3話 奴隷
奴隷を乗せた馬車は、街道を東へと進んでいた。
外は冷たい雨が降りしきり、空は厚い雲に覆われている。視界は悪く、遠くの景色は霞んでいたが、不思議なことに、馬は一度も迷うことなく、まるでこの道を知り尽くしているかのように足を進めていた。
馬車の乗り心地は最悪だった。絶え間なく揺れ、体の芯まで振動が伝わってくる。荷台にはオレを含む数人の奴隷が乗っている。老人や小さな女の子の姿もあり、皆すっかり憔悴しきった表情を浮かべている。希望を失った目。沈黙だけが、馬車の中に満ちていた。
◆ ◆ ◆
――三日後。
ついに、小さな山村へとたどり着いた。雨は止んでいたが、空気は冷たく、山々が近くに聳えている。湿った土の匂いが鼻を刺す。
オレたち奴隷は、村の中でもひときわ大きな建物の一室へと連れて行かれた。中は殺風景で、家具など一切ない。既に10人ほどの男たちが集められていた。彼らの顔を見れば、すぐにわかる。おそらくオレたちと同じく奴隷だ。
しばらくすると、続々と新たな奴隷が部屋に入れられていく。あっという間にその数は30人を超えた。
食事が配られたが、味はひどいものだ。ただ、量は十分にあるらしく、満腹にはなった。床に藁を敷いただけの部屋で、オレたちは雑魚寝のように眠ることになった。
◆ ◆ ◆
翌朝。
容赦なく叩き起こされ、10人ずつに分けられ、腰縄を巻かれた。まるで獣のように扱われながら、オレたちは山道を登っていく。
山は険しくはなかったが、腰縄のせいで、満足に歩くことすら難しい。足元のぬかるみに何度も足を取られながら、数時間かけて山を登った。
やがて、視界が開ける。
そこには、柵で囲われた小さな町のような場所があった。いくつかの建物が並び、周囲の山肌は人の手によって削られている。坑道の入口らしきものも見えた。
(……鉱山だ)
その瞬間、オレは自分たちの運命を悟った。
オレたちは、鉱山で働かされる奴隷鉱夫として、ここに連れて来られたのだ。連れて来られた奴隷の数は50人ほど。若い男が多いが、中には女性や子供、年老いた者までいる。
広場のような場所に集められたオレたちは、ひとりずつ金属製の【奴隷の首輪】を装着された。
すると、監視員の一人が前に立ち、怒鳴り声を上げる。
「よく聞け、奴隷ども!お前たちの首には【奴隷の首輪】が付いている!逃げようとしたり、外そうとしたり、あるいは命令に逆らえば――爆発する!」
静まり返る広場。誰もが、その言葉の意味を理解し、言葉を失った。だが、監視員はそんなことには一切構わず、奴隷を年齢や性別で区分けして建物へと送り込んでいく。
オレは、老人以外の男たちと共に、平屋が並ぶ建物の一群に連れて行かれた。
それぞれの奴隷は、狭い個室へと押し込まれる。
オレの番になると、監視員が扉を叩き、中に向かって怒鳴る。
「おい、新入りだ!しっかり教育して、使い物になるようにしろ!」
扉の中から、20歳前後の若い男が現れた。目は鋭く、だがその奥にどこか優しさが滲んでいた。
「はい、わかりました」
若者はオレに向き直り、言った。
「おい、おじさん。こっちだ」
(おじさん、か……)
少しムッとしたが、ここで争っても意味はない。素直に従うことにした。
「……ああ、わかった」
部屋の中は、驚くほど狭かった。藁を敷いただけの寝床が左右に一つずつ、中央には小さな木のテーブル。これで、部屋の空間はほぼ埋まっている。
「おじさん、あんたの寝床はあっちだ」
若者は手で奥の寝床を指し示しながら、自己紹介をする。
「俺はサジ。おじさん、あんたは?」
「カズーって言う。これからよろしく頼むよ」
「カズーか……あんた、大丈夫か?結構年いってそうだけど、ここは地獄だぞ」
「大丈夫だ。体力には自信がある」
オレは、自分に備わった《オート・リカバー》のスキルを頼りに、強がって答えた。
「そうか。それならいい。もうすぐ食事の時間だ。ついてこいよ、カズー!」
オレは、サジの後を追って広場へ向かった。
広場の一角に、黒く煤けた大きな寸胴鍋がいくつか据えられていた。鍋からは湯気が立ち上り、周囲に薄く漂う匂いは、焦げと脂と何かよく分からない異臭が混じったものだった。
屋根だけはあったが、地面はむき出しの土で、テーブルも椅子もない。奴隷と思われる男たちが数百人はいる。奴隷たちは一列に並び、それぞれ木のお椀を手にして、順番を待っていた。
オレとサジも、その列に加わる。無言で手渡されたのは、灰色がかったごった煮のような食べ物だった。何が入っているのか、見た目からは判別できない。肉らしきものもあるが、それが何の肉かも分からない。
スプーンもなく、手でお椀を抱え込んで一口すくった瞬間──
(正直に言って、不味い!)
