭しく、ノーラの小さな手から、クッキーを受け取った。
「……ありがたく、頂戴いたします」
赤ん坊に、最敬礼である。
ノーラは満足そうに「あいっ」と言って、ぺたんと座り込んだ。
* * *
エステルの頬は、すっかり丸みを取り戻した。
半年もすると、医師は「診察は月に一度で結構です」と言い、一年を過ぎるころには、屋敷の誰もが「あの痩せたお嬢様は、どこへ」と噂するほど、血色のよい女性に戻っていた。
それならばと、ある日、私は衣装部屋の奥から、昔のドレスを引っぱり出した。
「ほら、これ。あなたが十六のときのものよ」
淡い桃色の生地に、ふんだんなリボン。袖はふわりと膨らんで、胸もとにはレースの花が咲いている。
娘は鏡の前で、おずおずと袖を通した。そして、固まった。
「お母様、これ、さすがに若すぎません? もう私、人の親なんですよ」
「そう? かわいいわよ」
「かわいいから困るんです」
「いくつになっても、あなたは私のかわいい娘よ」
娘は耳まで赤くして、スカートの端をぎゅっと握った。
(ふふ、照れてる)
私は、ここで切り札を出すことにした。
「そうだわ。ノーラにも、お揃いのドレスを仕立てようと思っていたの。同じ生地で、同じリボンで。母と娘、並んで着たら、きっとかわいいわよ」
「えっ」
エステルが、顔を上げた。
「……親子お揃い?」
「ええ。ノーラと、あなたと、お揃い」
「ノーラと、お揃い」
娘は、鏡の中の自分と、絨毯の上で積み木をいじっている二歳のノーラとを、見比べた。しばらくの沈黙のあと、ぽつりと言う。
「それなら、着ます」
ちょろい。我が娘ながら、ちょろい。でも、そこがかわいい。
「もちろん、私の分も作るわよ。三人でね」
「お母様まで?」
「当然でしょう」
かくして、三世代お揃い計画が始動した。
* * *
ノーラが三歳になった春のことだ。
港町で、最初の患者が出た。
報せを持ってきたのは、屋敷の医師だった。咳に灰のような粉が混じり、高い熱が出て、体の弱い者から順に倒れていく。間違いない、灰咳病だ。
(とうとう、来たのね)
背筋が冷たくなった。けれど、母の死がたった一行で済まされていた小説に比べれば、いまの私には、ずっと多くの手札がある。
屋敷は、とっくに備えができていた。手洗いもうがいも、使用人たちのあいだで、呼吸のように定着している。エステルは、痩せぎすだった三年前が嘘のように、頬がふっくらして、よく笑う。ノーラは、毎日泥だらけで走り回っている。
(うちは大丈夫。問題は、外よ)
灰咳病は、港町から王都へ、王都から各地へと、あっという間に広がった。薬師ギルドは悲鳴を上げた。野生の月雫草は、もともとわずかしか採れない。ギルドの倉庫は、数日で空になったという。
そこで、夫が動いた。
「直轄地の薬草を、全部、ギルドと各地の施療院に回す。ベンノ君の畑は、いま、どれくらいある」
答えたのは、私ではなく娘だった。ベンノ殿の畑の話になると、娘はいつも、少し誇らしげな顔をする。
「五十ヘクタールです、お父様。乾燥小屋は十棟。去年の収穫分が、山のように」
あの人は、三年かけて、本当に山を作ったのだ。
斜面の向き、日陰の具合、水はけ。何通りも試して、安定して収穫できる育て方を見つけた。乾燥のさせ方にも工夫を重ね、薬効が落ちない保存の方法まで確立した。薬師ギルドの薬師が、「これほど質の揃った月雫草は、初めて見た」と目を丸くしたほどだ。
その薬草が、荷馬車に積まれて、国中へ運ばれていく。
ベンノ殿は、出荷の指揮のため、連日、畑に泊まり込んだ。「義母上様のご命令を、一日たりとも滞らせるわけには」と言って、倒れないか心配になるほど働いていた。命令というか、お願いだったのだけれど。
そんなある夜のことだ。
屋敷の門を、激しく叩く音がした。
現れたのは、外套を羽織った少年だった。十五歳くらいだろうか。けれど背筋だけは、びしっと伸びている。
第一王子、ルドヴィク殿下だった。
彼は、護衛を門に待たせたまま、私の前に進み出て、深く頭を下げた。
「公爵夫人。夜分に、無礼を承知で参りました」
「どうなさったのです、殿下」
「弟の、カスパーが。昨夜から、咳が出ているのです。熱もあって」
声が、震えていた。
思い出した。小説の中で、彼が膝をつき、「この薬草が、もっと早く手に入っていれば、弟は」と泣き崩れた場面を。
(あのときの、あの人だわ)
私は、静かに立ち上がった。
「殿下、顔をお上げくださいませ。月雫草なら、ここにございます」
