37話 偵察報告
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オレは一度、冒険者ギルドへ戻って状況を報告することにした。
昼下がりのギルドは、いつもとは違う喧騒に包まれている。
木の床を踏み鳴らす重いブーツの音、冒険者たちの怒号、そして酒の匂いと鉄の匂いが入り混じった、いつもの空気だが、笑い声が無い。
スタンピードが迫って来る恐怖が、皆の気持ちを沈ませているのだろう。
オレは受付のカウンターに近づき、整った身なりの受付嬢に声をかけた。
「偵察クエストの報告をしたいのですが……」
冒険者証を差し出すと、彼女は慣れた手つきでそれをオーブに翳した。
淡い光が証を包み、彼女は確認を終えると柔らかく微笑んだ。
「カズーさん、お疲れ様でした。こちらへどうぞ」
促されるまま、オレは二階の応接室へ案内される。
扉の向こうは、外の喧騒が嘘のように静まり返っていた。
革張りの椅子に腰を下ろし、わずかに軋む音を聞きながら待っていると――
重い扉が開き、ギルドマスターが現れた。
「旧鉱山のダンジョンを発見したカズーさん。あなたでしたか!」
豪快に笑いながら、ギルドマスターはオレの肩を叩いた。
その手の重みとともに、少し誇らしさのようなものが胸の奥に湧いた。
「あなたのおかげで、住人たちをいち早く避難させることができました。本当に助かりました」
「良かったです」
オレは小さく微笑んで返す。
ギルドマスターの表情が次第に引き締まる。
「それで……偵察の結果は?」
「はい。魔物の群れは、西の内郭街の城壁へと進軍していました。
すでに一部は城壁に到達し、兵士たちと交戦中です」
「ふむ……。魔物たちは、城壁を突破できそうですか?」
オレは言葉を選びながら答えた。
「わかりません。ただ、トロールが棍棒で壁を叩き壊そうとしていましたが、城壁が頑丈で簡単には崩れないようでした。しかし、ハーピーがゴブリンやコボルトを掴んで空から運び、内郭街に侵入させていました。……あれは厄介です」
ギルドマスターの眉が深く寄る。
「そうですか……。他に、気づいたことは?」
「これは推測ですが――」
オレは一度、息を整えた。
「スタンピードには、“マスター”がいるのではないでしょうか」
ギルドマスターが怪訝そうに目を細める。
「マスター、とは?」
オレはうなずき、言葉を続けた。
「普通の魔物に知恵はありません。
ですが、フロアマスターやダンジョンマスターには戦略的な行動が見られました。
スタンピードを統率する“スタンピードマスター”が、どこかに存在しているのではないかと」
「スタンピードマスター……!?」
ギルドマスターが低く呟く。
「もしそいつを倒せば、魔物たちは混乱し、ダンジョンへ引き返すかもしれません」
「……なるほど。だが、その“マスター”がどこにいるのか、見当は?」
「正確にはわかりません。ただ、魔物の群れの近くにいるはずです。フロアマスターもダンジョンマスターも、必ず自らの配下の近くにいました。
――おそらく、支配の距離に制約があるのでしょう」
ギルドマスターはしばらく考え込み、それからゆっくりとうなずいた。
「わかりました。クエストを準備しましょう。
カズーさん、今日は休んで、明朝ギルドに来てください。
“スタンピードマスター討伐クエスト”――そのリーダーを、あなたに任せます」
胸の奥で、時間が一瞬止まった気がした。
(リーダー……オレが……?)
動揺が喉を塞ぐ。それでも、オレは頷いた。
自分で言い出したことだ。引き下がるわけにはいかない。
「わかりました。……微力ながら、やってみます」
ギルドマスターは穏やかに笑い、オレの肩に手を置いた。
「カズーさん、頼みます」
その温もりに、重責の実感がのしかかる。
一階に戻ると、受付嬢がオレの冒険者証と報酬袋を差し出した。
「カズーさん、緊急クエストと偵察クエストの報酬です。
合計で銀貨九枚になります」
「ありがとうございます」
銀貨の重みを確かめ、オレはギルドを後にした。
夕陽が街の石畳を赤く染めている。
明日の戦いが、ただのクエストでは終わらないことを直感していた。
宿へと戻り、部屋の扉を閉める。
外のざわめきが遠ざかり、静寂が降りる。
オレはベッドに身を投げ出した。
そして――天井を見つめながら、思い出す。
(オレがこの鉱山都市に来た理由……ナリアの敵、イザリオを殺すためだった)
だが、イザリオはもう死んだ。
オレが手を下したわけではない。
この異世界で、オレは何人も殺してきた。
それは生きるためであり、誰かを守るためだった。
――イザリオは、自らの手では殺さなかった。
結果として死んだ彼を見たとき、オレの中に罪悪感は生まれなかった。
不思議なほどに、心が静かだった。
(オレは、オレの正義を……守れたのかもしれない)
そう思うと、胸の奥が温かくなる。
「ナリア……ありがとう……」
頬を伝う涙が、枕を濡らす。
まぶたを閉じれば、彼女の笑顔が浮かぶ。
共に過ごした日々が、静かな幻のように蘇る。
オレは、ゆっくりと眠りへ落ちていった。
そしてオレは学ぶ。
〈復讐は何も生まない〉
と言うことを。




