表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR

「じゃないほう令嬢」は、目立たずはしゃがず謎を解くⅢ ~ニオイアラセイトウの花嫁~

作者: 有理守
掲載日:2026/06/12

 ダフィールド侯爵邸の居間には、この季節らしい爽やかな風がときおり吹き込み、窓辺のカーテンをやさしく揺らしていた。


「お嬢様――、本当に、こんな花束でよろしかったんですか?」


 この屋敷のメイドであるクレアは、様々な色の花が生けられた大きな花瓶へ水を足しながら、ソファで刺繍にいそしむ(あるじ)に問いかけた。


「あら、とても素敵な花束だと思うわよ。赤いバラとチューリップに、ピンクや白のヒナギク、オレンジ色のハナビシソウ、そして、紫色のニオイアラセイトウ――。花たちが咲き競って、この部屋を明るくしてくれている気がするわ」


 クレアの主であるジェニー・ダフィールド侯爵令嬢は、刺繍の手を止めて答えた。

 口元には、何かを面白がるかのように、微かな笑みを浮かべている。


「まあ、たしかに賑やかではありますけどね! バラとチューリップとヒナギク以外は、いらなかったんじゃないでしょうか? まったくグレネル様ときたら、せっかく花言葉を教えてさしあげたのに――」


(ああ、そういうことだったのね――)


 クレアの不満げなつぶやきを耳にして、ようやくジェニーは合点がいった。


 先日、ジェニーへの贈り物である花束を買い直すため、グレネルはジェニーやクレアを伴って王都の商店街(ガレリア)の花屋へ出かけた。

 花屋の店先で、赤いバラやチューリップの花を選んでいたグレネルに、クレアが何ごとかを囁いた途端、彼は、慌てて様々な色の花を加え、この花束にまとめたのだった。


 屋敷に戻って、改めてジェニーに花束を差し出したとき、グレネルが妙にどぎまぎしていたので、クレアはいったい彼に何を囁いたのだろうかと、ジェニーはずっと気にしていた。


(グレネル様ったら、クレアから赤いバラやチューリップの花言葉を聞いて、ちょっと気恥ずかしくなってしまったのね。様々な花を加えて誤魔化したつもりかもしれないけれど、これはこれでなかなか意味深い花束だわ)


 赤いバラやチューリップの花言葉は、「あなたを愛しています」「愛の告白」だ。

 ジェニーとしては、花言葉に関心のないグレネルが、あとでそれらの花言葉を知って、自分にどんな言い訳をするのかをちょっと楽しみにしていた。

 しかし、どうやらそんな無邪気な悪戯は、「主愛(あるじあい)」が強すぎるクレアによって邪魔されてしまったらしい。


 確かに、この二種類の花だけで作った花束は、たとえ思いを寄せる相手に贈るにしても、あまりに露骨で押し付けがましいかもしれない。

 昔から純情で生真面目なところがあるグレネルは、そんな「重い愛」に溢れた贈り物をジェニーへ渡すことにためらいを感じたのだろう。


 だが、可憐なヒナギクの花言葉は、「あなたと同じ気持ちです」だし、鮮やかなハナビシソウは、「わたしを拒絶しないでください」だ。

 ニオイアラセイトウにいたっては、「末永い愛」「逆境にも変わらない愛」という花言葉があって、わざわざプロポーズのときにこの花を贈る男性もいるほどである。

 気を使ったつもりが、なかなかに熱烈な思いを秘めた花束になっていた。


(きっと――、ただの偶然よね。でも、なんだか不思議な偶然ね。それと気づかぬうちに、言葉にしにくい思いを込めた花束が仕上がっているなんて――。どうやらグレネル様は、花の女神様からも愛されているようね!)


 ジェニーは、ソファに刺繍道具を置いて立ち上がると、ゆっくり花瓶へ近づいた。

 ニオイアラセイトウの香りが、花瓶全体を包んでいる。

 甘い香りに浸りながら、思わず花に手を伸ばしかけたジェニーは、大事なことに気づく――。


(あら、いけない、うっかり忘れていたわ! ニオイアラセイトウは、こんなに愛らしい花だけど、葉や種には《《毒》》があるのよね――。気をつけて扱うように、クレアに言っておかなくちゃ!)


