8話 初めての冬の後
数ヶ月後―――。
厳しかった冬がようやく過ぎ去り、鉱山の谷にも、遅い春が訪れた。
岩肌を撫でる風は冷たさを残しつつも、土の香りと芽吹きの気配を運んでくる。硬い地面の隙間からは小さな草花が顔を出し、雪解け水が鉱道を伝って静かに流れていた。
オレは今もなお鉱山で鉱夫としての過酷な労働を強いられている。だが、そんな日々の中に、一筋の光が差し込んでいる。
ナリア―――
オレの彼女だ。
前の世界では、恋人という存在すら遠いものだった。だからこそ、この異世界で出会えた彼女は、オレの人生において初めての「特別な人」だ。
彼女は、オレのために料理を作り、労りの言葉を惜しまない。
その優しさと笑顔に、鉱山での泥にまみれた疲労も、心の奥から癒やされていく。
今日も、仕事を終えたオレは、同じ奴隷仲間であるサジとともに、ナリアが暮らす家へと向かう。
扉を開けると、暖かい香りと灯りに迎えられる。
中にはナリアと、その同僚の女中・ヴィスカが立っていた。
「二人とも、席について! 料理が出来てるわよ!」
ヴィスカが、エプロンをはたきながら笑顔で声をかけてくれる。
テーブルの上には湯気を立てた皿が並び、その中心には、黄金色に焼かれたローストチキン。
「ヴィスカ、今日は俺の好きなローストチキンじゃないか!」
サジが目を輝かせながら歓声をあげる。
それにヴィスカは誇らしげな笑顔で応える。
「ナリアが作ったスープもあるよ」
ナリアが、やさしく微笑んで、オレの隣にスープ皿を置く。
「ありがとう」
短く答えて席に着いたオレの胸の奥には、じんわりとした幸福感が広がっていく。
ローストチキンの皮は香ばしくパリッとしており、ナイフを入れると湯気とともに肉汁があふれ出す。ジューシーな鶏肉の旨味が口いっぱいに広がり、まるで祝いの席にいるかのような贅沢さだ。
そして、トマトのスープ――
これがまた絶品だった。
トマトの酸味が優しい甘さと重なり、深い旨味とともに体の芯まで温めてくれる。スプーンを運ぶ手が止まらない。
そんなオレの様子を見て、サジが笑いながら言った。
「カズーは本当にトマトのスープが好きだな!」
すかさずヴィスカがからかうようにサジへ言い返す。
「バカね! ナリアが作ったスープだからよ!」
「アハハハ、そうだな!」
サジがオレの肩を叩いてくる。
その温かいやりとりに、オレとナリアもつい笑ってしまった。
この僅かな夕食の時間が、今のオレにとって何よりの癒やしであり、希望だ。
◆ ◆ ◆
食事を終えると、ナリアとオレは彼女の家を後にして、いつものようにサジと暮らす家へと戻った。
扉を閉めるなり、お互いの存在に惹き寄せられるように唇を重ねる。
言葉は要らなかった。
ただ互いの温もりと鼓動があれば、それでいい。
愛し合う二人が、強く求め合う。
そして、夜が深まっていく。
***
互いを求めあった後、汗を拭ったオレはナリアの手を取り、静かに言った。
「ナリア……愛してる」
ナリアは目を閉じたまま、オレの手をやさしく握り返す。
やがて、ゆっくりと蒼い瞳を開け、まっすぐにオレを見つめた。
「私もよ、カズー」
その一言が、何よりも心に沁みる。
この瞬間、オレは「この世界に来てよかった」と心から思えた。
喉が渇いて、オレはアイテムボックスからペットボトルの水を取り出して飲む。
この異世界では珍しい人工的な容器だが、ナリアはそれに動じることなく受け取ってくれた。
ナリアは何事にも動じないタイプのようだ。
(以前、魔法使いの弟子って言ったからかな……?)
内心、そう思いつつ、ナリアにペットボトルの水を渡すと、彼女も静かに二口ほど飲み、礼を言って返してくれた。
「そう言えば……カズー、今日から男爵様が館に来てるわ」
ナリアの一言に、オレは眉を上げる。
「男爵?」
「ええ。ここの領主の父親が男爵様よ。普段は鉱山都市の城にいるけれど、年に何度かこの鉱山に視察に来るの」
(なるほど……この鉱山は、男爵領にとって重要な資産だ。この鉱山によって、潤っているのだろう。男爵にとって、ここを見過ごすわけにはいかないな)
「ナリア、何とかしてその男爵に会えないかな? オレの事情を話して、力を貸してもらいたいんだ」
オレの声には、希望が滲んでいた。
(今なら……このチャンスを活かせるかもしれない。オレは子爵だ。男爵の立場なら、話を聞いてくれるに違いない!)
ナリアは一瞬だけ考え、そしてうなずく。
「私も、そう思ってた。男爵様はたぶん1週間くらいは滞在するはず。何とか、機会を作ってみるわ」
「……ああ、頼む!」
(ついに……! ついにこの地を離れ、奴隷の鎖から解放されるときが来る!)
嬉しさが込み上げて、思わずナリアを抱きしめた。
「ナリア、一緒にここを出よう」
ナリアも強くオレを抱き返し、口づけを重ねた。
言葉以上に深く、心が通い合う。
そしてオレは学ぶ。
〈チャンスは誰にでもやってくる〉
と言うことを。




