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猫のしっぽが指差す方に、だいたい事件がある

作者: 星渡リン
掲載日:2026/02/22

 雨が来そうな夜だった。

 空が、スマホの画面みたいにうす暗い。充電が切れる直前の、あの心細い色。


「はぁ……レポート提出、明日なのに」


 大学の帰り道。私は駅前の商店街を抜けて、自分のアパートへ向かっていた。

 うちのゼミは、顔は優しいのに締切だけは鬼だ。

 提出が明日ということは、今日が実質の締切。つまり私は、今この瞬間に“詰み”の入口に立っている。


 そんな私の足が、アパートの角で止まった。


 段ボールが置いてある。


 そして段ボールの隙間から、目だけが見ている。


 猫だ。


 黒白のハチワレ。顔の模様が左右でくっきり分かれていて、なんだか証明写真がちゃんとしてそうなタイプに見える。


「……いや、無理。うち、ペット不可だから」


 そう言いながら、私は段ボールの前にしゃがんでしまった。

 無理と言いつつしゃがむ。人間の矛盾はだいたい膝から始まる。


 猫は鳴かない。

 ただ、じっと私を見る。


 段ボールの外に、しっぽだけがぴょんと出ていた。

 長い。やたら長い。

 そのしっぽの先が、突然。


 ピン。


 斜め上を指した。


「……え?」


 猫が、何かを指したみたいに見えた。

 いや、見えたというか、完全に指していた。しっぽで。


 その瞬間。


 ガシャァン!


 近くで自転車が倒れる音。続いて、子どもの泣き声。


「うわ、なに!?」


 私は反射で走った。

 段ボールの猫も、当然のように後ろからついてくる。


 ついてくるな。

 いや、ついてくるのはいいけど、うちに来るな。話が早いようで早くない。


 角を曲がると、街灯の下で小さい子が座り込んでいた。倒れた自転車、散らばった荷物。泣き声は細くて、でも必死で。


「だいじょうぶ!? 痛い?」


 幼児は涙と鼻水でぐしゃぐしゃになりながら、首を横に振った。

 その横で猫が、ちょこんと座る。しっぽはもう指していない。

 仕事終わりの顔である。


「……お前、案内したな?」


 猫は私を見上げた。

 鳴かない。

 顔が「業務です」って言ってる。


 私はため息をついて、幼児の手を取った。


「お名前言える? おうち、どこ?」


「……ゆうた……」


「ゆうたくんね。おうちの人の電話番号分かる?」


 分かるはずがない。私は周りを見渡し、交番の位置を思い出した。


「よし。交番に行こう」


 猫が立ち上がって、当然のように一緒に歩き出す。


「いや、同伴者みたいな顔するな」


 猫はしっぽをゆらゆらさせるだけだった。


 交番では、おまわりさんが驚きつつもすぐに対応してくれた。名札には「久我」とある。


「迷子か。よく連れて来てくれたね。えっと、君は……」


「三枝ミオです。大学生です。えっと、猫は……」


 猫を指さして言い淀むと、久我さんも猫のほうを見た。


「……猫も一緒に来たんだ」


「来ました。勝手に」


 久我さんは苦笑して、ゆうたくんに優しく話しかける。

 しばらくして、泣きながら母親が駆け込んできた。


「本当にありがとうございます……!」


 私は慌てて手を振った。


「いえ! 私というより……猫が……」


 口に出してから気づく。

 猫が助けた、って何だ。猫はしっぽをピンとしただけだ。


 でも、私にとってはそれがもう十分に“超常”だった。


 交番を出るとき、猫のしっぽを見た。

 もう指していない。代わりに猫が、じっと私を見ている。


(……うちに来る気だな)