 優雅に風を受け止めていたニオイアラセイトウは、ジェニーの握りしめた右手をからかうかのように、彼女へ向かってさらに強い香りを放ってきた――。





 それから一週間ほど後の朝のこと――。


 ジェニーが、メイドのクレアに手伝ってもらいながら、朝の身支度を整えていると、屋敷の前に一台の馬車が止まった。

 寝台の片付けをしていたクレアは、窓辺に駆け寄るなり、大きな声で叫んだ。


「まあ、王都警備騎士団の馬車ですわ! グレネル様が、お降りになりました! お嬢様、急いでお支度を! これはもしかしたら――」


 クレアは、大急ぎで衣装部屋へ向かい、ドレスを選び直し始めた。

 明らかに勘違いしているようだが、ジェニーはあえて黙っていた。


(クレアが考えているような用件でお越しになったのなら、お屋敷の馬車でいらっしゃるはずだわ。それに、使者もよこさず、相手の都合も聞かず、突然朝早く訪問したりはしないわよね――)


 ジェニーは、化粧台の椅子から腰を上げると、走り回っているクレアを止めた。

 

「落ち着きなさい、クレア! わたしたちも、早く下へ行きましょう!」


 こんな時刻に王都警備騎士団の馬車が屋敷へ来るということは、ジェレミーを呼び出さねばならない、騎士団がらみの案件が生じたということだ。


(事故かしら、それとも事件かしら? とにかく、命の危機にさらされている人がいて、お兄様の『招魂術』を待っているということよね)


 ジェニーは、はやる心を抑えつつ、クレアを引き連れて玄関へ向かった。

 玄関では、居間へ行く時間も惜しむかのように、すでにグレネルが用件をアレックスに伝えていた。

 察しの良いジェレミーは、グレネルの訪問に気づくや、すぐに外出の準備にとりかかったのか、玄関にも居間にもその姿はなかった。


「おはようございます、グレネル様。先日は、素敵な花束をありがとうございました」

「お、おはようございます、ジェニー嬢。えっと……、きょ、今日も、お元気そうで……、な、何よりです!」


 ついさっきまで、厳しい面持ちで訪問の用件を伝えていたグレネルが、急にデレついた顔でジェニーに挨拶を始めたので、アレックスは、わざとらしく咳払いをした。

 少し気まずい雰囲気になりかけたところへ、ジェレミーとクリフがやって来た。


「おはよう、グレネル! 詳しい話は、馬車の中で聞くよ! アレックス、行き先や事件の概要は把握したかい?」

「はい。行き先は、ギビンズ伯爵家で、お嬢様のエメライン様を救っていただきたいとのことです」

「エメライン嬢か――。よし、急ごう! 必要があれば、クリフを使いに出すからね――」

「承知いたしました」


 そこまで話して、ようやくジェレミーは、妹が好奇心で瞳を輝かせながら、彼の前に立っていることに気づいた。

 彼女は、いかにも淑女らしい態度で、ゆっくりとドレスのスカートをつまみ、目を伏せた。


「行ってらっしゃい、お兄様。お務めが上手くいくように、祈っていますわ!」

「ありがとう、ジェニー。わたしが留守の間のことは、頼んだよ。もしかすると、二、三日戻れないかもしれない――」

「大丈夫ですわ――。グレネル様、お兄様のことをよろしくお願いします」

「は、はい! お任せください!」


 玄関での短いやりとりがすむと、三人は慌ただしく馬車に乗り込み出発していった。

 ジェニーは、クレアを連れて居間へ移動すると、手早く茶の支度を整えてワゴンを運んできたアレックスから、さっそく話を聞くことにした。



 *



「エメライン嬢ねぇ――。それで、いったいギビンズ伯爵邸で何があったの?」

「未明に、屋敷を訪ねてきた者があって、『エメライン様が、屋敷森で倒れている』と知らせてきたそうです。屋敷の中を探しても確かにエメライン様はいらっしゃらず、皆で屋敷森へ駆けつけたところ、エメライン様が頭から血を流して横たわっていたということです」

「お兄様が呼ばれたということは、彼女は亡くなったわけではなかったのね?」

「はい。急いで屋敷に運び込み、医者や王都警備騎士団を呼んだようですが、だんだん脈が弱くなってきたので、ジェレミー様に来ていただくことになったそうです」


 アレックスは、動じる様子もなく、落ち着いた所作で茶を淹れながら答えた。

 彼は、グレネルの話の雰囲気から、ジェレミーが乗り出せば、エメラインの命は大丈夫だろうと考えていた。


 それよりも心配なのは、何やら謎めいたこの事件にジェニーが興味を持って、何とか首を突っ込もうと画策するかもしれないことだった。

 案の定、ジェニーは、カップを手にしたまま、宙を見つめてじっと考えに耽っている。

 やがて、何かが閃いたのか、カップをテーブルに置くと、アレックスを見ながらゆっくり口を開いた。


「一昨日伺った、ジェニングス侯爵夫人の音楽のサロンで、エメライン嬢のことが話題になっていたの。彼女とパティンソン侯爵家のダレン殿の婚約が、いよいよ本決まりになりそうだって――」


