17話 事件後
―――翌日。
サジが、久しぶりに女中の家に行こうと誘ってくれた。
その一言を聞いただけで、胸の奥がふわりと温かくなる。
仕事が終わると、オレとサジは、いつもの奴隷の集まりには向かわず、石畳の細い路地を抜けて女中の家へと足を運んだ。
(久しぶりにナリアに会える!)
この異世界には電話など無い。会いたい人がいれば、自分の足でそこまで行くしかない。
だが、その不便さが、再会の喜びを何倍にも膨らませてくれる。
(早くここを抜け出して、城塞都市に戻ろう。そしてナリアと一緒になるんだ――)
女中の家の扉を開けると、いつもの香ばしいパンの匂いに混じって、少し甘酸っぱいトマトスープの香りが鼻をくすぐった。
だが、いつも一緒にいるはずのヴィスカの姿が無い。
代わりにナリアが一人、エプロン姿で鍋をかき混ぜていた。
こちらに気づくと、驚いたように目を丸くし、すぐに少し怒ったような顔になる。
「どうしたの? あなた達、随分ご無沙汰ね……あなた達の食事は作ってないわよ!」
ナリアの声には、寂しさと苛立ちが入り混じっていた。
確かに、ここ最近オレたちは奴隷の集まりに顔を出すばかりで、女中の家には一週間以上来ていなかった。
「ナリア、すまない。ちょっと、他の奴隷たちから頼まれて、集まりに参加していたんだ」
言い訳を口にしながらも、胸の奥にチクリと罪悪感が走る。
ナリアは腕を組んでこちらを見つめ、眉をひそめる。
「その奴隷の集まりはいつ終わるの? 終わってから来ても良いんじゃなくて?」
言葉に詰まる。
彼女の言う通りだった。自分だけが正しいような顔をして、彼女の寂しさから目を逸らしていた。
「ナリア、ごめん。オレが悪かった……」
深く頭を下げると、ナリアは小さくため息をつき、いつもの柔らかな声に戻った。
「もういいわ。二人とも座ってちょうだい。ヴィスカはちょっと出ているから、あるものしか出せないけど我慢してね」
そう言ってナリアが出してくれたのは、湯気の立つトマトスープと焼きたてのパンだった。
温かい湯気が胸に染みる。
その時、扉がギイ、と開く音。
ヴィスカが戻ってきた。
彼女は息を整えると、こちらを見て笑った。
「あんた達、良い所に来たね。良いニュースだよ!」
一呼吸置いて、彼女は言う。
「解放軍の斥候から連絡が来て、二日後に解放軍がここに到着する」
息が止まるほどの衝撃。胸の奥が熱くなる。
(やっと、自由になれる……そして、ナリアと一緒になれる!)
隣でサジが身を乗り出す。 「やっとか! 数はどのくらいなんだ!?」
ヴィスカは唇の端を上げてニヤリと笑った。
「500はいるよ! ここの兵士は200程度だから問題ないだろう。それに、ここの奴隷たちも味方してくれる。カズー、あんたのお陰だよ」
彼女の言葉に、オレは胸が熱くなった。
オレが毎日、奴隷たちに語りかけ、希望を紡いできたことが今、形になろうとしている。
「ヴィスカ、そんなことないよ。ヴィスカとサジの努力と、奴隷たちの勇気のお陰だ!」
ヴィスカは頷きながらも、少し表情を曇らせてサジに問う。
「そう言えば昨日、鉱山で【奴隷の首輪】を爆破された奴隷がいたみたいだね……」
サジが苦しげに下を向く。 「あぁ……監視員の命令に従わなかったとか言っていたが、あんな酷いことをするとは……」
ヴィスカは低くつぶやいた。
「最近は、兵士も監視員もイライラしている。鉱山の産出量がかなり減っているらしいしね。領主なんか毎日朝から酒を飲んで、周りの兵士や女中に当たり散らしているみたいよ。……まぁ、こんな話は止めて食べましょう。何か作るわ」
―――食事の後。
オレはナリアといつものように自分の家へ向かった。
扉を閉めると同時に、二人の身体は自然に引き寄せられる。
「カズー、寂しかったわ!」
「オレもだ! ナリア!」
互いの温もりを確かめ合い、重ねた時間の分だけ、心の距離が縮まっていく。
***
愛を確かめ合った後、オレは一つの決意を胸に秘めて、ナリアに向き合った。
「ナリア、オレは一つ言わなければならないことがあるんだ……」
ナリアはオレの腕枕に頭を乗せ、幸せそうに微笑んでいる。
「なぁに……カズー」
「オレは、他国の人間ではなくて、他の世界の人間なんだ。この異世界の人間ではないんだ」
その告白に、ナリアは一瞬目を丸くしたが、すぐに優しい笑みを浮かべる。
「だから、どうしたの? カズーはカズーでしょう?」
「……あぁ、もちろん、そうだが」
「なら、良いじゃない。私は気にしないわ」
蒼い瞳がきらめく。
オレは、その瞳に吸い込まれるように見つめ、胸が締めつけられるほど愛おしいと感じた。
「ナリア、ありがとう。あと、これは言わないでもいいかもしれないが、ここに来るときに神様から“魔王を倒せ”という使命を受けて来たんだ。だけど、もう辞めるよ」
ナリアは少しだけ眉を寄せ、オレを見つめる。
「そうね。あなたがいくら強くても、魔王を倒すなんて危険過ぎるわ……」
オレはナリアの黒髪に指を絡め、静かに微笑む。
「あぁ。辞めるよ。その代わり、城塞都市でオレと一緒になってくれ!」
ナリアはオレの手を胸に抱き寄せ、頷いた。
「ええ! もちろんよ!」
「ありがとうナリア!」
オレはナリアを強く抱き寄せる。
(オレはこの異世界で一番の幸せ者だ!)
そしてオレは学ぶ。
〈愛は何にも勝る〉
と言うことを。