 嫌な予感はだいたい当たる。


◇◇◇


 その夜。


 猫は私の部屋にいた。


「……いるよね」


 ベッドの上で丸くなっている。

 タオルの上にちょこん。まるで最初からここが自分の居場所みたいな顔をしている。


「うち、ペット不可なんだけど」


 猫は目を細めた。

 言い訳を聞く気がない目だ。


 私は仕方なく、コンビニで買ってきた猫用パウチを開けた。

 猫は「当然」という速度で食べる。


「……お前さ、どこから来たの」


 猫は鳴かない。

 ただ食べ終わったあと、しっぽの先が机の下を指した。


 ピン。


「……え、なに?」


 机の下を覗くと、床に水滴が落ちていた。

 天井の角から、ポタ、ポタ。


「うわ、水漏れ!?」


 私は慌ててバケツを置き、管理会社に電話した。

 夜遅いのに「明日の朝一で行きます」と言われて、少しだけ救われる。床が。


 電話を切ると、猫は知らん顔で毛づくろいを始めた。

 “これは業務ではありません”の顔だ。腹立つ。


◇◇◇


 翌朝。


 寝不足のまま、私は大学へ向かう支度をした。

 猫は玄関までついてくる。ついてくるな。いや、ついてくるのはいいけど外に出るな。


「今日はダメ。留守番。頼む」


 猫は玄関で座り、私を見上げた。

 そして、しっぽがピン、と外を指す。


「……指すのやめて。今から講義なの」


 でも指された方向から、誰かの声が聞こえた。


「うわ、滑る!」


 私は反射で外に出て、アパート前のマンホール付近を見た。

 水たまりができていて、踏むとつるっと滑りそうな感じになっている。


 ちょうど、おばさんが荷物を抱えてそこへ足を出しかけていた。


「あっ! そこ滑ります!」


 おばさんが止まり、驚いて足を引く。


「ありがとうねぇ」


「いえ……」


 私は玄関を振り返った。猫はもうしっぽを戻して座っている。

 顔が「業務完了です」になっている。


(こいつ、危険通知アプリより早い)


 大学では普通に講義を受けた。

 普通と言っても、眠気との戦いに勝った記憶はあまりない。教授の声が子守歌すぎる。


 帰り道、駅前のコンビニに寄った。

 レジで会計をしていると、後ろの客が焦った声を出した。


「えっ、財布がない! さっきまであったのに!」


 店内の空気が、少しだけ固くなる。

 こういうとき、人はだいたい“近くにいた誰か”を見る。


 そしてなぜか、私が見られる。


 え、私?

 私が今買ったの、ヨーグルトと消しゴムと猫のフードなんだけど。

 大学生の買い物としては健全すぎない?


「……あの、私……」


 言いかけたとき。


 足元に猫がいた。


「……来たの?」


 留守番って言ったのに。

 どうやら玄関の隙をついて、いつの間にかついてきていたらしい。器用か。


 猫は鳴かずに、しっぽをピン、とレジ下のほうへ向けた。


 私は反射でしゃがみ、レジ横の紙袋の陰を覗いた。


「あ、財布……ここ、落ちてます」


 財布はそこにあった。

 店員さんが拾って持ち主に渡す。持ち主は真っ赤になって頭を下げた。


「す、すみません! 疑って……!」


「大丈夫です……」


 私は猫を見た。

 猫はもう「関係ありません」みたいな顔で店の外へ出ている。

 全部、空気みたいにやっていく。ずるい。


(……こいつが指すの、犯人じゃない)


 指すのは、揉め事の芽。

 解決の入口。


◇◇◇


 夕方、私は商店街の端にある駄菓子屋「はるや」に寄った。

 ここは大学生でも不思議と居心地がいい。おばあちゃんが私を「ミオちゃん」と呼ぶからだ。大学で“ちゃん付け”されるのはレア。


「いらっしゃい。今日は顔が薄いね」


 ハルおばあちゃんが笑う。


「レポートが明日で……」


「それは胃じゃなくて、頭から来るやつだねぇ」


 猫が店の中に入り、棚の間をすり抜けた。

 ハルおばあちゃんが目を細める。


「あら、猫ちゃん。最近この辺、猫が増えた気がするよ」


「この子、うちの……じゃないんですけど、勝手に……」


「勝手に居る子は、縁がある子だよ」


 縁って便利な言葉だ。断りづらさが全部包まれる。


 そのとき、猫のしっぽが店の奥の棚の一角を指した。


 ピン。


「……また?」


 私はその棚に近づいた。

 そこには、古い鈴が置かれていた。錆びているのに、触るとほんの少し温かい。


「これ、何ですか?」


 ハルおばあちゃんが顔を上げた。


「それね、昔は厄よけの鈴だったのよ。町の運が散らないように留める、って」


「運を留める……」


「洗濯ばさみみたいにね」


「雑!」


 思わずツッコんだ。

 でも、その鈴を手に取った瞬間、空気がふわっと揺れた気がした。

 薄い布が一枚、めくれた感じ。


 猫が珍しく真顔になった。


(この鈴、なんかある)