 優良な領地を統治する資産家パティンソン侯爵家の長男であり、眉目秀麗にして頭脳明晰なダレンは、社交界の花形だった。

 彼に憧れる令嬢は多数いたが、浮いた噂もなく、だからといっておかしな性癖があるわけでもないのに、なかなか婚約が決まらない彼に、誰もがやきもきしていた。


 だから、彼の相手がエメラインに決まるらしいとわかると、もちろん落胆した令嬢はいたが、同時にあきらめがついて、親が進める相手との縁談をさっさと承諾する者も現れた。

 それによって、縁談を決めかねていた令嬢たちだけでなく、なかなか相手から縁談の承諾が得られず、辛い日々を送っていた令息たちの心も大いに救われることになった。


「幸せの絶頂にあるはずのエメライン嬢が、真夜中に屋敷森で、大怪我をして倒れているっていうのは、どう考えてもおかしいでしょう? だいたい、彼女が倒れていることを知らせに来たのは、どういう人物だったのかしら? 貴族の屋敷の屋敷森へ真夜中に入り込むなんて、その人物こそが怪しいわよね?」

「確かに、そうですね――」


 ジェニーの指摘はもっともで、アレックスもうなずくしかなった。

 気をよくしたジェニーは、クレアに紙とペンを取りに行かせた。


「気になることを書きだして、整理してみることにするわ。クレアは、ギビンズ伯爵家を訪ねて、エメライン嬢へのお見舞いを届けがてら、グレネル様へこれを渡してきてちょうだい。状況によっては、クレアのよそゆき着がまた必要になるかもしれないわね」

「お嬢様、それはもしかして――」


 クレアはもちろんアレックスまでもが、訝しげな視線をジェニーに向けた。

 そんな視線などものともせず、ジェニーは当然という顔で微笑んだ。


「あら、だって王都警備騎士団の女性記録係クレア・ヘイワードとして、わたしが女性関係者に話を聞きに行くには、クレアのよそゆき着を借りていくしかないでしょう?」



 *



 ジェレミーが到着すると、ギビンズ伯爵家の人々は、一斉に安堵した。

 すぐに、彼をエメラインの部屋へ案内し、カーテンを閉め、彼が招魂術に集中できる環境を整えた。

 エメラインの治療に当たっていたペンドリー医師は、ジェレミーと面識があり、招魂術の効果も理解していたので、とりあえずエメラインをジェレミーに託し部屋を出た。


 ジェレミーは、古い魔術書の研究を通して最近身につけた、人体の状況を光や影として捉える術を用いて、エメラインの怪我の具合を調べた。

 頭部以外に大きな傷はなく、どうやら不意を突かれて襲われたらしいことがわかった。警備騎士団は、すでに血が付いた大きな石を屋敷森から回収していて、おそらくそれが凶器であろうと考えていた。


(傷は深いが、彼女には『生きたい』という強い意志がある――。その気持ちに力を与えてやれば、自力で傷を癒やし回復は早まるかもしれないぞ)


 ジェレミーは、彼女の魂をこの世界に引き留めるべく、生命力をさらに高める力を彼女に注ぎ込んだ。本来なら、生命力は本人が作り出すものだが、ジェレミーは招魂術によって自分のそれを他者に与えることができるのだ。