侍女長が、すぐに、布に包まれた大きな包みを運んできた。出荷用の中から、とびきり質のよい葉だけを選り分けて、いつでも出せるようにしてあったものだ。
「煎じ方は、薬師がご存じです。咳が出はじめたばかりなら、必ず間に合います。早ければ早いほど、よく効きますから。どうか、急いでお戻りになって」
殿下は包みを両腕で受け取ると、小さく震えて、また深く頭を下げた。
「……ありがとうございます。このご恩は、決して」
「恩は、元気になったカスパー殿下に、お菓子でも食べさせてあげて、返してくださいませ」
口にしてから、少し砕けすぎたかと思った。けれど殿下は、ほんの少しだけ、泣き笑いのような顔をして、うなずいた。
しばらくして、王宮から早馬が着いた。
手紙には、カスパー殿下の熱が下がり、咳もおさまったこと、いまは寝台の中で菓子をねだって、周囲を困らせていることが、ルドヴィク殿下の直筆で綴られていた。
読み終えた私は、椅子にずるずると沈みこんだ。
(嘆かなくて、済んだのね)
小説の中の王子様は、間に合わなかった。今度は、間に合った。それもこれも、ベンノ殿が畑を広げて、きちんと収穫して、保存して、送り出してくれたおかげだ。
その年の夏の終わり、国中に広がりかけた灰咳病は、ほとんど被害を出さないまま、ゆっくりと収束していった。
「奥様。国中の施療院から、感謝状が届いております」
侍女長が、手紙の山を運んでくる。
(待って)
(私、国を救うつもりなんて、なかったのだけど)
私がしたのは、娘を連れ戻して、手洗いをさせて、孫のブランコと娘婿の畑を用意した、それだけなのに。
隣で、娘がくすりと笑った。
「お母様、すごいことをなさったのに、少しも納得していないお顔ですね」
「だって、私は、あなたを守りたかっただけなのよ」
「ええ。知っています」
エステルは、そっと私の肩に頭をもたせかけた。その重みが、ちゃんと温かかった。
* * *
表彰式は、冬のはじめ、王宮の大広間で行われた。
私は、その日の朝から浮かれていた。勲章でも、称号でもなく、ドレスのことで。
月雫草の花の色にあわせた、淡い青の生地に、銀糸の刺繍。母、娘、孫の三人で、色もかたちも揃えた。ノーラのドレスには、裾にたっぷりのフリルがついていて、くるりと回ると、小さな波のように広がる。
「ばあば、くるくる」
「くるくるね。かわいいわねえ」
ノーラの隣で、エステルが、照れくさそうに裾をつまんでいた。
「お母様、この年で母娘お揃いなんて」
「いい年だからこそ、いいのよ」
ひとめ見たときから、私の中では優勝だった。
大広間には、国中の貴族たちがずらりと並んでいた。玉座の前に進み出ると、国王陛下が、重々しく口を開く。
「公爵夫人イレーヌ。そなたは、かねてより薬草の栽培を命じ、灰咳病の流行を最小限に抑えた。その先見と功績をたたえ、ここに『救国の聖女』の称号を授ける」
広間に、拍手が響いた。
(聖女って、私、ただのばあばなんだけど)
(先見というか、読んだ小説のネタバレなのよね)
心の中でツッコミを入れながら、私は、にこやかに礼をした。
次に、陛下は広間の端へ目を向けた。
「薬草栽培の功労者、ベンノ」
名を呼ばれた庭師が、びくりと肩を跳ねさせた。
ベンノ殿は、右手と右足を同時に出しながら、玉座の前まで歩いてきた。真新しい礼服に身を包んでいるけれど、顔色は、青いというより、もはや白い。膝をつき、床に頭をつけんばかりに下げる。
「そなたの畑がなければ、この国の民の多くが失われていたであろう。その腕前と情熱に、国を代表して感謝する」
「も、もったいなきお言葉でございます」
「そなたの功績をたたえ、『月雫草栽培の第一人者』の称号と、勲章を授ける」
「わ、私は、ただ、義母上様に命じられた庭仕事を、していただけで」
広間が、どよめいた。そして、感嘆の溜息に変わった。
「命じられた仕事を、これほど見事にやり遂げるとは」
「なんと謙虚な」
謙虚というか、本当に、ただ怯えているのだけれど。
けれど、それだけではないことを、私は知っている。畑の端に立って、風に揺れる月雫草を見ているときの、あの嬉しそうな顔を。誰よりも早く畑に出て、誰よりも遅くまで土をいじる、あの手を。
式のあと、夫が、ベンノ殿の肩をぽんと叩いた。
「ベンノ君。本当によくやってくれた。娘を幸せにしてくれたうえに、この国まで救ってくれて。私は君が誇らしいよ」
「こ、公爵閣下。おそれ多いお言葉を」
ベンノ殿は、その場で九十度に折れ曲がり、そのまま戻ってこなくなった。