 ハルおばあちゃんが続ける。


「最近ね、細かいトラブルが増えたのよ。落し物、転ぶ子、変な噂。大ごとじゃないけど、町がちょっとピリピリしてる」


「それ、たまたまじゃなくて……」


「たぶんね」


 猫のしっぽがもう一度ピン、と鈴を指し、次に出口のほうを指す。


 ピン。


「……行けってこと?」


 猫は鳴かない。顔が「そうです」って言ってる。


 私は財布を握りしめた。

 面倒くさい。けど、放っておくのも気持ち悪い。

 この辺の感情は、レポートよりやっかいだ。


「ちょっと散歩してきます」


「返せるなら返しな。返せないなら、責任が生まれる」


 ハルおばあちゃんの言葉が妙に重い。


◇◇◇


 夕方の河川敷は、風が冷たかった。

 猫は私の少し前を歩き、しっぽをピンとしたまま、ずっと同じ方向を指している。


「指しっぱなしって疲れないの?」


 猫は無視。

 仕事中の顔である。


 河川敷の階段を下りたところで、フードをかぶった青年が立っていた。

 手に、鈴に似た金具を持っている。


 猫のしっぽがピン。今までで一番、強い。


「あの!」


 私が声をかけた瞬間、青年は逃げた。


「え、待って! 私、走るの苦手!」


 猫のしっぽがピン、と私の足元を指す。

 走れって言ってる。理不尽。


 私は息を切らしながら追った。

 青年は曲がり角を抜けたが、何かを落とした。


 カラン。


 金具の部品が草の上に転がる。


 私が拾い上げた瞬間、視界がチカッとした。


 町のほうに、細い黒い糸みたいなものが伸びている。

 あちこちに。絡まって。引っ張られて。


「……なに、これ」


 青年が振り返った。目が合う。

 青年の目は疲れていた。怒りというより、寝不足の目。


「……その猫、まだ働かされてるんだ」


「え?」


 青年はそれだけ言って、また走って消えた。


 私は立ち尽くした。


「働かされてるって何! うちの猫、労基案件なの!?」


 猫は真顔で私を見上げ、しっぽを一回だけ揺らした。

 肯定にも否定にも見える。ずるい。


◇◇◇


 そして翌日。商店街で小さなお祭りがあった。

 屋台、提灯、子ども、甘い匂い。平和の材料は全部揃っている。


 最初は平和だった。

 でも、少しずつほつれが増えていく。


「迷子! うちの子見ませんでした!?」


「うわっ、滑った! 誰だここに水撒いたの!」


「財布がない! また!?」


 小さなトラブルが、連鎖みたいに広がる。


 そして嫌な方向へ向かう。


「……あの子、いつも揉め事の近くにいる」


「猫連れてる子だよね」


「怪しくない?」


 怪しいって何。

 猫が怪しいなら分かる。私は普通だ。普通に大学生だ。普通にレポート終わってない。


 久我さんが交番から駆けてきて、人をさばき始めた。助かる。けど手が回ってない。


 猫のしっぽがピン、と商店街の裏路地を指した。

 まっすぐ。迷いなく。


「……行けってことね」


 私は腹をくくった。

 疑われるのは嫌だけど、ここで動かないのももっと嫌だ。

 何より、この猫のしっぽが指す方に、だいたい事件がある。


 裏路地へ走る。提灯の明かりが届かない、細い道。


 そこにいた。


 フードの青年。鈴を分解して、何かを組み替えている。

 手元の金具は、昨日見た部品と同じだ。


「あなた!」


 青年が顔を上げる。逃げようとする。

 猫が先回りするように前へ出た。しっぽがピン、と鈴を指す。


 青年は唇を噛んだ。


「……邪魔しないでくれ。町の運が、偏ってるんだ」


「偏ってる?」


「この鈴は、運を留める。留めた運は近くの人に溜まる。商店街の中心だけが得する。外れの住宅街はいつも後回しだ」


 青年の声は震えていた。怒りというより悔しさだ。


「だから均したかった。運をほどいて、みんなに回すつもりだった」


「でも今、迷子が出てる。転ぶ人もいる。財布の騒ぎも」


「……それは、想定外だった」


 青年の目が揺れた。


「想定外って言葉、便利すぎない?」


 私は言ってから、ちょっと自分が辛辣だと気づいた。

 でも、止まらなかった。だって今、誰かが泣いている。


「じゃあどうすればいい。留める鈴のままじゃ、また偏る」


 猫のしっぽがピン、ピン、ピン。

 鈴の部品の“ある場所”を、順番に指している。


 私はそれを見て、口を開いた。


「留めるんじゃなくて、ほどけにくくする」


「……何?」