 術を施されたエメラインは、見る間に顔に赤味が戻り、呼吸もしっかりしてきた。

 額の汗をぬぐいながら、ジェレミーは、ようやく表情を緩めて、傍らの小机に置かれた水差しから水を一口飲んだ――。



 グレネルは、部下のカイルと共に、伯爵邸にエメラインのことを知らせに来た人物から聞き取りをしていた。

 その人物というのは、やや色白で穏やかな顔立ちをした青年だった。

 グレネルは、彼を一目見て、石で殴って人を殺められるような人物ではないなと思った。いかにも非力そうだし、よく手入れされた美しい指をしていた。


「それじゃあ、まず君の名前を聞かせてもらおうか。それから、なぜ真夜中に、ギビンズ伯爵邸の屋敷森にいたのかも教えてくれ」


 取調室は、空いていた使用人部屋で、日も射さず、どこか寒々としていた。

 青年は、何度か口を開きかけたが、辛そうに顔を歪め、声を発することはなかった。

 小半時もそんな時間が続くと、グレネルもカイルもさすがに疲れを感じ、別の団員と取り調べを交代することにした。


 二人が、使用人用の食堂で水を飲んでいると、屋敷のメイドに案内されてクレアがやって来た。クレアは、抱えてきた大きな籠をグレネルに差し出した。


「グレネル様、こちらは、お嬢様からの差し入れでございます。朝早くからのお務めで、お腹も空いているでしょうからと、子羊肉のパイを手ずから用意されました」

「なんと、ジェニー嬢が、わざわざ自分でパイを作ってくださったのか?」

「ええ。危険がない、パイ生地作りだけですけどね。顔中粉だらけにして、こねていらっしゃいました。ええっと、パイをお召し上がりになりながら、こちらにも目を通していただきたいとのことでしたわ」


 クレアは、隠しから取りだした四つ折りの紙を、籠の上にそっと載せた。

 そして、グレネルに変な期待を抱かせないように、小さな声で付け加えた。


「いつものようにお嬢様は、このお屋敷の出来事に関心をお持ちになってしまって――。グレネル様に、いくつか伺いたいことがあるようです。気になることをこの紙に書き出したので、わかったことがあれば知らせて欲しいとのことでした」

「ジェニー嬢が、何か知恵を貸してくださるということか?」

「さあ、『ただの暇つぶしだし、余計なお世話かもしれないわ』ともおっしゃっていましたけどね――。昼頃、籠を引き取りに伺いますので、そのときにお返事を戴ければと思います」

「承知した――。『大変感謝します』と、ジェニー嬢にお伝えてしてくれ」


 クレアは、にっこり笑ってうなずくと、一礼して静かに食堂を出て行った。



 *



    ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ―


<教えていただきたいこと>


1 発見されたとき、エメライン嬢は、どんな服装をしていたか。

2 エメライン嬢の危難を知らせに来た人物は、最初にどんなことを話したのか。

3 屋敷の使用人に、エメライン嬢とよく似た背格好の人物はいないか。


    ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ―


「副団長も隅に置けませんね! ジェニー様から、こんな美味しい差し入れやら、ねぎらいのお手紙が届くなんて――。『ただの幼馴染み』とは、言わせませんよ!」


 カイルは、二個目のパイをほおばりながら、手紙を読むグレネルをつんつんと肘でつついた。

 グレネルは、苦笑いを浮かべながら、手紙をたたんで上着の隠しに収めた。


「『ただの幼馴染み』だよ――。母親同士が若い頃からの友人で、身分や立場を意識せず、長く付き合ってもらっている。今、エメライン嬢の回復に必死で取り組んでくれているダフィールド侯爵や妹のジェニー嬢は、わたしにとって家族同様の大切な存在だ」

「そうですか――。『家族同様』ではなくて、『本当の家族』になれたらいいですね?」

「そうだな――、そうなれたら――。ん!? お、おい、カイル!?」


 グレネルが、呼びかけたときには、すでにカイルは食堂の入り口に立っていた。


「《《ごちそうさまでした!》》 わたしは、先に戻ります! では!」


 軽やかな足取りで聞き取り役の交代へ向かうカイルを、溜息と共に見送りながら、グレネルは四個目のパイを手に取り、ジェニーの手紙の意味を考えることにした。



 *



「お嬢様! ただいま戻りました!」


 二度目の差し入れをギビンズ伯爵邸へ届けにいったクレアが、パイを届けた籠を抱えて、元気に屋敷へ戻ってきた。

 玄関へ出迎えたアレックスに、ニコッと笑いかけると、不作法さを指摘される前に素早くジェニーが待つ居間へやって来た。


「お帰りなさい、クレア。グレネル様から、お返事はいただけたのかしら?」

「はい、ちゃんと預かって参りました! ジェレミー様の施術が効いて、エメライン様の容態も落ち着いてきたそうです。それから、『とても美味しいパイでした。ありがとうございました』と伝えて欲しいとおっしゃっていました」


