32話 決行
―――翌朝。
宿屋の朝食をゆっくりと平らげたオレは、宿を後にする。
目指すは鉱山都市の内郭街――あの男、イザリオがいる場所だ。
(すべての準備は整った。あとは……ヤツを殺るだけだ)
心に再び強い決意を宿しながら、オレは内郭街への城壁門に向かう。
城壁門には衛兵が数人いる。
「仕事で内郭街に行きたいのですが」
静かにそう言いながら、オレは冒険者証を衛兵に差し出した。
衛兵は無言でそれを受け取り、脇にあるオーブに翳す。
青白く輝くオーブが認証を済ませると、衛兵は小さく頷いた。
「通っていいぞ」
証を返され、オレは軽く会釈してその場を後にする。
(……ムートンさんとのクエストが役に立ったな)
ムートンさんが、何時でも、オレが内郭街に来れるようにしてくれた。
あの時、ムートンさんと潜った地下水路――オレはあの記憶を頼りに、再び水路の入り口へと向かい、入っていく。
薄暗く湿った空気の中を進んでいくと、やがて城へと繋がる支流が現れた。
「よし。ここだ……!」
流れの奥には、分厚い鉄格子が行く手を阻んでいる。鍵穴は錆びついているが、問題ない。オレには《シーフ》のスキルがある。
「アンロック⋯」
カチリ、と乾いた音を立てて錠が外れる。
(これで男爵の城に気づかれることなく潜入できる……)
オレはアイテムボックスから寝袋を取り出し、冷たい石床の上に広げる。
ここで夜を待つことにした。
―――そして、夜。
月明かりが水面を銀色に染める頃、オレはゆっくりと身を起こした。
(……時は来た)
支流を進み、先ほど開けた鉄格子を抜ける。鼻を突く悪臭は排水路ゆえか――しかし、そんなことは気にしていられない。
さらに進んだ先、鉄製の梯子を見つける。見上げると、上階へと続いているようだ。
ギィ……という音を立てながら梯子を登り、最上部にある石の蓋に手をかける。重く苔むしたそれを、体重をかけてずらす。
地下の一室へと身を滑り込ませた。
真っ暗な空間。オレはアイテムボックスから懐中電灯を取り出し、周囲を照らす。
石造りの部屋だ。使われていないようで埃っぽく、空気もよどんでいる。部屋の先にはまたも鉄格子。
オレは耳を澄ませながら、小さく声を出す。
「スキャン⋯」
空気に淡い波紋のような魔力が広がるが、何の反応もない。
鉄格子には鍵が掛かっているが、もう慣れたものだ。
「アンロック⋯」
鍵は難なく開き、オレは静かに扉を押し開ける。
懐中電灯の光を足元に向けながら、静かに前進する。
細い通路の先には急な石階段――慎重に一段ずつ踏みしめながら、オレは階段を上がった。
踊り場に到達したところで、再度スキルを発動する。
「スキャン⋯」
視界に赤い光点がふたつ、じわりと浮かび上がる。
(……あれは衛兵。おそらく金塊のある1階の倉庫を見張っているな)
オレは紙に描かれた城の構造図を取り出して確認し、赤い光点を避けて中央階段へと向かう。
息を殺し、物音一つ立てずに移動。やがて中央階段に到達し、素早く2階へと登る。
そこには広間へと続く大きな扉があるが、無視する。
その脇に続く細い通路の先――そこにヤツの部屋があるはずだ。イザリオの部屋。
静かに、慎重に歩みを進め、ついに目当ての扉の前に立つ。
装飾の施された分厚い木製の扉。その先に、ヤツがいる――
オレは扉にそっと手をかけ、スキルを囁く。
「アンロック……」
わずかに鳴る金属音。
扉を静かに開けて中へ足を踏み入れると、そこは広々とした寝室だった。
重厚なカーテンの隙間から、冷たい月明かりが差し込み、部屋の一角を淡く照らしている。空気は静まり返り、寝息だけが微かに響いている。
オレは懐中電灯をアイテムボックスに仕舞い、代わりに妖精剣を取り出す。剣身は月光を受けて、青白く幻想的に輝いている。
大きな天蓋付きのベッドには、イザリオと、彼の妾と思われる若い女が並んで眠っている。二人の寝顔は無防備で、まるで罪の意識など微塵もないようだった。
オレはベッドの前に立ち尽くす。
(こいつが、ナリアを殺した……)
(ナリアを襲おうとして、自分で転んだくせに、それをナリアのせいにして……)
(絶対に許せない。オレは、復讐しなければならない!)
