7話 オレの恋
オレはまた女中の家に行きたかったが、サジに止められた。
「奴隷の分際で女中に会いに行くなんて、良くない」とサジは言う。
身分というものが、この世界では何よりも重い意味を持つ。だからこそ、サジはヴィスカとの関係を誰にも話そうとはしなかった。
数日が過ぎた――。
久しぶりに、サジがオレを女中の家に誘ってくれた。
鉱山から戻ると、オレたちは汗と埃にまみれた身体を水で洗い、オレはアイテムボックスから取り出した使い捨ての体拭きで丁寧に拭う。
誰にも見られぬよう裏道を抜け、こっそりと女中の家へ向かった。
家の扉をノックすると、ヴィスカがすぐに顔を出し、ほっとしたように笑った。
「随分とご無沙汰じゃないか……」
サジは申し訳なさそうに頭を下げる。 「すまない、忙しかったんだ」
その脇でナリアが、オレの顔を見ると柔らかく微笑んだ。
その笑みに、オレの胸の奥にあたたかいものが広がっていく。
やがてヴィスカが食事を用意してくれる。
今夜の献立は、魚のムニエルをメインに、焼きたてのパンとトマトのスープ。
バターの香りがふわりと立ち、ムニエルの焼き色が食欲をそそる。パンと一緒に口に運ぶと、じんわりとした旨味が口いっぱいに広がり、自然と笑みがこぼれた。
(シャムにも……食わせてやりたいな)
ふと、仲間のシャムのことを思い出す。
ゲームシステムの仲間欄に名を連ねている彼は、まだどこかで無事に生きている証だ。そして、シャムはオレのことをまだ、仲間だと信じてくれている。
(心配かけてるよな……ゴメンな、シャム)
少しセンチな気持ちになっていると、ナリアがこちらに顔を向けて言った。
「カズー、このトマトのスープは私が作ったのよ。どうかしら?」
オレはスープを一口、ゆっくりとすする。
トマトの酸味と自然な甘みが溶け合い、香草の香りがアクセントになっていた。
「ナリア、最高に美味いスープだ!ありがとう」
ナリアは照れて、そっと視線を落とす。
「……良かった」
その様子を見て、ヴィスカが口を挟んだ。
「カズー、ナリアがこのスープをお前のために作るのに、どれだけトマトを駄目にしたと思う……。ちゃんと味わって飲むんだよ!」
ナリアが慌てて声を上げる。
「ヴィスカ、それは言わない約束でしょ!」
その姿が、どうしようもなく可愛くて、オレはつい笑ってしまう。
「カズーも、笑わないで……」
顔を真っ赤にしながら、ナリアは両手で頬を覆ってそう言った。
食事が終わると、ナリアがオレの手をそっと取る。
「カズー、行くわよ」
ヴィスカがナリアに笑いながら言った。
「悪いな……そっちも仲良くな」
「バカっ」
ナリアは小声でそう返し、オレと一緒に外に出る。
その頬がほんのり赤く染まっていることを、オレは見逃さなかった。
――ナリアと一緒に、オレの家へ向かう。
部屋に入ると、オレは寝袋をナリアの肩に掛ける。
するとナリアが、オレに静かに声をかけた。
「カズー、こっちに来て」
彼女は、その布団の片側をオレに掛け、一緒にくるまってくれる。
「カズー、あなたは面白い顔をしているわね。何処から来たの?」
青い目で、ナリアはオレを見つめながら聞く。
「魔物に襲われて、記憶がないんだ。でも多分、西のほうから来たと思う。その後は、魔術師の師匠に拾われて、城塞都市で冒険者をしてたんだ」
前の世界のことは言わなかった。言えなかった。
だが、ナリアは静かに聞き返す。
「私は、南の鉱山都市出身よ。教会がやってる孤児院で育ったの。……カズーは、家族のことも覚えてないの?」
オレは、母のことを思い出す。
父は、物心つく前にいなくなり、母がずっとオレを育ててくれた。
優しい人だった。いつもオレのために働いてくれた。
温かい食事を作ってくれた。
だが……オレが成人する前、病に倒れ、帰らぬ人となった。
(もし、生きていてくれたら……もっといろんなことを教えてもらえて、助けてもらえたかもしれない。母に恩返し、したかった……)
涙が溢れてくる。
「……ちょっと、亡くなった母を思い出して……」
オレがそう呟くと、ナリアは静かにオレを抱きしめた。
その胸は、温かかった。
言葉にならない優しさが、心の奥底にしみていく。
「カズー……変なこと聞いて、ごめんなさい⋯」
「ナリア……」
⋯⋯⋯オレの黒い目とナリアの蒼い目が互いに見つめ合う。
ナリアは、ゆっくりと目を閉じる。
オレは彼女の唇に、そっと口づけをした。
ナリアの手を握り、そして抱きしめる――。
夜が深まっていく中で、オレは初めて女性を知る。
***
横に眠るナリアに、オレは囁く。
「ナリア、オレは……ナリアが好きだ」
ナリアはまだ二十歳前後の年齢だろう。
オレには若すぎるかもしれない。
けれど、どうしても言いたかった。
「ナリア、ずっと一緒にいてくれないか?」
彼女は、少し寂しそうな目でオレを見て言う。
「……この国では、奴隷とは一緒になれないのよ……」
オレは、ゆっくりと首を振る。
「ナリア、オレは奴隷なんかじゃない。騙されて、ここまで連れて来られたんだ。オレは、本当は城塞都市の子爵なんだ」
そう言って、オレはナリアにアイテムボックスから子爵の身分証を取り出して見せる。
「ナリア……ここを出たら、一緒になってくれ」
ナリアは、驚いたような表情を浮かべながらも、オレをじっと見つめ、そしてゆっくりと頷いてくれた。
オレの胸に、あたたかい幸福感が満ちていく。
(オレは、幸せだ)
そしてオレは学ぶ。
〈愛し合うことの素晴らしさ〉
と言うことを。