口に入れた瞬間、変な酸味と苦みが広がり、思わず顔をしかめた。
オレがスプーンを──いや、手を──止めていると、横でサジが言う。
「食べないと、保たないぞ」
オレはしぶしぶ頷き、もう一口すくって飲み込む。喉を通るたびに胃がきしむ気がした。
「カズー、お代わりはいくらでも出来るからな。不味いが……量だけはある」
サジが苦笑交じりにそう言いながら、ごった煮をかき込む姿を見て、オレも渋々食べ進めた。なんとか食べきると、二人で宿舎の部屋に戻る。
殺風景な部屋。藁の敷かれた床と、簡素な寝台。だが、せめて腹が満たされたことで少しだけ気が休まった。
──けれど。
どうしても口の中の不快感が消えない。口直しがしたくなったオレは、サジが寝床を整えている隙を見計らい、こっそりとアイテムボックスからフルーツを二つ取り出す。艶やかな赤に、微かに光を返すその果実──マーブル島でもらった品だ。
「サジ、これは……これから世話になる礼だ」
そう言ってフルーツを一つ手渡すと、サジは驚いた顔でオレを見た。
「カズー、よくこんなもの……!ありがたく、いただくよ!」
目を輝かせながら、サジはフルーツにかぶりついた。
「ああ、何とか隠して持ち込めたが……これだけだ」
オレも自分の分を手に取り、皮をむいて口に運ぶ。甘く瑞々しい果汁が、渇いた喉に染みわたる。
サジはしばらく黙って味わっていたが、ふとフルーツを見つめながら呟いた。
「このフルーツ……新鮮で、本当にうまいな。故郷のものを思い出すよ」
「サジ、故郷はどこなんだ?」
オレはさりげなく訊ねた。サジは少しだけ表情を曇らせ、ゆっくりと答えた。
「城塞都市の近く……マーブル島って島だ。……海賊に捕まって、ここに連れて来られたんだ。もう、かなり前のことだ……」
オレは思わず息を呑んだ。まさかの偶然──いや、運命というべきか。
このフルーツは、まさにそのマーブル島で受け取ったものだった。
オレは、公爵の命であの島の領主として任命されている。
だが、今はまだサジを完全に信用していいのか分からない。
──だから、オレの正体は伏せておくことにした。
「そうか……災難だったな」
オレが声を合わせると、サジは少し肩を落とし、ポツリとこぼした。
「あぁ……故郷のみんながどうしているか、心配だ」
オレは少しでも安心させたくて、口を開いた。
「……オレが城塞都市で聞いた話では、新しい領主が来て、海賊を捕まえたそうだ」
「本当か!……それは、良かった……。新しい領主に感謝しないとな」
サジの顔に、ほんの少しだけ安堵の色が浮かぶ。
だがすぐに、彼は不思議そうにオレの顔を見て言った。
「ところで、カズーは城塞都市の出身か?見たところ、外国人のような顔をしてるが……」
オレは一瞬迷ったが、最小限の真実を答えることにした。
「あぁ……城塞都市の冒険者なんだ。ちょっと騙されて、ここに連れて来られた……」
「そうか……災難だったな。でも、多かれ少なかれ、ここにいる奴は皆そんなもんだ」
サジは肩をすくめて笑うが、その目は笑っていなかった。
オレは、思った。
──ここには、多くの奴隷がいる。それぞれに事情があり、そして、それがすべて悪意の連鎖によってもたらされたものだ。
(こんな非道が、許されていいはずがない……!)
けれど、オレも思い出す。
前の世界──かつての国でも、奴隷ではなかったが、オレは働かされ続けていた。見えない鎖で縛られ、誰かの意図に操られていた。
この異世界の方が、むしろ分かりやすい。
だが──本質は同じだ。
(前の世界も、この世界も、多くの人が、悪意によって、搾取されている……)
そしてオレは学ぶ。
〈多くの人が奴隷にされる〉
と言うことを。