オレは妖精剣をゆっくりと抜き、眠るイザリオの首元にそっと当てがう。剣先が肌に触れると、彼の喉元に薄く光が走った。
―――数秒の静寂。
その殺気に気づいたのか、隣で寝ていた妾の女が目を覚まし、驚いたように身を起こす。
「だ、誰!?」
オレは剣を見せ、静かにするように身振りで伝える。女は息を呑み、震える手で口を押さえた。
「……っ」
その動きに反応して、イザリオも目を覚ます。寝ぼけた声で言った。
「なんだ……?何かあったのか?」
オレは妖精剣を彼の首に押し当てる。イザリオは目を見開き、オレの顔を見て叫ぶ。
「誰だ!?盗賊か!?オレが男爵の息子と知っての狼藉か!」
「イザリオ、オレだ。お前が殺したナリアの恋人だ……」
イザリオは驚きと困惑の入り混じった表情でオレを見つめる。
「お前は……子爵のフリをした奴隷か!何をしている!ここは男爵の城だぞ!」
オレは剣を押し当てたまま、低く言い放つ。
「わかってる。ナリアの復讐のために来たんだ。イザリオ……お前を殺す!」
イザリオはようやく状況を理解したようで、言い訳を始める。
「あの女中は、鉱山の領主である私に怪我を負わせたんだ!だから殺されて当然だ……」
「それは、お前が襲おうとしたからだろうが!」
オレの声は怒りで震え、妖精剣を握る手も震えていた。
イザリオは、宥めるような口調で言う。
「……オレは男爵の息子だ。私を殺せば、公爵に迷惑がかかるぞ。女が欲しいなら、もっと美人で若い娘を用意してやる……」
(こいつは……人の心がわかってない)
オレは剣を振り上げ、斬りかかろうとしたその瞬間――
イザリオが枕を投げて時間を稼ぎ、素早くベランダへと逃げ出した。
オレはゆっくりと彼を追い、ベランダへと足を踏み出す。
ベランダは城の二階とはいえ、かなりの高さがある。飛び降りれば、命は保証されないだろう。
イザリオは手すりに身体を預け、震える声で懇願する。
「⋯⋯止めてくれ。金でも女でも、欲しいものは何でも渡すから!」
オレは妖精剣を正眼に構え、彼の心臓を狙う。
その時――
空から一匹の蒼い蝶が舞い降り、オレの手に止まった。
(ナリアの墓で見た蒼い蝶……)
その蝶は、まるでオレの怒りを鎮めるように、そっと手に留まり続ける。
自然と涙が頬を伝い落ちる。燃え上がっていた復讐の炎が、静かに溶けていく。
(ナリアは言っていた。自分が正しいと思うことをするようにと……)
今、オレがしようとしていることは、本当に正しいのか?
オレは前の世界で学んでいる。
(復讐は……悪い事だ)
復讐は負の連鎖を産み、社会を混乱させる。
しかも、イザリオは武器を持たず、降伏している。
もし、オレが彼を殺せば、それはただの殺人だ。
―――。
「ナリア……止めるよ……」
オレがそう呟くと、蒼い蝶は手から離れ、夜空へと舞い上がっていった。
オレは妖精剣をアイテムボックスに戻し、背を向けてベランダを後にしようとする。
その時――
妾の女が怯えた声で叫ぶ。
「ま、ま、……魔物!」
オレが振り向くと、何匹ものハーピーがベランダに群がり、鋭い爪でイザリオを掴んでいた。
「カズー子爵、助けてくれ!」
イザリオは必死に手を伸ばし、助けを求める。
だが、ハーピーたちは彼を掴んだまま離さず、そのまま空へと舞い上がる。
「助けてくれー!」
イザリオの叫びが夜空に響く。
オレは何もできなかった。攻撃魔法を使えば、彼は地面に落ちてしまう。
ハーピーたちは、月光の中をどんどん高く飛び去っていく。
そしてオレは学ぶ。
〈悪事をすれば報いを受ける〉
と言うことを。




