2話 麻痺毒
オレは、この最悪の状況に、ほんの少しだけ──諦めかけていた。
オレは、盗賊と間違えられている。
他の奴隷たちは、オレに視線すら向けない。まるで汚れものでも見るかのように、目を逸らしている。
ゲームシステムのメニューには、淡々と──容赦なく──MPの減少が表示されていた。
(MPが尽きれば……オレは死ぬ。死ぬんだ……もう、何も考えたくない……)
―――――。
MPがほぼ底を尽きかけたそのとき、不意にHPとMPが、ゆっくりと回復を始めた。
(……助かった……! 麻痺毒の効果が切れた……ギリギリだった……)
メニュー画面からも、状態異常を示すアイコンが消えている。
オレは安堵し、深く息を吐いた。そして、これからどう動くかを考え始める。
まずは体力を回復して、この場所から脱出する。
もちろん、オレの武器は──魔法だ。
だが、問題はある。手足は縄で厳重に縛られている。こんな状態で、まともに魔法が使えるのだろうか?
馬車の檻には、他にも何人かの人間がいた。
中年の男が三人、腰の曲がった老人が二人、そして、目を伏せたまま震えている小さな女の子が二人。オレを含めて、計八人だ。
オレは、手足を縛られたまま横たわっている。この姿勢のまま魔法を放てば、誤って他の奴隷を巻き込んでしまうかもしれない。
……危険すぎる。
一旦、様子を見ることにした。
手足を縛っている縄を外そうと試みるが、背中側に縛られているため、どうにもならない。
そこで、休憩のタイミングを見計らい、御者に声をかける。
「……御者、小用に行きたいのだが?」
御者は、意外にもあっさりと了承し、檻の鍵を開けた。
横になっているオレを乱暴に引きずり出し、手足の縄を解く。
その瞬間──
「……ッ!」
カチャン。
冷たい金属が、オレの首に嵌められた。
鈍く光る鉄の輪――【奴隷の首輪】。
「おい、分かるか? これは“奴隷の首輪”だ。逃げたり、外そうとしたり、反抗すれば──爆発するぞ!」
御者の嘲笑混じりの声に、オレの血が沸騰する。
怒りが胸を突き上げ、全身を震わせる。
「ふざけるな! オレは奴隷じゃない! こんなもん、外せ!」
オレは、御者への警告として、近くの木に魔法をぶつけて威嚇するつもりだった。
「ファイアボール!」
……何も起きない。
(……!?)
「ウィンドボール! ファイアアロー!」
沈黙。空気すら揺れない。
「ファイアウォール! ファイアレイン! ファイアシェル……!」
何度唱えても、魔法は一切発動しない。
(魔法が……使えない!?)
オレの声が虚空に吸い込まれていく。怒りと、恐怖と、焦燥が入り混じり、喉が焼けつく。
御者が、呆れたような目で言い放つ。
「お前、何してんだ? 早く行けよ。あんまり遠くに行くな? 爆発して首が吹き飛ぶぞ!」
オレは、その場に立ち尽くす。魔法を封じられたという事実に、膝が震える。
(オレから魔法を取ったら──前のオレと同じだ)
オレは唇を噛み、こぶしを握りしめた。
仕方なく、小用のふりをして馬車に戻り、黙って座る。
恐る恐る、首に嵌められた金属の輪に触れ、メニューを開く。
【装備:首 ─ 奴隷の首輪】
(……嘘じゃなかった……)
説明欄には、こう記されていた。
『奴隷にするための首輪』
さらに、驚愕の事実に気づく。
MPが0になっている。
オレは確かに見た。麻痺毒が切れたあと、《オート・リカバー》のスキルで、MPは全回復していたはずだ。
(……間違いない。これは“首輪”の効果だ)
ジョブ欄には、依然として『火の魔術師』とあるが、ランクは『奴隷』の文字に変更されていた。
ステータス自体に変化はないが、これは明確な"制限"だ。
オレは、アイテムボックスから【エバキュエーションキット】を取り出す。大きなバックパックが現れ、その中にはテントや水、サバイバル用の道具が揃っていた。冒険者のふりをした盗賊に奪われた道具とまったく同じだ。
サバイバルナイフを手に取り、腕を軽く斬る。血が滲み出るが、すぐに止まり、傷はゆっくりと塞がっていく。
(《オート・リカバー》のスキルは生きている……なら、首輪が封じたのは“魔法”だけか)
オレは、この首輪の効果を冷静に整理する。
【奴隷の首輪】──
・装着者のMPを0に固定
・特定の行動で爆発する可能性
その“特定の条件”が何かを、自分の体で試すつもりはない。
……今はおとなしくしておくのが得策だ。
オレは、硬い檻の床に座り込み、無言で空を見上げた。
その空は、どこまでも青く、どこまでも自由だった。
だが、オレは、その空に手を伸ばすことすら許されないのだ。
それは、肉体を縛られる以上に、精神を締め上げてくる現実だった。
そしてオレは学ぶ。
〈能力を失った無力感〉
と言うことを。




