36話 魔物の進軍
二つの防御魔法が左右を守り、中央ではオレが魔法で魔物を蹴散らす。
しかし――オレの防御魔法は、たかが五メートルの壁だ。
横へ広がった魔物の群れは、その隙を突いて他の冒険者や住人たちの方へと流れていく。
そして、戦いが始まった。
簡易のバリケードなど、まるで意味を成さない。
木材と縄で作られた防壁は一瞬で砕け、魔物の群れが突破する。
前線では戦士や槍兵が必死に押し留めようとしていた。
後方からは弓兵たちが矢を射かける。だが――
「もう矢筒が空だ!」
誰かの悲鳴が聞こえる。矢は尽きかけていた。
魔物は次々と押し寄せ、止まる気配がない。
その数、まさに無限。
いずれこの防衛線は崩壊する。
(これが……スタンピードか!)
魔物たちは死を恐れぬ。
ただ前へ、ただ進む。
それはまるで、命を投げ出してでも何かを目指しているかのようだった。
リーダーが叫ぶ。
「全員、退却だ!」
冒険者も住人も、一斉に後方へと走り出す。
オレもその流れに乗って撤退する。
冒険者たちは冒険者ギルドへ、住人たちは家族の元へ。
それぞれが散り散りに逃げていく。
(……このクエストは失敗だ)
◆ ◆ ◆
オレもリーダーたちと共に、冒険者ギルドへと辿り着いた。
扉を開けると、ギルドマスターが待っていた。
彼は無言でリーダーを迎え、奥の部屋へと姿を消す。
五十人いた冒険者のうち、帰ってきたのは――半分にも満たなかった。
受付の女性が沈痛な面持ちで言う。
「食事が準備されています。どうか、少しでも食べてください……」
オレは席に着き、温かなスープとパン、そして揚げた鶏肉を受け取る。
口に運ぶと――
(美味い……)
スパイスの効いた鶏肉が香ばしく、柔らかい。パンに挟んで食べれば、腹にしみ渡る。
城壁を越える際に、意図せず飲んだウォーターウォールの水以来、何も口にしていなかった。
イザリオは死んだ。
原因を作ったのは、間違いなくオレだ。
だが、不思議と罪悪感はなかった。
ただ、心の奥に刺のようなものが引っかかっている。
食欲も感じていなかったはずなのに、いざ食べ始めると、身体が空腹を思い出していく。
受付の女性が、空になった皿を見て微笑む。
「カズーさん、かなりの活躍だったと聞きました。お替りをお持ちしますね」
「……クエストは失敗だがな」
小さく呟いたオレの前に、彼女は山盛りの揚げ肉を置いた。
「カズーさん、いっぱい食べてくださいね。まだ、戦いは続きますから」
「ありがとう」
食事を続けながら、オレは一つの疑問を口にする。
「魔物は、逃げるオレたちを追わずに真っ直ぐ進んでいた。……あれには、何か目的があるのですか?」
「魔物に……目的?」
女性は首をかしげる。
「考えたこと、なかったです……」
オレは黙ってスープを啜る。
(今まで何度も魔物と戦ったが、やつらは知能が高いわけじゃない。単調な動きしかできない。だが今回は――違う。オレたちを追わず、まっすぐ進んだ。あれは偶然じゃない)
その時、奥からギルドマスターとリーダーが現れた。
「魔物が街に侵入した!」
ギルドマスターの声が響く。
「ここで迎え撃つ。だが、その前に偵察が必要だ。魔物の動向を調べたい。志願者は受付してくれ!」
オレは立ち上がる。
(確かめなければならない。あの“進軍”の理由を)
受付に行き、冒険者証を差し出した。
「偵察クエストを受けたいのですが」
受付の女性がオーブに証を翳し、静かに言う。
「カズーさんですね。ハンドレッド等級ですので、一人でも大丈夫ですが……どうなさいますか?」
「一人で行きます」
(仲間がいては、自由に動けない)
「気をつけてくださいね」
そう言って彼女は、冒険者証を返してくれた。
◆ ◆ ◆
風が頬を撫でる。
オレはギルドを出て、魔物が進んだ方角へと向かう。
街の外れは、静寂が支配していた。
魔物の姿は見えない。
念のため索敵を行う。
「スキャン!」
魔力の波紋が広がり、前方に無数の赤い光点が浮かび上がる。
距離はあるが、確かにそこに“群れ”がいる。
オレは地を蹴り、魔物の進軍方向へと駆け出した。
やがて視界の先、内郭街の城壁が見えた。
魔物たちは、そこへ殺到している。
トロールが棍棒を振るい、石の壁を叩き割ろうとしている。
城壁の上から降り注ぐ矢が何本も突き刺さるが、やつらは止まらない。
ただ、壁を壊すことだけに執着している。
ゴブリンたちは壁をよじ登ろうとするが、矢の雨に貫かれて霧散していく。
そこへ、空から影が舞い降りた。
ハーピーだ。
鋭い爪でゴブリンを掴み、そのまま城壁の上まで運び上げる。
そして、落とされたゴブリンが弓兵に襲いかかる。
ハーピーは、次から次にゴブリンとコボルトを城壁の上に連れて行った。
(……もうすぐ、城壁は落ちるだろう⋯)
オレは息を整え、目を細めた。
魔物たちは“内郭街”を目指している。
だが、それは偶然ではない。
あの数を束ねる意思が――必ず存在する。
「……」
(魔物を導く何かがいる。スタンピードの“核”だ)
ダンジョンで何度か相対したフロアマスター、ダンジョンマスターたちの姿が脳裏をよぎる。
奴らは他の魔物とは違い、知恵を持っていた。
支配し、操り、そして隠れる。
(今回も……“あれ”がいる)
オレは心に決めた。
スタンピードを導く“マスター”を見つけ出す。
そして、その時、オレは知ることになる。
ささやかながら確かな真理を。
そしてオレは学ぶ。
〈食事は思考に不可欠〉
と言うことを。