 ジェニーは、満足そうに微笑むと、クレアが前掛けの隠しから取りだした紙片を受け取った。そして、丁寧に折りたたまれたそれを広げると、食い入るように見つめた。

 文面を指先でなぞり、ときどき考え込んでいたが、やがて、何かを確信したような表情になり、紙片を元のようにたたんでテーブルの上へ置いた。

 クレアは、ジェニーの口からどんな言葉が飛び出すか、籠を抱えたまま固唾を飲んで見守っている。


「どうやら、わたしが考えついた筋書きは、半分ぐらい正しかったようだわ。残りの部分は、もう少し情報を集める必要があるみたいだけど――」


 ジェニーは、そう言いながら、空になったままのティーカップに目をやった。

 クレアは、「失礼いたします!」と言うと、慌てて籠を厨房へ返しにいき、代わりに茶の支度を整えて戻ってきた。

 ジェニーのティーカップへ、新たにミルクティーが注がれる。

 ミルクティーが飲み頃になるのを待ちながら、ジェニーは自分の考えをクレアに語り始めた。



 *



「グレネル様からの手紙に寄れば、屋敷に運び込まれたときエメライン嬢が来ていたのは、夜着や部屋着ではなく、質素な旅行着のようなものだったそうなの。丈夫そうな生地のスカート、襟が立ったブラウス、ぴったりとした丈の短い上着――。そして、足には平底の編み上げ靴、帽子を被り、薄手のストールも羽織っていたのですって」

「それは、まさしく旅支度ですね。真夜中に、どこへお出かけになるおつもりだったのでしょう?」

「真夜中に、従者も連れず、馬車にも乗らず、結婚間近の伯爵令嬢が、いったいどこへ出かけるって言うの?」

「ああ、それは、確かに――おかしな話です」


 貴族の夫人や令嬢が、一人で外出することはない。

 馬車や船に乗るときは、どんなに短い距離でも従者が付き添う。

 女性だけでは、旅に出ることもない。必ず家族の男性が同行する。


「つまりね、エメライン嬢は、どなたか男性と屋敷森で待ち合わせて、旅に出るつもりだったんじゃないかと思うの? 真夜中に、誰にも気づかれないように、灯りも持たずに――」

「それって――、駆け落ちってことじゃないですか!?」

「たぶん、そうね。そして、そのお相手というのが、ギビンズ伯爵家にエメライン嬢のことを知らせに来た人物――なのだと思うわ」

「ええっ!?」


 グレネルからの手紙には、その人物というのは青年で、それなりの地位にある者のようだが、いまだに名前も明かさず黙秘を貫いていると綴られていた。

 もし、彼がエメラインの秘密の駆け落ちの相手なら、それは当然のことと思われた。


「夕べは、晴れていたけれど、真夜中前に月は沈んでいたわ。灯りもない屋敷森で、彼はどうして倒れているエメライン嬢を見つけられたのかしら? それは、二人が待ち合わせをしていたからで、なかなか現れない彼女を必死で探した結果だと思うの。それに彼は、屋敷を訪ねたとき、『エメライン様が、屋敷森で倒れています』とはっきり言っているのよ」

「なるほど! 顔見知りでもなければ、暗闇の中で頭から血を流して倒れている人物を、エメライン嬢だと気づくはずがないですね!」

「そうなのよ。二人が、あの場で会うことを約束していたと考えれば、彼が屋敷森にいたことや、すぐに伯爵邸へ知らせに行ったことなども説明がつくでしょう?」


 そして、それは、彼が犯人ではないことも意味していた――。

 待ち合わせた場所で、二人に何らかの諍いが生じたとする。

 屋敷森で叫んだり、泣いたり、争ったりすれば、夜番の者が物音を聞きつけて駆けつけただろうし、彼は、誰にも気づかれないようにさっさと立ち去っていただろう。


「じゃ、じゃあ、いったい誰がエメライン様を殴ったんですか?」

「そこが難しいところなのだけど、グレネル様の手紙によると、伯爵邸で最近雇われた使用人に、エメライン嬢とよく似た背格好のメイドがいるらしいの。そのメイドのことを、少し調べてみる必要がありそうよ。クレアも、手伝ってくれるわよね?」

「もちろんです、ジェニー様!」


 居間の扉の陰では、二人に気づかれないように、アレックスが中の様子を伺っていた。ジェニーが本気で事件に関わろうとしていることがわかり、彼は大きな溜息をついた。


 彼は彼で、ジェニーには内緒で、彼女の動向を伝える手紙を近侍見習いのエヴァンを使って、クリフへ届けさせている。


(まあ、ジェレミー様とジェニー様の間には、互いの状況を感じ合う不思議な力がおありだから、わたしが余計な心配をすることはないのかもしれないが――。念のため、ということもあるからな)


