14話 変わる感情
―――その日の夕方。
夕焼けが街を朱に染める頃。
オレとサジは、いつものように女中の家へと向かった。
古びた石畳を踏みしめながら歩く道の先――
暖かな明かりが漏れるその家に入ると、ヴィスカが香ばしい香りを漂わせながら料理をしていた。
テーブルには湯気の立つスープと焼きたてのパン。ナリアも椅子に腰掛け、こちらを見つめている。
「……あんた達、大丈夫だった!? 広場で、大変なことになったみたいね?」
ヴィスカは手にしていたスプーンを置き、心配そうに眉をひそめて訊いてきた。
サジが笑みを浮かべて胸を張る。
「あぁ! 凄かったぞ! カズーが領主に“虐待は許さない!”って啖呵切ってさ、拷問されてた奴隷を助けたんだ!」
「え……!? 拷問……?」
ナリアの蒼い目が揺れる。
彼女はオレのそばに近づき、小さく、震える声で言う。
「カズー……無茶は止めて。お願いだから……」
オレは、彼女の手を取って静かに答える。
「大丈夫だ、ナリア。解放軍が――オレの【奴隷の首輪】を解除してくれた。オレはもう、自由だ。オレは正しいと思うことが出来る」
その言葉を聞いたナリアの瞳に、ぽろりと涙が浮かぶ。
その蒼い瞳に映るオレの黒い瞳――
長い苦しみを乗り越えた者同士の、確かな絆がそこにあった。
「本当に……本当に良かった。これで、あなたと一緒になれるのね」
オレは、迷わずナリアをその腕に抱きしめた。
細い身体は小さく震えていて、それが彼女の本音を雄弁に語っていた。
⋯⋯⋯⋯⋯。
「お二人さんよ、熱くなるのはいいけど……せめて外でやってくれ」
サジが呆れ顔で横目に呟き、ヴィスカがクスリと笑う。
「さあさあ、皆、食べましょう!」
テーブルを囲むあたたかな笑顔。
久しぶりに、心が安らぐ瞬間だった。
◆ ◆ ◆
――数日後。
だが現実は、甘くなかった。
オレは、今も鉱山で鉱夫として働かされている。
解放軍の主力が到着するには、まだ時間がかかる。
その間に、仲間の奴隷たちの【奴隷の首輪】を一つずつ解除している状態だ。
オレが勝手に逃げれば、首輪が解除されているのがバレてしまう。
(もう少しの辛抱だ……)
鉱山の中――
湿った土と、鉄と汗の混じった臭いが鼻を突く。
ツルハシの音だけが、坑道に虚しく響いていた。
そんな時だった。
「カズーっ!」
サジの焦った声が響いた。
数人の奴隷を連れて、息を切らしながらオレのもとへ駆けてくる。
「まだ……この間のポーション、あるか!? こいつが、監視員に滅多打ちにされて死にそうなんだ!」
彼の肩に担がれた一人の奴隷――
身体は血塗れで、呼吸は浅く、今にも意識を失いそうだ。
「分かった!」
オレはすぐにアイテムボックスからポーションを取り出し、奴隷の口元へ慎重に注ぎ込んだ。
「これを飲め……!」
喉がピクリと動き、青ざめた肌がわずかに色を取り戻していく。
その身体に刻まれた無数の傷が、ポーションの力で少しずつ癒えていく。
「……ありがとう……」
その声は、か細く、今にも消え入りそうだった。
だが、たしかに生きている。
「一体、何があったんだ!?」
オレの問いに、サジは奥歯を噛み締めながら吐き捨てるように言った。
「何も無い! 監視員共が……ただ俺たち奴隷を叩いてくるんだ! 兵士たちも、“【奴隷の首輪】を爆発させるぞ”って、脅して来やがる!」
その声には怒りと、どうしようもない無力感が滲んでいた。
どうやら事件のあと、兵士や監視員の間で苛立ちが募り、そのストレスの捌け口として奴隷たちが標的にされているらしい。
瀕死だった奴隷の背に残る、傷の跡を見ながら――オレは思い出していた。
前の世界でも、オレはよく理不尽に怒鳴られ、不当な扱いを受けた。
なにか問題が起これば、真っ先に責任を押し付けられたのはオレだった。
反論しても、耳を貸してくれない。
怒りも悲しみも、やがて諦めに変わる。
そして今、またそれを目の当たりにしている。
歯を食いしばる――。
この現実を、ただ受け入れることはできない。
オレの胸の奥に、静かに、確かな火が灯った。
そしてオレは学ぶ。
〈底辺の者は、いつも虐げられる〉
と言うことを。