そこへ、ルドヴィク殿下が、弟のカスパー殿下の手を引いてやって来た。カスパー殿下は、頬がふっくらして、元気いっぱいの五歳の男の子だ。
「公爵夫人。ベンノ殿。あなた方のおかげで、弟は今日も、こうして走り回っています」
殿下は、深々と頭を下げた。
「王家は、これからも公爵家の味方です」
その横で、カスパー殿下が、私の前に進み出て、小さな花をひとつ差し出した。
「こうしゃくふじん、びょうきをなおしてくれて、ありがとう。これ、あげる」
私が花を受け取ると、足もとで、ノーラがドレスのすそをぎゅっと引っぱった。
見下ろすと、ノーラが、ほっぺたをふくらませて、カスパー殿下をにらんでいる。ばあばは、わたしの。顔にそう書いてあった。
ノーラは、ドレスのポケットから何かを取り出して、ずいっと私に差し出した。
「あいっ」
小さな手のひらには、少し割れたクッキー。
カスパー殿下は、目をぱちぱちさせている。ルドヴィク殿下は、口もとを押さえて、肩を震わせていた。
(ノーラ、あなた、ポケットに隠していたのね)
私は、救国の聖女の威厳をかき集めて、クッキーを受け取った。花とクッキーを両手に持つ聖女の姿に、会場のあちこちから、ほうっと声がもれた。
式典の終わりに、ベンノ殿は、勲章を握りしめて、娘にこっそり耳打ちした。
「エステル、これは、首に勲章をかけて安心させておいて、あとで落とす、という儀式ではないのか」
「違います」
「そうか」
(そうよ、違うのよ、ベンノ殿)
私は聞こえないふりをして、扇で口もとを隠した。あなたの首は、これからもずっと、つながったままでいてもらうつもりなのに。
* * *
表彰式から数日後の、よく晴れた午後。
屋敷の南の庭は、すっかり出来上がっていた。
やわらかな芝。低い花壇。小さな砂場。その奥に、太い木の枠で組まれた、大きなブランコ。座面は二人がけで、背もたれがついている。鎖は、念のためと言って、ベンノ殿が二重にした。
その向こうには、月雫草の畑が、地平線のあたりまで広がっている。夕方に咲く青白い小さな花が、風に揺れて、さざ波みたいだ。
私は、ノーラを膝に乗せて、ブランコに座った。
「ばあば、もっと」
「はいはい。いくらでも」
足で軽く地面を蹴ると、ゆったりと身体が揺れる。ノーラが、きゃっきゃと声を上げた。
少し離れた木陰では、夫が長椅子に腰かけて、本を読むふりをしながら、こちらをちらちら見ている。孫に混ぜてほしいのが、顔に書いてある。隣では、エステルが編み物を広げて、血色のいい頬で、ときどきこちらに微笑んでいた。
花壇のはしでは、ベンノ殿が、ハサミを片手に、鼻歌まじりで花の手入れをしている。私と目が合うと、慌ててハサミを背中に隠して直立した。
「ぎ、義母上様。ブランコの鎖の点検は、先ほど完了いたしました。ご満足いただけなければ、すぐに」
「満足よ。ありがとう、ベンノ殿」
「は、はい。恐縮です」
「いつまで経っても、肩に力が入っているわね」
そう笑うと、木陰のエステルが、「あれが、あの人ですから」とくすくす笑った。
本当に、そうだ。恐縮しっぱなしで、いつもびくびくしていて、それでも土の前に立つと、少年みたいに目を輝かせる。そういう人だから、エステルは、この人を選んだのだろう。
ノーラの小さな頭が、私の胸のあたりで揺れている。ふわふわの髪から、お日さまの匂いがした。
(本当なら、この子は、お母さんを亡くすはずだった)
あの一行が、頭をよぎる。
けれど、いま、エステルは、あの木陰で編み物をしながら笑っている。ノーラは、私の膝の上で、足をぱたぱたさせている。夫は本を読むふりをして、ベンノ殿は花をいじって。
誰も、欠けていない。
(ありがとう、前世の私。あの小説を、読んでいてくれて)
(……でも、一行で読み飛ばしたことは、やっぱり、ちょっと許さないけれど)
ふふ、と小さく笑ってしまう。
「ばあば、うれしいの?」
ノーラが、振り返って、私の顔をのぞきこんだ。
「ええ。とっても嬉しいわ」
「ノーラも、うれしい」
小さな腕が、ぎゅうっと、私の首に回された。あたたかい。軽くて、柔らかくて、ちゃんと生きている重さだ。
私は、ノーラを抱き直して、もう一度、足で地面を蹴った。
ブランコが、ゆらりと、青い空へ向かって揺れる。
「ばあば、もっと、もっと」
「はいはい。あなたが飽きるまで、何度でも」
娘が笑っている。孫が笑っている。夫も、娘婿も、笑っている。
たった一行で終わるはずだった物語の、その先で、私は今日も、孫を抱いて生きている。