 アレックスは、通りかかったエヴァンに声をかけて自室へ向かうと、書き物机の箱から紙片を取りだし、そこにあったペンで素早く(あるじ)への手紙を書き上げた――。



 *



 その日の昼下がりのこと――。


 ギビンズ伯爵邸の玄関に、一台の馬車が止まった。

 それは、王都警備騎士団の馬車で、馬車から降り立ったのは、クレア・ヘイワードと名乗る女性記録係と彼女の秘書だった。

 女性使用人からの聞き取りのために、騎士団長がわざわざ派遣したということだった。

 

 二人は客間に陣取り、次々とメイドや侍女たちを呼び出した。

 最後に呼ばれたのは、最近雇われたリビーという名のメイドだった。


 リビーも、これまでの使用人たちと同様に、おどおどした様子で客間へ入ってきた。化粧で誤魔化しているが、顔色が悪く目も赤い。夕べ、眠れなかった者の顔だった。

 クレア・ヘイワードは、特に気にとめる様子もなく、書類を見ながら穏やかにリビーへ声をかけた。


「メイドのリビーさんですね。お待たせして、申し訳ありません。ええっと、こちらに雇われるようになって、まだ半月ほどなんですね? 以前は、どちらでどんなお仕事を?」

「ソ、ソリロウという町の商家で、メイドをしていました――」

「そうですか――。それで、その前は?」

「えっ?」

 

 うつむいて答えていたリビーが、はっとして顔を上げた――。

 クレア・ヘイワードの口元は微笑んでいたが、目は笑っていなかった。


「あなたをこのお屋敷へ紹介した口入れ屋の主人は、なかなか慎重な人物で、あなたに推薦状を書いたソリロウの商家へ、すぐに問い合わせをしていました。商家の推薦状は本物でしたけど、その商家で働く際、推薦状代わりに見せたものがちょっと――」


 そう言いながら、クレア・ヘイワードが、リビーの胸元に視線を向けると、リビーは両手で胸元を押さえ、それを隠すように縮こまった。

 クレア・ヘイワードは、視線を手元の書類に戻すと、たんたんと話を続けた。


「あなたは、『推薦状は旅の途中で盗まれてしまった』と言って、代わりに、以前勤めていたお屋敷の奥様からいただいた、紫色のレリリアサイトをはめ込んだ銀線細工のブローチを見せたそうですね――」


 リビーは、再びうつむくと、ますます身を固くした。

 胸元に大事な物を潜ませているのは、誰の目にも明らかだった。


「ブローチの裏側には、『可愛いリビーへ』と彫られていたので、商家の主はあなたの話を信じて雇うことにしたようです。レリリアサイトのブローチなんて、メイドの給金では、一生働いても手に入れられない品物ですからね。まあ、主家の物をこっそり盗み出す、使用人がいないとは言えませんけど――」


 いつのまにかリビーは、ぽたぽたと床に涙をこぼしていた。

 そして、小さな声で、「ごめんなさい」「許してください」と何度もつぶやいた。


 クレア・ヘイワードは、そんなリビーの姿を見ても動じることはなかった。

 秘書に命じて、屋敷が用意した茶器で茶を淹れさせると、ゆっくりそれを味わった。

 そして、思い出話でも語るような口調で、リビーへ話し始めた――。



「一年ほど前、パストン子爵の領地屋敷(タウンハウス)に泥棒が入りました。お嬢様の婚礼や披露の宴のため、子爵ご一家や多くの使用人は神殿へ出かけていて、屋敷に残っていたのは、老執事と下働きの少年、そしてメイドだけでした――」


 地方で起きたことではあったが、貴族がらみの事件だったため王都の社交界では大きな話題になった。

 この事件をきっかけに、重要な行事で家を空けるときは、他家にも頼んで十分な数の留守番を置くとか、貴重な宝飾品などは、王都屋敷の地下に金庫室を作って厳重に保管するとか、各家が様々な防犯対策を考えることになった。


「日没後、灯りの見えない屋敷へ不安を覚えながら戻ってきた人々は、屋敷が荒らされ、老執事と少年が縛り上げられて、地下の貯蔵庫に閉じ込められているのを発見しました。いくつか骨董的な値打ちのある調度品が盗まれたそうですけど、金銭や宝飾品などは王都屋敷(タウンハウス)で管理していたので、被害はそれほど大きくはありませんでした」


