16話 事件
―――数日後。
オレはここ数日、仕事が終わると決まって“奴隷の集まり”に参加している。
あの集団は、今や熱と声で満ちていた。
今日も、いつものようにサジが声をかけてくる。
「カズー、今日も“破滅”の話をしてくれよ!」
あいつはまるで子どものように目を輝かせている。
オレとサジが連れ立って、集会場として使われている一番大きな奴隷の家に向かうと、すでに多くの奴隷たちが集まっていた。
外まであふれ出し、窓から中を覗き込む者までいる。見渡す限り、人、人、人……。ざっと100人以上いるだろうか。
(凄い……こんなに……)
かつてオレが助けた班長が、群衆をかき分けてこちらにやってきた。
「カズーさん、こちらへ。どうぞ中へお入りください」
促されるまま、オレとサジは家の中へと入っていく。
中に入ると、どこからともなく歓声が沸き起こった。
「うオー!“破滅”の人が来たぞー!」
「破滅!」
「破滅だ!」
……“破滅”ってのは、どうやらオレのあだ名らしい。
どこか皮肉めいてるが、なぜか皆、嬉しそうに叫んでいる。
オレの言葉が、奴らの中で何かを「壊した」のかもしれない。思い込みとか、諦めとか、そんな何かを。
家の中央には、一段高くなった席が設けられていた。
そこにオレが案内されると、場のざわめきがすっと引いて、静寂が訪れた。
オレは、集まった奴隷たちにゆっくりと問いかける。
「何か、聞きたいことはありますか?」
待ってましたと言わんばかりに、一人の奴隷が手を上げた。
あらかじめ相談されていたのだろう。背中を押されるように前に出る。
「オレたち奴隷は、どうやったら解放されるんですか?」
オレはその奴隷の目をじっと見つめながら、静かに答える。
「あなたが、自分はもう奴隷ではないと信じた瞬間に、解放は始まります。
“奴隷”なんて存在は、誰かが勝手に作り上げた幻想です。
あなたは、自分にこう言うんです――“自分は奴隷ではない”って。
その時から、あなたはもう奴隷ではなくなる」
一瞬の沈黙のあと、歓声が弾けた。
「なるほど!」
「そうだ、オレは奴隷じゃない!」
すると、別の男が真剣な顔で口を開いた。
「でも、監視員や兵士は……俺たちを奴隷扱いしてくる。
オレらが“奴隷じゃない”って思ったところで、あいつらの態度は変わらねぇよ。
どうすれば、あいつらに“オレたちは奴隷じゃない”って思わせられるんだ?」
オレはその問いを、あえて返す。
「あなたは、どうすればいいと思いますか?」
男は首をひねって考え込むが、やがて肩をすくめて言う。
「わからね……」
オレは静かに頷いた。
「そうです。“わからない”のが普通です。
でも、オレたちが自分自身を奴隷と思わなくなったその時から……少しずつ、世界が変わり始める。
たとえ今日変わらなくても、明日、少しだけ変わるかもしれない」
周りから声が上がる。
「でも、奴らは変わらねぇ!」
「怖いんだよ、あいつらは……!」
次に、若い奴隷が不安そうに尋ねる。
「もし……解放されたとして、どうやって食べていけばいいんですか?
オレたちは……何も持ってない……」
その声には、切実な震えがあった。
オレは少し黙ってから答えた。
「本来、誰かが働けば、領主や雇い主は賃金を払わなければならない。
そして、その賃金で人は食べ、着飾り、人生を楽しむ。
それが本来の形なんです」
だが、オレは心の中では思っていた。
(オレのいた前の世界だって、ろくな賃金じゃなかった。遊ぶ暇なんて、なかった……)
―――1時間後。
質問は途切れることなく続いた。
奴隷たちは、今まで抱えてきた疑問や想いを、次々とオレにぶつけてくる。
オレは必死で、それに答えた。過去の記憶、常識、考え方、感情――
すべてを総動員して、言葉に変えた。
気づけば、皆の表情が変わっている。
うつむいていた目が、未来を見上げ始めている。
押し殺していた声が、問いを叫び始めている。
オレは最後に、皆に呼びかけた。
「皆で考えよう。どうすれば、オレたちが本当に解放されるのか。
正しい答えは、どこかにあるはずだ。
なぜなら、すべての人は平等であり、自分自身であり、それこそが正義だからだ!」
「うオーッ!」
「そうだ、カズー!」
「考えよう、皆で!」
奴隷たちの目に火が灯るのを、オレは確かに見た。
◆ ◆ ◆
―――数日後、事件は突然起きた。
昼下がり。
いつも通り、鉱山の奥深くでツルハシを振るい、石と土にまみれながら、無言で作業をしていたその時だった。
突如、腹の底に響くような爆音が鉱道内に鳴り響いた。
「ドッカーーーン!!」
地面が震え、砂埃が舞い上がる。ツルハシを持つ手が止まり、全員が息を呑む。鉱山の闇の向こうから、焼け焦げた煙と焦げ臭い風が流れてきた。
恐る恐る爆発音のした方へ向かうと、そこには変わり果てた一人の奴隷の姿があった。
彼の体は爆風に吹き飛ばされ、壁にもたれかかるように倒れている。肉の焦げる匂いがあたりに充満し、誰もが言葉を失った。
震える声で監視員の一人が叫ぶ。
「お、俺たちに逆らうからだ!逆らった奴は、こいつと同じように爆発するぞ!」
その場にいた全ての奴隷が、息を飲んで俯いた。誰も目を合わせようとはしない。
やがて、何もなかったかのように、皆、再び無言でツルハシを振るい始める。
命が一つ、灰になった。ただそれだけのこととして。
その日の夕暮れ。
奴隷の家――奴隷たちが密かに集う場所に、いつもより重苦しい空気が漂っていた。
誰もが目に光を失い、無言で座っている。小声すら交わさず、ただ虚空を見つめていた。
爆発で命を落とした奴隷の姿が、皆の心に焼き付いていた。
今日、彼らは改めて思い知らされたのだ。
――自分たちは、「物」なのだと。
沈黙の中、オレはゆっくりと立ち上がった。
いつもの席には座らず、仲間たちを見渡しながら、胸の内の言葉を吐き出す。
「……皆、今日、尊い命が犠牲になった。オレは、ただ悲しい。悔しい。どうして監視員たちは、あんなにも簡単に、人の命を奪えるんだ? そして、どうしてオレたちは、こんなにも簡単に、それを受け入れてしまっているんだ!?」
誰かが嗚咽を漏らす。誰かが唇を噛む。
オレは続ける。
「だけど……だけど、それでもオレたちは、歩みを止めちゃいけない。考えることをやめてはいけないんだ。いつか――必ず来る自由のために、今日も考え続けよう!」
静寂を破るように、誰かが小さく頷いた。
その小さな動きが、次第に周囲へと広がっていく。
俯いていた顔が、少しずつ上がり、目に再び光が宿っていくのが見える。
それは、失いかけていた希望の灯。
胸の奥に秘めていた、正義という名の火種。
そしてオレは学ぶ。
〈人は自由を求める〉
と言うことを。




