27話 旧鉱山の町
―――翌朝。
朝靄の残る中、オレは厩舎から馬を引き出し、旧鉱山へ向けて出発した。
久々の外乗に、馬も嬉しそうに鼻を鳴らす。蹄の音がまだ眠っている街にこだまする。
鉱山都市の外郭街には、城門がない。だから、街の端を抜けるとそのまま外へ出ることができた。朝日が東の空を染め、微かな風が草の匂いを運んでくる。肌に心地良い。
オレは、今回の目的となる「シーフ」のジョブに変更し、馬を西へと走らせた。旧鉱山までは、馬でおよそ半日と聞いている。
だが、途中で困った。旧鉱山へ続く道がほとんど失われていたのだ。今では、誰もそこへ行こうとはしないのだろう。街道は獣道と化し、背の高い草と倒木が行く手を遮る。
昼頃、陽が真上に差しかかる頃に一度休憩を取り、乾いたパンと水で腹を満たす。馬も草を食みながら静かに休んでいる。
それから再び、旧鉱山を目指して進む。
やがて、山の影が視界に入り始める。かつて人の手で削られた岩肌、露出した鉱脈の跡、崩れかけた坑道の入口。それらが、遠くに不気味なシルエットを描く。
(旧鉱山か……)
麓には、廃れた小さな町が広がっていた。屋根は崩れ、壁は蔦に覆われている。人気はなく、ただ風だけが古びた木の窓を鳴らしていた。
オレは、魔物の存在を警戒し、町から少し離れた丘の上に野営地を構えた。視界が開けており、何かあっても対応しやすい。
夜は静かだった。
―――翌朝。
革のローブと革の鎧を身に纏い、アイテムボックスから鉄の剣と盾を取り出す。馬は、危険なのでここに置いていく。オレは、慎重に旧鉱山の町へと足を踏み入れた。
空気が澱んでいる。陽が射しているというのに、どこか薄暗く、冷たい気配が肌を撫でる。
廃屋の並ぶ通りを進むと、唐突に聞こえた。
「ウーウー……ウワァン!」
唸り声。明らかに獣のものだ。
すかさずゲームシステムのメニューを確認すると、敵の名前が浮かび上がった。
『コボルト』
犬の顔をした人型の魔物。
唸り声の主が、崩れた家の扉を突き破って飛び出してくる。牙を剥き、鋭い爪を振りかざして一直線にオレへと飛びかかってきた。
オレは盾を構えて受け止め、すぐさま魔法を詠唱する。
「ファイアボール!」
だが、コボルトは驚くべき反応速度で横に跳ねた。火球は空を切り、木の壁に炸裂する。
(クソッ、速い……!)
オレはさらに追撃の魔法を放つ。
「ファイアアロー!」
今度は矢の形をした炎が、追尾するようにコボルトの動きをトレースし、横に跳んだその先を撃ち抜いた。
コボルトは叫び声をあげ、炎に包まれて霧散した。
だが、その一匹の断末魔が合図だったかのように――次々と周囲の家々から唸り声が響き出す。
「ウガー!ウガー!」
十数匹のコボルトが、包囲するようにオレの前に姿を現した。
(数が……多い……!)
即座に防御魔法を展開する。
「ファイアシェル!」
オレの周囲に半球状の炎の壁が燃え上がる。コボルトたちはその炎を前にして、怯んだように動きを止める。
オレは隙を突いて攻撃に転じる。
「ファイアアロー!」
矢は狙い通りに1匹を撃ち抜き、火の粉とともにその身体を消滅させた。
次の瞬間、さらなる魔法を放つ。
「マルチファイアブレード!」
オレの前にいくつもの炎の刃が現れ、前方のコボルトたちへ一斉に放たれる。炎の刃がコボルトの肉体を切り裂き、断末魔と共に霧へと還す。
畳みかけるように連続魔法を発動する。
「ファイアアロー! ファイアボール! ウィンドボール! ウォーターボール!」
炎、風、水。次々と魔法が炸裂し、周囲のコボルトをなぎ倒していく。
だがその時――
背後から鋭い衝撃が走った。
(!?)
「ぐっ……!」
振り返ると、錆びた剣を握ったコボルトが、ファイアシェルを突き破ってオレの背中を切り裂いたのだ。
痛みで視界が歪むが、倒れるわけにはいかない。
オレは反射的に振り返り、魔法を連射する。
「マルチファイアブレード! ファイアアロー! ファイアボール!」
背中のコボルトが吹き飛び、残りも一掃される。
(……クソ、どこからでも来る……!)
背中の傷は《オート・リカバー》で徐々に癒えていく。だが、魔力の消費も無視できない。
さらに、コボルトの遠吠えが響いた。
「ウオオオーーン!ウオオオーーン!」
それは、仲間を呼ぶ合図だ。
一掃しても、次の集団が押し寄せてくる。
オレは舌打ちしながら振り返る。すると、後方から新たな敵が――ツルハシを持ったコボルトが、オレの肩にそれを突き立ててきた。
「ぐああっ!」
激痛が肩に走る。しかし、今は痛みに構っている暇などない。
「マルチファイアブレード! ファイアアロー! ファイアボール! ウィンドボール!」
連続詠唱で押し返すが――
(駄目だ……ここでは囲まれる……!)
このままでは持たないと判断し、オレは進路を旧鉱山方面へと切り替える。
逃げ道を切り拓くように、前方へ魔法を放つ。
「マルチファイアブレード! ファイアアロー! ファイアボール!」
後方には、追っ手を防ぐための防御魔法を展開する。
「ファイアウォール!」
炎の壁が燃え上がり、コボルトの進路を遮る。
その時、ゲームシステムの画面にポップアップが表示された。
──レベルアップ:シーフ Lv.10 ──
『スキル《スキャン》を獲得しました』
「……スキャン?」
見覚えのあるスキル名だ。仲間のシャムが、敵の位置を探るためによく使っていたものだ。
求めていた《アンロック》ではない。だが、今は贅沢を言っていられない。
オレは迷わず、《スキャン》を唱える。
「スキャン!」
声に出した瞬間、意識の奥に何かが流れ込んでくるような感覚があった。
視界の端に淡い光が瞬き、地形をなぞるように情報が浮かび上がってくる。まるで頭の中に地図が描かれるようだった。
──いた。
建物の陰、瓦礫の隙間、通路の奥。点在する赤い光点が、じわじわとこちらへ向かっている。
数は、五、六……いや、それ以上。数え切れない。四方八方から、オレを包囲するように移動している。
(これは……不味いぞ)
背筋に冷たいものが走る。
敵は、こちらの位置を完全に把握しているような動きだ。
まるで網にかかった獲物を、ゆっくりと囲い込むように……。
オレは無意識に息を潜め、身を低くした。心臓の鼓動がやけにうるさい。
時間がない。このまま立ち尽くしていれば、袋のネズミだ。
オレはすぐに、旧鉱山へと駆け出した。
息が荒い。魔力も尽きかけている。けれど、走るしかない。
そしてオレは学ぶ。
〈多勢に無勢〉
と言うことを。