「運を洗濯ばさみで止めるんじゃなくて、結び目を作る感じ。強く締めるんじゃなくて、ゆるく結んで、ほどける前に気づけるようにする」


 自分で言っていて、何の話だと思う。

 でも言葉は、意外と伝わる。


 青年が鈴を見た。


「……ゆるい結び目」


「偏りが出たら、そこだけ直す。全部ほどいたら、町が絡まって転ぶ」


 猫がしっぽで部品の位置を示す。

 私が手を伸ばす。青年も、ためらいながら手を出す。


 カチ。


 部品がはまる。


 カチ、カチ。


 最後の金具を入れた瞬間、鈴がふわっと光った。

 白い光じゃない。月明かりみたいな薄い光。


 そして、私にだけ見える黒い糸がほどけていく。

 絡まりが消え、糸がほどけ、町の空気がふっと軽くなる。


 遠くで、子どもの声が聞こえた。


「ママ! いた!」


 迷子が見つかった声。


 屋台のほうからも、安堵の笑い声が広がる。

 財布も見つかったらしく、小さな拍手が起きた。


 青年が鈴を見つめたまま、低く言った。


「……俺、間違ってたな」


「気持ちは分かるよ。偏るの、嫌だもん」


 私は息を吐いた。


「でも、迷子は均されなくていい。転ぶ人も、疑われる人も、均されなくていい」


 青年が小さく笑った。

 苦い笑いだ。でも、ちゃんと笑った。


「……ごめん」


「うん。今度は、雑じゃないやり方で」


 青年はフードを深くかぶり直し、鈴をそっと置いた。


「……俺、戻せるかな」


「戻す場所、間違えなければ」


 猫がしっぽをゆらりと揺らした。

 もう指していない。仕事が終わった顔だ。


◇◇◇


 祭りの終わり。


 久我さんが私に頭を下げた。


「助かった。何が起きてたか全部は分からないけど……君が動いてくれたのは分かったよ」


「たまたまです。というか……猫が」


 猫はその場で毛づくろいを始めた。

 自分の功績に興味がないふりをするタイプ。腹立つ。


 ハルおばあちゃんが飴をくれた。


「ミオちゃん、あんた、運が絡まったときに手を出せる子だね」


「それ褒めてます?」


「褒めてるよ。面倒を拾える子は強い」


 私は苦笑した。

 面倒を拾う強さ。大学の必修より難しい。


◇◇◇


 家に帰ると、どっと疲れが押し寄せた。

 靴を脱ぎ、カバンを置き、私は床に座り込む。


「はぁ……もう今日は平和でお願い……」


 猫が私の前に座って、しっぽをピン、と指した。


「……え、まだ何かある? 今日はもう勘弁して」


 しっぽの先が指しているのは、冷蔵庫。


 私はゆっくり立ち上がって、冷蔵庫を開けた。

 中段の一番手前。猫用パウチが、空だった。


「……事件って、これ?」


 猫が私を見上げる。

 鳴かない。

 でも目が言っている。


 “はい”。


 私はふっと笑って、新しいパウチを取り出した。


「分かった分かった。今日の報酬ね」


 猫は当然の顔で食べる。

 食べ終わったらベッドへ飛び乗って丸くなった。


 しっぽは、もう指さない。


 私は電気を消して、布団に入った。

 暗い部屋で、猫の寝息だけが小さく聞こえる。


「ねぇ」


 私は小声で言った。


「明日は、平和でお願い」


 猫は返事をしない。

 でも、しっぽが一度だけ、布団の上でゆらりと揺れた。


 約束ではない。

 たぶん、合図だ。


 “明日も、だいたい事件がある”。


 ……でも。


 だいたい大丈夫なら、まあ、いいか。


 私は目を閉じた。

ここまで読んでくださって、ありがとうございました!


「猫が事件を呼ぶ話」は世の中にたくさんありますが、今回は少しだけ捻って、

“事件の中心”ではなく、“解決の入口”を指すしっぽにしてみました。

つまりこの猫は、探偵というより……危険予知アプリの上位互換です。しかも無言。腹立つ。かわいい。


ミオも、最初は「巻き込まれたくない」側の人間です。

でも小さなトラブルって、放っておくとどんどん連鎖して、いつの間にか誰かが泣いてしまう。

だからこそ、ほんの一歩だけでも動ける人がいると、町は案外ちゃんと戻れるんだな、という気持ちで書きました。


そして猫は、手伝ったぶんだけ当然のように報酬を要求します。

……ええ、人生もだいたい同じですね。働いたら猫缶が必要です。


もし「この猫、続きでも働けそう」と思っていただけたら、嬉しいです。

次の事件はきっと、もっと些細で、もっと面倒で、そしてだいたい温かいはず。

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