 この国では、多くの貴族たちは、生活の拠点を王都に置いている。

 領地屋敷(カントリーハウス)は、豪壮で立派に見えるが、古く不便であることも多い。管理は使用人に任せ、避暑や避寒のためにしか利用しない貴族もいる。

 経費を惜しむ下級貴族は、最低限の使用人しか雇わないこともあった。


「一つだけ、人々を悩ませたことがありました。留守番をしていたメイドが、姿を消していたのです。事件の半月ほど前に、雇い始めた若いメイドでした。上手く屋敷から逃げ出したのか、泥棒に連れ去られたのか、それとも、彼女は、実は泥棒の仲間で、彼らと一緒に去ったのか――。様々な憶測を呼びましたが、彼女を探し出すことはできませんでした」


 リビーは、その場にしゃがみ込み、肩を震わせ声を上げて泣いていた。

 胸元にしまってある何かを、まるで助けを求めるように服の上から握りしめていた。


「パストン子爵夫人のお名前は、オリビアといい、幼い頃は『リビー』と呼ばれていたそうです。家族からの贈り物には、どれにも、『可愛いリビーへ』という言葉が刻まれていて――」

「もうやめて! そうよ、いなくなったメイドは、あたしよ! あたしは、窃盗団の引き込み役だったのよ! でも、もう手を切りたかったから、屋敷の裏口の鍵を開けて、連中が来る前にこっそり逃げ出したの!」


 そう叫ぶと、涙でぐしょぐしょになった顔を歪ませ、リビーは立ち上がった。

 左手は、胸元から引っ張り出した銀線細工のブローチを握りしめていたが、右手には、前掛けの隠しから取りだした鋏を握っていた――。


「盗みを働くつもりはなかった――。でも、お守り代わりになるものが欲しくなって、このブローチを持ち出したのよ! ブローチのおかげで、食いつなぐことができたし、王都まで来れば、やつらに見つかることはないと思っていたのに――。とうとう、ここにいることを突き止められ、仕事を手伝うよう脅されて――。お嬢様が、あんな目に合ったのも、あたしのせいなんだ!」


 リビーが鋏を振り上げ、自分の胸を突こうとしたそのとき、クレア・ヘイワードは、素早く立ち上がり、彼女に右手の人差し指を向けて心の中で念じた――。


魂消(たまぎ)え!>


 一瞬動きを止めたあと、リビーと名乗っていたメイドは、その場に力なくくずおれた。



 *



 リビーと名乗っていたメイドは、本当はシェリーという名前だった。

 パストン子爵家から逃げ出してからは、さすらいながらもまっとうに働いていて、ギビンズ伯爵家でもメイドの仕事を真面目に務めていた。

 しかし、用を頼まれて出かけた王都の商店街(ガレリア)で昔の仲間に見つかり、勤め先を突き止められたあげく、伯爵邸を襲う手引きをしろと脅されたのだった。


「窃盗団は、シェリーが再び逃げ出すのではないかと、見張っていたようね。それで、真夜中に旅姿で屋敷森に現れたエメライン嬢を、彼女だと勘違いして石で殴ってしまったのでしょうね。暗かったし、二人の背格好はとてもよく似ているから、見間違えても仕方がないと思うわ」

「シェリーが逃げないように、軽く怪我を負わせて脅かすぐらいのつもりだったのでしょう。やつらは、人違いをしたことに気づいているのでしょうか?」

「どうかしら? でも、この屋敷に王都警備騎士団が出入りしているのは見ているでしょうから、たぶん、夜を待って王都を脱出しようとするでしょうね。ここへ来るときに、騎士団長にわたくしの考えを伝えてきたから、今頃は窃盗団の隠れ家を突き止めているかもしれないわ」


 シェリーが倒れたあと、すぐにクレアが騎士団員を呼びに行き、彼女は目覚めるやいなや縄を打たれ、すでに客間から別の部屋へ連れ出されていた。

 団員による取り調べで、彼女は、本名やこれまでの経緯を正直に話した。


 グレネルからエメラインが助かったことを知らされ、ようやく口を開いた青年――ベネディクト・アトリーは、駆け落ちの計画を認め、彼女に早く会わせて欲しいと涙した。


 日が傾き始めた客間で、クレアが淹れ直した茶を飲みながら、ジェニーはグレネルと事件の真相を整理していた。

 ジェニーは、ギビンズ伯爵邸から戻ってきたクレアを引き連れ、まず伯爵家にリビーを紹介した口入れ屋を訪ねた。そこで、ブローチの話を聞き、リビーがパストン子爵家で働いていたことに気づくと、すぐに以前話題になった窃盗事件のことを思い出した。

 そして、あっという間に今回の事件の概要を捉えてしまったのだった。


 ジェレミーは、まだエメラインに付き添っているが、彼女の容態はすっかり安定していて、意識が戻るのを待っているような状況だった。

 エメラインとベネディクトが、どのように知り合い愛を深めていったのかは、間もなく明らかになると思われた。


「偶然が重なり、大きな事件になってしまいましたが、エメライン嬢も助かったことですし、窃盗団を掴まえることができれば、万事解決となりそうですね?」

「そうかしら? まだ、大きな問題が残っていると思うのだけど――」


 懐に隠し持っていたジェニーの手作りパイを取り出し、幸せそうな顔で頬張りかけていたグレネルは、ジェニーの言葉に思わず咳き込んだ。

 クレアが、「あらあら」と言いながら、急いで手巾を手渡した。

 

「ベネディクト殿は、アトリー子爵家のご次男なのよ。リュートがお上手で、音楽のサロンでは人気者だけど、将来性とか家格とかを考えれば、とてもダレン殿を押しのけて婚約者に名乗りを上げることなんてできないのではないかしら? エメライン嬢は助かったけれど、駆け落ちは大失敗――。お二人にとっては、何も解決していないのよ――」


 ジェニーは、悲しげな顔をして、ティーカップを手に取った。

 グレネルも、何と言って良いかわからず、黙ってパイを飲み込んだ。

 沈鬱な空気を変えたのは、クレアの小さな咳払いだった。


「コホン! お嬢様は、ニオイアラセイトウの花言葉をご存じですよね?」

「ええ。『末永い愛』とか『逆境にも変わらない愛』だったわよね?」

「そうです――。昔々、親が決めた縁談が嫌で、身分が低い恋人と駆け落ちしようとしたお姫さまがおりました。でも、彼女は、逃げ出す途中で足を滑らせて、城の石垣に頭をぶつけて亡くなってしまうのです――」


 ジェニーとグレネルは、今回の騒動との類似点に気づいて顔を見合わせた。

 二人の反応に気をよくしたクレアは、もったいぶるように一呼吸おいてから話を続けた。


「お姫さまが倒れた場所に咲いていたのが、ニオイアラセイトウの花でした。恋人は、彼女を土に埋め、ニオイアラセイトウの花で覆いました。その後、彼は吟遊詩人となって、死ぬまでお姫さまへの愛を歌い続けたのでした」

「なるほど、だからニオイアラセイトウの花言葉は、『逆境にも変わらない愛』となったわけか――」


 感慨深そうにつぶやくグレネルに、クレアは大きくうなずいた。

 ジェニーは、明るく微笑むとクレアに感謝した。


「ありがとう、クレア――。エメライン嬢の意識が戻ったら、お二人にその話をしてみるわ。せっかく命をとりとめたのですもの、悔いがないように生きなくては! 生きて貫いてこそ、本物の『逆境にも変わらない愛』と言えるのではないかしら? エメライン嬢には、ぜひニオイアラセイトウの花束を抱えてアトリー殿と結ばれて欲しいわ!」


 うっすらと頬を染めて語るジェニーを、グレネルがうっとり見つめていた。

 そんな二人の姿を見たクレアは、つい苦笑いを浮かべてしまう。


(さてさて、人の恋路ばかりを心配していないで、もう少しご自分たちのことを考えていただきたいものだわ! ジェニー様は、本当はどんな花束が欲しいのかしら? そういえば、グレネル様に差し上げるとおっしゃって、手巾にラベンダーの花を刺繍していらしたわ。ラベンダーの花言葉は、確か――)


 穏やかな光に包まれ、ギビンズ伯爵邸は黄昏を迎えようとしていた――。




              ◇ ◇ ◇  終わり  ◇ ◇ ◇

最後までお読みくださり、ありがとうございました。

「Ⅱ」を書き上げて、もう少し付け足したいなと思って書き出したら、短編が一作できました( ^o^)


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
おまけ短編、ありがとうございました! シンプルな短編の分、ジェニーの名探偵っぷりが際立ってるように思いました。 捜査協力めっちゃしているし、シェリーもきっとなんとかなるはず…! いつか、グレネル大活…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